『ウォーキング with ダイナソー』:2013、イギリス&アメリカ&オーストラリア

アラスカ州南東部。リッキー少年と妹のジェイドは両親がヨーロッパへ出掛けたため、古生物学者である叔父のザックに預けられている。ザックは恐竜の骨を集めるため車で外出し、その手伝いでリッキーとジェイドも同行している。ゴルゴサウルスの歯を見せられたジェイドは興奮するが、リッキーは冷めた態度を取った。以前は恐竜が大好きだったリッキーだが、今は完全に興味を失っていた。リッキーが「死体堀りに興味は無い」と携帯ゲームを続けたため、ザックは彼を車に残してジェイドと森の奥へ向かった。
カラスがリッキーの元へ飛来し、人間の言葉で話し掛けた。リッキーが動揺していると、カラスは「化石には物語がある。この歯の物語は感動的だ。持ってみろ。古代の世界へ案内してくれる」と話す。リッキーがゴルゴサウルスの歯を手に取ると、カラスは「大昔の鳥は、こんな姿をしていた」と姿を変える。彼は空へ飛び立ち、「今から7000万年前、白亜紀後期の地球に1羽の素晴らしい鳥がいた」と述べた。彼はアレックスという名のアレクソルニスになり、白亜紀の物語が幕を開けた。
パキリノサウルスのパッチは母が用意したエサを食べようとするが、食い意地の張った兄のスカウラーに妨害された。パッチは外にある食べ物を見るため、巣から這い出した。そこへトロオドンが現れ、パッチをくわえて逃走を図った。そこへパッチの父であるブルが立ちはだかり、トロオドンを追い払った。森へ放り出されたパッチは、トサカの部分に穴が開いた。ヘスベロニクスに追われたパッチは、母に救われて巣に戻った。
パッチは何をやっても失敗ばかりで、スカウターには全く敵わなかった。ある日、彼は滝でメスのジュニパーと出会い、恋に落ちた。だが、ジュニパーは「群れ以外のオスとは話せない」と言い、すぐに去った。翌日からパッチはジュニバーに会うため、滝に通った。しかしジュニパーは現れず、パッチはアレックスから数日前に南へ行ったと聞いて落胆した。夏が終わって食べ物が減ったため、ジュニパーの群れは移動したのだ。
しばらくすると、パッチの群れもブルの号令で移動を開始した。嵐が近付いたため、ブルは群れを森へ避難させた。しかし落雷によって火事が発生し、群れは急いで逃亡する。そこへ肉食恐竜たちが現れ、次々に群れを襲う。物陰から見ていたパッチとスカウラーの前で、ブルも肉食恐竜に倒された。鎮火した後、パッチとスカウラーは森を歩き回るが、仲間は誰も生き残っていなかった。かつてブルに立ち向かったメジャーと遭遇した兄弟は、彼の群れに合流した。その中にジュニパーがいたので、パッチは興奮して声を掛けた。北風が吹くとパッチの頭部にある穴から音が鳴り、ジュニパーは興味を示した。
何週間もの大移動が続き、一行はエサ場へ続く山道まで辿り着く。そこへゴルゴサウルスが現れたため、群れは慌てて逃げ出した。パッチ、スカウラー、ジュニバーは川に転落して流され、何とか陸地に辿り着いた。エサ場へ向かうエドモントサウルスの群れが通り掛かったため、空腹の3頭は合流することにした。しかし足を負傷していたジュニパーは遅れ始め、心配したパッチは彼女に付き添って群れから離れた。夜の森で道に迷った2頭は、キロステノテスの群れに包囲される。威嚇して追い払ったパッチとジュニパーは、森を抜けて美しいオーロラを目撃した。2頭は群れを発見し、大喜びで合流した。
春が訪れると、群れは北へ向かって移動した。季節が変わる度に南北の移動を繰り返し、パッチは青年へと成長した。頭突きコンテストが開催されるとパッチは怖じ気付くが、スカウラーはメジャーに挑戦した。彼はメジャーに勝利し、群れの新しいボスになった。スカウラーは群れを率いて移動を開始し、新しいルールを制定してパッチに高圧的な態度を取った。スカウラーが凍った湖を通らせたため、危険だと察知したパッチは急いで岸に上がるよう訴える。
その直後に氷が割れて次々に仲間が湖へ落ちるが、スカウラーは「モタモタしてるからだ」と走って渡り切るよう指示した。しかしパッチは引き返して岸に上がるよう指示し、木を倒して逃げ道を作った。パッチのおかげで多くの仲間が助かったが、スカウラーは「俺の仲間を奪うな」と激怒して対決を要求した。パッチは無視しようとするが、ジュニパーを引き渡すよう要求されたため対決を承諾した。しかしパッチは全く歯が立たずに敗北し、スカウラーはジュニパーと群れを連れて立ち去った…。

監督はバリー・クック&ニール・ナイチンゲイル、脚本はジョン・コリー、製作はマイク・デヴリン&アマンダ・ヒル&ディーパック・ナヤール、製作総指揮はスチュアート・フォード&マーカス・アーサー&デヴィッド・ニックセイ&ティム・ヒル&マイルス・ケットリー&ザレー・ナルバンディアン、共同製作はダナ・ベルカストロ&スコット・クルーフ&ジョン・リンチ、共同製作総指揮はフラン・ロカシオ&マーティン・フリーマン&スティーヴン・マクドノー、撮影はジョン・ブルックス、編集はジョン・カーノチャン&ジェレマイア・オドリスコル、音楽はポール・レナード=モーガン。
声の出演はジョン・レグイザモ、ジャスティン・ロング、ティヤ・シルカー、スカイラー・ストーン、クレイ・サヴェージ、ジュード・ティンズリー、メアリー・マウサー、ケイティー・シルヴァーマン、マディソン・モーラーズ、マイケル・レオン。
出演はカール・アーバン、アンガーリー・ライス、チャーリー・ロウ。


イギリスのBBC Earthが製作した3DCGアドベンチャー映画。
BBCはTVシリーズ『ウォーキングwithダイナソー〜驚異の恐竜王国』を製作しており、そこから派生した映画。ただし、どちらも恐竜の生態をCGで描くという部分は共通しているが、内容も参加しているスタッフも異なる。
監督は『ムーラン』のバリー・クックと、多くの自然ドキュメンタリーを製作してきたニール・ナイチンゲイル(こちらは初監督)による共同。脚本は『マスター・アンド・コマンダー』『ハッピー フィート』のジョン・コリー。
アレックスの声をジョン・レグイザモ、パッチをジャスティン・ロング、ジュニパーをティヤ・シルカー、スカウラーをスカイラー・ストーンが担当している。実写パートでは、ザックをカール・アーバン、ジェイドをアンガーリー・ライス、リッキーをチャーリー・ロウが演じている。
日本語吹替版ではパッチの声を木梨憲武、恐竜を紹介するナレーションを鈴木福、アレックスの声を中村悠一、ジュニパーを斎藤千和、スカウラーを森川智之が担当した。

2Dを3Dに変換しただけの「なんちゃって3D映画」も少なくないが、この作品はジェームズ・キャメロン監督が設立したキャメロン・ペース・グループの撮影技術を採用した本物の3Dとして製作されている。
また、視覚効果はアニマル・ロジック社が担当し、恐竜の動きや質感などを細かい部分までリアルに表現している。
昔と違って現在は「恐竜の末裔は鳥である」という考え方が学会では通説になっており、それに伴ってパキリノサウルスの皮膚は羽毛で覆われている(ただしゴルゴサウルスには毛が生えていない)。
そもそも実写パートでカラスがリッキーに話し掛ける形を取っているのも、「鳥は現代の恐竜だから」ってことだ。

前述したように、『ウォーキングwithダイナソー〜驚異の恐竜王国』から派生した作品だが、内容は大きく異なる。
何よりも、ジャンルが異なる。TVシリーズは恐竜の生態をリアルに描くドキュメンタリーだが、この映画はドラマ仕立てになっている。
それはたぶん、子供向け映画ということを意識してのことだろうと推測される。
子供と一口に言っても幅は広いが、かなり低い年齢層を想定して作られているようだ。小学校低学年や幼稚園児ぐらいの子供たちに見てもらうことを想定すると、それに合わせた演出が必要になる。

幾ら恐竜に興味のある子供たちであっても、ドキュメンタリーだと途中で退屈になる恐れがある。
短い時間ならともかく、上映時間は88分なので、最後まで興味を持って観賞してもらうために、ストーリーやドラマとしての面白さを持ち込もうと考えたのではないだろうか。
子供向けにすることで、大人の観賞に耐えなくなってしまう可能性は充分に考えられる。
しかし、それでも多くの子供たちが楽しめる内容に仕上がったとすれば、何の問題も無い。

子供向け映画を意識しているのだろうと思われる仕掛けは、他にも見られる。
現在のシーンを最初と最後に配置しているのも、その表れではないかと思われる。
いきなり恐竜の世界を描くのではなく、人間の子供を登場させることで「自分たちに身近な世界」を感じさせ、映画に入り込みやすくしようという狙いがあったのではないかと思われる。
恐竜に人間の言葉を喋らせているのも、やはり子供向け映画を意識した演出だろう。そうすることによって、恐竜が親しみやすい存在、愛しやすい存在になるからだ。

現在のシーンの存在は、そこから白亜紀のシーンに入った時に乖離現象を生む恐れがある。恐竜は3DCGで表現されているため、幾らリアルであっても実写とは違うからだ。
そこが分断されると、白亜紀のシーンが「まるっと絵空事」という印象になることが考えられる。
そこで、現在のシーンのカラスが飛び立つとアレックスになり、そのまま白亜紀の物語が始まるという流れにしてある。
これによって、現在と白亜紀が地続きという印象にしてあるわけだ。

ただし現在のシーンから白亜紀のシーンに入る手口が、あまりにも強引すぎて不恰好だ。
カラスはリッキーが何も言っていないのに、勝手に「祖先の悪口を言われても俺は平気だぜ」と口にする。
「いやいや、まだ悪口なんて何も言ってませんけど」とツッコミを入れたくなる。
また、カラスは「化石には物語がある。この歯の物語は感動的だ。持ってみろ」と話すが、それもリッキーが化石について何か言ったわけではないので、違和感が強い。
カラスを「導く者」として扱いたいのは分かるが、それなりに導かれる側も動かさないと。

恐竜に人間の台詞を喋らせているのは、「リアルに恐竜の生態を描く」という映像的な演出とはミスマッチになっている。リアルな恐竜が人間の台詞を喋ることが、青年になっても高い声質も含めて、強い違和感に繋がるのだ。
ハッキリ言ってしまえば、それは「なんか気持ち悪い」という印象を抱かせる。口の動きを台詞に合わせているわけでもないしね。
そもそも恐竜の生態をリアルに描こうというアプローチで作っているのなら、「人間の言葉を喋らせる」という仕掛けは矛盾しているように思えるのだ。
それと、アレックスもナレーターとして饒舌に喋っているので、そこに恐竜たちの台詞まで加わると「騒がしい」という印象になるのだ。
っていうか、ナレーターの喋りだけでも充分に騒がしいんだよな。

教育的&科学的&ドキュメンタリー的に恐竜を描き、その生態について子供たちに知ってもらおうとするのであれば、やはり人間の言葉を喋らせるべきではない。それによって「親しみやすさ」「分かりやすさ」という部分でマイナスは生じるかもしれないが、それは他の部分でリカバリーすればいいのだ。
例えばドキュメンタリー作品で良く使われるのは、ナレーターが恐竜に成り切って台詞も喋るという方法だ。凡庸と言えば凡庸だろうが、そこは変に捻っても意味が無い。
あるいは「台詞による分かりやすさ」という部分を切り捨て、子供たちの理解力に期待するってのも1つの手だろう。
ともかく、リアルな恐竜に台詞を喋らせるよりは、どういう方法であれ別の形を取った方が絶対にいいってことは断言できる。

「リアルな生態」と「子供向け映画としての方向性」のミスマッチは、シナリオの部分でも起きている。
前半の内に、パッチの群れは全滅する。肉食恐竜たちに襲われ、ブルはパッチの眼前で戦いに敗れる。
草食恐竜が肉食恐竜に襲われて死ぬのは、リアルな生態としては当然のことだ。
ところが、「仲間が全滅」という残酷な悲劇が訪れたのに、パッチは全くショックを受けていない。それどころか、ジュニパーと直後に出会ったこともあって、明るく楽しい様子を見せるのだ。
「両親や仲間の全滅を分かっていない」という設定にしてあるけど、そこは無理があるなあと感じる。

ただし、もしも恐竜に喋らせていなかったら、ドラマ仕立てにしていなかったら、そんなことは全く気にならなかっただろう。
なぜなら、「肉食恐竜が草食恐竜の群れを襲撃して全滅に追い込む」という事象だけが描かれることになるからだ。
パッチが敵と戦う父親を応援するとか、鎮火した後で父を捜すとか、ジュニパーを見つけて浮かれるとか、そういう様子は描かれない。
だから、「悲劇に直面したはずのパッチが楽しそうなのは不自然」とは思わないわけだ。

あと根本的な問題として、「用意されているストーリーが薄っぺらいし面白くない」ということが挙げられる。
様々な恐竜を登場させる度に紹介するとか、恐竜の生態を描くといったことも消化しなきゃいけないので、ドラマを充実させることへの意識が中途半端になっている。
一応は「パッチの成長物語」「パッチとジュニパーの恋物語」「パッチとスカウラーの兄弟関係」という3つの要素を持ち込んでいる。
だが、表面的なトコを簡単になぞっているだけだ。

別に恐竜じゃなくても同じ内容を描くことは出来るし、「どこかで見たような」という使い古された物語だ。それを何の捻りも無く、陳腐に仕上げている。
「この程度なら、わざわざドラマ仕立てにする必要があるのか。ドキュメンタリーとして描いても大して変わらないんじゃないか」と思ってしまう。
リアルな生態を描くことを絶対的な条件として遵守して、誇張した表現や実際には無かったであろう出来事を盛り込むことは出来る限り避けたのかもしれない。
しかし皮肉なことに、そのことが「劇映画としての面白さ」を欠く結果に繋がっているのではないか。

(観賞日:2018年1月7日)

 

*ポンコツ映画愛護協会