『偶然の恋人』:2000、アメリカ

バディー・アマラルは、ロサンゼルスの広告代理店を友人ジム・ウィラーと共に経営している。ある時、彼はシカゴに出張し、大手航空会社インフィニティとの契約を取り付けた。バディーはロスに戻ろうとするが、オヘア空港では雪のために運休が相次いでいた。
バーで時間を潰していたバディーは、テレビ番組の構成作家グレッグ・ジャネロと知り合った。グレッグは子供のバザーに参加するために家に帰りたがっていたが、彼が乗る予定だった飛行機は運休となっていた。バディーは、バーで知り合ったミミと一夜を共にしたいという下心もあって、自分の航空券をグレッグに譲ることにした。
ミミと一夜を過ごしたバディーは、自分が乗るはずだったインフィニティーの82便が墜落し、乗客・乗務員が全員死亡したことを知る。バディは友人のインフィニティー社員ジャニスに頼んで、自分とグレッグの搭乗者名簿を差し替えてもらった。ロスに戻ったバディーはアルコール依存症となり、治療センターに入院して治療を受けることになった。
治療開始から1年後、バディーは仕事に復帰した。彼は新しい部下セスから、アルコール依存症への責任感が無いことを軽くたしなめられ、治療プログラムを読むよう言われる。プログラムには、「迷惑を掛けた人に償いをする」という項目があった。
バディーは、グレッグの未亡人アビーに会いに出掛けた。彼女は不動産会社で働きながら、2人の息子スコットとジョーイを育てていた。バディーは不動産を探す客として、アビーに接触した。自分がグレッグに航空券を渡したことは話さなかった。
ちょうどジムから新事務所を探していると聞かされていたバディーは、アビーに不動産契約の仕事を依頼した。バディーはアビーから誘われ、一緒に大リーグの試合を観戦した。バディーは真実を話さないまま、アビーと惹かれ合うようになる。
やがてバディーは、アビーに事実を打ち明けようと決意した。しかし、バディーが話す前に、アビーは事実を知ってしまう。出張でロスに来たミミが、空港で撮影したビデオをアビーに見せたのだ。アビーは家を訪れたバディーに、2度と来ないでほしいと告げて追い返した…。

監督&脚本はドン・ルース、製作はスティーヴ・ゴリン&マイケル・ベスマン、共同製作はアラン・C・ブロムクイスト&ボビー・コーエン、製作総指揮はボブ・ウェインスタイン&ハーヴェイ・ウェインスタイン&ボブ・オーシャー&メリル・ポスター、撮影はロバート・エルスウィット、編集はデヴィッド・コドロン、美術はデヴィッド・ワスコ、衣装はピーター・ミッチェル、音楽はマイケル・ダナ、音楽監修はランドール・ポスター。
出演はベン・アフレック、グウィネス・パルトロウ、ジョー・モートン、ナターシャ・ヘンストリッジ、トニー・ゴールドウィン、ジョニー・ガレッキ、アレックス・D・リンツ、デヴィッド・ドーフマン、ジェニファー・グレイ、キャロライン・アーロン、サム・ロバーズ、マイケル・ラスキン、メアリー・エレン・ライオン、ファン・ガルシア、ニコール・トカンティンス、タイ・マーフィー、テア・マン他。


『熟れた果実』で監督デヴューを果たしたドン・ルースの、監督2本目の作品。バディーをベン・アフレック、アビーをグウィネス・パルトロウ、ジムをジョー・モートン、ミミをナターシャ・ヘンストリッジ、グレッグをトニー・ゴールドウィン、セスをジョニー・ガレッキが演じている。
他に、スコットをアレックス・D・リンツ、ジョーイをデヴィッド・ドーフマン、ジャニスをジェニファー・グレイ、アビーの友人ドナをキャロライン・アーロンが演じている。また、アンクレジットだが、マンデル検察官をデヴィッド・ペイマーが演じている。

『ルームメイト』、『ボーイズ・オン・ザ・サイド』、『熟れた果実』と女性を主人公にした脚本を手掛けて来たドン・ルース。今回は男性が主人公かと思いきや、やっぱり女性が主役だった。
ただし、それは意図したものではなく、たぶん「本当はバディーが主人公のはずなのに、結果的にアビーが主人公になってしまった」ということだろうと思われる。
ようするに、話の構成としては、バディーが主人公で、それを受けるアビーがいるという形なのだ。
ところが、観賞した結果は、アビーの魅力ばかりが伝わってきてバディーは何の魅力も無い男だという印象しか残らないので、アビーが主役になってしまうということだ。

序盤、飛行機事故があったとアビーが知ってからのシークエンスは、観客を惹き付ける。グウィネス・パルトロウは夫の無事を信じる気持ちと「もしかしたら」という不安の狭間で揺れ動く気持ち、冷静に対処しようとしながらも動揺が隠せない様子を見事に表現する。

さて、一方のバディーだが、彼が事故の後に酒に溺れていく経緯は、バッサリと省略されている。インフィニティーの広告が感傷的だと文句を付けるイヤな態度を示した後、いきなり「泥酔して授賞式でスピーチをする」というシーンに飛んでしまう。泥酔している姿を見せるだけでは、罪悪感による苦悩ではなく、堕落しか感じられない。
いや、そもそも彼は、罪悪感を感じていないのだろう。何しろ仕事に復帰した後、セスに対して「アルコール依存は病気だから自分に責任は無い」と、責任感の欠如を露呈する言葉を語っているし。
ということは、演出よりもシナリオに問題があるということになる。
まあ、演出も脚本も同じ人だから、どっちにしてもドン・ルースの責任だが。

バディーが登場した時にイヤな感じの男なのは、別に構わない(グレッグがいい人なので、余計にバディーがイヤな感じなのが目立つ)。しかし、事故が起きた後、退院した後も、何の魅力も感じられないような男だというのは、大きな問題だろう。

バディーはアビーに会いに行くが、不審者だと思われて犬を放され、ズボンを破られる。ここでバディーはアビーを怒鳴り付けるのだが、その態度は違うだろう。そこは自分に非が無くても、アビーが詫びているのだから「いや、いいんだ」と言うべきだろう。
そもそも、バディーはグレッグのことを打ち明けるために、アビーに会ったはずだ。それが、どうして打ち明けなかったのか。彼の態度からは、一目でアビーに惚れたようには思えない。打ち明けようとしたが、言い出しにくくなったという描写も見られない。

バディーが最初にアビーに打ち明けなかった理由は、良く分からない。そこで例えば、「グレッグのことを打ち明けようとするが、ためらっている内にアビーが喋り、その言葉を聞いて言い出せなくなる」という流れでもあれば、納得できるのだが。
アビーは不動産契約が決まった直後にバディーの元を訪れ、デートに誘う。ってことは、その段階でアビーはバディーに好意を抱いているということだろう。しかし、そこまでの話の中で、アビーが惹かれるような、いい男っぷりをバディーが見せた場面は無い。

アビーがグレッグのことを語る様子からは、まだ彼女が夫への強く想いを抱いていることが分かる。それでも自分からデートに誘うぐらいだから、よっぽどバディーに魅力を感じたはずなのだ。しかし、どこに魅力を感じたのか、サッパリ分からない。

バディーはアビーに誘われてデートして、その日の内にキス。早いなあ。バディーの罪悪感がストッパーとして働いていないが、そんなに簡単でいいのかしらん。その後でセスに「アビーから電話があったら留守だと言え」と告げるのは、自分にストップを掛けているというより、冷たい態度に見える。ストッパーの使い所が違うんじゃないか。
その直後、バディーがアビーに対して遠回しに深入りする気がないことを告げる場面でも、彼の態度が冷たく見える。ただし、その辺りはシナリオや演出ではなく、芝居の問題。台詞回しや表情の変化によって、同じ言葉でも印象は変わっただろう。

ベン・アフレックは、ここぞという場面では、口を半開きにして、ほとんど顔の筋肉を使わない。わざとそういう演技をしているのかもしれないが、根っからのアクション俳優が珍しくロマンス映画に出たのかと思うような芝居っぷりだ。
ようするに、浅いってことだ。

アビーの方には優しさや哀しみが感じられるが、バディーには全くといっていいほど感じない。アビーが真実を知らない以上、苦悩や葛藤はバディーが担当せねばならないはずだが、シナリオもベン・アフレックの芝居も、それを表現しようとしない。
一方でアビー&グウィネス・パルトロウは、立ち直ろうと努力する女の辛さを表現する。

ただし話の作り方として、そうなっているという部分はある。アビーが喋って、それをバディーが聞いているというパターンが多いのだ。バディーは無言でシリアスに受けるという場面が多いため、どうしても同じパターンの繰り返しになってしまうという所はあるのだ。
しかし、バディーの苦悩が見えないと、彼とアビーが仲良くしている時間が垂れ流されるだけになってしまう。そこは友人を上手く利用すべきだろう。バディーにはジム、アビーにはドナという友人がいるのだが、そういった脇役の存在感が薄すぎる。

例えばジムには、バディーとグレッグの事情を知らせておく。そして話の途中で、ジムが「アビーに本当のことを打ち明けるべきでは」と言い、バディーが「真実を話して嫌われるのが怖い」と語らせる。
そうすれば、バディーの受けの芝居が繰り返されるという問題を少しは軽減できたはず。
バディーの心の内は、言葉にしないとなかなか分かりづらいからね。

 

*ポンコツ映画愛護協会