『イエロー・ハンカチーフ』:2008、アメリカ

6年の刑期を終えて刑務所を出たブレットだが、出迎えに来てくれる人は誰もいなかった。街に出た彼はダイナーに立ち寄り、ビールを 注文した。彼は向かいの道路に停まっているバスに気付き、ウェイトレスに「あのバスはどこまで行くんだ?」と尋ねた。ウェイトレスは 「ハミルトンまでよ。もっと南へ行きたければ、川を渡るといいわ。ローカルバスが出てるから」とブレットに教えた。
店には先住民を名乗るゴーディーという青年が来ていた。恋人と喧嘩した15歳の少女マーティーンが店に入って来ると、彼は軽い口調で 話し掛けた。マーティーンは苛立った様子を見せる。恋人が来て和解しようとすると、マーティーンは彼に当て付けるように、ゴーディー に向かって「デートしない?」と持ち掛けた。ブレットが店を出ると、バスは出発した後だった。ブレットが船着き場で佇んでいると、 ゴーディーとマーティーンが車でやって来た。ブレットはマーティーンに、「くよくよ考えない方がいいぞ」と告げた。
ゴーディーはカメラを構え、マーティーンにポーズを取るよう促した。マーティーンはブレットに手伝ってもらい、ポーズを取った。彼女 は「車に乗ってけば?川を渡りたいけど、彼と2人じゃ嫌なの」と誘う。大雨の中で川を渡った3人は、モーテルで一泊することにした。 ブレットはモーテルにある郵便ポストにハガキを投函する。部屋に入ったブレットは、「バスルームを使い終えたら、俺はそこで寝る」と 言う。マーティーンの携帯に、父親から連絡が入った。彼女は父親と話した後、一人になって涙をこぼした。
ブレットがバスルームに入った後、マーティーンがベッドで眠ろうとすると、ゴーディーが隣に横たわった。彼は「ムラムラして、妄想 してしまう。君がキスしてくれたら、妄想も消えるんだけどな」と口にした。マーティーンは苛立った表情を浮かべて「そんなことで妄想 が消えるの?」と声を荒げ、彼にキスをした。我慢できなくなったゴーディーが襲い掛かろうとするので、マーティーンは突き飛ばした。 バスルームから出て来たブレットは、ゴーディーに「お前はバスルームで寝ろ」と命じた。
翌朝、ブレットが「ここからはバスで行く」と口にすると、マーティーンが「私もそうする」と言う。2人はゴーディーに停留所まで 送ってもらい、そこで彼と別れた。ブレットはマーティーンに「仕事は?」と訊かれ、「メキシコ湾の沖で石油採掘の仕事をしてた」と 答える。彼が父親について尋ねると、マーティーンは「彼女がいるみたいなの。絶対に話さないけど」と言う。ゴーディーが戻って来て、 「ラジオで聞いたら、交通機関が全てストップしてる。助けてあげようと思ってさ」と2人に告げた。
ブレットから「なぜ旅をしてるんだ」と訊かれたゴーディーは、「新しいものが見たくて」と述べた。彼は「ニューオリンズで親父に 会おうかな」と口にする。ブレットがトイレに行っている間に、ゴーディーはマーティーンに「知らない奴だし、置いて行ってもいいん じゃないか」と持ち掛ける。しかしマーティーンは」「私は、もう知ってる。こんな場所に置いていけないわ」と反対した。
ゴーディーの車で3人は出発するが、途中で道に迷ってしまう。ゴーディーは「君がちゃんと地図を見ないからだ」とマーティーンを責め 、2人は言い争いになった。ゴーディーはザリガニで腹を下し、トイレを借りるために無人のガソリンスタンドへ駆け込んだ。ブレットが オイル漏れに気付くと、ゴーディーは「修理するよ」と言う。マーティーンが「情けない男よ」と彼を批評すると、ブレットは「幼いから 、君の魅力に我慢できないだけだ」と告げる。ブレットはゴーディーに、「女は男の内面に惚れるんだ」と説いた。
車が直ったので、翌朝に3人は出発する。ブレットは「次の町で降ろしてくれ。この辺りで仕事があるか調べたい」とゴーディーに頼む。 彼が雑貨店に立ち寄って買い物をしている間に、ゴーディーは隣に停車していた車上生活者の車に小さな傷を付けてしまう。夫婦の男に ゴーディーが殴られているところへ、ブレットが戻って来た。彼は男を叩きのめすと、ゴーディーとマーティーンを車に乗せて発進する。 しかし通報によって、パトカーが追って来た。ブレットは無免許運転であること、刑務所に入っていたことを警官に説明した。
ブレットが連行された警察署には、彼を知っているファーンズワース刑事がいた。すぐに釈放されたブレットが警察署の外に出ると、 マーティーンとゴーディーは車で待っていた。2人はブレットを車に乗せ、また3人での旅となった。マーティーンから「なぜ刑務所に 入ってたの?」と訊かれ、ブレットは「人を死なせたからだ」と答えた。ゴーディーから「刑務所は、それが初めて?」と質問され、彼は 「いや、3度目だ。1度目は、14歳の時に高額の競走馬を馬小屋から逃がした。2度目に捕まったのはドラッグだった」と述べた。
ブレットは2人に、人生をやり直そうと思って故郷を出たことを明かす。彼は南へ行き、石油採掘現場の作業員として働き始めた。仕事が 一段落すると2週間は陸に上がり、また仕事に戻るという生活が続いた。陸にいる2週間はボーッとしているだけで、自分が生きているか 死んでいるかさえ分からなくなった。そんな日々が続く中で、彼はメイという女性と出会い、やがて結婚した。メイは妊娠するが、流産 してしまった。ブレットはメイか過去に中絶していたことを知り、激しい怒りを覚えた…。

監督はウダヤン・プラサッド、原案はピート・ハミル、脚本はエリン・ディグナム、製作はアーサー・コーン、製作協力はジャニーン・ エッケンスタイン&サミュエル・フォーク&エスター・グレザー&アネッタ・グリサード、共同製作はボー・マークス、製作総指揮は リリアン・バーンバウム、撮影はクリス・メンゲス、編集はクリストファー・テレフセン、美術はモンロー・ケリー、衣装はキャロライン ・エスリン=シェイファー、音楽はイーフ・バーズレイ&ジャック・リヴジー、音楽監修はスーザン・ジェイコブス。
出演はウィリアム・ハート、マリア・ベロ、クリステン・スチュワート、エディー・レッドメイン、 桃井かおり、エマニュエル・K・コーン、ヌリス・コーン、ヴェロニカ・ラッセル、グローヴァー・コールソン、リーシャ・ブロック、 ルーシー・アデア・ファウスト、ジョン・グレゴリー・ウィラード、レベッカ・ニューマン、ロス・ブリッツ、マーシャル・ケイン、 エイミー・フォーティア、ロス・フランシス、ダグラス・M・グリフィン、ジェフ・ギャルピン、アシュリン・ロス、タナー・ギル他。


山田洋次監督が1977年に撮った映画『幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ』をハリウッドでリメイクした作品。
監督は『天使にさよなら』のウダヤン・プラサッド。
ブレットをウィリアム・ハート、メイをマリア・ベロ、マーティーンをクリステン・スチュワート、ゴーディー をエディー・レッドメインが演じている。
『幸福の黄色いハンカチ』でマーティーンのポジションに当たるキャラクター、小川朱実を演じていた桃井かおりが、モーテルのオーナー 役で出演している。

大まかな内容は、ほぼ『幸福の黄色いハンカチ』をなぞっている。
武田鉄矢の演じた花田欽也がカニにあたって腹を壊すという展開も、カニをザリガニに変えて踏襲している。
『幸福の黄色いハンカチ』で高倉健が演じた島勇作は元炭鉱夫という設定だったが、さすがに同じ職業設定というわけにはいかないので、 そこは石油採掘現場の作業員に変更されている。
ただし、トラブルになった相手を殴って車を運転するのも、無免許運転で逮捕されるのも、警察署に知り合いの刑事がいて釈放されるのも 、若い頃にも刑務所へ入ったことがあるのも、奥さんが流産するのも、過去の中絶を知って腹を立てるのも、全て『幸福の黄色いハンカチ 』と同じだ。

そんな風に、ほぼ『幸福の黄色いハンカチ』をなぞっているにも関わらず、その脚本を書いた山田洋次&朝間義隆の名前が原作者として 表記されないのは、大いに引っ掛かる。
オープニング・クレジットには、「story」の担当者としてピート・ハミルの名前だけが表記される。
『幸福の黄色いハンカチ』はピート・ハミルのコラムを下敷きにした作品だから、それは間違った表記じゃない。
ただ、この映画は明らかに『幸福の黄色いハンカチ』を脚色して作られている。
それなのに、クロージング・クレジットのスペシャル・サンクスの中に山田洋次の名前があるだけってのは、いかがなものかと思うぞ。

ほぼ『幸福の黄色いハンカチ』をなぞっていると上述したが、だからと言って完全にコピー&ペーストというわけではない。
細かく見ていけば、変更されている箇所は幾つもある。
例えば主人公と一緒に旅をするカップルの年齢設定は、オリジナル版より若い10代になっている。
ブレットとメイのキャラクター設定も、カップルの性格設定も違う。
また、オリジナル版にあったユーモラスな味付けは、完全に排除されている。

上の粗筋では触れなかったが、序盤からブレットが何度もメイのことを回想している。
ブレットが過去を語り始めるより随分と前に、彼とメイの出会いや初めてのキスなどのエピソードが詳しく描かれている。
そこはオリジナル版と大きく異なっている部分だ。
そんな風に変更された点が色々とある一方で、主人公が青年に絡んで来た男を殴り倒すシーンや、無免許運転で捕まるシーンは、むしろ 変更した方がいいと思うんだが、オリジナル版と同じ内容にしてある。

変更された箇所で良くなっていると思えるのは、刑務所に入るきっかけとなる人殺しのシーンぐらいだ。
オリジナル版だと、主人公は自分から喧嘩を吹っ掛け、殴って立ち去ろうとしたチンピラの後を追い掛けて捕まえ、頭を縁石にガシガシと 打ち付けて殺しているので、全く情状酌量の余地が無い。
このリメイク版だと、夫婦ゲンカの仲裁に入った男を突き飛ばしたら消火栓に頭を打ち付けて死んでしまうので、「誤って死なせて しまった」「不運な事故」という風に受け取れる。

他は全て、作品の質を落とす方向に作用している。
例えば若い男女のキャラにしても、オリジナル版ではドライな付き合いをする軽薄な連中だった。
しかしリメイク版では、どちらもシリアスな事情を抱えるキャラになっている。
オリジナル版では、ドライで軽薄だった男女が、主人公夫婦の関係に心を揺り動かされたり、再会を喜んだりすることで、その感動が増す ようになっていた。
しかし、リメイク版の2人はマジなキャラになっているので、感動のための落差や変化が弱くなってしまう。

特にメインの夫婦(ここではブレットとメイ)のキャラクター設定なんかは、オリジナル版と比較すると雲泥の差がある。
このリメイク版を見ると、オリジナル版のヒロインである光枝の、なんと魅力的なことか。
それは倍賞千恵子が素晴らしいということも大きいんだけどね。
ただ、オリジナル版みたいな男女関係って、アメリカ人には理解しにくいのかもしれないなあ。
『幸福の黄色いハンカチ』の勇作と光枝みたいに、「寡黙な男と奥ゆかしい女のカップル」「肉体関係の匂いが全く漂って来ないけど結婚 する男女」って、アメリカ映画だと、なかなかお目に掛からないもんなあ。

主人公とヒロインか初めて会話を交わしてから交際(結婚)までの経緯を、時間を掛けて丁寧に描いているのも、オリジナル版と大きく 違っている点だ。
しかし、こちらの方が丁寧に経緯を描いているのに、初めてマトモに会話を交わした後、結婚するまでの経緯をバッサリと削ぎ落として いるオリジナル版の方が、その男女関係に深みや厚みを感じるんだよね。
ブレットとメイがシャワールームで裸になって抱き合う様子をガラス越しに見せるシーンもあるけど、なんて繊細さに欠ける演出だろうか と呆れてしまった。
この映画に、そういう濡れ場的なシーンなんか要らないんだよなあ。
なんでもかんでも、見せればいいってモンじゃないのよ。

オリジナル版ではラストシーンが有名だが、そこは微妙に違った内容になっている。
メイは黄色いハンカチじゃなく、何十枚ものタオルやバンダナを吊るして待っている(ひょっとするとハンカチも混ざっているのかも しれないが、見た感じだと、サイズがハンカチより大きい生地ばかりだ)。
しかも、そこまでの手順に変更を加えたことで、そのラストシーンは違和感を抱かせるものになっている。

オリジナル版では、病院で妊娠検査を受けることにした光枝が、早く結果を知りたがる勇作に「妊娠が本当だったら、竿の先に黄色い ハンカチを上げておく」と言う。
そして勇作が帰宅すると、竿のてっぺんに黄色いハンカチが結び付けられている。
出所した勇作は、「まだ1人暮らしで待っててくれるなら、黄色いハンカチをぶら下げておいてくれ」というハガキを出す。
だからラストシーン、何十枚もの黄色いハンカチがたなびいているというところへ、ちゃんと繋がっているのだ。

ところが、このリメイク版では、妊娠検査の結果を伝えるために、メイはボートハウスに黄色い帆を上げている。
そしてブレットが出す手紙にも、「もし待っていてくれるなら、黄色い帆を上げておいてくれ」と記されている。
ってことは、ラストシーンでたなびくのは、絶対に黄色い帆じゃなきゃダメでしょ。
そこがハンカチーフでは、感動のシーンとして成立しないのよ。
『The Yellow Handkerchief』というタイトルであることを考えると、「妊娠検査の結果を黄色い帆で伝える」という前フリの時点で 間違っているのよね。

(観賞日:2013年2月26日)

 

*ポンコツ映画愛護協会