『コズモポリス』:2012、カナダ&フランス&ポルトガル&イタリア
ニューヨーク。28歳のエリック・パッカーは、ボディーガードのトーヴァルに「床屋へ行きたい」と告げる。しかし大統領が街に来ているために交通規制で渋滞が起きており、なかなか前に進めないとトーヴァルは告げる。それでもエリックは白いリムジンに乗り込み、床屋を目指す。エリックは投資会社の経営者で、巨万の富を動かしている。部下のシャイナーはリムジンの中で、会社のサイトを調査したが侵入の形跡は無かったと報告する。車の安全も気にするエリックに、シャイナーは「この車も問題はありません」と告げた。
隣のタクシーに目をやったエリックは、エリーズが乗っているのを確認する。エリックはリムジンを降り、タクシーに乗り込む。「送って行くよ」とエリックが言うと、エリーズは「私はタクシーが好き。運転手の話を聞いて、知識も増えるし」と語る。「会うのは久しぶりだ、今朝は君を捜した」とエリックは言い、エリーズを朝食に誘った。ダイナーに入ったエリックは、「屋上にヘリポートを作る。射撃場も作る」と言う。「2人の話をしよう。次のセックスは?」とエリックが問い掛けると、エリーズは「いずれね」と軽く告げた。
トーヴァルはエリックに、大統領への脅迫があったという連絡が入ったことを知らせた。彼は警備が厳しくなって交通に支障が出ることを説明し、次のブロックにある床屋へ入るよう勧めた。部下のマイケル・チンはリムジンの中で、中国の通貨「元」の動きを確認する。彼が「軽率にレバレッジをやり過ぎています」とニヤニヤすると、エリックは「好転する」と告げる。「今のチャートが現象には現れない」とチンが言うと、エリックは「現れてる。元は何かを伝えようとしてる。もう元は上がらない」と説明する。「借り入れの額が莫大だ」とチンが告げると、エリックは「限界への挑戦が軽率だと言うのか」と反論した。
エリックは年上の愛人である愛人のディディ・ファンチャーをリムジンに乗せ、セックスをする。久しぶりに会ったディディは、「結婚式のことを報道で知ったわ。大富豪同士の結婚ね」と言う。「彼女は詩人だ」とエリックが言うと、ディディは「大金持ちの才女ね」と笑う。ディディはエリックに、個人所有のロスコの絵が売りに出される情報を教える。「ロスコ・チャペルは?とエリックが尋ねると、彼女は「チャペルは買えない」と言う。しかしエリックはチャペルに固執し、「チャペルの絵は全て完全な形で保存すると伝えて、連絡を取ってくれ」と頼んだ。
エリックはディディに、「巨額の金を失いつつある。元の下落に賭けたんだ」と明かした。損失について、数億だと彼は言う。それでも彼はチャペルに行って金額を提示するよう促し、「幾らでもいい。全てが欲しい」と告げた。トーヴァルはエリックに、IMFのアーサー・ラップ理事がナイキ社の北朝鮮支部で生中継のインタビュー中に襲撃されたことを知らせた。本部が警備の強化を指示していることをトーヴァルが話すと、エリックは「指示に従え」と告げた。
ジョギング中だったシングルマザーのジェイン・メルマンがリムジンに乗り込み、「街は同じリムジンだらけ。同じことに魅力が?」と呆れたように言う。「影響力がある男の証だ。それの何が悪い?」とエリックは語った。ジェインは「今日は私の休日なの。私には休みが必要よ。戦うシングルマザーなの。子供が40度の熱を出さないとベビーシッターは電話を掛けて来ない。厄介な問題よ。元のせいで破綻しかねない」と語る。「元は下落する。消費が鈍ってる」とエリックが言うと、彼女は「そうよ。中国銀行は金利を変えなかった。上海の情報源に電話した」と述べた。
医者のイングラムがリムジンのドアをノックすると、トーヴァルが押さえ付けた。窓を開けたエリックに、彼は「いつもの医者は急用で」と説明した。エリックは彼をリムジンに乗せ、毎日の定期健診を受けた。ジェインは「私たちに有利な噂がある。6ヶ月連続で倒産が増えて、中国の大企業が潰れてる。信頼感を失い、元は下がってドルが上がる」と話す。もう1つの噂について、ジェインは「財務大臣の経済に関する発言が誤解を生んだ。彼の真意を国中が分析してる」と述べた。エリックは「君は性的に緊張している」と指摘して自らも興奮を示し、ジェインに言い寄った。
エリックは書店でエリーズに話し掛けるが、「セックスの匂いがする」と指摘される。エリックは「それは飢えの匂いだ」と言い、彼女をランチに誘う。ダイナーへは付いて行ったエリーズだが、空腹かどうかは分からない」と言う。「セックスは?」とエリックが言うと、「まだ結婚して数週間よ」と告げる。エリックは執拗にセックスを求めるが、エリーズは話題を変える。注文とは別の品物が運ばれて来ると、エリーズは「本当に貴方はセックスの匂いがする」と言う。エリックは「セックスの匂いじゃなくて、したいという願望だ」と主張した。「貴方の本質は刺激ね」と口にしたエリーズは、ホテルへの誘いを断った。
ヴィジャ・キンスキーがリムジンに乗り込み、「誰もが金儲けの技術を考えたがる。でも実行するには、現在の状況に合わせることが必要。お金は方向転換した。富は富そのものが目的となり、お金はストーリー性を失った」などと饒舌に語る。リムジンの外では大規模な抗議デモが行われ、渋滞が発生している。ヴィジャは「夢想的な思考は人々を置き去りにすることを理解すべきよ。それが、この抗議デモだわ。サイバー資本が人々を死の底に突き落とす。これは未来に対するデモよ。未来が現在を押し潰すことを避けたいの」と語る。
トーヴァルはエリックに、最高レベルの危険度で襲撃計画が進行中だという情報を報告した。迅速な行動を取るよう進言するトーヴァルに、エリックは「まだ目的を達していない。床屋へ行く」と告げた。ヴィジャは「人々は情報の波に飲み込まれる。もうコンピューターは独立したユニットとしては、ほとんど死んでる。コンピューターという言葉さえ、既に時代遅れに聞こえる」とエリックに語った。
トーヴァルと同僚のダンコが席を外している間に、エリックは新入りボディーガードのケンドラとセックスに興じた。「人を守る仕事は面白いか」というエリックの質問に、ケンドラは「殺されそうな人の近くにいるから」と告げた。使っている武器についてエリックが訊くと、彼女は神経を麻痺させる10万ボルトのテーザー銃を見せた。ケンドラが冗談で銃を向けると、エリックは「撃ってくれ。未知の刺激が知りたい」と要求した。
エリックは劇場の外で煙草を吸っているエリーズを目撃し、リムジンを降りた。彼はエリーズをディナーに誘い、レストランへ連れて行く。どういう芝居だったか尋ねるエリックに、エリーズは「さっき貴方がホテルから出て来るのを見たわ」と告げる。エリックは彼女に、「パッカー・キャピタル社の有価証券が、1日でほぼゼロになった。俺の数百億ドルも消滅寸前だ。俺を殺すという脅迫も受けてる。だが、俺は自由を感じる」と話す。エリーズは少し怒ったように「破産して死ぬ自由?」と言い、金銭的に援助するわ。会社を再建して。自由になりたいなら、今日がその日よ」と述べた。
トーヴァルは脅迫の相手について、「グループではなく個人です。名前は不明。電話があっただけ。本部が声を分析して、行動パターンを予測しています」とエリックに告げる。コスモ・トーマスがリムジンに来て、ミュージシャンであるブラザ・フェズの死を伝えた。彼はレコード会社が便乗して派手な葬列をやることを話し、「何年も前から心臓を患ってた。射殺じゃないなんて失望しないでくれよ。自然死なんてガッカリだろ?」と口にした。
抗議デモの中でリムジンは多くの連中に落書きされ、随分と汚れていた。エリックが車を降りると、クリームパイ・テロリストのアンドレ・ベトレスクが襲撃した。アンドレがパイをエリックの顔にぶつけ、それを仲間の連中が写真に撮った。トーヴァルに取り押さえられたアンドレは、勝ち誇ったような態度で「俺の使命は権力と富の妨害だ。3年も待ち続けた。大統領を後回しにして、お前を狙った」と言う。エリックに殴られても、アンドレは挑発するような言葉を浴びせた。
アンドレと仲間たちが立ち去った後、トーヴァルはエリックに「まだ貴方は狙われてる。クリームパイなど何の意味もありません」と警告した。エリックはトーヴァルに持っている拳銃を見せるよう要求し、それを使って彼を撃ち殺した。エリックは銃を捨ててリムジンに戻り、床屋へ向かった。既に床屋は閉店していたが、エリックはドアをノックして店主のアンソニーを呼んだ。久々に会ったアンソニーに、エリックは髪を切るよう頼んだ。しかしエリックはカットを途中で切り上げ、リムジンに戻って床屋を去った。リムジンがガレージに入った直後、エリックは元社員のベノ・レヴィンに襲撃された…。監督はデヴィッド・クローネンバーグ、原作はドン・デリーロ、脚本はデヴィッド・クローネンバーグ、製作はパウロ・ブランコ&マーティン・カッツ、製作総指揮はグレゴリー・メリン&エドゥアルド・カルミニャク&レニー・タブ&ピエール=アンジェ・レ・ポガム、製作協力はウォルター・ガスパロヴィッチ&マヌエル・カテスロ=ブランコ、撮影はピーター・サシツキー、編集はロナルド・サンダース、美術はアーヴ・グレイウォル、衣装はデニース・クローネンバーグ、音楽はハワード・ショア。
出演はロバート・パティンソン、ジュリエット・ビノシュ、ポール・ジアマッティー、サマンサ・モートン、サラ・ガドン、マチュー・アマルリック、ジェイ・バルシェル、ケヴィン・デュランド、ケイナーン、エミリー・ハンプシャー、アブドゥル・アイオーラ、ボブ・ベインボロー、ジェリコ・ケコイェヴィッチ、フィリップ・ノズカ、パトリシア・マッケンジー、ライアン・ケリー、ナディーム・ウマル=キタブ、アルベルト・ゴメス、グーチー・ボーイ、デヴィッド・シャープ、ウォーレン・チョウ、ジョージ・トーリアトス他。
ドン・デリーロの同名小説を基にした作品。
監督&脚本は『ヒストリー・オブ・バイオレンス』『イースタン・プロミス』のデヴィッド・クローネンバーグ。
エリックをロバート・パティンソン、ディディをジュリエット・ビノシュ、ベノをポール・ジアマッティー、ヴィジャをサマンサ・モートン、エリーズをサラ・ガドン、アンドレをマチュー・アマルリック、シェイナーをジェイ・バルシェル、トーヴァルをケヴィン・デュランド、ブラザをケイナーン、ジェインをエミリー・ハンプシャーが演じている。プロデューサーのパウロ・ブランコと息子であるホアン・パウロから企画を持ち掛けられたデヴィッド・クローネンバーグが原作小説を読んだ時、魅力を感じたのは台詞の数々だった。
そこで彼は全ての台詞を抜き出し、そこに肉付けする形で脚本に仕上げた。彼は出演者に対し、書かれたセリフを全く変えずに喋るよう要求した。それぐらい、原作で使われていた台詞を重視して製作したということだ。
わずか6日間でデヴィッド・クローネンバーグ監督が完成させた脚本は、大半のシーンがリムジンの中で展開される内容だった。なぜなら、クローネンバーグが原作小説の中で魅力を感じたのは台詞であって、それ以外の要素には興味が湧かなかったからだ。だから場面転換とか、ドラマとか、そういった要素は削ぎ落としたのだ。
彼にとって何よりも重要なのは、自分が抜け出した魅力的な台詞の数々を出演者に一字一句変えず表現させることだったのだ。この映画はデヴィッド・クローネンバーグの熱烈なファンやゲージツが大好きな人、もしくは高尚だったり知的だったりを気取りたい人を除けば、おそろしく退屈な映画と言えるかもしれない。何度も欠伸をしたり、もしくは眠気と格闘したりすることを余儀なくされるかもしれない。
それは仕方の無いことなのだ。
なぜなら、これは「ドラマ性や娯楽性を削ぎ落とした朗読劇」を見せられているのと同じようなシロモノだからだ。
分かりやすいメリハリや起伏は何も無い。リムジンの中には常にエリックがいて、そこに次々と別の誰かが入って来る形で時間は進行していく。リムジン以外の場所も含め、常にエリックと誰かが配置されており、形式上はダイアローグとして台詞が語られる。
しかし実質的には、交互に語られるモノローグと言ってしまってもいいだろう。
何しろ、そこに「会話のキャッチボール」を感じ取ることは非常に困難な作業なのだ。
観客と登場人物の間には、目には見えないが厚すぎる壁が立ち塞がっている。だから、登場人物が紡いでいるであろうコミュニケーションは、その多くが観客まで届いて来ない。交互に語られるモノローグの、特に分かりやすいケースを挙げると、エリックとディディの会話シーンだ。
ディディが「お金を使うことの意味は?」と質問すると、エリックは「個人用エレベーターが2基ある。1基はエリック・サティーのピアノ曲が流れ、通常の4分の1の速度で動く。これに乗るのは気分が落ち着かない時だ。心が安らぐ。もう1基はブラザ・フェズ。スーフィー系のラッパーだ」と語る。ディディは「知らないわ。お金の価値も、もう分からない」と言い、エリックは「巨額の金を失いつつある。元の下落に賭けたんだ」と話す。
そのやり取りは、まるで会話として成立していない。質問に対して、マトモな答えが返って来ないのだ。
それは、はぐらかしているというレベルではない。ほぼ無理問答のような状態なのだ。それなりに「会話」として成立しているシーンでも、その多くは「片方が言いたいことを主張し、それを相手は聞いている」という状態だ。そして、言いたいことを主張している片方の台詞は大抵の場合、とても難解で何を伝えたいのかサッパリ分からない。
例えばヴィジャは「誰もが金儲けの技術を考えたがる。でも実行するには、現在の状況に合わせることが必要。お金は方向転換した。富は富そのものが目的となり、お金はストーリー性を失った」「夢想的な思考は人々を置き去りにすることを理解すべきよ。それが抗議デモだわ。サイバー資本が人々を死の底に突き落とす。これは未来に対するデモよ。未来が現在を押し潰すことを避けたいの」などと饒舌に話しているが、何が言いたいのかサッパリである。
さらにヴィジャの台詞を書き出すと、「人間の合理性の欠点とは、合理性の果ての恐怖や死を見ないフリすること」「未来は常に完全で不変。誰もが理想的で幸せ。そんな風だから失敗する。未来は人々が願う場所にならない」「高い知能は環境を大きく変えてしまう。なぜテクノロジーは大切なのか。人間の運命を築く力だから。神や奇跡は必要としない。でもテクノロジーはどの方向に進むか分からない」なんてことも言っている。
言葉の意味は分かるけど、やはり何を伝えたいのかはサッパリである。難解な問答の内容を、デヴィッド・クローネンバーグは決して分かりやすく噛み砕こうとはしない。
なぜなら、そんなことに興味は無いし、その必要性も感じていないからだ。
クローネンバーグは絶対に観客に対して媚びることはなく、自分の見せたい物だけを見せたいように描き出す。それによって彼は映画界における自分の地位を確立してきたのだ。
キャリアを重ねる中で彼の作家性はどんどん研ぎ澄まされ、かつて持っていた娯楽性のかけらは、どんどん削られて無くなってしまった。結局のところ、我々がデヴィッド・クローネンバーグと同じように本作品から台詞だけを抜き取り、そこに台詞を発する人物の名前だけを当てはめながら台本のように読んでいっても、そんなに変わらないのである。
リムジンだけでなく他の場面もあるが、いずれも舞台装置としての効果は皆無に等しい。
最も多く使われるリムジンについてクローネンバーグは細かく設定を考えたらしいが、自己満足に留まっている。登場人物の演技も、こちらの感情を喚起することは無い。
「台詞だけで充分」という意味では、クローネンバーグの目的は達成されていると言えるのかもしれない。
ただし視覚を必要とせず、台詞だけで充分なら、映画である必要は無い。(観賞日:2014年11月28日)