『クラッシュ』:1996、カナダ&イギリス

キャサリン・バラードは自家用飛行機の格納庫に浮気相手の男を呼び、セックスを楽しんだ。夫でCFプロデューサーのジェームズは仕事の休憩中、カメラ室に浮気相手を呼んでセックスを楽しもうとする。しかしスタッフに呼ばれたため、途中でセットに戻る。帰宅した夫婦は、互いのセックスについて高層アパートのバルコニーで語った。ジェームズが途中でセットに呼び戻されたことを話すと、キャサリンは「次は楽しめるわ」と告げた。2人は互いの体験を語った後、バルコニーでセックスした。
深夜、ジェームズは脇見運転で正面衝突事故を起こした。ぶつかった車を運転していた男性は、ジェームズの隣まて飛ばされて即死した。助手席に座っていたヘレン・レミントンは、片方の乳を露出させて自慰行為を始めた。ジェームズは大怪我を負い、病院に運ばれた。病室に来たキャサリンは被害者が食品会社の化学技術者であること、妻のヘレンが医者であること、患者として同じ病院にいることを教えた。ジェームズは廊下でヘレンと遭遇して声を掛けるが、冷たく無視された。彼女と一緒にいたヴォーンという男はジェームズの怪我に関心示し、じっくりと観察した。
病室に戻ったジェームズの傍らで、キャサリンは損傷した車の状態を詳しく話す。キャサリンは話しながらジェームズの股間をまさぐり、ジェームズは聞きながら彼女の陰部を愛撫した。しかしジェームズは全く欲情できず、すぐに手を引っ込めた。退院した彼は駐車場へ行き、損傷した車に乗り込んだ。そこにヘレンが現れ、夫の車を探していると告げた。ジェームズは「ここには無い」と教え、送って行くことを申し出た。彼が行き先を尋ねるとヘレンは「空港へ」と答え、入国管理局で働いているのだと述べた。
ジェームズは事故を起こしそうになり、路肩に車を停めた。ヘレンは彼に、「空港の駐車場へ。今なら空いているはずよ」と言う。2人は空港の駐車場へ行き、車内でセックスした。帰宅したジェームズは、キャサリンを抱いた。彼はヘレンに連れられて、ヴォーンが主催するショーを見物した。ヴォーンはスタントマンのコリン・シーグレイヴとブレット・トラスクに協力してもらい、ジェームズ・ディーンの事故死を自分たちで再現した。
パトカーが会場に現れると、見物客は一斉に逃げ出した。ヴォーンは脳震盪を起こしたコリンに肩を貸して森へ逃げ、ジェームズとヘレンは後を追った。コリンはジェームズたちに、「あれは警察じゃなくて運輸省だ」と教えた。ヴォーンがコリンを連れて一軒家に到着すると、ガブリエルとヴェラという2人の女性がいた。ガブリエルはヴォーンのパートナーで、ヴェラはコリンの妻だった。ヴォーンはジェームズに、ジェーン・マンスフィールドの事故死を再現するので協力してほしいと持ち掛けた。
ヴォーンはジェームズをガレージに案内し、過去に主催したショーを撮影した写真を見せる。「ここにコリンと住んでるのか」と問われた彼は、「ここは作業場だ。家は車だ」と答えた。写真を見たジェームズは、ガブリエルはショーで大事故に遭って義足になったことを知る。ジェームズはヴォーンに、「君の本当の目的は?」と尋ねた。するとヴォーンは、「我々にとって最も重要なことに大きく関係している。最新技術による人間の体の再生だ」と答えた。
後日、ジェームズとキャサリンは別々の車でスタジオを発ち、信号で停まる。ジェームズが斜め後ろからキャサリンを眺めていると、そこへヴォーンが車で現れた。信号が青に変わると、ヴォーンはキャサリンの車を後ろから執拗に煽った。キャサリンがガソリンスタンドに入ると、ジェームズがヴォーンほ妨害するように車を割り込ませた。ヴォーンは何も言わず、その場から走り去った。その夜、キャサリンはジェームズとセックスしながら、ヴォーンについて詳しく尋ねた。
別の日、ジェームズはヘレンと空港の駐車場へ行き、またカーセックスに及んだ。ヘレンは彼に、多くの男たちとカーセックスしたことを語った。ジェームズたちはヴォーンの作業場に集まり、ヘレンが持参した事故の参考映像を観賞した。ヴォーンはジェームズをドライブに連れ出し、有名人の事故車に乗る夢を語る。彼がジェームズ・ディーンやジェーン・マンスフィールドの事故現場の写真を見せて「どう思う?」と尋ねると、ジェームズは「凄いとは思うが、理解できない」と答える。するとヴォーンは、「だが、気味は既に仲間だ。徐々に分かるようになる。自動車事故は破壊的ではなく、生産的出来事だ。性的エネルギーの解放だ」と述べた。ヴォーンは地下駐車場で売春婦に声を掛け、カーセックスに誘った。彼はジェームズに運転を任せて、後部座席で売春婦とセックスした。
ジェームズはヴォーンと別れ、迎えのキャサリンと共に帰宅しようとする。ヴォーンは待ち受けていた警官たちの尋問を受け、キャサリンはジェームズに「空港の事故で歩行者が死んだの。それが計画的ではないかと疑われている」と告げる。ジェームズは「ヴォーンは歩行者に興味なんか無い」と言うが、キャサリンは「それにしては震えてる」と指摘した。ジェームズはヴォーンを車に乗せ、送り届けることにした。途中で衝突事故の現場に遭遇したヴォーンは車を停めさせ、熱心に写真を撮った。キャサリンは欲情してヴォーンと車内でセックスし、ジェームズは運転しながら2人の様子を観察した…。

製作&監督はデヴィッド・クローネンバーグ、原作はJ・G・バラード、脚本はデヴィッド・クローネンバーグ、製作総指揮はロバート・ラントス&ジェレミー・トーマス、共同製作総指揮はクリス・アウティー、共同製作はステファニー・レイチェル&マリリン・ストーンハウス、撮影はピーター・サシツキー、美術はキャロル・スピアー、編集はロナルド・サンダース、衣装はデニース・クローネンバーグ、音楽はハワード・ショア。
出演はジェームズ・スペイダー、ホリー・ハンター、ロザンナ・アークエット、イライアス・コティーズ、デボラ・カーラ・アンガー、ピーター・マクネイル、ヨランド・ジュリアン、シェリル・スウォーツ、ジュダ・カッツ、ニッキー・グアダーニ、ロン・サロシアク、ボイド・バンクス、マーカス・パリロ、アリス・プーン、ジョン・ストーンハムJr.他。


J・G・バラードの同名小説を基にした作品。
製作&監督&脚本は『裸のランチ』『Mバタフライ』のデヴィッド・クローネンバーグ。
カンヌ国際映画祭審査員でパルム・ドールにノミネートされ、特別賞を受賞した。
ジェームズをジェームズ・スペイダー、ヘレンをホリー・ハンター、ガブリエルをロザンナ・アークエット、ヴォーンをイライアス・コティーズ、キャサリンをデボラ・カーラ・アンガー、コリンをピーター・マクネイル、ヴェラをシェリル・スウォーツが演じている。

性的倒錯を扱った映画は数多く存在するが、自動車事故で性的興奮を得る「クラッシュ・マニア」を描いたのは、後にも先にも本作品だけじゃないだろうか。
まず、前例が無いのは当然っちゃあ当然だろう。そもそもクラッシュ・マニア自体が性的倒錯の中でも相当にニッチなジャンルだし、それで興行的に成功する可能性は難しいだろうと思われるからだ。
そして、本作品以降に同じ題材を扱った映画が作られていないのも当然だろう。
絶対に『クラッシュ』の二番煎じというレッテルを貼られるし、そんなの何のメリットも無いからね。

クラッシュ・マニアの話ってのは、最初の内は全く分からない。
衝突事故の直後にヘレンが片乳を出してオナニーを始めるのも、その時点では「何のこっちゃ分からんキテレツな行動」でしかない。それについて、後からジェームズが「あれは何だったのか」と尋ねることも無い。
でも、それは衝突事故で性的に興奮したってことなのだ。ジェームズとヘレンのカーセックスも同様だ。
その時点では唐突で不可解な行動だが、直前の事故未遂が引き金だ。それによって性的に興奮し、たまらなくなったのだ。

そもそもジェームズは衝突事故の前から、「積極的に浮気して妻と互いの体験を語り合い、それによって性的興奮を得てセックスする」という性的倒錯の持ち主だった。
夫婦揃って、普通のセックスでは満足できない連中だった。ただの倦怠期ってことではなく、完全に「変態の世界」へ足を踏み入れていた。
なので、「そんな奴が新たなジャンルにも興味を示した」ってだけで、「平凡な性生活だった男が変態性に目覚めた」というわけではない。
目覚めとしてのインパクトは、そっちに比べれば遥かに劣る。

ただ、「ノーマルだった男が自動車事故に性的興奮を覚えるようになる」ってのはハードルが高いし、そこに不自然さや強引さを感じるかもしれない。
ジェームズのような変態であれば、「もしかしたら有るかも」と思わせる余地は一気に広がる。
それにノーマルの場合だと、「衝突事故を起こす」という出来事から「事故で興奮してセックスする」という行為に及ぶまで、もう少し手順を踏む必要も出てくるだろう。
そんな風に考えれば、ジェームズの基本形を変態にしておくのは理解できる。

この映画のテーマを探すならば、「エロスとタナトス」ってことになるだろう。
エロスとタナトスは表裏一体で、互いに影響を及ぼす力を持っている。
ジェームズやヘレンたちは自動車事故により、「死ぬかもしれない」という体験をした。そこで「タナトス」を感じることによって「生」に対する意識が刺激され、それが「性的興奮」に繋がったのだ。
こういう捉え方をすれば、「自動車事故によってセックスしたくなる」ってのは、そんなに有り得ないことでもない。

デヴィッド・クローネンバーグの作品だが、決して不条理で難解な内容ではない。彼のフィルモグラフィーの中では、かなり分かりやすく、取っ付きやすい作品と言ってもいいだろう。
まあ「これで取っ付きやすいのかよ。どんだけ取っ付きにくい監督なんだよ」と言われたら、何の反論も出ないけどさ。
また、これを高尚な芸術映画だと思う必要も全く無い。
ゲスい感覚で変態たちの姿を描いた、ただのキワモノ映画だと思えばいい。

本来ならクラッシュ・マニアの変態っぷりや異常性が際立たなきゃいけないはずだが、そこに足を踏み入れていないキャサリンの変態性も、かなりのモノだ。
彼女は自分に対して執拗に煽り運転を繰り返したヴォーンを微塵も怖がらず、性的な興味を強く抱いてセックスの最中にジェームズを質問責めにする。「彼のペニスを見た?どんな包皮?」などと尋ね、さらに「どんな肛門だと思う?」と質問する。
彼女はチンコだけじゃなくて、アナルにまで興味を示す。
ってことは、そっちの方も経験があるってことなんだろう。

それだけでも相当にヤバさがあるのだが、じゃあ「自分がヴォーンとセックスしてみたい」という欲情なのかと思ったら、それだけではない。そこからキャサリンは、「彼とセックスしてみたい?自分のペニスを彼のお尻に入れてみたい?」などと質問する。さらに「ペニスをしゃぶったことがある?精液を飲んだことはある?」と訊く。
つまり、ジェームズに「ヴォーンとセックスしてみたら」と促すような質問を投げているのだ。なかなかの変態っぷりでしょ。
ただ、それに対してジェームズが明確に否定することは無いんだよね。ってことは、ジェームズも男性とのセックスに関して、まんざらでもないってことなのか。
ともかく、そんな会話まであるので、もはやクラッシュ・マニアが凄いのか、この夫婦が凄いのか、分からなくなってくる。

後半に入るとキャサリンもクラッシュ・マニアの仲間入りをするが、そこには何の意外性も無い。
ただ、ジェームズもキャサリンも2人ともクラッシュ・マニアになっちゃうと、ヘレンの存在意義が怪しくなる。
っていうか、実はキャサリンが最初から性倒錯者という時点で、ヘレンの立ち位置って微妙なんだよね。ホントなら、「キャサリンはノーマルなのでジェームズは物足りなさがあり、ヘレンと出会って変態の世界にドップリとハマる」という形の方がいいんじゃないかと思ったりもする。
でもクローネンバーグ作品なので、一般的な映画と同じ尺度を当てはめようとしても無意味なのよね。なので、そこはスルーしておくべきなんだろう。

終盤、ジェームズはガブリエルの義足や縫合された傷口に興奮し、カーセックスに及ぶ。ヴォーンから予言的なタトゥーを一緒に入れることを求められた彼は快諾し、そのタトゥーを互いに舐めながら車で肉体関係を持つ。
もはやクラッシュ・マニアとは何の関係も無い性癖になっている。
「義足に興奮」「タトゥーに欲情」という要素が加わっているので、ただカーセックスがしたいだけとも言えない。
あまりにも手を広げ過ぎて、もはや何のマニアか分からなくなっているぞ。

(観賞日:2021年6月6日)

 

*ポンコツ映画愛護協会