『コヨーテ・アグリー』:2000、アメリカ

ニュージャージーで生まれ育った21歳のヴァイオレット・サンフォードは、ソングライターになることを夢見ていた。彼女は心配する父ビルに見送られ、ニューヨークへと旅立った。彼女はレコード会社への売り込みを開始するが、全く相手にしてもらえない。クラブの調理場で働く青年ケヴィン・オドネルには、上手く騙されそうになった。
ヴァイオレットはライヴハウスのアマチュア・ナイトに出場を申し込むが、歌の直前になって逃げ出してしまう。彼女は、自分の歌を人前で歌えない舞台恐怖症だったのだ。アパートに戻ったヴァイオレットは、部屋が泥棒に荒らされ、金を盗まれているのを発見する。
深夜営業のカフェに入ったヴァイオレットは、ラジオから流れる曲に合わせて踊る女性達の姿を目撃する。その女性達キャミー、レイチェル、ゾーイの3人は、札束を無造作に手にしていた。ヴァイオレットはマスターのロメロに尋ねて、彼女達が近所のクラブ・バー“コヨーテ・アグリー”の女性バーテンダーだということを知った。
開店前の『コヨーテ・アグリー』を訪れたヴァイオレットは、オーナーのリルに働きたいと申し出た。リルは、金曜日にオーディションをするので来るよう告げた。金曜日、『コヨーテ・アグリー』に出向いたヴァイオレットは、レイチェル達がカウンターの上で激しく踊り狂い、カウンターに火を付ける様子を見て、呆気に取られた。
ヴァイオレットはジャージーという名を付けられ、いきなり仕事の場に放り込まれるが、もちろんオーダーさえ満足に取れない。一度はリルからオーディション失格を言い渡されたヴァイオレットだが、ケンカを始めた客を上手く仲裁したことで、再びチャンスを貰った。
だが、ヴァイオレットは消防所長を怒らせてしまい、1日で250ドルを稼がなければクビだとリルに宣告される。ヴァイオレットは店を訪れたケヴィンに助けてもらい、彼を競りに掛けて250ドルを稼いだ。それをきっかけに、2人は急接近した。
ある日、店で客が暴れ始めてパニックに陥る。ヴァイオレットは、店で流れている曲に合わせて歌い始め、パニックを沈静化した。彼女が歌う様子を現場にいたカメラマンが撮影し、それが新聞に掲載された。店を訪れたビルは、怒って帰ってしまった。後日、ケヴィンが店の客とケンカを起こしたことで、ヴァイオレットは店をクビになってしまう…。

監督はデヴィッド・マクナリー、脚本はジーナ・ウェンドコス、製作はジェリー・ブラッカイマー&チャド・オーマン、製作協力はジェニファー・クルッグ・ワージントン&パット・サンドストン&ジェフ・イーマー、製作総指揮はマイク・ステンソン&スコット・ガーデンアワー、撮影はアミール・モクリ、編集はウィリアム・ゴールデンバーグ、美術はション・ハットマン、衣装はマーリーン・スチュワート、振付はトラヴィス・ペイン、追加振付はラヴェル・スミスJr.、音楽はトレヴァー・ホーン、音楽監修はキャシー・ネルソン&ボブ・バダミ。
主演はパイパー・ペラーボ、共演はアダム・ガルシア、ジョン・グッドマン、マリア・ベロ、メラニー・リンスキー、イザベラ・マイコ、ブリジット・モイナハン、タイラ・バンクス、デル・ペントコスト、マイケル・ウェストン、リアン・ライムス、ジェレミー・ロウリー、エレン・クレッグホーン、ジョン・ヒューゲルサング、バド・コート、ロバート・アーラーズ、オーランド・シムズ、バリー・マイケル・ダフ他。


ニューヨークのイーストビレッジに実在するクラブ“コヨーテ・アグリー”を舞台にした作品。ヒロインを演じるのは、プロデューサーのジェリー・ブラッカイマーが見出した新人パイパー・ペラーボ。ケヴィンをアダム・ガルシア、ビルをジョン・グッドマンが演じている。

ジェリー・ブラッカイマーは、多くの映画をヒットさせてきた大物プロデューサーだ。だから、器量の整ったネエチャンが何人も登場し、露出度の高い衣装で踊りまくり、ノリのいい音楽でも流していれば、それなりに客が入ることを分かっている。
コヨーテ・アグリーのバーテンダー達は、派手に踊り狂う。だが、それは彼女達であって彼女達ではない。ダンス・ダブルが起用されているからだ。細かくカットを割ってミュージック・ビデオ風の映像に仕上げて、巧みに吹き替えダンサーを紛れ込ませる。

ヴァイオレットは、ソングライターになりたがっている。しかし、それは本当の彼女の夢とは言えない。彼女は舞台恐怖症だから歌手を目指さないだけで、アパートでは普通に歌っている。勇気があれば、彼女は最初から歌手を目指していたはずだ。
だから、サクセス・ストーリーの定番としては、「消極的で自分に自信の無かった彼女が、“コヨーテ・アグリー”で働く中で自信や勇気を得て舞台恐怖症を克服し、歌手として成功する、もしくは歌手としての第一歩を踏み出す」という流れになるべきだろう。

しかし、この映画は、そういう流れを作っていない。ヴァイオレットは、最初から最後まで消極的で、全く勇気を持った行動を取ろうとしない。舞台恐怖症を克服しようともしないし、最終的に人前で歌う歌手を目指そうとはせず、ソングライターに収まっている。
つまり、彼女は色々な経験をしても、全く成長していないのだ。
ソングライターというヒロインの夢と、“コヨーテ・アグリー”という場所には、何の関連も無い。店はライヴハウスではないし、オーナーが音楽関係者と知り合いというわけでもない。“コヨーテ・アグリー”で働いても、それでソング・ライターの夢に近付くことは無い。店で働くことで、舞台恐怖症を克服したり、勇気や自信を得ることも無い。

結局、ヴァイオレットにとって“コヨーテ・アグリー”という店は、何の意味があったのか。これが、何の意味も無いのだ。ヴァイオレットにとって、“コヨーテ・アグリー”という店は、「たまたまバイトしていた店」という位置付けに過ぎないのだ。
ハッキリ言って、“コヨーテ・アグリー”で働く女性達は、ただ腰をクネクネさせて踊っているだけで、何の中身も与えられていない。個人的なエピソードも無ければ、ヒロインとの友情や対立といったドラマも無い。もし“コヨーテ・アグリー”という場所を舞台にしたいのなら、そこで働く女性達の群像劇にでもした方がいいだろう。

ところで、ヒロインが「人前では怖くて歌えない」と言った直後、彼女が“コヨーテ・アグリー”で楽しそうに歌う場面があるので、「あっさりと克服したのか?」とも思ったが、自分の歌はダメだが他人の歌なら大丈夫ということらしい。
なんか都合のいい舞台恐怖症だな。

さて、ヒロインは周囲から、「自分の作った歌を聞いてもらうためには、自分で歌うしかない」と言われている。ケヴィンは、彼女が舞台恐怖症を克服するための協力を申し出る。さらにヒロインは、母が舞台恐怖症だった(実は違うのだが)ということも話している。
ケヴィンの行動や母親に関する設定は、「ヒロインが頑張って舞台恐怖症を克服しました」という流れに繋がってこそ意味がある。しかし、ヒロインは「私はダメなの、怖いの」と言うばかりで、最後まで克服のために努力する気配を全く見せない。最終的に人前で自分の歌を歌う時も、完全に他人任せだし、唐突にクリアしてしまう。

「挫けやすい女性がニューヨークに出るというチャレンジをして、リアン・ライムスが歌う曲を作りました」というのは、ある一定のサクセスを収めたとは言えるだろう。だが、それは大きなチャレンジに成功したのではなく、何となく、そこそこに上手く行ったということだ。
もちろん、人生はそれぞれだから、それも1つの生き方だ。
そこそこのハッピーを手に入れて満足するのも、悪い人生じゃない。
ただ、大きなチャレンジをせず、問題を克服することもせず、他人任せでボチボチの成功物語って、見ていて楽しいだろうか?


第23回スティンカーズ最悪映画賞

ノミネート:【最悪な総収益1億ドル以上の作品の脚本】部門
ノミネート:【最も意図しない滑稽な映画】部門

ノミネート:【最悪のグループ】部門[コヨーテ達]
ノミネート:【芝居をすべきではないミュージシャン&アスリート】部門[リアン・ライムス]
ノミネート:【最悪の歌曲・歌唱】部門
「Can't Fight the Moonlight」(リアン・ライムス)

 

*ポンコツ映画愛護協会