『ウィズ』:1978、アメリカ

幼稚園の先生をしている24歳のドロシーは、叔母エムと叔父ヘンリーの3人でハーレムに暮らしている。ホーム・パーティーが開かれた夜 、エムはドロシーに「そろそろ幼稚園を辞めて高校教師になったらどうか」と勧めた。だが、ドロシーは「子供たちが好きだから」と乗り気 ではない。内気で引っ込み思案なドロシーは、未だにニューヨーク125番街から南には足を踏み入れようとしない。そんなドロシーのこと を、エムは心配していた。
ドロシーは、「南へ行っても幸せになれるとは限らない」と消極的な態度を示した。エムは「外に飛び出して自分の場所を見つけないと」 と言うが、ドロシーの考えは変わらない。パーティーの後片付けをしていたドロシーは、愛犬トトが家の外に出たので追い掛けた。雪が 降り積もる中、ドロシーはトトを見つけた。だが、そこへ竜巻が襲い掛かり、ドロシーとトトは飲み込まれた。
ドロシーはネオンサインにぶつかり、見知らぬ場所に着地した。すると、壁に書かれていた絵の中から、大勢の男女が抜け出した。彼らは 「魔法を解いてくれた、ありがとう」とドロシーに礼を述べた。その男女はマンチキンと呼ばれる人々で、公園を取り仕切っていた。だが 、東の悪い魔女エバーミーンによって、今まで壁に閉じ込められていたのだ。
マンチキンはドロシーに、落下したネオンサインの下敷きになっているエバーミーンの姿を見せた。彼女が死んだため、マンチキンに 掛けられていた魔法が解けたのだ。マンチキンに迎えられ、ミス・ワンという婦人が現れた。彼女はドロシーに、エバーミーンが履いて いた銀の靴を与えた。そして「家に帰るまで絶対に脱いではいけない」と言い含めた。
ドロシーが「ここはどこですか」と尋ねると、ミス・ワンはオズの国だと答えた。家に帰りたいと願うドロシーに、彼女は「エバーミーン が死んで、この国の魔女は3人になった。1人は私だが、家に帰す力は無い。2人目は南のいい魔女グリンダだが、会うことは難しい。 3人目は西の悪い魔女イヴリーンで、エバーミーンの姉だ。貴方を帰してあげられるのは、この国の指導者である大魔法使いウィズだけ。 エメラルド・シティーにいるから、黄色いレンガ道を辿ればいい」と語った。
ドロシーが歩いていると、トウモロコシ畑に吊るされているカカシを発見した。カカシは4人のカラスに囲まれ、からかわれていた。 カカシは自分の足で歩きたいと考えるが、カラスたちは「お前の足は藁だから無理だ」とバカにした。ドロシーはカラスを追い払い、 カカシを下ろしてやった。倒れ込んだカカシは「やっぱりダメなんだ」と落ち込むが、ドロシーは「自分でダメだと思い込んでいるだけ。 勇気を持って」と励まし、カカシを立たせた。
カカシはドロシーに、「僕に知恵があったらカラスに騙されずに済んだのに」とこぼした。彼は帽子を脱ぎ、ボロクズの脳味噌を見せた。 ドロシーは「ウィズなら、きっと知恵をくれる」と言い、一緒にエメラルド・シティーへ行こうと誘った。だが、ドロシーはレンガ道を 見つけられずにいた。カカシがレンガ道を発見し、ドロシーは彼と連れ立ってエメラルド・シティーへ向かった。
閉鎖された遊園地を通り掛かったドロシーとカカシは、助けを求める声を耳にした。行ってみると、ブリキ人間が太った機械人形の下敷き になっていた。ドロシーたちがブリキ人間を助け出すと、すっかり錆付いていた。ブリキ人間は「痛くも痒くもない。作ってくれた博士は 心を入れ忘れた」と述べた。ドロシーが胸の小さな扉を開けると、中はがらんどうになっていた。ブリキ人間は、遊園地が閉鎖されて 見捨てられたことを語った。ドロシーは「ウィズに心を貰いにいきましょう」と誘った。
ドロシーたちが5番街を歩いていると、石のライオン像の目が追っていることにブリキ人間が気付いた。近付こうとすると像が割れて、中 からライオンが現れた。ライオンは「よくも触ろうとしたな」と恫喝するが、トトに足を噛まれると泣き出した。勇気が無くてジャングル を追放されたことをライオンが打ち明けるので、ドロシーは「ウィズに勇気を貰いにいきましょう」と誘った。
地下道で不気味な人形に襲われたドロシーたちは、何とか無事に通り抜けることが出来た。ケシの花・香水カンパニーの前を通り掛かった 時、ドロシーとライオンが香水の匂いで眠り込んでしまう。だが、ブリキ人間が泣き出すと、その涙を浴びて目を覚ました。ついに一行は、 エメラルド・シティーに到着した。門番は「通用口へ回れ」と言うが、銀の靴を見ると態度が一変し、門を開けた。
ドロシーたちが入国すると、ビルのてっぺんからウィズの声が響いた。彼は威嚇するような口調で、市民に命令を下していた。ウィズは銀 の靴を履くドロシーに気付き、彼女だけを建物に入れようとする。だが、ドロシーが「友達も一緒じゃなきゃ帰ります」と反発したため、 カカシたちの同行も認めた。部屋に通されると、そこには巨大な金属の頭があり、そこからウィズの声がした。
ドロシーから皆の願いを聞かされたウィズは、「イヴリーンを倒せば願いを叶えてやる」と告げた。納得できないドロシーだが、頭部の光 が消えたので、嘆願は諦めた。部屋を出て行くドロシーたちの姿を、目の部分の穴から一人の男が覗いていた。ドロシーたちが門番に イヴリーンの元へ行く方法を尋ねると、彼は床のマンホールを開けて「向こうから見つけてくれる」と告げた。
イヴリーンはフライング・モンキーたちを呼び寄せ、ドロシーを連れて来るよう命じた。ドロシーたちはフライング・モンキーの襲撃を 受けて捕まり、イヴリーンの住処に連行された。イヴリーンは銀の靴を返すよう要求するが、ドロシーは拒否した。するとイヴリーンは カカシの体を真っ二つに切断し、ブリキ人間をプレスし、ライオンを吊るし上げた。トトを焼却されそうになったドロシーは、「嫌なら靴 を渡せ」と言われ、応じようとする。
その時、カカシがドロシーに、スプリンクラーの作動レバーがあることを目配せで教えた。ドロシーは靴を脱ぐフリをして、レバーを 動かした。するとスプリンクラーの水を浴びたイヴリーンは、溶けて消えてしまった。ドロシーと仲間はフライング・モンキーたちに 送ってもらい、エメラルド・シティーに戻った。近道を教わって楽屋裏に入ったドロシーたちは、ウィズの正体がアトランティック・ シティーから来た単なる政治家ハーマン・スミスだと知る…。

監督はシドニー・ルメット、原作はL・フランク・ボーム、戯曲はウィリアム・F・ブラウン、脚本はジョエル・シューマッカー、製作は ロブ・コーエン、製作協力はバート・ハリス、製作総指揮はケン・ハーパー、撮影はオズワルド・モリス、編集はディード・アレン、美術 はトニー・ウォルトン、衣装はトニー・ウォルトン&マイルス・ホワイト、特殊メイクアップ・デザイナーはスタン・ウィンストン、 特殊視覚効果はアルバート・ウィットロック、振付はルイス・ジョンソン、音楽はチャーリー・スモールズ、音楽監修はクインシー・ ジョーンズ。
主演はダイアナ・ロス、共演はマイケル・ジャクソン、ニプシー・ラッセル、テッド・ロス、リチャード・プライアー、レナ・ホーン、 メイベル・キング、テレサ・メリット、セルマ・カーペンター、 スタンリー・グリーン、クライド・J・バーレット、デリック・ベル、ロデリック=スペンサー・シルバート、カシュカ・バンジョーコ、 ロナルド・“スモーキー”・スティーヴンス、トニー・ブレアロンド、ジョー・リン、クリントン・ジャクソン、チャールズ・ロドリゲス 、カールトン・ジョンソン他。


L・フランク・ボームの児童小説『オズの魔法使い』は、1939年にジュディー・ガーランド主演でミュージカル映画化された(邦題は 『オズの魔法使』)。使用曲『虹の彼方に』はアカデミー歌曲賞を受賞し、スタンダード・ナンバーとなった。
それまでにも何度か映画化されているが、『オズの魔法使い』の映画版と言えば、それが有名だろう。
1974年、『オズの魔法使い』をオール黒人キャストでリメイクしたミュージカル『ウィズ』がブロードウェイで上演され、トニー賞で 7部門を受賞した。17歳で主役に抜擢されたステファニー・ミルズも、一躍、注目を浴びることとなった。
そんな舞台劇を映画化したのが、この作品だ。
ジョエル・シューマカーが『カー・ウォッシュ』に続く2本目の映画脚本を執筆し、監督は『オリエント急行殺人事件』『狼たちの午後 』 『ネットワーク』のシドニー・ルメットが担当している。

当初は、映画版でもステファニー・ミルズがドロシーを演じるものと目されていた。
ところが、そこに割って入ったのが、スプリームズから独立し、ソロ歌手として活躍していたダイアナ・ロスだ。
エゴイストで自己主張の強い彼女が、映画版の主役に名乗りを挙げたのだ。
とは言っても、名乗りを挙げたからって、そう簡単に映画の主役になれるわけではない。
そもそも、手を挙げた時点でダイアナは33歳だった。原作のドロシーは少女であり、ステファニーも初演当時は17歳だ。
それは無理のある願いに思われた。

しかし、この当時のダイアナ・ロスには、無謀な望みを叶えてしまうだけの力があった。
具体的に言うと、彼女自身の力ではなく、所属していたモータウン・レコードの創設者、ベリー・ゴーディーJr.の力だ。
その当時、ダイアナはベリーの愛人だったのだ。
ダイアナのため、ベリーは映画化権を買い取り、彼女を主演に据えた。
ちなみに当時、ステファニー・ミルズもモータウン・レコードの所属だったが、単なる所属歌手より愛人を優先するのはベリーにとって 当然のことだった。

ダイアナが主演となれば、少女役というのは無茶だ。
そこでドロシーの年齢は、少女から24歳に変更された。
撮影時点でダイアナは34歳であり、キャラの年齢設定より10歳も上だったが、さすがに30歳を超える年齢のキャラをヒロインにするのは キツいという判断だろう。
ただ、それを言い出したら、そもそもダイアナ・ロスがドロシーを演じることが無茶なのである。
その段階で、本作品の失敗は、ほぼ決まったと言ってもいいのではないか。

ダイアナ・ロスとベリーも、製作サイドも、映画をヒットさせるため、それなりに頑張っている。
ダイアナは自分の信奉者であるマイケル・ジャクソンをカカシ役として呼び込み、彼を映画デビューさせている。
マイケルにとっては、音楽監修として参加したクインシー・ジョーンズとの出会いは大きなものとなった。
この映画での2人の出会いが、後に『オフ・ザ・ウォール』『スリラー』『BAD』という3部作を誕生させることになる。
そういう意味では、何の価値も無い作品ではない。

というか、音楽面では、実は素晴らしいメンツが参加しているのだ。
合唱コーディネイターはパティー・オースティンが担当し、合唱にはロバータ・フラックやルーサー・ヴァンドロスが参加している。
アンクレジットだが、演奏にはデヴィッド・フォスター(キーボード)、アンソニー・ジャクソン(ベース)、グラティー・テイト (ドラム。合唱にも参加)、トゥーツ・シールマンズ(ハーモニカ)などが参加している。
つまり冒頭で聞こえるハーモニカの音は、トゥーツ・シールマンズの演奏ってことだ。

ただ、音楽面だけは評価できるが、その評価を覆い隠すほど、映画としての出来映えが散々だ。
まず前述したように、ダイアナ・ロスの起用で全てがブチ壊しとなった。
それでも芝居が上手けりゃ見直すが、そんなわけもない。
マイコーも大して踊らないし。
ミュージカル・シーンの出来映えも良くない。
ミス・ワンがウィズの名前を出したところで群舞によるミュージカル・シーンが入るが、光が足りていないから、暗くて動きが 見えにくい。
明るく歌い踊っても、どこか陰気さが感じられる。

ミュージカル・シーンには、総じて高揚感や明るさが欠けている。
畑でカカシが歌ってカラスが踊るのも、レンガ道を発見したドロシーとカカシが歌い踊るシーンも、カメラワークが単調。
正面の同じアングルから撮影しているだけ。
カットが切り替わっても、それは近景か遠景かという違いだけで、カメラの角度に変化が乏しい。
印象に残るような場面は一つも無い。

ドロシーは原作小説とは異なり、ものすごくオドオドしていて消極的なキャラなのに、なぜかカカシを見つけるとカラスを追い払う。
どうして自分から厄介事に首を突っ込んで、勇気ある行動をするのだろうか。
ドロシーはカカシに「自信を持って」と言うが、そもそも彼女が自信の無いキャラだった。
そんな彼女が自信を持つような出来事やドラマは何も無かったのに、そこでカカシに「自信を持って」と堂々と言われても、「お前が 言うな」とツッコミを入れたくなる。

カラスは「僕に知恵があったらカラスに騙されずに済んだのに」と漏らすが、そのシーンを見た限り、彼に必要なのは知恵じゃなくて勇気 じゃないかと思ってしまう。
また、ブリキの木こりは原作小説だと、東の魔女に心を奪われ、結婚を誓い合った娘への愛が消えていて、だから心を貰いたいという 理由がある。
でも、この映画だと、なぜ心を欲しがるのか、今一つピンと来ない。
「無いから欲しい」という程度に感じられる。

ウィズから「お前だけが入れ」と言われたドロシーは、「友達も一緒じゃなきゃ帰ります」と言う。内気で消極的だったとは思えないほど 強気だ。
ただ、家に帰る方法は無いのよ。
ウィズに会わなきゃどうしようもないわけで、帰りたくないのかと。
そりゃ性格の変化を描写したいのは分かるけど、ちょっと引っ掛かるぞ。
ちなみに原作だと、オズ(この映画ではウィズ)は最初から一人ずつ順番にメンバーと会うので、ドロシーが「一緒じゃなきゃダメ」と 主張する展開は無い。

ドロシーはウィズに「まず礼として銀の靴を渡せ」と言われても拒否し、イヴリーンから「銀の靴を返せ」と言われても拒む。 カカシが切断され、ブリキがプレスされても、まだ渡そうとはしない。
トトが焼却されそうになり、「嫌なら靴を渡せ」と言われ、ようやく渡そうとする。
そこまで靴に固執する理由が良く分からない。
そりゃあミス・ワンからは「帰宅するまで靴を脱いではいけない」と言われたけど、なぜ彼女の言葉だけは強い意志で守り通そうと するのか、そこが分からんのよ。

イヴリーンに捕まって脅しを掛けられると、ドロシーはやたらと泣き喚く。
ドロシーは強気な態度に出ることもあるが、常に顔には怯えがある。常にオドオド、ビクビクしている感じだ。
それはキャラとして、ちっとも魅力的じゃない。
表情も不細工だし。全体的なムードも、ずっと弾けていないのよね。
もっとヒロインが前向きに元気良く行動する、明るく華やかなファンタジー・アドベンチャーにしてくれと。
どうやら「黒人の歴史を重ねる」という裏テーマもあるらしいが、そんなの要らないって。

ファンタジックなセットを作らず、ニューヨークをオズの国に見立てて屋外ロケをしているのは、予算の都合もあるのかもしれない。
ただ、鉄筋だらけの無機質な空間では、ちっともファンタジックが感じられないんだよな。
ブロードウェイ版は知らないけど、舞台でもそんな感じだったのかな。
でも舞台なら「実際のニューヨーク」じゃなくて舞台装置だから、印象は全く違うしなあ。

終盤、ドロシーはカカシたちに「みんな知恵や心や勇気をウィズに貰わなくても、既に持っている」と教える。
原作では、それはオズが教えている。
なぜ、その役割をドロシーに任せるのよ。
ホントなら、ドロシーが成長し、誰かに気付かされる、教わるという立場であるべきだろうに。
ウィズに対しても、ドロシーは「貴方が外に出なきゃ、探し物は見つからない」と言う始末。
うるせえよ。
なんで教えを授ける役回りを担ってんだよ。
なんかムカつくぞ。

(観賞日:2009年12月27日)


1978年スティンカーズ最悪映画賞<エクスパンション・プロジェクト後>

ノミネート:【最も苛立たしい非人間キャラクター】部門[新しいトト]

 

*ポンコツ映画愛護協会