『キャメロット』:1967、アメリカ
夜、アーサー王は部下から「戦は陛下の物です。寝ている間に攻撃を」と進言された。しかし彼は「命令は私が出す」と言い、夜明けまで待つことを伝えた。彼は1人になると、「なぜジェニーが手の届かぬ城壁の向こうに?なぜこんなことになった?」と嘆いた。アーサーは「何を間違えた?彼女を愛したのが悪いのか」と漏らし、大賢者のマーリンに「この戦で私が死んだら、うろたえずに死なせてほしい」と呼び掛けた。するとマーリンは、「人生で最も大切な日を思い出せ」と説いた。アーサーがマーリンと出会った少年時代を思い出すと、彼は「そうじゃない。グエナヴィアと会った日だ」と告げた。
その日、アーサーは花嫁の到着に怖気付き、雪の積もる森の中で木に登っていた。一方、グエナヴィアはアーサーの妻になるため、侍女のクラリンダたちを伴って城へ向かっていた。グエナヴィアは本物の愛を望んでおり、「決められた結婚なんてつまらない」と不満を漏らす。隙を見て逃げ出した彼女は、木から落ちたアーサーと出会った。グエナヴィアは相手の素性を知らず、盗賊だと誤解しながらも強気に怒鳴った。しかし警戒の必要が無い相手だと判断し、一緒に逃げようと持ち掛けた。アーサーはキャメロット王国の素晴らしさを説き、彼女とキスを交わした。グエナヴィアはアーサーの正体を知り、喜んで結婚を受け入れた。
それから4年後、アーサーは「力があれば全て正義」という考えが間違いだと感じ、新しい騎士道のルールを定めることにした。彼は城の大きな部屋を用意し、騎士が円卓を囲んで意見を交わして法を作る場を設けようと決めた。アーサーはグエナヴィアに、「今後は騎士が正義のために力を使う」と語る。彼は国中に使者を走らせ、全ての人々に自身の考えを伝えようとする。フランスのランスロットはお触れを見てアーサーの考えに共鳴し、地方領主であるバン王の息子でありながら騎士として馳せ参じることにした。
ランスロットはアーサーと遭遇し、相手の素性を知らぬまま槍での勝負を要求した。アーサーを落馬に追い込んだ彼は、正体を知って許しを請う。アーサーは怒らず、「マーリンから聞いていた。彼は君が最高の円卓の騎士になると言っていた」と語る。ランスロットが「すぐにでも悪を正し、敵を倒しましょう」と熱く語ると、アーサーは「そんな騒動は無い。今日は5月。妃たちは五月祭だ」と告げる。五月祭を知らないランスロットに、彼はピクニックのような物だと説明した。
グエナヴィアが家臣のディナダンたちと共に五月祭を楽しんでいると、道に迷ったペリノア王が現れた。彼は自分の国も覚えていなかったが、数年前にアーサーと過ごしたと話す。そこでグエナヴィアは泊まっていくよう勧め、家臣に命じて城に案内させた。アーサーは彼女に、ランスロットを紹介した。ランスロットが「騎士の訓練計画を提案した」などと熱弁すると、グエナヴィアは戦や試合に負けたことは無いのかと尋ねた。彼は「無い」と断言し、さらに熱弁を続けた。
グエナヴィアはディナダンを呼び、次の試合に強者を3人選ぶなら誰かと質問する。ディナダンはライオネルとサグラモア、そして自分を挙げた。するとグエナヴィアは言葉巧みに彼らの心を乱し、ランスロットへの対抗心を燃やすように仕向けた。アーサーはペリノアに、キャメロットに永住しないかと持ち掛けた。するとペリノアは「ここは落ち着かない。新しい考えには賛成できない」と述べ、全ては遊びを知らないランスロットのせいだと指摘した。
ランスロットはペリノアに対し、「熱心な者は嫌われます。遊びが楽しいとは思いません」と真っ直ぐな目で告げた。アーサーは試合でグエナヴィアがライオネルにスカーフを持たせると知り、「その約束は取り下げてもらえないか」と頼む。グエナヴィアは断り、他の2人にも同じ約束をしたことを楽しそうに話す。アーサーが「それは身内のえこひいきだ」と告げても、彼女の態度は変わらなかった。「確かにランスロットは馴染めていないが、フランス人だ」とアーサーが言うと、グエナヴィアは「彼の自惚れは鼻もちならない」と不快感を示した。彼女は「王の命令なら従いますわよ」と茶化すように告げ、アーサーは頭を悩ませた。
ランスロットは試合でライオネルとサグラモアを次々に破り、最後のディナダンは倒れ込んで心臓が停止した。しかしランスロットが手を取って泣きながら「生きてくれ」と願うと、ディナダンは息を吹き返した。グエナヴィアとランスロットは見つめ合い、恋に落ちた。後日、グエナヴィアとランスロットは2人きりになり、互いの気持ちを確認した。アーサーは2人の様子を気にするが、追及せずランスロットに騎士の爵位を与えた。
アーサーはグエナヴィアとランスロットの裏切りに怒り、一度は復讐さえ考えた。しかし「愛する者を壊して立派な王と言えるのか」と自身に問い掛け、この苦しみを超えようと決心した。アーサーは法を変えて争いの解決に剣を使うことを禁止し、法廷を置くことにした。ランスロットはグエナヴィアとの不義の噂が広まると、吹聴する騎士に激高して剣を突き付けた。アーサーは吹聴した騎士たちを縛り首にせず、国からの追放処分にした。
ランスロットはグエナヴィアに、アーサーは真実を知っていると告げる。彼は「証拠が無ければ争いは成立しない」と言い、アーサーが自分たちを残して城を空けることは無いので証拠は出ないだろうと述べた。グエナヴィアが「私たち、どうすればいいの」と漏らすと、彼は「私が去って、二度と戻らなければいい。だが、そんなことは無理だ」と彼女を抱き締めた。ペリノアはアーサーに、「グエナヴィアとランスロットは君を裏切った。それを知らずして、罪無き者を追放した」と言う。アーサーは「今の犯行的な言葉を命を懸けて言い張るか。それとも直ちに撤回するか」と凄み、臆したペリノアに「私が間違っていた」と撤回させた…。監督はジョシュア・ローガン、舞台版脚本&作詞はアラン・ジェイ・ラーナー、舞台版作曲はフレデリック・ロウ、舞台版演出はモス・ハート、脚本&作詞はアラン・ジェイ・ラーナー、製作はジャック・L・ワーナー、撮影はリチャード・H・クライン、編集はフォーマー・ブラングステッド、衣装&美術はジョン・トラスコット、音楽はフレデリック・ロウ、音楽監督&指揮はアルフレッド・ニューマン。
出演はリチャード・ハリス、ヴァネッサ・レッドグレイヴ、フランコ・ネロ、デヴィッド・ヘミングス、ライオネル・ジェフリーズ、ローレンス・ネイスミス、ピエール・オラフ、エステル・ウィンウッド、ゲイリー・マーシャル、アンソニー・ロジャース、ピーター・ブラミロウ、スー・ケイシー、ゲイリー・マーシュ、ニコラス・ビューヴィー他。
1960年に初演された同名のミュージカルを基にした作品。
監督は『南太平洋』『ミスタア・パルバー』のジョシュア・ローガン。脚本は舞台版に引き続いてアラン・ジェイ・ラーナーが担当。
アカデミー賞で編曲賞&衣裳デザイン賞&美術賞を受賞している。
アーサー王をリチャード・ハリス、グエナヴィアをヴァネッサ・レッドグレイヴ、ランスロットをフランコ・ネロ、モードレッドをデヴィッド・ヘミングス、ペリノーをライオネル・ジェフリーズ、マーリンをローレンス・ネイスミス、ダップをピエール・オラフが演じている。
基本的には出演者の歌声をそのまま使用しているが、ランスロットの歌唱パートはジーン・メルリノが担当している。ミュージカル映画なので、もちろん何度も歌唱シーンがある。
まずはアーサーが木に登っているシーンで、『I Wonder What the King is Doing Tonight』を歌う。続いて城へ向かっているグエナヴィアが、『The Simple Joys of Maidenhood』を歌う。
アーサーはグエナヴィアから一緒に逃げようと誘われ、『Camelot』でキャメロット王国の素晴らしさを歌う。ランスロットはアーサーの騎士になると決意し、『C'est Moi』を歌いながら移動する。
五月祭では、グエナヴィアが『The Lusty Month of May』を歌う。グエナヴィアがライオネルたちを言葉巧みにそそのかすシーンでは、『Then You May Take Me to the Fair』が歌われる。
アーサーが「女を扱う方法は学んでないグエナヴィアの扱い方が分からない。」とマーリンに呼び掛けるシーンでは、『How to Handle a Woman』を歌う。
その後も歌唱パートは何度も用意されているが、ダンスが付随しているシーンは一切無い。また、MGM映画のような「ミュージカルパートになると舞台装置が切り替わる」といった演出も無い。
ここは完全に個人的な好みの問題になってしまうが、ダンスが無いせいで、見せ場だと感じるようなミュージカルシーンは無かったなあ。まだ最初の内は何も不穏な出来事が起きていないので、ミュージカルパートも全て明朗快活だ。
しかし、何しろ冒頭で「アーサーが戦う向こう側にグエナヴィアがいる」という状況を提示しているので、どこかのタイミングで転換があることは誰にでも分かるだろう。
っていうかアーサー王伝説に詳しい人なら、何が起きるのかは良く御存知のはずだ。
この映画はアーサー王の偉大さを描く成功物語ではない。
MGMミュージカルのような明るく楽しい映画ではなく、悲劇的な結末が待ち受けている。ランスロットが円卓の騎士の訓練についてグエナヴィアに熱弁し、「心の修行に終わりはありません」と語る。するとグエナヴィアは、つまらなそうな様子を見せる。
どうやら、ランスロットを「謙虚さが足りず、鼻持ちならない男」と感じたらしい。
だけど、そんな男には全く思えないんだよね。ただ生真面目で熱すぎる男だとしか感じない。
なので、そこから「グエナヴィアがライオネルたちをそそのかし、ランスロットを倒させようと目論む」という展開になるのは、話の進め方に無理を感じてしまう。グエナヴィアはライオネルに、「祭りの付き添いにと言ったけど、ランスロットと行くことになりそうよ。彼のように強い男を伴うのは当然だわ」と吹き込む。
そしてライオネルが「彼を倒させて下さい。叩き潰す。酷い目に遭わせる。フランスに追い返す」と言うと、彼女は嬉しそうな表情を浮かべる。
ディナダンとサグラモアにも同じような策略を仕掛け、ランスロットを排除させようとする。
ただの酷い女じゃねえか。
しかも、ディナダンたちは「試合で勝つ」というだけでなく、「突き刺して体に風穴を開ける」とか「バラバラに切り裂く」とか、ようするに殺害を宣言しているのに、それをグエナヴィアが嬉しそうに聞くんだから、どんだけ残酷なんだよ。グエナヴィアが「アーサーを支える立派な妻」としての姿を全く見せず、むろし面倒ばかり掛ける厄介な女になっている。
そんな状態のままで浮気する展開に突入するので、情状酌量の余地を全く感じさせない。ひたすら「アーサーが可哀想」と思うだけだ。
それじゃマズいだろう。
苦悩と葛藤の上質な恋愛劇ではなく、安っぽい痴話喧嘩、呆れた痴情のもつれと化している。
どこかで変化が起きるのかと思ったが、最後まで安っぽさは消えないままだ。死んだはずのディナダンが、ランスロットが手を取って祈ると息を吹き返すのは、どういうことなのかと言いたくなる。っていうか物語としても、どういう意味を持つシーンとして用意されているのかと。
内容からすると、「ランスロットが奇跡を起こしたので、周囲の面々の彼に対する意識が変わる」という意味合いのシーンなのかと思った。ところが実際には、グエナヴィアとランスロットが恋に落ちるシーンになっているのだ。
だったらディナダンの蘇り事案は何なのかと。
っていうかディナダンを復活させたランスロットとグエナヴィアが見つめ合い、そこで恋に落ちるって、どんなタイミングだよ。アーサーはグエナヴィアとランスロットの裏切りに気付き、深く傷付く。しかし激しい怒りを覚えながらも、泣きながら「この苦しみと共に生きる」と辛い決断をする。
そんな風に彼は苦悩するのに、グエナヴィアとランスロットは遠慮も揺らぎも皆無だ。罪悪感も無く、平気で深い仲になる。
2人が悩んだり苦しんだりするのは、「バレたらどうしよう」とか「もう会えなくなったらどうしよう」ということだ。
完全に自分勝手なことばかりで、「アーサーを裏切っている」という罪悪感や苦悩は全く見せない。2時間ぐらい経過した辺りで、アーサーのモードレッドが登場する。表向きは腹違いの弟だが、実際は息子だ。
こいつは後半の展開で鍵となる人物なのだが、前半から登場させておいた方がキャラの出し入れとしては整っている。
それはともかく、そんな彼はランスロットの浮気の証拠を掴み、断罪しようとする。浮気がバレたランスロットは捕まえに来た兵士たちを殺して逃亡し、残されたグエナヴィアは火刑の処分を下される。
ランスロットは彼女の奪還に戻り、大勢の騎士と衛兵を殺害する。そのまま放置するわけにもいかず、アーサーは戦を宣言するのだが、全てはグエナヴィアとランスロットのせいなのよ。いよいよ戦が始まる直前になってランスロットはアーサーを呼び出し、城に戻ると申し出る。だけど、もう何もかも遅すぎるのよ。
そんで、自分を裏切った上に大勢の兵士を殺した相手なのに、アーサーはランスロットを逃がしてやる。そしてグエナヴィアが修道尼になることも認める。
慈悲深いアーサーのおかげで、問題は解決しているのだ。
最後の最後になってグエナヴィアは反省の弁を語るけど、「今さら」でしかない。
ホントにグエナヴィアとランスロットがドイヒーすぎて、どうにもならんのよ。(観賞日:2025年3月27日)