『クルーシブル』:1996、アメリカ

17世紀のアメリカ。セイラムの村の娘達は、森の中で愛の成就を願う儀式を執り行なった。ジョン・プロクターと姦淫して彼の妻エリザベスに解雇されていたアビゲイルは、ジョンとの愛の成就を願う。その様子をパリス牧師に目撃され、娘達は解散する。
翌日、儀式に参加していたパリス牧師の娘ベティやルースが、眠り続けたまま動かなくなった。村の人々は悪魔の仕業だと考え、ヘイル牧師が招かれた。アビゲイルや娘達は、儀式の時に悪魔と一緒に村の人間がいたと嘘をつく。
アビゲイル達に名前を出された村の人々が、悪魔と契約を交わしたとされて次々と捕まった。悪魔と契約を交わしたと認めなかった者は、絞首刑にされることが決定した。一方、嘘の告発を続けるアビゲイル達は、聖女として扱われるようになった。
ジョンの愛を得ようとするアビゲイルは、エリザベスを魔女として告発した。妻を救おうとするジョンは、女中メアリーに協力を求める。しかし魔女狩りの圧力に負けたメアリーが嘘をついたため、今度はジョンが悪魔と契約を交わしたとして捕まってしまう…。

監督はニコラス・ハイトナー、原案&脚本はアーサー・ミラー、製作はロバート・A・ミラー&デヴィッド・V・ピッカー、共同製作はダイアナ・ポコーニー、製作協力はミッチェル・レヴィン、撮影はアンドリュー・ダン、編集はタリク・アンワール、美術はリリー・キルバート、衣装はボブ・クロウリー、音楽はジョージ・フェントン。
出演はダニエル・デイ・ルイス、ウィノナ・ライダー、ポール・スコフィールド、ジョーン・アレン、ブルース・デヴィソン、ロブ・キャンベル、ジェフリー・ジョーンズ、ピーター・ヴォーガン、キャロン・グレイヴス、シャーレイン・ウッダード、フランセス・コンロイ、エリザベス・ローレンス、ジョージ・ゲインズ、メアリー・パット・グリーソン、ロバート・ブリューラー他。


17世紀にマサチューセッツ州セイラムで実際に起こった魔女狩り事件を描いたアーサー・ミラーの戯曲を、彼自身の脚本で映画化した作品。ジョンをダニエル・デイ・ルイス、アビゲイルをウィノナ・ライダー、エリザベスをジョーン・アレンが演じている。

この作品には、薄気味悪さや恐ろしさが決定的に欠けている。
おどろおどろしい恐怖感が無いので、登場する娘達が大げさな態度でウソを重ねる様子が、単なる三文芝居にしか見えない。
そこからは恐ろしさではなく、アホ臭さだけが伝わってくる。

娘達の嘘を周囲が信じ込む様子を、「恐ろしい」とは思えない。
むしろ、「バカバカしい」と思えてしまう。
実際に起きた事件を描いているのにウソ臭いと思えてしまうのは、嘘の告発が平然と罷り通る状況だったという世界観が、全く漂ってこないからだ。

ジョンの言う通り、アビゲイル達が全く疑われないことに不自然さを覚える。
それは、「そういう状況だった」と納得させるだけの説得力が、作品に無いからだ。
ただし説得力があったとしても、たぶん私は今作品を高く評価しなかっただろうが。

嘘の告発による魔女狩りが続く展開からは、恐ろしさより不快感が伝わってくる。
それは、この映画に対する不快感に繋がる。
自分達の嘘で村人達が死刑になるのに何の罪悪感も感じない娘達(死刑にされる人々を見て笑っている)や牧師達に対する嫌悪感は、この映画に対する嫌悪感に繋がる。
不快感と嫌悪感だけを残して、映画は終わりを告げる。

 

*ポンコツ映画愛護協会