『クライ・マッチョ』:2021、アメリカ

1979年、アメリカのテキサス州。老齢のカウボーイであるマイク・マイロは、ハワード・ポルクの牧場を訪れた。かつてレースで何度も優勝してロデオスターと呼ばれたマイクだが、落馬事故の後は薬漬けで酒に溺れる日々を送っていた。ハワードは遅刻して現れたマイクに「今、ウチの厩舎には2頭の馬しかいない。調教師も同じだ。お前を失っても構わない。荷物を整理して出て行け」と言い、解雇を通告した。マイクは「昔からケチでヤワな性格だったな。今さら言っても直らんだろう」と嫌味を浴びせ、牧場を去った。
1年後。ハワードはマイクの家を訪れ、13歳になる息子のラフォをメキシコから連れ出してほしいと依頼した。彼は「一緒に暮らしたい。母親のレタはイカれてる。息子を救ってやりたい」と言い、マイクが「警察に話せ」と告げると「俺は警察と揉めてる。メキシコに行けば逮捕される」と述べた。ハワードが「息子は虐待されてる。俺には分かる」と話すと、マイクは「俺に付いて来るもんか」と言う。するとハワードは、「お前は本物のカウボーイだ、付いて来る。牧場を自由に使わせ、自分の馬を与えると言え」と語った。
ハワードは「俺に借りがあるだろ」と言い、差し押さえを避けるために家の金を払ったこと、周囲の反対を押し切って妻子を失ったマイクに手を差し伸べたことを語る。マイクが仕事を引き受けると、ハワードは6歳の頃のラフォの写真や金を渡した。メキシコに入ったマイクは、リタの豪邸に赴いた。リタは2人の手下を伴い、マイクと会った。彼はマイクの要件を知り、「今まで2人、夫の使いが来た。1人は監獄行きで、1人は息子が見つからずに帰国した」と述べた。
レタが「夫の目的は何なの?息子を愛してないのに」と言うと、マイクは「彼は変わろうとしてる」と答えた。レイは「息子は汚い路地で生きてる野生児よ。賭け事、盗み、闘鶏」と語り、「チョカ通りにいる。息子が見つかるなら、連れてお行き」と言い放った。マイクがチョカ通りへ行くと、ラフォはマッチョと名付けた鶏で闘鶏を始めようとしていた。そこへ警官隊が突入したので人々は逃げ惑い、ラフォは姿を隠した。
マイクは騒動が収まってからラフォに呼び掛けるが、姿を見せなかった。マッチョを見つけた彼は、「出て来ないと鶏を殺す」と脅した。姿を見せたラフォは、マイクがレタのパーティーに参加した変態客だと誤解した。ハワードが会いたがっていることをマイクが伝えると、ラフォは「何年も会ってない。誕生日の連絡も無い」と言う。しかしマイクが「何百頭もの馬を飼っている牧場主だ。自由に馬に乗れる」と説明すると、彼は「行ってもいい。嫌ならクソ食らえと言って戻る」と告げた。
マイクはレタの元へ戻り、ラフォを見つけたことを伝えた。レタがベッドに誘うと、マイクは冷たく拒んで立ち去ろうとする。レタは激怒し、「警察に通報し、誘拐で逮捕させてやる。ラフォは私の持ち物。誰にも渡さない。5分でメキシコシティーから出て行け」と凄んだ。マイクが去ると、彼女は手下のアウレリオに尾行を命じた。車でメキシコを出ようとしたマイクは、ラフォとマッチョが隠れているのに気付いた。彼が怒って追い払おうとすると、ラフォは「誘拐されたと通報する」と脅して連れて行くよう要求する。マイクは財布を盗んでおり、返すから国境まで連れて行くよう持ち掛けた。この取引も拒否したマイクだが、結局はラフォを連れて行くことにした。
ラフォの背中は痣だらけで、それを見たマイクは「路上暮らしの代償か?」と尋ねる。ラフォは彼に、「時にはね。家に帰ると、もっと酷い目に遭うこともある。母さんは毎日、違う男を連れ込む。俺を憎んでる。アウレリオは刑務所にいたヤクの売人で、母さんにも薬を。唾を吐いてやったら、しつけだと言って殴られた」と語った。翌日、マイクは連邦警察の道路封鎖を目撃し、別のルートを選んだ。カフェに立ち寄った彼はハワードに電話を入れ、ラフォを連れて帰ると報告した。
アウレリオがダイナーの外でラフォを捕まえたので、マイクは彼の顔を殴り付けた。アウレリオが周囲の人間に「息子の連れ去りだ」と騒ぎ立てると、ラフォは痣を見せて「誘拐される。異常者だ」と訴えた。男たちがアウレリオを取り押さえている間に、マイクとラフォは車で逃走した。しかしマイクが体調を崩してラフォと共に茂みに入っている間に、泥棒に車を盗まれてしまった。仕方なく2人は徒歩で移動し、小さな町に辿り着いた。彼らは放置してあった車を拝借し、その町を出発した。
別の町に到着したマイクとラフォは、レストランに入った。店主のマルタは外に刑事がいるのを見ると、閉店の看板を出してマイクたちを助けた。ラフォは彼女を信用し、「マイクが父親の元へ連れて行くが、母親が反対している」と明かした。店を去ったマイクとラフォは道路封鎖を目撃し、町へ舞い戻った。廃屋と化した礼拝堂を見つけたマイクは、そこで就寝することにした。彼はラフォから質問を受け、妻と息子を交通事故で亡くしたこと、酒に溺れた自分にハワードが仕事を与えて救ってくれたことを語った。
翌朝、マルタはマイクとラフォが礼拝堂にいると知り、朝食を届けた。車からガソリンが漏れているのを見つけたマイクは、しばらく町で滞在することにした。彼は牧場主のポルフィリオと交渉し、野生馬を調教する代わりにラフォに乗り方を教えた。マイクがレストランへ行くと、マルタは4人の孫娘と一緒にいた。未亡人のマルタは娘と娘婿を病気で亡くし、孫を引き取って育てているのだ。孫娘の1人が聾唖だと知ったマイクは、手話を使った。
保安官補のディアスが店を調べようとすると、マルタは「余計な真似をしたら店で食べさせない」と凄んで追い払った。マイクが牧場にいるとレイエス夫人が現れ、「ヤギが犬に襲われた」と相談を持ち掛けた。マイクはヤギの様子を見て、後で何とかすると約束した。彼はハワードに電話を掛け、2週間も戻って来ないことを責められた。ハワードはマイクに、「何があっても母親に息子を渡すな。弁護士が対応しなくなる」と告げた。
マイクが「どういうことだ?」と尋ねると、ハワードは「元妻の名前で、税金対策としてメキシコの不動産に投資した。その投資が満期を迎えた。収益を回収したい」と説明した。「息子は切り札か。俺を騙したな」とマイクが言うと、ハワードは「彼女の所有物が俺の手元にあれば、交渉に応じるはず。合理的な考え方だよ」と主張した。「親と離れた方が幸せだ」とマイクが告げると、彼は「お前がどう思おうと、俺は父親だ。金のためだけじゃない」と語った。
マイクはラフォからハワードが自分を待っていたかと問われ、「会うのを楽しみにしていた」と嘘をついた。マルタがコテージを使うよう勧めると、マイクは「これ以上は迷惑を掛けられない」と遠慮する。しかしマルタが「もう決めた。掃除も済ませた」というので、親切に甘えることにした。マイクはポルフィリオから調教の腕前を高く評価され、他の馬も馴らしてほしいと依頼された。さらに彼は、町の人々から動物のことで相談を受けるようになった。マイクはマルタと仲良くなり、ラフォは孫娘たちと親しくなった。ラフォは町での暮らしが気に入り、「ここに残ろうか」とまで言い出した…。

監督&製作はクリント・イーストウッド、原作はN・リチャード・ナッシュ、脚本はニック・シェンク&N・リチャード・ナッシュ、製作はアルバート・S・ラディー&ティム・ムーア&ジェシカ・マイヤー、製作総指揮はデヴィッド・M・バーンスタイン、製作協力はホリー・ハギー、撮影はベン・デイヴィス、美術はロン・レイス、編集はジョエル・コックス&デヴィッド・コックス、衣装はデボラ・ホッパー、音楽はマーク・マンシーナ。
出演はクリント・イーストウッド、エドゥアルド・ミネット、ナタリア・トラヴェン、ドワイト・ヨアカム、フェルナンダ・ウレホラ、オラシオ・ガルシア・ロハス、マルコ・ロドリゲス、ロッコ・レイエス、アンナ・レイ、エリーダ・ムニョス、セシア・イザベル・ロザレス、アビア・マルティネス、ラモーナ・ソーンソン、ホルヘ=ルイス・パロ、アイヴァン・ヘルナンデス、リンカン・A・カステラノス、ダニエル・V・グラウラウ、フアン・メンドーサ・ソリス、アンバー・アシュリー、ブライトニー・ラトレッジ、アレクサンドラ・ルディー、セベスティエン・ソリス他。


N・リチャード・ナッシュの同名小説を基にした作品。
監督は『運び屋』『リチャード・ジュエル』のクリント・イーストウッド。
脚本は『グラン・トリノ』『ジャッジ 裁かれる判事』のニック・シェンクと原作者のN・リチャード・ナッシュによる共同。
マイクをクリント・イーストウッド、ラフォをエドゥアルド・ミネット、マルタをナタリア・トラヴェン、ハワードをドワイト・ヨアカム、レタをフェルナンダ・ウレホラ、アウレリオをオラシオ・ガルシア・ロハスが演じている。

オープニングシーンの意味が全く無い。既にマイクがクビになっている1年後の状態から始めても、全く問題は無い。
たぶん冒頭シーンを用意した意味は、「ハワードの冷たさや性格の悪さを描いておく」ということにあるんだろう。それを経た上で1年後に息子の救出を依頼する様子を描くことで、「ハワードは嫌な奴だけど、息子を助けたい気持ちは本物」と思わせたかったんじゃないかと推測される。
ただ、1年後のシーンから始めても、そう思わせることは出来なくもない。それを1つのシーンで表現できないのは、単純に工夫が足りないだけじゃないのかと感じてしまう。
例えば、ハワードがマイクの弱みに付け込んだり脅したりして息子を連れて来るよう要求する様子を描けば、「ハワードは嫌な奴だけど、息子を助けたい気持ちは本物」と思わせることは可能じゃないかな。

レタがマイクに「息子を発見できれば連れて行けばいい」と挑発的な態度を示し、ラフォの居場所を教える意味が全く分からない。
彼女がマイクを見下したり、高慢に振舞ったりするのは別にいいのよ。
ただ、もちろん「どうせ無理だと思っているから余裕を見せた」ってことなんだろうけど、わざわざラフォの居場所を教えるの理由は何も無いはずで。
「マイクがラフォを見つけ出す」という展開を成立させるために、レタに不可解な行動を取らせていると感じる。

レタがマイクを誘惑するのも、ワケが分からない。
その後に腹を立てて脅しを掛けるが、最初から「息子を置いて去るよう脅す」ということでいいでしょ。「マイクを誘惑して懐柔しようと目論む」という行動を挟む意味なんて、これっぽっちも無いでしょ。
後からラフォが「レタが多くの男を連れ込んでいた」と語るシーンがあるので、単純に「性欲オバケのレタがマイクにも欲情した」ってことかもしれない。
ただ、それはそれで「マイクほどのジジイにまで欲情するのかよ」という違和感があるし。

そうなのよ。実は本作品って「主演がクリント・イーストウッド」ってのが、大きなマイナスに作用しているんだよね。
そこは本来なら興行的なことを考えてもセールスポイントになるはずなんだけど、この映画に関してはミスキャストと言わざるを得ない。
そもそも企画が立ち上がった頃は、アーノルド・シュワルツェネッガーが主演に予定されていた作品だ。
そこから脚本には手が入っているし、クリント・イーストウッドが監督になったことで演出面でも変化はあっただろう。
ただ、それでも「アーノルド・シュワルツェネッガーがピッタリだったはずの役をクリント・イーストウッドが演じる」という部分の無理を、解消できていないんじゃないかと。

とは言え、レタに脅されたマイクがあっさりと言うことを聞き、ラフォを置いてメキシコを去ろうとするのも違和感を覚える。
車に忍び込んでいたラフォから取引を持ち掛けても拒否し、「失せろ」と怒鳴るのも同様。
「恩義があるハワードから仕事を引き受けた」ということもあるし、そこで簡単に仕事を放棄するのは変じゃないかと。
「落馬事故を起こしてから、すっかりヘタレになった」という設定なのかもしれない。ただ、レタの屋敷に乗り込んだ時や、ラフォと会った時の強気な態度を見ると、そこまで弱腰になっちゃうのはキャラが定まっていないような印象を受ける。

マルタがマイクとラフォに最初から親切にするのは、単に「慈愛に満ちた女性だから」ということではない。それ以降の展開で明らかになるが、彼女はマイクに惚れたのだ。
だけどこの映画が撮影された当時、クリント・イーストウッドは90歳。
そりゃあ、そこら辺の同年代に比べれば元気ではあるけど、さすがに「もうヨボヨボじゃねえか」と言いたくなるぐらいのお爺ちゃんだ。
それなのに「女にモテモテ」のキャラを演じられても、なかなか厳しいモノがあるなあ。
そこは「だってクリント・イーストウッドだから」ってことで甘受することを求められるんだよね。

っていうか、そこに限らず、この映画ってクリント・イーストウッドを聖人や伝説の主人公のような存在として受け入れなきゃダメで、そのせいで色々と厳しいことになってんのよ。
なんかね、ちょっと市川右太衛門御大や片岡千恵蔵御大が主演する昔の時代劇映画を連想しちゃったな。
実年齢がオッサンになっても「女にモテモテの若侍」を演じても、「大スターだから」ってことでOKにしていた映画ってことね。
それと似たような匂いを感じてしまったのよ。

映画開始から50分ほどで、マイクとラフォはマルタの町に到着する。ここから30分ぐらいは、何の緊迫感も無い時間が続く。
町を出ようとしたマイクとラフォが道路封鎖を目にしたり、店に保安官補が来たりというシーンはあるけど、そこで「マイクたちが捕まるかも」というハラハラドキドキが生じることは全く無い。
マイクたちが町に留まるので、ロードムービーというわけでもない。
じゃあマイクとラフォの交流から関係性の変化や絆の深まりを描くのかというと、なぜかマルタとの関係が大きく扱われる。
なので、「何を見せられているのか」という気持ちになってしまう。

その後にアウレリオが現れる展開が用意されているが、あっさりと撃退されて、それで完全に終了だ。
そして完全ネタバレだが、最後はマイクがラフォを国境まで送り届けて別れ、マルタの元へ戻る。マイクはハワードが金目当てと知った上で、「この向こうに自由がある」と告げて国境まで連れて行く。
でも、仮にラフォがハワードの元へ行かなかったとすると、路頭に迷うことは確実だ。なので現実的には、ハワードの元へ行く以外の選択肢が無い。
だったら、ハワードの牧場まで送ってやれよ。
さっさとマルタの元へ戻って楽しく過ごすのは、ものすごく無責任に感じるぞ。

(観賞日:2023年11月26日)

 

*ポンコツ映画愛護協会