『WE ARE YOUR FRIENDS ウィー・アー・ユア・フレンズ』:2015、アメリカ&フランス&イギリス

ロサンゼルスのサンフェルナンドバレー。コールは15歳の頃から友人であるメイソンの家に居候し、DJとして活動している。彼は仲間のメイソン、オーリー、スクワレルと共に、クラブ「ソーシャル」で開かれるイベントを手伝う。イベントのメインブースではジェームズ・リードがDJを務め、コールもサブステージで数時間だけプレイさせてもらうことになっている。4人は女性客を集めるため、街に出てチケットを配った。
コールたちはオフィスを借りて引っ越したいと考えており、オーリーは「ドラッグの売り上げと次のイベントの成功で引っ越せる」と言う。不動産屋のペイジはオーリーと知り合いで、「もっと稼ぎたかったらウチへ来い」と誘う。イベント当日、コールはソフィーという女性に声を掛けて自分たちのテーブルに誘うが断られる。マリファナ入りの煙草を吸うため店外へ出たコールは、出番を終えたジェームズに気付いた。コールは彼に話し掛け、店のレギュラーだがギャラは出ないことを告げた。
コールはジェームズに誘われ、美術館で開かれるパーティーに参加した。幻覚を見た彼は気持ち良くなり、いつの間にか翌朝を迎えていた。彼が目を覚ますと、そこはジェームズの家だった。そこにソフィーが現れたので、コールは驚いた。ソフィーはジェームズの恋人で、同棲生活を送っていた。コールはジェームズから、昨夜に「客の心を掴んで世界のDJになるのは、1曲あればいい」と演説していたことを聞かされた。
「何か聞かせてみろ」とジェームズに言われたコールは、スマホに入れいる自作曲を流した。ジェームズの反応は今一つで、「面白い」と静かに告げただけだった。コールはソフィーに車で送ってもらい、彼女がスタンフォード大学に通っていることを知る。コールは「自分もカリフォルニア大学へ行けたけど、時間の無駄だと思った」と話す。コールはメイソンたちと合流し、昨晩の取り分を貰う。約束よりも低い金額だったため、メイソンは「俺はクラブで食ってる」と苛立った。
オーリーはコールたちに、「大金を稼いで街を出ようぜ。いい考えがある」と告げる。コールたちはペイジの経営するゴールドスター社へ行き、働かせてもらうことにした。ペイジは彼らに「差し押さえ物件の所有者に電話を掛ける。銀行との交渉料が稼ぎになる。契約1件につき750ドルを支払う」と説明し、準備金として千ドルを渡した。コールたちは喜び、渡されたリストを見て次々に電話を掛けた。コールはジェームズから「土曜日に稼がないか」と誘われ、ホームパーティーのDJを引き受けた。メイソンたちが来たので、コールは「クールにやってくれ」と釘を刺した。
ジェームズはコールが客を盛り上げる様子を見て、スタジオに連れて行く。改めてコールの音源を聞いた彼は、「人真似は命取りだ。成功するDJは憧れを超え、自分だけの印を見つける」と述べた。メイソンは些細なことで男と喧嘩を始め、ジェームズが怒鳴り付けて追い払った。後日、コールは音源を手直しし、またジェームズに聞いてもらう。ジェームズは「オリジナルを探せ。パソコンは忘れて、実世界の音を聞け」と助言した。
コールは不動産屋の仕事でターニャ・ロメロという夫人との契約に漕ぎ付け、大金を稼いで喜んだ。彼はジェームズの元へ通って曲作りを手伝ってもらい、一緒にクラブでDJをすることもあった。ジェームズはソフィーに頼んでボーカルを録音してもらい、コールの音源は完成した。ソフィーは大学の卒業生が主催するホームパーティーに誘われており、そのことをジェームズに話す。ジェームズは同行を断り、コールを連れて行くよう促した。
パーティーに参加したソフィーは同級生と話すが、相手はジェームズの存在を全く知らなかった。コールは男たちがソフィーをアバズレ呼ばわりして馬鹿にするのを聞き、殴り掛かって反撃を食らった。会場を出たコールは、ソフィーから「行っとくけど、落第はしてない。休みたかっただけ」と言われる。「友達は卒業だけど、私には何も無い」と彼女が漏らすと、コールは「大学に戻れば?」と提案する。ソフィーが「お金が無い」と口にすると、コールは「学費の安い大学もある」と述べた。
コールと仲間たちはラスベガスのフェスに行き、オーリーはドラッグを売って稼ぐ。コールはソフィーに呼び出され、ジェームズは帰ったと聞かされる。ソフィーはコールにドラッグを飲ませ、一緒に踊る。2人はデートに出掛け、ホテルでセックスした。しかしソフィーはLAに戻ると、「起きるべくして起きたけど、忘れましょう」と告げる。ジェームズはコールに「夏フェスで前座をやってくれ」と言い、新しい機材をプレゼントした。コールは大喜びし、曲の準備を始めた。
コールはペイジと共に、ターニャの家を訪れた。立ち退き命令が来たことをターニャが明かすと、ペイジは「銀行と交渉しましたが、耳を貸しません。1つだけ手があります。この家を我々に譲る契約書にサインすれば、2万ドルお支払いしましょう」と持ち掛ける。ターニャが「3万ドルが相場なのに?」と困惑すると、彼は「金額は無視して下さい。差し押さえ物件に値段は関係ない。ただ家を失うよりも、譲っては?格安で貸します」と述べて承諾させた。
ターニャの家を出たペイジは、嬉しそうに「いい物件を手に入れた。60万ドルで売れる」と口にした。コールが「酷い」と責めると、彼は悪びれずに「人のせいにするな。稼いだ1万5千ドルの受け取りを拒否するのか」と問い掛ける。コールは黙り込み、金を受け取った。ジェームズの誕生日、コールも来ている前でソフィーは苛立った様子を見せる。ジェームズがケーキを食べるよう促しても、ソフィーは拒絶して寝室へ引っ込んだ。
ジェームズはコールを誘い、ストリップクラブへ繰り出した。飲み過ぎたコールがトイレへ行っている時、彼がテーブルに残したスマホが鳴った。ジェームズがスマホを見ると、掛けて来たのは相手はソフィーだった。ジェームズは携帯にコールとソフィーのツーショット写真が写っているのを見て、2人の関係を知った。トイレへ赴いた彼が激怒して詰め寄ると、コールは悪びれずに「アンタは負け犬だ。自分が天才とでも思っているのか。以前はそうだったかもしれないが、今は名前だけの金儲け主義者だ」と罵る。するとジェームズは冷静な口調で、「お前みたいな若造に俺の苦労が分かるか。いつか破滅の時が来る。お前に打つ手は無い」と告げた…。

監督はマックス・ジョセフ、原案はリチャード・シルヴァーマン、脚本はマックス・ジョセフ&メーガン・オッペンハイマー、製作はティム・ビーヴァン&エリック・フェルナー&ライザ・チェイシン、製作総指揮はリチャード・シルヴァーマン&オリヴィエ・クールソン&ロン・ハルパーン&ネイサン・ケリー、共同製作はジョアンナ・バイアー、製作協力はデヴィッド・ディリバート、撮影はブレット・ポウラク、美術はマヤ・シーゲル、編集はテレル・ギブソン&デヴィッド・ディリバート、衣装はクリスティー・ウィッテンボーン、音楽監修はランドール・ポスター。
出演はザック・エフロン、ウェス・ベントリー、エミリー・ラタコウスキー、ジョニー・ウェストン、シャイロー・フェルナンデス、アレックス・シェイファー、ジョン・バーンサル、アリシア・コッポラ、ワイリー・M・ピケット、ジョン・エイブラハムズ、モリー・ヘイガン、ブリタニー・ファーラン、ヴァネッサ・レンジーズ、レベッカ・フォーサイス、ジョーイ・ラッドマン、ケルシー・フォーモスト、スカーレット・ベンチリー、デヴォン・バーンズ、ロブ・シルヴァーマン他。


EDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)を取り巻く世界にスポットを当てた映画。
監督のマックス・ジョセフは、これまでビデオの短篇ドキュメンタリー作品を数多く手掛けてきた人物。
マックス・ジョセフ監督と共にシナリオを手掛けたのは、女優としても活動し、脚本は2010年の短編『Hot Mess』に続く2本目となるメーガン・オッペンハイマー。
コールをザック・エフロン、ジェームズをウェス・ベントリー、ソフィーをエミリー・ラタコウスキー、メイソンをジョニー・ウェストン、オーリーをシャイロー・フェルナンデス、スクワレルをアレックス・シェイファーが演じている。

コールはDJとして活動しているが、仲間3人はやっていない。クラブのイベント主催者を手伝い、チケットを売っているだけだ。
クラブやイベントにDJは付き物だから、「EDMを取り巻く世界を描いている」とは言えなくもない。
ただ、それはピントを絞り切れておらず、ボンヤリしていると感じる。
なぜDJや音楽関係のグループだけに限定しておかなかったんだろうか。
そこを「イベントの仕事をしている面々」に広げていることのメリットは、何も見えない。

コールを除く3人は、イベントでアバズレ女とセックスする。コールはマリファナを吸っていて、ジェームズも幻覚剤をやっているっぽい。オーリーはドラッグを売り捌いており、それをコールも容認している。
つまり、「セックス、ドラッグ、ロックンロール」ならぬ、「セックス、ドラッグ、犯罪」ってのがEDMを取り巻く世界だとして描いているのだ。
そりゃあ、そういうことに手を出しまくっている連中もいるだろうけど、それが「EDMやDJの世界では普通」みたいに描いたら、魅力的な世界、憧れの世界とは到底思えないわけで。
ゲストとしてチラッとだけ出演しているニッキー・ロメロやアレッソやディロン・フランシスは、ホントにこれで良かったのか。誤解を招くような作品になっているんじゃないか。

ジェームズは大物DJのはずだが、それを観客に納得させるための表現が弱い。
メインステージでプレイしていることや、本人が世界各地を巡ったことを話しているだけでは、全く足りていない。
彼はコールからすると、手の届かない場所にいるカリスマDJであり、いずれは追い付き追い越したいと思うような目標のはず。そういうことを、もっと明確な形で示しておく必要があるはずだ。
いかにジェームズが大物であり、憧れの対象になるようなDJなのかということに関して、人気の面でも実力の面でも説得力を持たせるための作業をすっかり怠っているのだ。

コールは最初からDJとして仕事をしているし、客を盛り上げる能力も持っている。
なので、「DJに憧れて自分でもやってみたいと考え、初心者から少しずつ学習して成長していく」という展開は描けない。
曲作りに関しては物真似からのスタートだが、こちらでも「少しずつ成長していく」という様子は全く見られない。
ジェームズは「人真似じゃなくてオリジナルを探せ」とか「パソコンを忘れて実世界の音を聞け」と助言しているが、それを受け入れてコールの考えや音作りが変化しているようには全く見えない。

ジェームズから持ち掛けられたホームパーティーの仕事で、コールは客を盛り上げるための具体的な方法をソフィーに話す。
「意識を体に向けさせるには原始的なリズムがいい」とか、「ベースラインが作用するのは大事な部分」とか、「BPMが体の動きを司る。128が最も相乗効果がある」とか、そういうことを解説する。
「DJのテクニックを紹介するハウツー物」みたいな方向性で描くのなら、それはそれで1つの考え方だと思う。
でも、そういう解説は1シーンだけで終わるので、中途半端な要素となっている。

コールは「DJとして成功したい」ってのが夢のはずだが、早い段階で「大金を稼いで街を出たい」という目標が提示される。それを口にするのはオーリーだけど、コールも同調しているし、そのために不動産屋で働き始める。
これが「DJでは稼げないから、生活のために他の仕事をする」ってことならともかく、ちょっと違うんだよね。
しかもゴールドスター社の仕事は違法ではないが、困っている人を欺いて金を搾取するという、あこぎな商売だ。
それなのにコールは罪悪感を全く抱かず、金を稼いで浮かれている。

ペイジがターニャの家を買って高額で売るつもりだと知った時、ようやくコールは「酷いことをしている」と認識する。
しかし稼いだ金は普通に受け取っているし、そこで抱いたはずの罪悪感も長くは持続しない。
そもそも、「不動産屋の仕事でボスの酷さに気付く」という筋書きなんかより、コールのDJとしての努力や挫折、苦悩や迷いを描けと言いたくなる。
見ている途中で、「これってDJとかEDMとか無くても良くねえか?」と思っちゃうんだよな。

普通に考えれば、「若者が苦い経験もありつつ、人間としてもDJとしての成長していく青春ドラマ」として調理すべき素材ではないかと思うのだ。
しかし、そういう方向性は感じられない。
ただし、どうやら調理法としては、そういうモノを狙っていたような節はあるのだ。
ってことは単純に失敗しているか、あるいは自覚症状が無いまま撮っているってことになる。
何をどう感じ取ればいいのか、サッパリ分からない中身なのよ。コールには何の魅力も無いし、この作品を見てもEDMの面白さは全く伝わらないよ。

終盤、コールはソフィーを寝取ったことがジェームズにバレても全く悪びれず、それどころか「アンタは負け犬だ」と罵る。それに対してジェームズは、「いつか破滅の時が来る。お前に打つ手は無い」と告げる。
だが、その言葉でコールが何か変化するのかというと、何も無い。
その後にはスクワレルから「ずっと中途半端だった。いつかは這い上がれるのか?」と言われ、不動産屋の仕事について疑問を提示される。
しかし、直後にメイソンが豪邸を借りたことを話し、みんなで浮かれてパーティーを始めちゃうので、その言葉も全くコールに響かない。

豪邸のパーティーでドラッグを摂取したスクワレルが急死すると、コールは「不動産屋の仕事を辞める」と言い出す。
だが、その理由はスクワレルの死が関係しているのかと思いきや、「客の人生を潰してる」と言う。
それはターニャの家を訪ねた時に分かっていたよね。それを理由にするなら、明らかにタイミングが遅いでしょ。
「スクワレルの死で人生を見つめ直す」ってことにしたいはずなのに、そこを上手く関連付けられていない。

最後は寛容なジェームズが許してくれて、コールはサマーフェスにも出演することが出来る。ジェームズと別れたソフィーとも、仲良くやっている様子が描かれる。
つまり仕事も順調で、惚れた女も手に入れて、全てが成功しているという形でエンディングになるわけだ。
だけど、その成功を掴むために、コールは大して努力もしていないし、犠牲も支払っちゃいない。
ある意味で犠牲を払ったのはスクワレルだけど、それとコールの成功を引き換えにするのは取引として明らかに間違いだからね。

(観賞日:2018年3月3日)

 

*ポンコツ映画愛護協会