『カラー・ミー・ブラッド・レッド』:1965、アメリカ

ファーンズワースは自分の画廊で展示されていた一枚の絵を眺め、取り外して外へ持ち出した。彼は絵を地面に置いてガソリンを撒き、火を付けた。画家のアダム・ソーグはアトリエで絵を描き始めたが、すぐに苛立って投げ捨てた。彼は新たなキャンバスを用意して再び描き出すが、「違う、こんな色じゃない」と吐き捨てた。そこへ同棲している恋人のジジが来て、「ファーンズワースさんの画廊へ行く時間でしょ。貴方の個展よ。来ないと契約は破棄するって」と告げる。「評論家も来るって」と言われたアダムは、「週刊誌の記者だろ。それに、コレクターに売る気は無い」と述べた。
嫌々ながら画廊へ出向いたアダムは、評論家のグレゴロヴィッチがファーンズワースに「この画家は描くことではなく、売ることに興味がある」と話しているのを聞いた。「芸術性は無いと?」と彼が問い掛けると、グレゴロヴィッチは「そこまでは言ってない。売れる才能を持っているということです」と答えた。腹を立てたアダムが殴り掛かろうとすると、ファーンズワースが諌めた。夫人たちが「彼の絵には物語がある」「色が豊富だわ」と絶賛するのを耳にしたアダムは、礼を述べて画廊を去った。
アダムが家の前にある湖で遊んでいると、ジジが来て「ファーンズワースが絵を取りに来ている」と伝える。「勝手に選んでも構わない。彼を信用してる」とアダムは言い、ジジに冷たい態度を取った。アダムが家に戻ると、ファーンズワースは客からの小切手を渡す。彼は赤の絵を手に取り、「「他に赤の絵は?良く売れるんだ」と告げる。「赤の絵をどう思う?」と問われた彼は、「あの評論家と同じ意見だ。色に工夫が欲しい」と返した。アダムは「同感だ」と言い、赤の絵を乱暴に投げ捨てた。
ファーンズワースが去った後、アダムはジジに「不安なんだ、慰めてくれ」と告げる。2人は寝室に入り、夜になった。寝室から出て来たジジは絵の木枠から飛び出した釘に触れて指に怪我を負い、血をキャンバスで拭いた。翌朝になってキャンバスの血を見たアダムは、外に持ち出して念入りに眺めた。アトリエに戻った彼は、他の絵と色を見比べた。そこへジジが来ると、アダムは「血の色を見たい」と言って指の包帯を外した。彼はキャンバスに血を塗り付けるが、ジジは「私は不死身じゃないのよ。自分のを使えば?」と去った。
アダムは自分の指を切って出血し、それを使って絵を塗った。絵を描いている途中で、彼は疲れてソファーで眠り込む。そこへジジが戻り、絵を眺めた。彼女はアダムの顔に付いた血を拭き、「この絵を完成させるには引き継ぎの人が必要ね」と告げた。目を覚ましたアダムが絵を眺めていると、ジジが来て「画家は絵の具を使って描くのよ。血が絵の具代わりなんて気持ち悪い」と言う。批判されたアダムはジジを殺害し、その顔面をキャンバスに押し付けて血を塗った。
エイプリルは恋人のロルフ、友人のシドニー&彼女の恋人のジャックと共に、ビーチへ遊びに出掛けた。エイプリルの母のカーター夫人は、アダムの絵を買いにファーンズワースの画廊へ向かった。アダムはジジの遺体を砂地に埋め、完成した新作を持って画廊を訪れた。その絵をグレゴロヴィッチは絶賛し、カーター夫人は購入を希望する。ファーンズワースは高額を設定するが、それでもカーター夫人は買うと言う。しかしアダムは「これは売らない」と拒否し、ファーンズワースが「なぜ持って来た?」と問い掛けると「才能の証明だ」と答えた。グレゴロヴィッチが「それなら、もう一枚描いてくれ」と持ち掛けると、アダムは「描く」と言って画廊を去った。
アダムは帰宅して絵を描き、赤を塗ろうとする。床に落ちた血では全く足りないので、彼は自分の指を傷付けようとする。しかしビーチに視線を向けた彼は、抱き合うカップルを標的に定めた。アダムは銛で襲ってカップルの男を殺害し、自宅の壁に女を磔にした。彼は女の腹を裂いて、そこから採取した血をキャンバスに塗った。彼は画廊へ絵を持って行くが、また「売らない」と告げた。後日、カーター夫人はアダムの絵を買うつもりだとエイプリルに話し、「だけど何週間も全く描いてないらしい」と語った。
エイプリルはロルフ&シドニー&ジャックと共に、ビーチへ遊びに出掛けた。彼女は水着に着替えるため、3人から離れてアダムの家の裏へ移動する。するとアダムは外にキャンバスを持ち出し、絵を描き始めた。着替えを終えたエイプリルが近付くと、彼はモデルになってほしいと誘う。エイプリルは「友達と一緒なの」と断り、アダムに名前を尋ねて母が言っていた画家だと知った。アダムが「君のお母さんに絵をプレゼントしよう」と約束すると、彼女は「今夜なら来られるわ」と言ってロルフたちの元へ戻った…。

監督&撮影はハーシェル・G・ルイス(ハーシェル・ゴードン・ルイス)、原案&脚本はハーシェル・G・ルイス(ハーシェル・ゴードン・ルイス)、製作はデヴィッド・F・フリードマン、編集はロバート・シニーズ。
出演はドン・ジョセフ(ゴードン・オー・ハイム)、キャンディー・コンダー、エリン・ワーナー、パトリシア・リー、ジェローム・エデン、スコット・H・ホール、ジム・ジャケル、アイリス・マーシャル、ビル・ハリス、キャシー・コリンズ他。


『血の祝祭日』『2000人の狂人』のハーシェル・ゴードン・ルイスが監督&撮影&原案&脚本を務めた作品。
アダムをドン・ジョセフ(ゴードン・オー・ハイム)、エイプリルをキャンディー・コンダー、ジジをエリン・ワーナー、シドニーをパトリシア・リー、ロルフをジェローム・エデン、ファンズワースをスコット・H・ホール、ジャックをジム・ジャケル、カーター夫人をアイリス・マーシャル、グレゴロヴィッチをビル・ハリスが演じている。

ジジは初登場シーンでレオタードを着ているが、どうやらアダムの恋人らしい。
「独りだったら靴下も履き替えないくせに」と言っているが、そういう役割の奴がレオタードを着ている理由は謎。
しかも、それ以降も彼女は登場する度に、異なるレオタードや水着を着ている。
彼女の服装には、何の意味も無い。ただ無意味にバカバカしさや安っぽさを冗長しているだけだ。
ポンコツ映画は余計なトコで陳腐さをアピールすることが良くあるが、ジジのレオタードも、そういう類だ。

アダムはジジに「不安なんだ、慰めてくれ」と言うので、何か始まるのかと思ったら、奥の寝室へ2人で消えて、そのまま夜になる。
奥の寝室へ2人で消えた時、カメラがパンして投げ捨てられた絵を写す。その段階では特に何も無いのだが、カットが切り替わって夜になった途端、絵の木枠から釘が飛び出している。
いやいや、いつの間に飛び出したんだよ。昼間の時点では何も無かったはずでしょうに。
夜になって急に飛び出したとしたら、もはやオカルトの世界だろ。

そこはホントならカメラがパンした時点で、釘が飛び出している状態じゃないとダメでしょ。
いや、もっと根本的なことを言っちゃうと、わざわざ夜まで引っ張る意味が全く無いのよ。
アダムが「慰めてくれ」と言った時点で、何らかのアクシデントでジジが転び、飛び出した釘で出血するという流れにしておけば、テンポ良く進めることが出来たはずなのよ。
「寝室に消えて、夜になる」という手順は、ダラダラと間延びさせて時間を浪費しているだけだ。

あと、寝室から出て来たジジが絵に触れて出血するシーンは不自然だぞ。
まず、絵の前で立ち止まり、釘が出ている場所にピンポイントで触れる理由が何も無い。
さらに言うと、出血した時、それを破れたキャンバスで拭くのも不自然。そのシーンで、ビッグバンド・ジャズのムーディーなBGMを流し続けるセンスはイカれてるし。
あと、そこでカメラがジジの顔を見せず、下半身だけで描く演出も意味不明だ。 なぜ「ジジが怪我をした」ってことをボンヤリさせるのか。何のメリットも無いだろ。

アダムが自分の血で赤色を塗るシーンに、3分ぐらい無駄に時間を使う。そしてカットを切り替えて時間経過を示すのだが、なぜか赤以外の色も塗ってある。
いやいや、血の赤の具合を見たかったはずでしょうに。他の色に取り掛かる前に、まずは赤の部分を終わらせろよ。
っていうか、その時に描いている絵でホントに赤が必要な場所って、唇ぐらいじゃないのか。ところが赤い部分を血で塗るのかと思ったら、完成した絵は「殺されて血まみれの女性」になっているんだよね。
つまり、血を使うために、絵のテーマが変わっているのだ。
完全に本末転倒ってことだが、そういうのを「狂気」としてハーシェル・ゴードン・ルイスが面白く表現できているはずもない。

ジジがソファーで寝ていたアダムの顔に付いた血を拭くときの様子では、血で描いた絵をとりあえずは受け入れている様子だった。しかしシーンが切り替わると、「画家は絵の具を使って描くのよ。血が絵の具代わりなんて気持ち悪い」と批判している。
だけど、またアダムが指から血を出して絵を塗っていたなら呆れるのは分かるけど、違うでしょ。
他の部分の色塗りは少し進んでいるけど、赤の部分は全く変化していないんだから。
ってことは、もう完成したんだし、とりあえずいいんじゃないかと。

アダムはジジの遺体を砂地に埋め、なぜか目印として棒を立てる。
いや殺人の隠蔽工作のはずなんだから、場所がバレたらマズいだろうに。まず埋める場所が浅すぎるのもダメだし、なんで墓地みたいに棒を立てるんだよ。
だから終盤、シドニーが砂を掘って遺体を発見しているし。
その後、アダムがカップルに狙いを定める時、エイプリルたちが近くを通り過ぎる。だけど、ここで誰も標的にならないのなら、そのタイミングでエイプリルたち登場させる意味は全く無いぞ。

カップルに目を付けたアダムは煙草の火を掌に押し付けて灰だらけにするが、その行動には特に意味が無い。心情を表現するための演出だとしても、まるで成功していない。
で、シーンが切り替わると海で遊ぶカップルにボートで近付くが、彼はビーチの家に住んでいるのに、なぜかボートは水平線の向こう側から走って来る。位置関係がメチャクチャである。
カップルの男が殺された後、女は逃げたはずなのに、カットが切り替わると血が広がる現場で悲鳴を上げている。ここもデタラメ。
そしてアダムが殺すシーンは無いままシーンが切り替わると、カップルの女が殺されて磔になっている。ここもデタラメである。

アダムがわざわざ画廊に絵を持参しておいて「売らない」と言うのは、「なんでやねん」とツッコミを入れたくなる。
一枚目に関しては、グレゴロウィッチに見せる目的があるので、「才能を証明しただけだ」という主張も分からんではない。
でも、そこで絶賛されたのだから、2枚目は証明のために持って行く意味が全く無いわけでね。ただの支離滅裂な行動でしかない。
そこを「だってイカれた奴だから」ってことで甘受するのは無理だよ。

カーター夫人はエイプリルに「アダムが何週間も全く描いてないらしい」と言うが、これは設定として変だろ。
アダムは「血の絵」に魅了されたんだから、そこからは絵のために次々に殺人を犯さないとダメでしょ。次の殺人まで何週間も空くってのは、設定として大間違いだ。
そのせいで、映画全体での殺人シーンも少なくなってるし、そういう意味でも間違いだよ。
結局、ジジとカップルの3人だけで殺人が終わってるじゃねえか。エイプリルの仲間が1人も殺されずに終わるって、どういう計算だよ。

エイプリルが家の裏に来た時なんて、アダムにとっては絶好のチャンスのはず。だけど、なぜか「外で絵を描いて目を引き付けて」という手順を丁寧に踏む。
そんなに手間を掛けるような奴なら、衝動的にジジを殺したり、モーターボートでカップルを襲ったりしないだろうに。
あと、エイプリルがモデルの仕事をOKして仲間の元へ戻ってから、しばらく遊ぶ様子を描くのは何なのか。
完全に時間の浪費でしかないだろ。さっさと夜のシーンに切り替えるべきだろ。

で、しばらくすると夜になるが、まだエイプリルはロルフたちとビーチにいる。そして「迷っているの」と言い、画家からモデルになってほしいと誘われたことを話す。
ロルフが「今夜は先約があると電話して断るんだ」と告げると、エイプリルは車で行くと告げて1人で去る。
そして彼女はアダムの家へ行くのだが、ってことは最初からモデルの仕事を受ける気満々だったんじゃねえか。
それなら、「迷ってる」とかロルフたちに話す必要なんて無かっただろうに。

アダムはエイプリルにポーズを取らせて、しばらくしてからロープで両手を縛る。最初から彼女を捕まえて殺すつもりなのに、なぜか無駄な時間と手間を掛けている。
エイプリルが来た時点で、すぐに殺せるチャンスはあっただろうに。
あと、両手を縛られる時に、エイプリルが抵抗せずに受け入れるのはアホすぎるだろ。後ろを向けと命じられて従うのも同様だし。
アダムがエイプリルの両手を縛って斧を振り上げているのを見たのに、ロルフが「彼が恋人を殺そうとしている」と確信しないのもアホすぎるし。

(観賞日:2022年12月25日)

 

*ポンコツ映画愛護協会