『コナン・ザ・バーバリアン』:2011、アメリカ

暗黒帝国アケロンでは妖術使いが集い、復活の魔法を研究していた。彼らは歴代王の骨を集めて仮面を作り、王の娘の血を注いで力を宿らせた。仮面は地獄から精霊を召喚し、人間には到底持ち得ぬ力をもたらした。アケロンは文明世界の頂点に立ち、彼らに挑んだのは文明の及ばぬバーバリアンだけだった。仮面は打ち砕かれ、アケロンは衰退した。仮面は二度と使われないように、破片は各部族が保管することになった。各部族は世界中に散り、長きに渡って仮面を隠した。
暗く野蛮なハイボリア時代、ある子供が戦いの星の下に産まれた。戦いの中で傷付いたフィアラという女が、男児を産み落としたのだ。彼女は部族の長である夫のコリンに、子供を見せてほしいと頼んだ。コリンは腹を裂き、男児を取り出した。フィアラは息子をコナンと名付けるよう告げ、息を引き取った。時は過ぎ、コナンはキンメリアの村で少年へと成長した。コリンは部族の若者たちに戦士としての心得を説き、鍛錬を命じて競い合わせた。
口に入れた卵を割らずに山を走る鍛錬を積んでいたコナンたちは、迫り来る蛮族を目にした。他の若者たちが逃げ出す中、コナンだけは真っ向から戦いを挑み、全員を始末した。村に帰還した勇ましいコナンの姿を見て、コリンは彼のために剣を作ってやった。コリンは息子に剣の稽古を付けるが、「おまえには まだ早いようだ」と突き放す。コナンは悔しがり、山で剣の稽古に励んだ。物音がするので身を隠すと、男たちが馬で村へ向かうのが見えた。
その男たちは、カラー・ズィムの率いるアケロン族の軍団だった。カラーは配下のルシウスやウカファ、レモたちに命じ、村を襲わせる。キンメリアの男たちは応戦し、村に戻ったコナンも加わった。自分を呼ぶコナンの声を耳にしたコリンに隙が生まれ、背中に矢を受けた。カラーはコリンを捕まえ、破片を引き渡すよう要求した。カラーは仮面の復元を目論んで各地の部族を襲撃しており、あと少しという段階まで来ていたのだ。
コナンはカラーたちに飛び掛かるが、すぐに捕まってしまう。カラーはコリンを鎖で繋ぎ、頭の上に桶が来るようにして拘束した。桶には熱した金属が入っており、少しでも力を抜けば頭上から降り注ぐのだ。カラーの娘である妖術師のマリークは、隠されていた破片を見つけ出した。カラーはレモに、村を焼き払うよう命じた。カラーは仮面を完成させ、マリークに「純粋な血統の血があれば、お前の母、私の愛する妻が戻って来る」と述べた。彼はコリンとコナンを鍛冶場に残し、軍団を率いて村を去る。コナンは父を助けるために鎖を引っ張るが、コリンは「もう諦めろ。離せ」と告げた。彼は自ら桶を倒し、熱した金属を浴びて絶命した。
コナンはキンメリアを去り、辺境を彷徨った。人殺しも盗みもして生き延びた。青年に成長した彼は海賊となり、カラーを捜し続けていた。コナンは仲間のアルタスや手下たちと共に、ジンガラン奴隷居住区を襲撃した。解放した奴隷の女たちが「食料も武器も残ってない。アンタたちが雇ってよ」と言うと、コナンは笑顔で了解した。メサンティアの町で酒盛りをしていたコナンは、衛兵隊長となったルシウスと衛兵たちが錠前破りの達人であるエラ・シャンを追っている様子を目撃した。コナンは兵士を殴り、捕まえるよう要求した。
コナンはエラと共に手枷を付けられ、刑務所に送られた。コナンは衛兵を倒してルシウスを拘束し、「俺の父を殺した男はどこだ?」と尋ねた。ルシウスはコナンに、かつては蛮族だったカラーが今では闇の王と呼ばれていることを話す。カラーの軍団が霧に隠れ、禁断の森を進軍中だという。カラーは仮面に血を注ぐため、女を捜しているらしい。コナンは囚人たちの前にルシウスを連れ出し、始末を委ねた。エラは立ち去るコナンに、「目的の男を本気で捜したいなら、アルガロンの町にいるから会いに来てくれ」と告げた。
カラーの軍団はシャイプール修道院を襲撃し、人々を惨殺していく。修道女のタマラが戦おうとすると、ファサール大祭司が腕を掴んで「こっちへ来るんだ」と告げた。ファサールはタマラを馬車に乗せ、修道院から避難させた。峡谷で待ち伏せたコナンはカラーが乗っていると誤解し、馬車を襲った。コナンがタマラと対峙した直後、カラーの軍団が追い掛けて来た。コナンは敵を蹴散らし、レモに宣戦布告する。レモが逃げ出すと、コナンはタマラを馬に乗せて追い掛けた。
修道院に目当ての女がいないことを知ったカラーは、マリーバが目の前で火あぶりにされたことに対する怒りをファサールにぶつけた。ファサールの挑戦的な言葉に激昂したカラーは、彼を惨殺した。レモを殴り倒したコナンは、カラーの狙いがタマラにあると確信した。タマラがヒルカニアへ連れて行ってほしいと持ち掛けると、コナンが「カラーを待つ」と言う。タマラが「私は一緒には待たない」と拒絶すると、コナンは彼女とレモを縛り上げた。
翌朝、コナンが「なぜカラーに追われてる?」と訊くと、タマラは「私はただの修道女よ」と答える。するとレモが「嘘をつくな。そいつは最後の純粋なアケロン人だ」と怒鳴った。タマラは「アケロンの血は千年前に途絶えたわ」と言い、レモにナイフを突き付けるコナンに「殺してもいいわよ」と告げる。レモはコナンに「カラーを女をずっと捜し続けていた。だが、ここには来ない。シャイプール峡谷で俺を待ってる。案内しよう」と持ち掛けた。
コナンは峡谷へ赴き、カラーの軍団が通り掛かるのを待ち伏せた。彼はレモを縛り付けて挑戦状を口に突っ込み、軍団の元へ投げ飛ばした。その挑戦状には、前哨基地へ一人で勝負に来いと綴られていた。カラーはマリークを引き連れ、基地へ出向いた。マリークは妖術を使い、砂の兵隊を作り出してコナンを襲わせる。兵隊を倒したコナンだが、カラーとの戦いで劣勢を強いられる。タマラが助けに入って松明を渡し、コナンは爆発を起こして逃亡した。
海賊船のホーネット号が近くへ来たのを目にしたコナンは、タマラを連れて海へ飛び込んだ。船に戻ったコナンは、アルタスに「上陸して再びカラーを捜す。あの女を安全な場所まで送ってくれ」と告げた。ウカファの率いる集団が奇襲を仕掛け、タマラを連れ去ろうとした。コナンと仲間たちは応戦し、集団を退治した。コナンが陸に戻ると、アルタスはタマラに「海岸線の地図を届けてくれ。ついでに別れを言え」と促した。タマラはコナンと関係を持ち、船に戻ろうとするが、マリークの率いる一団に捕まって砦へ連行されてしまう…。

監督はマーカス・ニスペル、キャラクター創作はロバート・E・ハワード、脚本はトーマス・ディーン・ドネリー&ジョシュア・オッペンハイマー&ショーン・フッド、製作はフレドリク・マルンベリ&ボアズ・デヴィッドソン&ジョー・ガッタ&ダニー・ラーナー&ジョン・バルデッチ&レス・ウェルドン&ヘンリー・ウィンタースターン、製作総指揮はサミュエル・ハディダ&ヴィクター・ハディダ&フレデリック・フィアースト&ジョージ・ファーラ&アヴィ・ラーナー&ダニー・ディムボート&トレヴァー・ショート&イーダ・コーワン&ジョン・サッキ&マイケル・パセオネック&ジェイソン・コンスタンティン、撮影はトーマス・クロス、編集はケン・ブラックウェル、美術はクリス・オーガスト、衣装はウェンディー・パートリッジ、音楽はタイラー・ベイツ、音楽監修はセレーナ・アリゾナヴィッチ。
出演はジェイソン・モモア、レイチェル・ニコルズ、ロン・パールマン、スティーヴン・ラング、ローズ・マッゴーワン、サイード・タグマウイ、レオ・ハワード、スティーヴン・オドネル、ラード・ラウィー、ノンソー・アノジー、ボブ・サップ、ミルトン・ウェルシュ、ライラ・ルーアス、ボリスラフ・イリエフ、ネイサン・ジョーンズ、ダイアナ・ルベノワ、ヨアン・カラムフィロフ、ライチョー・ヴァジレフ、スタニミル・スタマトフ、ニコライ・スタノエフ、イヴァナ・ステネワ、アリナ・パスコー、ズラトカ・ライコワ、アントン・トレンダフィロフ他。


ロバート・E・ハワードの小説『英雄コナン』シリーズを基にした作品。
かつて同じシリーズを基にした映画『コナン・ザ・グレート』と続編『キング・オブ・デストロイヤー コナンPART2』がアーノルド・シュワルツェネッガー主演で製作されているが、そのリメイクではなく、あくまでも「原作の再映画化」である。
ただし、コナンのキャラクターと世界観を薄く拝借しているだけで、ほぼオリジナルと言っていい内容になっているようだ。
主演のコナン役には様々な役者の名前が挙がったが、TVシリーズ『スターゲイト:アトランティス』のジェイソン・モモアが抜擢された。
タマラをレイチェル・ニコルズ、コリンをロン・パールマン、カラーをスティーヴン・ラング、マリークをローズ・マッゴーワン、エラをサイード・タグマウイ、子供時代のコナンをレオ・ハワード、ルシウスをスティーヴン・オドネル、ファサールをラード・ラウィー、アルタスをノンソー・アノジー、ウカファをボブ・サップ、レモをミルトン・ウェルシュが演じている。
監督は『テキサス・チェーンソー』『レジェンド・オブ・ウォーリアー 反逆の勇者』『13日の金曜日』とリメイク専門の仕事屋になっているマーカス・ニスペル。

最初に「監督はマーカス・ニスペルだから」ということで期待値を下げた状態で鑑賞すると、「まあマーカス・ニスペルだからなあ」と受け入れられたり、意外に面白いと感じたりするかもしれない。
ただし、普通に考えれば面白くない映画であることは確かだ。
製作会社はミレニアム・フィルムズだから大手メジャーではないけど、製作費は7000万ドルも掛かっている。
それを考えると、「その予算で、この出来栄えですか」という状態だ。北米では大コケしちゃったしね。

冒頭、アケロン関連のナレーションがあり、仮面のことが説明される。続いて、コナンが産み落とされた時の様子が短く描かれる。次に少年時代のコナンが父を殺される出来事があって、その後に成長したコナンの物語が始まる。
最初のナレーション部分はともかくとして、その後に「男児のコナン」「少年のコナン」「成長したコナン」という3つの年代があるのは構成として上手くない。
ナレーションから始めるのなら、その次は成長したコナンが復讐に燃えて行動しているところから始めて、少年時代の出来事は回想として見せればいい。
産まれた時の様子は全く必要性が無いので、バッサリとカットしてしまえばいい。

コナンは少年の頃、既に蛮族を一人で軽々と始末できるだけの圧倒的な強さを手に入れている。
「最初は貧弱だったり弱気だったりしたが、訓練を積んで精神と肉体の両方の強さを手に入れた」という経緯は描かれない。もう登場した時点から勝ち気だし、そして腕っぷしもある。
そこは描き方として、片方が正しくて片方が間違っているというわけではなくて、方法論の問題だ。
だから、最初から強いという形で描くのなら、それはそれで構わない。

ただ、少年時代の強さからすると、成長したコナンが「むしろ弱くなってねえか?」と感じさせる状態になっているのは頂けない。
そこは、成長したコナンの方が、さらに圧倒的な強さを会得している形にすべきだろう。
「主人公を苦戦させなきゃ面白くない」という考えがあったのかもしれないが、だったら少年時代の戦いはパワー・バランスを考えて描写しておかないとダメでしょ。
戦う相手を「いかにも雑魚」みたいな奴にするとか、苦戦しながら何とか勝利する内容にするとか。

コナンがカラーとの戦いでピンチに陥るのは、カラーがそんなに強そうに見えないだけに、違和感があるんだよなあ。
毒を塗ったナイフをマリークが投げて、それを受けたコナンが意識朦朧となるけど、その前から劣勢を強いられているからね。
あと、そこで意識朦朧となったからには、船に戻ってから「毒の影響でコナンが苦しむ」ということがあるのかと思ったら、何も無かったかのように元気なのね。

カラーは体格の面でコナンに劣っている分、格闘の技術や素早さで圧倒的なモノを感じさせるというわけでもない。それに、凄みや大物としてのオーラも不足しているし。
それでもコナンを苦戦させたいのなら、「卑劣な方法で追い込む」という形にすべきだろう。
あの状況でコナンが苦戦するのは、「カラーがコナンよりも強い」ということじゃないと説明が付かないんだけど、そこに説得力が無いんだよな。
「コナンは肉弾戦には強いが、妖術には弱い」という設定にして、マリークの妖術に苦戦を強いられる形にするのなら、まだ分からんでもないんだけど、そういう方向性の味付けは無いし。

コナンが蛮族を襲うと血がドバッと出るし、顔面を地面に叩き付けると眼球が飛び出すし、切断した生首を下げて村に戻って来る。
そんな風に、アクションシーンでは残酷描写が盛り込まれている。
同じようなテイストを持つ『レジェンド・オブ・ウォーリアー 反逆の勇者』でも、マーカス・ニスペル監督がやっていたアプローチだ。
たぶんマーカス・ニスペルって、観客を惹き付ける演出方法はゴア描写しか知らないんだろうなあ。

『レジェンド・オブ・ウォーリアー 反逆の勇者』では、アクションシーンもセールス・ポイントの1つにしようと目論んでいる意識が感じられたが、実際は残虐描写以外に何も見所が無いスッカラカンな映画だった。
本作品も同じような状態になっており、アクションシーンは多いけど、そんなに魅力を感じない。
じゃあ人間ドラマはどうなのかというと、マーカス・ニスペルはそういうのを全く描写できないか、もしくは興味が無くて描こうとしないか、どっちかだ。
既に『レジェンド・オブ・ウォーリアー 反逆の勇者』で失敗しているのに、なんでミレニアム・フィルムズは彼を監督に据えちゃったのかなあ。

コリンがコナンに剣を作ってやるとBGMが流れ、彼は「この剣を振る前に、剣のことを知るべきだ」と言う。
そして「曲がらぬ剣は折れてしまう。鍛えるのだ」「大事なのは炎と氷、どちらだと思う?正解は両方だ。それが鋼の剣だ」と語る。
明らかに「大きな意味を持つシーン」としての描写になっているので、そこでコリンが説いた言葉が後にコナンの行動を決める大きな意味を持つんだろう、重要な伏線になっているんだろうと思っていたら、伏線でも何でもなかった。
その無意味な盛り上げと愚かな肩透かしは、さすがはマーカス・ニスペルといったところだろう。

カラーは各部族を襲って破片を集め、仮面を完成させようと目論んでいるので、もちろん強大な地獄の力を得て世界を支配する野望に燃えているのだろうと思ったら、「純粋な血統の血があれば、私の愛する妻が戻って来る」と口にする。
死んだ奥さんを蘇らせることが目的ってのは、どうにも冴えない設定だ。
一応、「マリーバの妖術を使えば黄泉の国から死者を蘇らせることが出来る」ということで、ファサールの言うように「お前が秘術に固執する理由は権力欲だろう。愛ではない」のだが、だったら余計に「無駄な設定」だと感じる。
最初から「仮面を使えば妖力を会得し、黄泉の国から死者を蘇らせることが出来る」という設定にしておけば、「強大な力を手に入れるために妻を蘇らせる」という無駄な手間が省けるだろうに。

なぜかカラーはコリンとコナンに止めを刺さず、軍団を率いて村を去る。
コリンはそのまま放置しても死ぬだろうが、コナンは普通に考えれば助かるわけで、他の村人たちを皆殺しにしておきながら彼だけを助ける理由がサッパリ分からん。
っていうか、そもそも「何か考えがあった上でコナンを生かしてやった」という印象も受けないんだよな。
単純に忘れていただじゃねえのかと思ってしまうぞ。

『レジェンド・オブ・ウォーリアー 反逆の勇者』でも感じたことだけど、無駄に長いわ。
この映画は113分の上映時間なんだけど、物語が一本道で内容が薄っぺらいことを考えると、せめて100分以内には収められるはずだし、また収めるべきだ。ザックリと言うならば「休むか戦うか」という二択だけで進んでいく話で、ドラマとしての面白さは皆無に等しいんだから。
で、それぐらいアクションに特化しておきながら、そのアクションが「どこかで見たことがあるような」という映像表現になっているので、そりゃ厳しいわな。
ずっと同じ調子というのも手伝って、アクションに次ぐアクションという構成なのに、途中で飽きてきちゃうし。

終盤、カラーは仮面にタマラの血を垂らして力を手に入れたはずなのに、コナンとの戦いでは苦戦を強いられている。むしろ前哨基地で戦った時よりも弱体化しているんじゃないかとさえ感じるほどだ。
なんでだよ。仮面の力って、マリーバを蘇らせる以外のパワーは与えてくれないのかよ。
すんげえ狭い効果なんだな。
だったらマリーバを復活させてコナンと戦わせるのかと思ったら、復活しねえし。

それと、なぜかマリークは妖術を使わず、タマラに蹴り落とされて串刺しで死んじゃうんだよな。
マリークには「カラーから愛されたいと願っているが、カラーは『母に似ているがマリーバではない』と冷たく突き放す」という描写があるんだけど、父からの愛を求めているという設定は全く物語の中で昇華されないまま終わっちゃってる。
エラは存在意義が皆無に等しいし、アルタスもそんなに上手く使われていないし、前述したように仮面が何の意味も無い道具と化しているし、カラーの手下は個性が弱いし。
ホント、色々とダメな映画だわ。

(観賞日:2014年5月12日)

 

*ポンコツ映画愛護協会