『クローバーフィールド/HAKAISHA』:2008、アメリカ

これはアメリカ合衆国の国防総省に保管されている、暗号名「クローバーフィールド」の記録映像である。かつてセントラルパークと呼ばれた公園で回収されたカメラに、その映像は撮影されていた。4月27日午前6時42分、ベスの父親のアパートから、映像は始まっている。ベスの父は出張中で、ビデオカメラを回しているのは所有者のロブだ。5月22日の映像では、ロブの兄であるジェイソンがカメラを回している。彼は恋人のリリーと共に、サプライズ・パーティーテのための買い物へ出掛ける。ロブが副社長に昇進して東京へ転属するので、仲間たちでパーティーを開くことになったのだ。
リリーとジェイソンがニューヨークの高級アパートへ行くと、ロブの友人であるハッドが準備を進めていた。ジェイソンはハッドに、客のお祝いコメントを撮影するよう頼んだ。ハッドは渋るが、「お目当てのマリーナも来る。話せるチャンスだ」と言われて承知した。ハッドはビデオカメラを受け取り、お祝いコメントを撮影した。彼はマリーナが来たので声を掛けるが、「ロブは良く知らないの。リリーに会いに来ただけだから」と言われる。それでもハッドは執拗に粘り、お祝いコメントを貰った。
ロブが帰宅し、パーティーが本格的に開始される。ベスは恋人のトラヴィスを連れて、会場にやって来た。参加者が盛り上がる中、ロブは冴えない様子を見せる。ハッドとジェイソンはリリーを問い詰め、ロブがベスと関係を持ったことを聞き出した。するとハッドは、そのことをパーティー参加者に言いふらした。ロブが一度寝ただけで別れを告げたことを知ったジェイソンは、彼を説教してベスと仲直りするよう告げる。その時、突如として激しい揺れが起きた。
テレビの臨時ニュースでは地震速報が入り、ロブたちが屋上から外の様子を観察しようとすると、街の一角で大爆発が起きた。建物から出たハッドたちは何か巨大な生物を目撃し、慌ててコンビニへと逃げ込んだ。巨大生物が街を破壊して通過した後、ハッドたちはビデオを巻き戻して確認した。一行はマンハッタンから逃げようと決め、ブルックリン橋へ向かう。他にも大勢の人々が橋に押し寄せるが、そこへ巨大生物が襲って来た。ハッドたちは何とか逃げ出すが、ジェイソンは死亡した。
ロブは携帯の電池が切れたため、家電量販店へ走った。電池を補充した彼は、ベスの留守電メッセージを聞く。ベスはアパートが崩壊した際、瓦礫の下敷きになって動けなくなっており、ロブに助けを求めていた。ロブはベスを救出するため、危険地帯となったミッドタウンへ向かう。マリーナ、リリー、ハッドたちが必死で止めると、ロブが「君たちは軍隊の指示通り街を出るんだ」と告げる。リリーが同行することを告げ、マリーナとハッドも付いて行く。
目の前に巨大生物が出現し、軍隊が激しい攻撃を浴びせる。マリーナたちは必死で走り、地下鉄の駅へと逃げ込んだ。ロブは地上に戻ろうとするが、マリーナたちは反対する。しばらく駅で待機していると、ロブは母からの電話を受けてジェイソンの死を知らせた。ロブの発案で、4人は線路を伝ってベスのアパートへ向かうことにした。カメラのライトを付け、4人は薄暗いトンネルを進む。巨大な虫に襲われた4人は何とか逃げ延びるが、マリーナが噛まれて深い傷を負った。
地上へ出て場所を確認しようとした4人は、兵士たちと遭遇する。4人が兵士たちによって臨時の避難施設へ連行されると、そこには大勢の怪我人や死者が運び込まれていた。隊長は15分後に撤退することを決定し、部下たちに準備を命じた。ロブはベスがアパートで助けを待っていることを話すが、隊長は荒っぽい態度で突っぱねた。救護チームはマリーナが噛まれていると知り、防護服を来た連中が慌てて隔離した。マリーナが死んだ後、ハッドたちは一人の兵士から「攻撃が失敗した場合、政府はマンハッタンを放棄して破壊するつもりだ」と聞かされる。兵士は救助ヘリの到着時間を教え、友人を助けに行くなら急ぐよう促す。3人はアパートに辿り着き、ベスを発見する…。

監督はマット・リーヴス、脚本はドリュー・ゴダード、製作はJ・J・エイブラムス&ブライアン・バーク、製作協力はデヴィッド・バロノフ、製作総指揮はガイ・リーデル&シェリル・クラーク、撮影はマイケル・ボンヴィレイン、編集はケヴィン・スティット、美術はマーティン・ホイスト、衣装はエレン・マイロニック、視覚効果監修はケヴィン・ブランク&マイケル・エリス&エリック・レヴェン、視覚効果製作はシャンタル・フェガリ、クリーチャー・デザインはネヴィル・ペイジ。
出演はリジー・キャプラン、ジェシカ・ルーカス、T・J・ミラー、マイケル・スタール=デヴィッド、マイク・ヴォーゲル、オデット・ユーストマン、アンジュル・ナイガム、マーゴット・ファーレー、テオ・ロッシ、ブライアン・クラグマン、ケルヴィン・ユー、ライザ・ラピラ、リリ・マイロニック、ベン・フェルドマン、エレナ・カルーソー、ヴァキシャ・コールマン、ウィル・グリーンバーグ、ロブ・カーコヴィッチ、ライアン・キー、フーマン・カリリ、ラシカ・マスール、バロン・ヴォーン、シャーリーン・イー他。


『M:i:III』を撮ったJ・J・エイブラムスが、ゴジラから着想を得て企画した作品。
彼と共にTVドラマ『フェリシティの青春』の企画を担当していたマット・リーヴスが、監督を務めている。
脚本のドリュー・ゴダードはエイブラムスが製作総指揮を務めたTVドラマ『LOST』『エイリアス』に携わっていた人で、これが映画デビュー。
マリーナをリジー・キャプラン、リリーをジェシカ・ルーカス、ハッドをT・J・ミラー、ロブをマイケル・スタール=デヴィッド、ジェイソンをマイク・ヴォーゲル、ベスをオデット・ユーストマン(オデット・アナブル)が演じている。

超低予算で製作された『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の大ヒットを受けて、POVモキュメンタリーという手法を使ったホラー映画が雨後の竹の子の如く世界各地で何本も作られたが、この作品もその流れに乗っかった映画だと言っていい。怪獣映画というジャンルで、同じ手法を用いているってことだ。
『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』に比べれば遥かに製作費は高いが、それでもハリウッドの怪獣映画としては格安の2500万ドルで作られ、北米で8000万ドルの興行収入を稼ぎ出した。
『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』はインターネットや雑誌などを使った巧妙な宣伝が大ヒットに結び付いた作品だが、この映画も同じような戦略を取っている。
ただし『BWP』がドキュメンタリーであるかのように偽装するための宣伝方法を取ったのに対して、こちらは情報を小出しにして観客の関心を煽るように仕向けた。
魔女伝説を題材にした『BWP』とは違って、怪獣が登場する内容なので、さすがに「全て現実に起きた出来事」という偽装工作をしても、信じるお人好しは皆無に等しいだろうから、それは賢明な選択だ。

モキュメンタリー・ホラー映画を見る度に、「ドキュメンタリーを装ってもフィクションなのはバレバレで、それなのにドキュメンタリーという仕掛けに頼ってばかりで、フィクションと分かった上で面白いと感じさせるよう作業をサボっている」と感じることが多い。
それと比較すると、これは前述したように、ドキュメンタリーだと信じるような観客はいないだろうから、その仕掛けに全て頼りっきりというのは最初から無理だと分かり切っている。
そこで製作サイドは、どうやら「映像で引き付けよう」と考えたようだ。POVモキュメンタリーなので、最初から最後まで手持ちカメラで撮影されており、それによって臨場感や迫力を出そうとしている。
ただ、それって『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』でもやっていたことだから、特に目新しいわけではない。撮ろうとする対象が怪奇現象から怪物に変化したというだけだ。おまけに、POV方式を採用したことで、普通に撮るよりもモンスターの脅威が伝わって来るのかというと答えはノーで、むしろ逆だし。

っていうか、ドラマや物語として面白味があるわけじゃないし、基本的にPOVモキュメンタリーでその辺りの面白味を出すってのは不可能に近いので、どうしても映像オンリーで勝負せざるを得ない。
それって、同じ手法を使ったホラーにも言えることであって、この映画だけが打ち出している方向性ってわけでもないんだよな。
で、じゃあ映像だけで楽しめるのかというと、全然。
むしろ、カメラはグラグラに揺れまくるので、ものすごく目が疲れるし、体調が悪かったり虚弱体質だったりすると悪酔いする恐れもある。

POVモキュメンタリー映画の全てに言えることだが、そのジャンルには大きな欠陥がある。
それは、「どんな状況でもカメラを持っている人間が常に映像記録を続行しているのは不自然極まりない」ということだ。
ホラーにしろ、この作品のように怪獣が出現する作品にしろ、ものすごく恐ろしい体験をすることもあるし、死の危険を感じるような状況もあるのに、なぜかカメラを回し続けるのだ。
そこに納得できる説明を用意したPOVモキュメンタリー映画は、私が知る限りは1本も存在しない。
それと、カメラワークに不自然さが出るケースも多い。っていうか、これまた全てのPOVモキュメンタリー映画に言えることかもしれない。

この映画でも、ハッドのカメラワークは、ちっともリアリティーが無い。
まず大爆発が起きた後、必死で逃げる中でもカメラを回し続け、キッチリと前方を走るロブたちを捉える。外に出た後には、ちょうど自由の女神の頭部が飛来するタイミングでカメラをパンし、それが目の前に落下するまで追い続ける。
普通の感覚なら、すぐ近くにデカいモノが飛んで来たら、まずは避難することを優先するだろう。しかしハッドは、それが自分に命中するかもしれないような状況の中で撮影を続ける。
「カメラのプロではなく単なる素人」と言っているくせに、プロも真っ青の勇敢さと冷静さだ。

ブルックリン橋へ向かう間、ずっとハッドがカメラを回し続けるのは、平穏な状況だから、まだ理解できる。
しかし怪物が襲ってきても、彼はカメラを回し続けるのだ。
しかも、ただ単に回し続けるだけでなく、ちゃんとカメラをパンして「襲ってくる怪物」と「逃げ惑う人々」の両方を撮影する。下手すりゃ自分だって死ぬかもしれないような危険な状況なのに、変に余裕があるのだ。
何とか逃げてロブと話している最中も、その向こうで家電量販店の襲撃があると、そっちをアップにする。周囲にも意識を向ける冷静さがあるのだ。

地下鉄の駅に逃げ込んだ後、マリーナに「ロブを慰めたいが、何と言っていいか分からない」と話し掛ける時も、ハッドはカメラを回している。
怪獣や怪獣によって引き起こされた破壊を記録するためにカメラを回すというのは、まだ分からないでもない。
だが、そこでの会話も全て記録するというのは、最初から「これをドキュメンタリー・フィルムとして公開しよう」とでも考えていない限り、まるで必要性が無い。
それと、ずっとカメラを回し続けていたら、同行している奴らが腹を立てて「撮るな」と言い出しそうにも思うが、そういうことは全く無いのね。ロブなんて、兄を亡くしたショックやベスが死んでいるかもしれないショックが大きいだろうに、イライラしないのね。

テレビ番組で流される「素人が撮影したUFOの映像」を見れば分かることだが、そういう驚くべき存在を目撃した時、素人はそっちばかりにカメラを向け続けるものだ。
つまり本作品なら、ずっと怪獣にカメラを向け続けるのが普通の対応だ。
怪獣にカメラを向けた後、攻撃する軍隊や、逃げ惑うマリーナたちにパンするのは、素人の撮り方ではない。
それはプロのカメラマンが「取材」や「演出」として行う手法である。素人の記録映像としては、あまりにも不自然だ。

っていうか、あれだけの近距離に巨大な怪物が現れたら、普通はカメラを回し続けることなんて出来ない。死ぬかもしれないんだから、自分が逃げることを最優先に考えるはずだ。
そして、生き残ることを最優先に考えれば、カメラを回し続けることなんて到底無理だろう。
しかも、そのように異常なまでの撮影に対する執着心や冷静さを持っているのは、ハッドだけではないのだ。終盤にハッドが死亡すると、今度はロブが撮影を続行するのだ。
すげえよ、アンタら。

(観賞日:2015年2月8日)

 

*ポンコツ映画愛護協会