『ココ・アヴァン・シャネル』:2009、フランス
1893年、ガブリエル・シャネルと姉のアドリエンヌは母が死んで父がアメリカに渡ったため、フランス中部のオーバジーヌ孤児院で暮らすことになった。ガブリエルは父が迎えに来るのを待ち続けるが、いつになっても現れなかった。15年後、フランス中部のムーラン。姉妹は昼に仕立屋のお針子をしながら夜はナイトクラブで歌い、成功することを夢見ていた。男爵と交際中のアドリエンヌは結婚を望んでいるが、ガブリエルは愛を信じておらず、「私が惹かれるのは愛よりセックス」と言い切った。
ある日、男爵がナイトクラブに友人のエティエンヌ・バルザンを連れて来た。紹介されたガブリエルは生意気な態度を取るが、バルザンは気に入った。彼はガブリエルに協力を申し出て、パリのキャバレー「アルカザール」を紹介すると持ち掛けた。オーディションも手配してもらったガブリエルはナイトクラブの支配人に反抗し、姉妹で解雇された。ガブリエルはバルザンと食事に出掛け、肌を重ねた。彼女は姉妹でオーディションを受ける気だったが、アドリエンヌは「男爵と結婚してパリ郊外に住むから一緒には歌えない」と断った。
ガブリエルはオーディションで不合格になり、バルザンが別の店を紹介すると告げても断った。軍の関係で2週間だけムーランに滞在していたバルザンは、パリ近郊のコンピエーニュへ帰ることをガブリエルに告げて去った。ガブリエルは荷物をまとめてムーランを発ち、彼の邸宅に押し掛けた。彼女は「近くに住む姉を訪ねたら留守だった」と嘘をつき、バルザンの屋敷で泊めてもらうことになった。バルザンは彼女を2階の寝室へ案内し、情事に及んだ。
翌朝、バルザンが馬車でアドリエンヌの家へ送り届けようとすると、ガブリエルは「住所を忘れた」と誤魔化した。バルザンが「ウチは困る。来客があるんだ」と言うと、彼女は「隠れてるから」と告げる。誰にも見つからないように気を付けるとガブリエルが約束したので、バルザンは2日だけという条件で承諾した。晩餐会を終えたバルザンは寝室に戻り、ガブリエルに「カフスボタンを外してくれ」と言う。ガブリエルが嫌がると、彼は「日本には芸者がいて、男のために何でもする」と話す。「つまり奴隷ね」とガブリエルが口にすると、彼は「まあな。さあ仕事だ。カフスを外せ。出ないと駅に送り返すぞ」と告げた。
ガブリエルはバルザンに連れられて、競馬場へ出掛けた。バルザンは「終わったら、ここで会おう」と言い、ガブリエルが「私も一緒に」と求めると「無理なんだ。私はボックス席に」と告げた。芝生に残されたガブリエルは、アドリエンヌを見つけて声を掛けた。再会を喜ぶ姉に、彼女はバルザンの屋敷で夢のような生活を送っている」と語った。まだアドリエンヌは男爵と結婚していないが、買ってもらったドレスを自慢した。
屋敷に戻ったバルザンはガブリエルに「馬車が君を駅まで送る。たまには手紙をくれ」と言い、女優のエミリエンヌ・ダランソンたちとピクニックに出掛けた。ガブリエルは馬車に乗らず、騎手の格好になって馬に乗った。彼女はバルザンたちを見つけると、わざと馬を興奮させて突っ込む芝居をした。バルザンはガブリエルをエミリエンヌたちに紹介し、ピクニックに混ぜた。ガブリエルはバルザンの屋敷に留まり、動きやすい服を自作した。
屋敷のパーティーに参加したガブリエルは、バルザンから一曲歌うよう促された。ガブリエルが断ると、「少しは皆を楽しませろ。それが君の役目だ」とバルザンは述べた。「断ればパンと水だけだ」と言われたため、仕方なくガブリエルは歌った。ある日、ガブリエルは客人のボーイ・カペルと出会い、バルザンと3人でポロに興じた。コルセットの無いドレス、ヒールの無い靴、羽根の無い帽子ばかりを着用するガブリエルにバルザンは否定的だったが、カペルは「シンプルさを好むのは正しい」と述べた。
ガブリエルが不機嫌になって寝室から出ることを拒否し、バルザンは「みんなが待ってる。早く下に来い」と要求する。「関係ない。何もかもがウンザリ」とガブリエルが反発すると、彼は腹を立てた。ガブリエルは「財産が無ければ友達はいないくせに」と罵ると、バルザンは「いつでも出て行くがいい」と告げた。ガブリエルはエミリエンヌを頼るが、知り合いの金持ちや貴族を紹介すると言われて「働きたい。自分で稼ぎたい。女優になる」と述べた。エミリエンヌが「その年からじゃ遅いわ」と指摘すると、彼女は「貴方は有名よ。私に仕事を見つけて」と要請した。
エミリエンヌはガブリエルがバルザンに会う前は少しだけ裁縫をやっていたと聞き、「貴方には才能がある。帽子屋で働けるわ」と言う。しかしガブリエルが「嫌よ」と即答したので、「自分が何をしたいか分からないのね。バルザンの所へ帰りなさい」と説いた。「貴方は幸運よ。その運を逃さないで」と言われ、ガブリエルは仕方なくバルザンの屋敷に戻る。彼女はカペルから「ここでは不幸せ?」と訊かれ、「答える義務は無いわ」と不快感を示す。「働いてるの?働くフリなの?ここでは誰も働かない」と彼女が言うと、カペルは「選択権は無かった。母が父と結婚するには貴族の家柄が足りなかった。母は日陰の身で、僕は他人の手で育てられた」と語った。
ガブリエルは男装でバルザンの仮装パーティーに出席し、カペルに「仕事がしたいの。石炭の仕事を紹介して」と頼む。「女性向けの仕事は無い」と断られた彼女は、「何のために実業家に?」と批判的な口調で尋ねた。カペルが「貴方のため」と冗談めかして言うと、彼女は「何様のつもり?」と怒った。しかしカペルが帰ろうとすると引き留め、情事に及んだ。翌朝、カペルはバルザンに「彼女を気に入った。2日間だけ借りていいか」と告げる。バルザンの了承を得た彼は、ガブリエルを連れてボルドー旅行に出掛けた。旅から戻ったカペルは、バルザンから「強そうに見えて彼女は繊細だ。幻想を抱かせるな」と釘を刺された…。監督はアンヌ・フォンテーヌ、原作はエドモンド・シャルル=ルー、脚本はアンヌ・フォンテーヌ&カミーユ・フォンテーヌ、製作はカロリーヌ・ベンジョー&キャロル・スコッタ&フィリップ・カルカソンヌ&シモン・アルナル、撮影はクリストフ・ボーカルヌ、美術はオリヴィエ・ラド、編集はリュック・バルニエ、衣装はカトリーヌ・ルテリエ、音楽はアレクサンドル・デプラ。
出演はオドレイ・トトゥー、ブノワ・ポールヴールド、アレッサンドロ・ニヴォラ、マリー・ジラン、エマニュエル・ドゥヴォス、レジス・ロワイエ、エティエンヌ・バルトロメウス、ヤン・ダファス、ファビアン・ベアール、レシュ・レボヴィッチ、ジャン=イヴ・シャトゥレ、ピエール・ディオ、ヴァンサン・ネメス、ブルーノ・アブラハム=クレマー、リサ・コーエン、イネス・ベサレム、マリー=ベネディクト・ロイ、エミりー・カヴォワ=カーン、ファニー・デブロック、クロード・ブレクール、カリーナ・マリモン、ブルーノ・パヴィオ、フランク・モンシニー他。
エドモンド・シャルル=ルーの同名小説を基にした伝記映画。
監督は『ドライ・クリーニング』『恍惚』のアンヌ・フォンテーヌ。脚本はアンヌ・フォンテーヌ監督と、これが3作目となるカミーユ・フォンテーヌによる共同。
どちらも「フォンテーヌ」だが、血縁関係は無い。
ガブリエルをオドレイ・トトゥー、バルザンをブノワ・ポールヴールド、カペルをアレッサンドロ・ニヴォラ、アドリエンヌをマリー・ジラン、エミリエンヌをエマニュエル・ドゥヴォスが演じている。ココ・シャネルの伝記映画なのだから、彼女が革新的なデザインでファッション界に旋風を巻き起こし、多くの女性たちを解放する先進的なデザイナーとして成功する立身出世物語を期待する人が大多数ではないだろうか。
しかし実際の内容は、まるで違っている。
そもそも、タイトルが「そうじゃない」ってことを示しているのだ。
『ココ・アヴァン・シャネル』の「アヴァン」はフランス語の「avant」であり、それは「〜より前に」という意味だ。
つまり、「ココ」になる前のガブリエル・シャネルを描く物語なのだ。物語のメインとなっているのは、エティエンヌ・バルザンというパトロンを得たガブリエルがボーイ・カペルと付き合うようになる部分だ。ようするに、三角関係の恋愛劇を描きたいわけだ。
ただ、そもそもガブリエルは序盤で本人が言っているように、愛など信じていない。
だからバルザンと親密になるのも、生活状況を良くするのが目的だ。そのためにバルザンを利用し、働かなくても贅沢に暮らせる環境を整えるのだ。
そんな風に女を武器にして成り上がろうとしたガブリエルが、カペルと出会って本気の恋に落ちるという流れだ。ガブリエルがバルザンの屋敷に押し掛けるのは、もちろん彼を愛しているからではない。裕福な生活をしたいからだ。
バルザンとセックスするのも、彼を利用するための行動だ。
しかし「姉の家へ行くつもりだった」という嘘をついているので、すぐに「馬車で駅まで送る」と言われてしまう。楽な暮らしを簡単に失うわけには行かないので、ガブリエルは策を講じる。
そして狙い通り、なし崩し的にバルザンは彼女が長く居候することを受け入れる。そのようにガブリエルはバルザンをパトロンとして都合良く利用しているのだが、従順に徹するわけではない。時には反発し、時には批判する。
しかし彼女は生活費を入れるわけでもなく、家事を手伝うわけでもい。衣食住を全て与えられて寄生し、裕福で満ち足りた生活を送っているだけだ。
それなのにパーティーで歌うことすら拒否するとか、どんだけワガママなのかと。
裕福な生活と引き換えに、何か奉仕するのは何もおかしなことではない。立場としてはヒモみたいなモンなんだから、よっぽど理不尽な命令じゃなければ従うのは当然の義務じゃないのかと。
それはもはや「女性差別が云々」とかいう問題じゃないぞ。バルザンの屋敷を出たガブリエルは、エミリエンヌに「働きたい。自分で稼ぎたい」と言う。だけど、そういう思いを最初から抱いていたわけではない。
何しろ彼女は、バルザンの家で居候を始める前は、裁縫の仕事をしていたのだ。その仕事を捨てて、バルザンの世話になることを自ら選んだわけで。
本人が働きたいのに、バルザンの命令で働けない状況に置かれていたわけではないのだ。その気になれば、いつだって彼女は「バルザンの囲われ者」という立場を捨てることが出来たのだ。
しばらくは「豪邸での贅沢な暮らし」を満喫していたのに、バルザンに苛立ちを覚えたので「自分で稼ぎたい」と言い出しただけなのだ。しかもガブリエルは何の経験も無い上に今まで全く関心なんて示していなかったのに、急に「女優になりたい」とか言い出すんだよね。エミリエンヌの仕事を見て、「私でも簡単に出来る」とでも思ったのか。
さらに、エミリエンヌが才能を評価して「帽子屋で働ける」と助言しているのに、ガブリエルは「嫌だ」と即答するし。どんだけワガママなんだよ。
っていうか自分で帽子やら服やら色々と作っていたはずなのに、帽子屋になるのは嫌ってのは、どういうことなのか。
服や帽子を次々に作っていたのは、興味があったからじゃないのか。バルザンの屋敷にいる頃から、ガブリエルは周囲の女性にも帽子や服を作っている。
ただ、「いかに革新的なデザインか」「いかに女性のことを考えたデザインか」という感じで、「デザイナー前夜のガブリエル」を描こうとする意識は薄い。
服を作る彼女を描くのは、恋愛劇のための飾り付けに過ぎないんだよね。
「ファッションデザイナーとしてのココ・シャネル」は脇に置いて恋愛劇を描くのなら、ココ・シャネルの伝記映画である意味は果たしてあるのだろうか。映画開始から1時間30分ほど経過した辺りで、ようやくガブリエルはパリに出て帽子屋を始める。だが、これも「カペルが他の女性と結婚すると聞いてショックを受け、バルザンから求婚され、色んな事を吹っ切るためにパリへ出る」という印象が強いんだよね。
しかも、開店資金に何の当ても無かったけど、カペルに出してもらっているし。その後もバルザンとカペルとの関係はズルズルと続いているし。
そんで最後に「60年間のキャリアでココ・シャネルは現在女性の服装を決定付けた。多くの著名人がそのスタイルを受け入れた」などと記すけど、そんな風になるまでの「デザイナーとしての道のり」を全く描いていないのよ。
だから、最後に「いかにココ・シャネルはデザイナーとして優れていたか。今の時代にも影響を与えているか」ってのをアピールされても、上手く着地できていないのよ。(観賞日:2024年9月29日)