『ウォーク・トゥ・リメンバー』:2002、アメリカ

土曜の夜、不良学生のランドンは仲間のトレイシー、エリック、ベリンダ、ディーンたちと高校でビールを飲み、セメント工場へ侵入した。彼らは同級生のクレイを呼び出し、仲間になる儀式として飛び込み台から貯水池へジャンプするよう要求した。ランドンは「俺も一緒も飛ぶ」と言うが、実際は飛び込まずにクレイだけを突き落した。クレイは頭を打って気を失ったため、一行は慌てた。警備員が彼らを見つけて警察に連絡したため、ランドンたちは怪我をしているクレイを引き上げて逃走した。しかしパトカーに追われたランドンは車を衝突させて脚を負傷し、捕まって留置場送りとなった。
月曜の朝、ランドンは母のシンシアから父に電話するよう促される。ランドンが「その気は無いよ」と拒否すると、彼女は「そろそろ仲直りして。貴方には父親が必要よ」と告げた。ランドンと仲間たちが教会へ行くと、サリヴァン牧師は「正義の道を外れた者たちに主のお導きがありますように」と口にした。彼の合図で、娘であるジェイミーのいる合唱隊が賛美歌を歌った。礼拝の後、ランドンは仲間から「留置場で何を話した?」と問われ、「ドライブしてたらセメント工場でクレイを見つけた。助けようと思ったけど、犯人と疑われるのが怖くて逃げ出したと言った」と彼は説明した。
いつも同じセーターを着ているジェイミーが通り掛かったので、トレイシーたちは彼女の野暮ったさを馬鹿にして笑った。ランドンは校長のケリーに呼び出され、「土曜の夜に学校で酒を飲んでいたそうだな。クレイは何も言わん。工場長も訴えないそうだ。処分は私が決める。全ての授業に出て用務員を手伝え。土曜の朝は特別授業で個別指導を担当しろ。演劇部の最終公演も手伝ってもらう」と述べた。
ランドンと別れたベリンダだが、まだ未練があるのでヨリを戻そうとしていた。しかしランドンは「分かってるだろ。もう終わりだ」と、その気が無いことをハッキリと告げた。土曜日、ランドンはバスで個別指導の慈善活動へ出向き、ルイスという少年を担当する。しかしルイスは「やってられない」と出て行き、ランドンは「同感だよ」と苛立った。
個別指導に参加していたジェイミーは、帰りのバスでランドンに「少し教え方を変えてみたら?」と提案する。ランドンが無視すると、彼女は「クレイのお見舞いに行かないの?病院からリハビリ施設に移ったのよ」と言う。ランドンが「奴は勝手に飛んだんだ。誰も強制はしてない」と告げると、ジェイミーは「したも同然よ」と述べた。ランドンは「お前に何が分かる?その本に乗ってたか」と、ジェイミーの持っている聖書を指差した。
ジェイミーが「私のこと分かったフリしないで」と言うと、ランドンは「実際に分かってる。幼稚園から同じクラスだからな。嫌われ者じゃないが、孤立した存在だ。年中、同じセーターで下を向いて歩く。趣味は週末の個別指導で、仲良しは天文部のガキどもだ」と嫌味な口調で語った。するとジェイミーは、すました態度で「そんなの、みんな知ってるわ」と告げた。「人目が気にならないか?」とランドンが訊くと、彼女は「ならないわ」と答えた。
ランドンは松葉杖をつきながら、女性教師のガーバーが顧問を務める演劇部の練習に参加した。春の公演ではエディーが脚本、ジェイミーが音楽を担当したミュージカルを披露することが決まっている。それは禁酒時代を舞台にした男女の恋愛劇で、ヒロインであるクラブ歌手のアリシア役にジェイミー、彼女と恋のライバルになるキャロラインにサリーが指名された。そしてガーバーは主人公のトミー役として、ランドンを指名した。台本の読み合わせに参加したランドンは、臭い台詞に恥ずかしさを隠せなかった。
練習後、エリックが迎えに来てくれないので、ランドンはジェイミーに家まで送ってもらった。仲間たちの姿に気付いた彼は、慌てて身を隠した。ジェイミーは彼に、「実現したいことリスト」があることを語った。その42番は、嫌いな人と仲良くすることだった。ランドンが「1番は?」と尋ねると、彼女は「死ぬ覚悟があるなら教えてあげるわ」と冗談交じりに告げた。ランドンはエリックに、本読みの協力を要請した。しかしエリックは臭い台詞を茶化し、「あと3週間だぞ。3ヶ月でも無理だ。恥をかくのはお前だぞ」と口にした。
エリックはジェィミーに、本読みを手伝ってほしいと頼んだ。ジェイミーは承諾するが、ランドンが家に来ると知った父は「良心のかけらも無い危険な奴だぞ」と反対する。ジェイミーは「パパ、赦しの精神は?話し合ったはずよ。私の生き方は私が決めるって」と述べた。深夜、ランドンはジェイミーが墓地へ入るのを目撃し、気になって声を掛けた。ジェイミーは望遠鏡で星空を眺めるために墓地へ来ていた。「こういうのが趣味か」とランドンが言うと、彼女は「神の創造物よ」と告げる。「貴方は信仰を?」と問われたランドンは、「まさか。この世はロクなもんじゃない」と話す。ジェイミーが「悩み合っての憐れみよ」と言うと、ランドンは「それを悩んでいる奴の前で言ってみろよ」と拒絶姿勢を示した。
学校でジェイミーから「放課後にね」と話し掛けられたランドンは、仲間が一緒だったので「夢の中でな」と誤魔化した。放課後、彼は本読みをするためにジェイミーの家を訪れた。するとジェイミーは腹を立てており、家に入れてくれなかった。「また本読みがしたい」とランドンが言うと、彼女は「誰にも知られないようにでしょ」と告げる。「内緒にして皆を驚かせたいんだ」とランドンは釈明するが、嘘を見抜いたジェイミーは「貴方は違うと思ってた。でも間違いだった」と失望の表情で玄関のドアを閉めた。
帰宅したランドンは卒業アルバムを開き、ジェイミーが「将来の夢は奇跡を体験すること」と書いているのを見た。個別指導に参加した彼は、ルイスにバスケットボールをさせて算数を教えてみた。するとルイスは前向きな態度を示し、数式を理解するようになった。ランドンはミュージカルの練習にも真面目に取り組み、家でも個人練習を積む。彼はクレイの元へ行き、「謝りに来た」と告げた。クレイは「あの時は仲間になりたいと思ってた、今は、そう思ったことが不思議に思える」と述べた。ランドンは「俺も飛んだことがある。失敗して腹から落下し、そういう飛び込みスタイルだと嘘をついた」と語った。
ミュージカル公演の本番当日、ランドンは台詞を忘れそうになるが、何とか乗り切った。ジェイミーの歌を聴いたランドンは、台本には無かったキスをした。芝居の後、ランドンはジェイミーと話したいと思うが、彼女は父親と帰ってしまった。ランドンの父であるカーターが観劇に来ており、「とても良かった。家族3人で夕食でもどうだ」と持ち掛けた。ランドンは「満腹だ」と冷たく告げ、その場を去ろうとする。カーターが「逃げるな」と言うと、ランドンは「アンタの真似だ」と告げた。
次の日、ランドンは食堂でジェイミーを見つけ、隣に座った。「人目は気にしないの?」とジェイミーが言うと、彼は「気にするのか?」と述べた。ジェイミーに冷たくされたランドンは、「もっとお前と話したい。ガキを卒業したいんだ」と話す。ジェイミーが「嘘よ」と告げると、ランドンは「本気だ」と口にした。ジェイミーが逃げるように食堂を出ると、ランドンは後を追って「怖がるのは俺のことが好きだからだ」と告げた。ジェイミーは明らかな動揺を示し、車に乗り込んで走り去った。
夜、ランドンはジェイミーの家へ行き、ポーチで本を読んでいる彼女に「やるよ」とセーターをプレゼントして立ち去った。ジェイミーは父から「ああいう子には必ず下心がある。我が家の規則は変わらないぞ」と言われ、「構わないわ」と告げる。サリヴァンが「私の話は聞き流してもいいが、神の意見は聞くべきだ」と言うと、彼女は「神様も喜んで下さるわ」と述べた。ランドンは母から「お父さんと会ったらしいわね」と言われ、「養育費ぐらいで父親ぶってもらいたくない」と告げる。「俺たちを捨てた男だ」と彼が冷たく言うと、シンシアは「許す心も大切よ」と述べた。
ベリンダはジェイミーに嫉妬心を抱き、仲間たちを誘って彼女のアイコラ写真を作成した。ベリンダはアイコラ写真を生徒たちに配布し、ジェイミーを笑い者にした。それを知ったジェイミーがショックを受けると、ランドンが「狙いは俺だ。君じゃない」と告げた。ランドンはジェイミーを嘲笑したディーンを突き飛ばし、仲間たちと決別した。彼はジェイミーを家まで送り、土曜日にデートしないかと誘った。するとジェイミーは困った顔になり、「デートは禁止なの」と告げた。
ランドンは教会へ行き、サリヴァンに「娘さんを食事に誘いたいんです」と話す。サリヴァンが「無理だ」と冷淡に告げて追い払おうとすると、ランドンは「今までの行為は謝ります。ただ、説教で言っているのと同じことをしてほしい。信じることを」と言う。サリヴァンの承諾を得たランドンは、ジェイミーを屋外レストランへ連れて行く。ジェイミーがダンスに誘うと、踊りが下手なランドンは尻込みする。しかしジェイミーが「私のために、お願い」と言うので、ランドンはダンスに付き合った。
ランドンはジェイミーに「それでリストの1番は何?」と尋ね、「俺の1番はこの町を出ることだ」と言う。ジェイミーは「町を出るのは難しくないわ。問題は行った先で何をするか。可能性は無限よ」と話す。ランドンは彼女にキスし、「好きだ」と告げた。翌日から2人は人目を気にせず、付き合うようになった。ジェイミーは父から、「最近のお前は目に余る」と注意される。「愛してるの」とジェイミーが言うと、サリヴァンは「だったら早い内に知らせてやれ」と口にした。
ジェイミーは父に内緒でランドンを誘い、墓地での天体観測に出掛けた。するとランドンは、ジェイミーの名を正式に登録した星があることを明かした。ジェイミーは「素敵だわ。愛してる」と言い、彼にキスをした。彼女はリストの1番について、「母の故郷の教会で結婚したい。両親もそこで式を挙げたの」と語った。後日、ランドンはシンシアから、密かに作成していたリストのことを指摘される。そこに書かれていることを全て実現するためには、相当の努力が必要だった。するとランドンは、「頑張るよ。ジェイミーに信頼されてる。俺は変わりたいんだ」と告げた…。

監督はアダム・シャンクマン、原作はニコラス・スパークス、脚本はカレン・ジャンツェン、製作はデニーズ・ディ・ノヴィ&ハント・ロウリー、製作総指揮はE・K・ゲイロード二世&ビル・ジョンソン&ケイシー・ラ・スカラ&エドワード・L・マクドネル、製作協力はマシュー・ミゼル、撮影はジュリオ・マカット、編集はエマ・E・ヒコックス、美術&衣装はダグ・ホール、音楽はマーヴィン・ウォーレン、音楽監修はジョン・ルシャイ。
出演はシェーン・ウェスト、マンディー・ムーア、ピーター・コヨーテ、ダリル・ハンナ、パス・デ・ラ・ウエルタ、アル・トンプソン、ローレン・ジャーマン、クレイン・クロフォード、デヴィッド・アンドリュース、デヴィッド・リー・スミス、ジョナサン・パークス・ジョーダン、マット・ラッツ、シャヴィエル・エルナンデス、マリサ・ミラー、ポーラ・ジョーンズ、エリック・スミス、アル・バトラー、セス・ハワード、ジュリア・アン・ウエスト、フランシス・E・デイヴィス、ディーン・マムフォード、アン・フレッチャー、マーヴィン・ウォーレン他。


ニコラス・スパークスの小説『奇跡を信じて』を基にした作品。
監督は『ウェディング・プランナー』のアダム・シャンクマン、脚本は『フリー・ウィリー2』『恋はワンダフル!?』のカレン・ジャンツェン。
ランドンをシェーン・ウェスト、ジェイミーをマンディー・ムーア、サリヴァンをピーター・コヨーテ、シンシアをダリル・ハンナ、トレイシーをパス・デ・ラ・ウエルタ、エリックをアル・トンプソン、ベリンダをローレン・ジャーマン、ディーンをクレイン・クロフォードが演じている。
当時のマンディー・ムーアは若手の人気歌手であり、『プリティ・プリンセス』に続く2作目の映画出演にして初主演だった。

序盤で感じたのは、「かなりクラシカルな映画だなあ」ってことだ。
それは序盤だけでなく、むしろ話が進む中で、ますます「やっぱりクラシカルだわ」という思いが強くなる。
物語も登場人物も雰囲気も全て、1970年代の青春映画や1980年代の少女漫画でも見ているかのような気分にさせられるのだ。
1970年に『ある愛の詩』というアメリカ映画が公開されているが、それを連想してしまうぐらい、かなり古めかしさのある作品だ。

ランドンは夜中の学校に侵入して酒を飲み、クレイを台から貯水池に突き落として怪我を負わせ、逃げ出そうとして警察に厄介になっている。
彼が教師や神父に嫌悪される不良青年であることは、導入部で明らかにされている。
そんな不良少年が真面目な少女と恋に落ちて変化していくという話は、「なんか昔の映画や漫画で似たような話があったよな」と思わせる。
そこに「ヒロインが白血病で余命わずか」という要素が加わると、ほとんど『愛と誠』だよね。

古めかしい話を現代的にアレンジしているわけではなく、あくまでも古めかしい形のままで2002年という時代に映画化している。
昔の映画をリメイクしているというわけでもない。仮に昔の映画をリメイクするとしても、普通は現代的な改変を施すだろう。
ここまで徹底して古めかしい映画に仕上げるってのは、かなり思い切った方針だなあと思ったりもしたのだが、良く考えてみれば原作があるわけで。
つまり、ニコラス・パークスの原作が古めかしいってことなんだろう。

ジェイミーが熱心なキリスト教信者ってことで、劇中には「神様が云々」とか「信仰が云々」といった台詞が何度も登場する。
粗筋で記述した以外にも、「こんなに美しい世界に住み、こんなに幸せなのよ。神を信じるしかない」「風と同じように、目に見えないけど感じるの。不思議なことや美しさ、喜び、愛。神は全ての中心よ」など、他にも信仰に関する様々な発言がある。
その神に対する真っ直ぐで熱烈な思いを訴える台詞の数々は、正直に言って「ちょっと疎ましいなあ」と思ってしまった。
ただし、それは私がキリスト教の信者ではないから神を冒涜するようなことを思ってしまっただけであって、たぶんキリスト教国家であるアメリカ合衆国だったら、大半の人は素直に受け入れられるんだろう。

実のところ、この映画って単なる「悲恋の物語」ではなくて、信仰に関するメッセージが込められた作品なんだよね。原作者のニコラス・パークスはカトリック教徒だし。
「A Walk to Remember」という原題の「walk」も、単なる「歩み」ということではなく、「クリスチャンとしての歩み」ってことなのだ。
ジェイミーは熱心にキリスト教を信仰し、神を信じ続けた。そんな彼女の歩みを、ランドンがいつまでも覚えているってことなのだ。
そして、そこには「ランドンは最後まで信仰を捨てなかったジェイミーによって救われた。人を正しい道へと導くのだから、信仰は大切なんだよ」というメッセージが込められているってことなんだろう。

ド素人のランドンがミュージカルの主役に指名されるってのは、かなり無理のある展開だ。
誰かの代役ってわけでもなく、演劇部に男子がいないわけでもないんだよ。
しかもランドンは「義務だから適当にこなしている」という感じではなく、なぜか最初から真面目に練習をしている。気持ちが変化するきっかけとなる出来事があったわけでもなく、昔から演劇に興味があったわけでもないのにだ。
そういうのは不思議っちゃあ不思議だが、いちいち気にしていたら、この甘ったるし話に乗って行けない。
だから、「ランドンがジェイミーに本読みの手伝いを頼み、立場が逆転する」という段取りのために必要なのだと割り切ってしまおう。

ミュージカルの本番に向けてのストーリー展開には、そんなに盛り上がりがあるわけでもない。
「マンディー・ムーアが歌うシーンを用意しよう」という考えが最初にあって、そこからの逆算が上手く出来ていないんじゃないかという気がしないでもない。
だけど、とりあえず「マンディー・ムーアが歌うシーンを用意する」という一番の目的は確実に達成できているわけだから、それでOKとしておこう。

なんだかんだ言っても、ランドンは校長から命じられた仕事を真面目にこなしている。清掃や個別指導を疎ましいと思っている様子はあるが、サボって遊びに行くようなことはない。ミュージカルに至っては、練習をサボらないどころか、むしろ熱心に練習している。
そんな風に、「不良だけど真面目なトコもある」というキャラにしておくのが、この手の恋愛劇の鉄則だ。
困ったことに、世の女性たちの多くは「最初から真面目で優しい男」よりも、「不良だったり怖そうだったりするけど、実は真面目で優しい男」に惹かれるものなのだ。
少女漫画なんかだと、ヒロインが惚れるのはそういうタイプばかりで、最初から真面目で優しい男は振られるのがお約束だ。

屋外レストランでデートするシーンの後、ランドンが国境へジェイミーを連れて行って「今、2つの国にまたがってる」と言ったり、タトゥーのシールを貼ったりする展開がある。
実は、前半でジェイミーがリストについて説明する際、42番の他に「平和部隊に参加する」「医学的発見をする」「同時に2ヶ所へ行く」「タトゥーを入れる」と語っているので、その内の2つを実現したってことだ。
ただし、サラッと見ているとジェイミーが語ったことを覚えていない可能性もあるので、その場合は2人の行動が意味不明ってことになるだろう。
それは観客サイドに問題が無いわけじゃないけど、ちょっとネタ振りが弱いんじゃないかという気もするぞ。

残り30分ぐらいになって、ランドンが母に「ジェイミーに信頼されているから俺は変わる」と告げた後、シーンが切り替わると夜中に彼がジェイミーと町を歩いている様子が写し出される。
そして、思い詰めた表情のジェイミーが「白血病なの」と告白する展開になる。
その直前の会話からの流れで打ち明けたわけではないし、直前のシーンで告白を決めるきっかけとなる出来事があったわけでもない。
告白シーンとしては、かなり唐突だ。

前半から伏線が全く無かったわけではないが、もちろん白血病ってことが分かるほどのモノではなかった。
だから、もちろん告白シーンは大きなサプライズってことになる。
そうやって急激に悲恋へと突き落とす展開に入り込んで若い男女に同情心を抱いたり涙したりするか、残り30分程度で病気が明かされたことも含めて「その手を使いますか。やっちまったなあ」と感じるかは、人それぞれである。
そして、きっと前者の方が、純粋で清らかな心の持ち主なのだ。
もちろん私は病気が明かされてからの展開に泣いたよ。いやマジでさ。

ジェイミーが実現したいことのリストを作成しているってことは、前半の内に提示されている。そして後半には、その内の2つに関してランドンが実現を手伝う様子も描かれる。
しかし、合計42の項目の内、その大半は観客に明かされない。
しかも、白血病が明らかになった時点で残り30分程度しか無いし、そこから「ジェイミーが倒れて入院する」という展開に入ると、ますます残り時間は少なくなる。
そんな中で「ランドンがリスト実現のために奔走する」という手順を描くのは難しいし、実際、そういう展開は容易していない。

リストの1番目についてランドンが何度か質問し、ジェイミーが「母の故郷の教会で結婚したい。両親もそこで式を挙げたの」と語る手順がある。
こんなの、誰がどう考えたってネタ振りでしょ。そして、誰がどう考えたって、「病気で倒れたジェイミーが母の故郷へ行き、ランドンと結婚式を挙げる」という展開によって伏線を回収すべきでしょ。
ところがジェイミーは、父親が働く教会で式を挙げちゃうのだ。
それって母親の故郷じゃないよね。地元の教会だったら、わざわざ「母親の故郷の教会」なんて言わないはずだし。
そうなると、リストの1番目についてジェイミーが話したのは何だったのかと。
「ジェイミーがリストを作っている」というネタ振りが、完全に死んでいるじゃねえか。これは大きなマイナスだよ。

(観賞日:2015年6月13日)

 

*ポンコツ映画愛護協会