『50回目のファースト・キス』:2004、アメリカ

水族館「シーライフ・パーク」で獣医をしているヘンリー・ロスは、色んな女と一夜だけの関係を楽しむプレイボーイだ。縛られるのが嫌 なので、よそ者の女にしか声を掛けないようにしている。別れる際には、いつも適当な嘘をデッチ上げている。彼は親友ウーラと一緒に船 の準備をしており、それが完成したらセイウチの生態を研究するため1年の予定でアラスカへ行くことを計画している。
ある日、ヘンリーがオアフ島の近くを航海していると、船のマストが壊れてしまった。船が直るまで、彼はスーとニックの夫婦が営む店 「フキラウ・カフェ」に立ち寄って軽食を取ることにした。そこでヘンリーは、ルーシーという女性がワッフルで遊んでいるのを目にした 。翌日、ヘンリーが再び店を訪れると、また彼女はワッフルで遊んでいた。ヘンリーはルーシーに声を掛け、親しくなった。父も弟ダグも 漁師だというルーシーは、ヘンリーが語る海洋生物の話に関心を示した。
ルーシーは「今日はパパの誕生日だから」と言い、家に帰ることを告げる。別れる際、彼女はヘンリーに「明日も同じ時間、一緒に朝食を 食べましょう」と持ち掛けた。ヘンリーはウーラとゴルフに出掛け、彼から「旅に来た女税理士ノリーンと知り合った。口説きに行け」と 促された。一度は遠慮したヘンリーだが、「やっぱり地元の子はやめよう」と考え、夜にノリーンと会った。しかしディナーの最中に ルーシーの顔が脳裏をよぎり、ヘンリーは一夜の関係に誘ってきたノリーンに別れを告げた。
翌朝、ヘンリーはカフェへ行ってルーシーに話し掛けるが、「貴方に会った覚えは無い」と気味悪がられる。困惑するヘンリーをスーが外 に連れ出し、「あの子は1年前に車の事故に遭って、記憶障害になってしまった」と説明する。事故に遭うまでの記憶はあるが、新しい 出来事は一晩で忘れてしまう。毎朝起きる度に、ルーシーは事故に遭った10月13日を繰り返しているのだという。
ルーシーが読んでいる新聞は、父のマリーンが何部も用意している特注品で、10月13日の日付になっている。彼女が帰宅すると、マリーン はアメフトの試合が録画されたテープをテレビに流し、10月13日を偽装する。ルーシーは父の誕生日を祝い、『シックス・センス』の ビデオをプレゼントして観賞する。マリーンとダグは毎日見ているが、ルーシーに付き合っている。1年前からずっと、マリーンとダグは ルーシーのために同じことを繰り返してきたのだ。
ヘンリーはウーラに、ルーシーのことを話した。ウーラは「お前にピッタリじゃないか。毎日遊んでも後腐れが無い」と言うが、ヘンリー は「そんなのは卑劣だ」と顔をしかめる。翌朝、ヘンリーはカフェへ行ってルーシーを口説こうとするが、あえなく失敗する。それでも彼 は諦めず、次の日も挑戦した。3度目のチャレンジで、ヘンリーはルーシーと会話を交わすところまで漕ぎ付けた。
スーから電話で知らされたマリーンとダグはヘンリーに会い、「ルーシーに関わるな。二度とカフェには近付くな」と鋭く告げる。そこで ヘンリーはカフェには行かず、ルーシーが車を走らせるルートで待ち伏せし、彼女に声を掛ける作戦に切り替えた。その作戦も、やがて マリーンたちに気付かれた。しかしマリーンたちの反応は、前回とは異なっていた。彼らはヘンリーを家に連れて行き、ルーシーが鼻歌を 口ずさんでいる様子を密かに見せた。ヘンリーと会った日だけ、両親の思い出の曲を歌うようになったのだという。
ヘンリーはカフェでルーシーに声を掛け、会話を交わそうとする。だが、警官に車の違反切符を切られたことがきっかけで、ルーシーは 今日が10月13日ではないことを知ってしまう。大量に用意された新聞を発見したルーシーに、マリーンは事実を打ち明けた。ショックを 受けたルーシーを、ヘンリーたちはキャラハン研究所へ連れて行く。主治医のキーツは、ルーシーの記憶障害が一生直らないことを説明し 、「貴方はマシな方だ」と告げて重症患者のトムに会わせた。トムは10秒しか記憶が持続しない患者だった。
ヘンリーがルーシーを家まで送ると、彼女は「明日も最初から始めるのは大変でしょ。百合の花を話題に使って。私の一番好きな花よ」と 教えた。今のままではいけないと考えたヘンリーは、別の方法を試してみようと考えた。翌朝、彼は「隠れファンからの贈り物」と称し、 ルーシーに百合の花とビデオテープを届けた。そのテープには、ルーシーの病気に関する説明と、ヘンリーからの愛のメッセージが録画 されていた。ルーシーはビデオを見て落ち込むが、しばらくすると立ち直り、ヘンリーと楽しい時間を過ごした。
それ以来、ルーシーは目覚めると「グッド・モーニング、ルーシー」と書かれたビデオテープを観賞し、ヘンリーが彼女を口説いて親密な 時間を過ごすという日々が続いた。やがてヘンリーはルーシーと肉体関係を持ち、プロポーズする。ルーシーは喜んで承諾し、2人は同じ ベッドで翌朝を迎えた。しかし目が覚めるとルーシーはヘンリーのことを覚えておらず、パニックになって彼を殴り飛ばす。ルーシーは 自分の部屋に入り、ビデオを見た。部屋から出てこようとしたルーシーは、ヘンリーがアラスカに行く予定を自分の傍にいるために中止 したと知る。ルーシーはヘンリーの未来を考え、彼に別れを告げる…。

監督はピーター・シーガル、脚本はジョージ・ウィング、製作はジャック・ジャラプト&スティーヴ・ゴリン&ナンシー・ジュヴォネン、 共同製作はラリー・ケナー&スコット・バンクストン、製作協力はケヴィン・グレイディー、製作総指揮はダニエル・ルピ&マイケル・ ユーイング&ジェイ・ローチ、撮影はジャック・グリーン、編集はジェフ・ガーソン、美術はアラン・アウ、衣装はエレン・ラッター、 音楽はテディー・カステルッチ、音楽監修はマイケル・ディルベック。
出演はアダム・サンドラー、ドリュー・バリモア、ロブ・シュナイダー、ショーン・アスティン、ダン・エイクロイド、ルシア・ストラス 、ブレイク・クラーク、エイミー・ヒル、アレン・コヴァート、マーヤ・ルドルフ、ネフィ・ポマイカイ・ブラウン、ジョー・ナカシマ、 ピーター・ダンテ、ドム・マグウィリ、ジョナサン・ラフラン、J・D・ドナルマ、ウェイン・フェダーマン他。


『ウェディング・シンガー』のアダム・サンドラーとドリュー・バリモアが再共演した作品。
ヘンリーをサンドラー、ルーシーをドリュー 、ウーラをロブ・シュナイダー、ダグをショーン・アスティン、キーツをダン・エイクロイド、アレクサをルシア・ストラス、スーを エイミー・ヒル、トムをアレン・コヴァート、マーリンをブレイク・クラークが演じている。
監督は『ナッティ・プロフェッサー2/クランプ家の面々』『N.Y.式ハッピー・セラピー』のピーター・シーガル。

ヘンリーはカフェでルーシーを見掛けるが、その時はそれだけで終わる。
そこで「話し掛ける」という行為に出ず、次に持ち越すのは、無駄に手間を掛けているだけにしか感じない。
同じシーンで、さっさと声を掛けるべきだ。
その「出会う」から「声を掛ける」までの間に描かれている事柄をどうしても処理したいのなら、ヘンリーがカフェへ行く前に片付けて しまえばいいだけのことだ。

ヘンリーがウーラとゴルフをしている最中、ゴルフボールを捜しに浜へ行ってルーシーと再会するシーンがあるので、「ここで同じ日に 彼女と再会させるのは構成として失敗だなあ。
次に出会うのは、ルーシーがヘンリーの記憶を失った翌日にすべきだよ」と思っていたら、それは「ヘンリーが自分のゴルフを頭に当てて 失神している間に見ている妄想」という設定だった。
だけど、それはそれで要らない。
どうして、そんな余計なモノを挟むのかな。

ルーシーが積極的に迫って来た妄想を頭に思い浮かべて、ヘンリーが「やっぱり地元の子はやめよう」と漏らすのだが、そんな妄想を 入れなくても、それは出来ることだろう。
その後、ノリーンと会っている時もルーシーの顔がチラついたためにヘンリーが店を去るという展開があるが、その段階で、そこまで強く ルーシーを意識する必要は無いだろう。
そこは「ノリーンをモノにしようとするが、トラブルが発生して散々な目に遭う」という風に、ギャグで処理すればいい。

ヘンリーがスーからルーシーの病気を知らされた後、帰宅したルーシーのためにマリーンとダグが10月13日を偽装する様子に移るが、その 前に、事実を知らされたヘンリーが再びルーシーを見るカットか、再び彼女に声を掛けるカットが必要だろう。
そのヘンリーはウーラに「(ルーシーは)毎日遊んでも後腐れが無い」と言われると「そんなの卑劣だ」と口にするが、今まで嘘を並べて 女と遊びまくっていた男が、そこだけ急に真面目になるのは違和感がある。
そこは、「最初はウーラの意見に賛同し、後腐れ無く遊ぼうと接近したが、ルーシーのピュアな心に触れて考えが変化する」という形の方 がいいんじゃないか。

ヘンリーがルーシーを車の通り道で毎朝待ち受ける様子はダイジェストで描写されるが、そこには「せっかく親しくなっても、次の日は 一から関係をやり直さなきゃいけない」ということが全く表現されていない。
ただ単に「様々な作戦を使って、毎朝ルーシーに声を掛けている」というだけに感じる。
「親しくなっても翌日は最初から」というのは虚しい作業のはずなのに、そういうのは無い。

ヘンリーからしてみれば、長い時間を掛けてルーシーとのセックスに至っているのだが、ルーシー側から考えると、それはヘンリーを認識 した初日の出来事だ。
つまり、彼女はヘンリーを知った当日に体を許しているわけで、「それって尻軽じゃね?」と思ったりする。
あと、そこでヘンリーがプロポーズして、そのまま翌朝を迎えるのは、あまりにも無神経に感じる。
「僕のこと覚えてない?」とか言ってるけど、覚えてないに決まってるだろ。
何を今さら言ってんのかと。
急に治るわけが無いでしょ。

「ルーシーが目覚めると、ビデオテープにはヘンリーとの結婚式が録画されており、部屋を出ると船の上で、ヘンリーと娘が待っている」 という結末は、たぶん製作サイドとしてはハッピーエンドとして描いているんだろう。
だが、私にはヘンリーのエゴとしか感じられなかった。
娘がいるってことは、ルーシーには「目覚めたらお腹が大きい」とか「目覚めたら赤ん坊がいる」という時期もあったわけで、その衝撃は 、ビデオを見て用意に受け入れられるものではないと思うのだ。
それに、娘は自分の記憶が全く無い母親に育てられることになるわけで。
その娘の今後の人生を考えると、不憫で仕方が無い。

(観賞日:2010年11月14日)


第27回スティンカーズ最悪映画賞

ノミネート:【最悪の言葉づかい(女性)】部門[ルシア・ストラス]

 

*ポンコツ映画愛護協会