『ヴェノム 毒蛇男の恐怖』:2005、アメリカ

ルイジアナ州の片田舎。深夜に森の中にある墓地へ赴いた老女のエミーは、墓を掘り起こしてトランクを見つける。ブードゥー教の祈祷師である彼女は呪文を唱え、儀式を執り行った。一方、女学生のイーデンが働くダイナーには、元カレであるエリックや友人のショーン、リッキー、タミー、パティーが来ていた。イーデンはショーンを避けているが、仕事仲間のシシーは「エリックと仲直りできるわよ。何となく分かるの」と告げる。
顔に傷のあるトラック運転手のレイが店に来ると、若者たちは黙り込んだ。イーデンは明るく話し掛け、いつものセットを渡す。レイが車に戻ると、イーデンの仕事仲間であるレイチェルは「あいつ、なんか不気味」と口にする。「ただ傷があるだけでしょ」とイーデンが言うと、レイチェルは「傷じゃなくて目付きよ。アンタのこと狙ってるわよ」とからかう。エミーは土砂降りの中、トランクを自分の車に積み込む。トランクの中で何かが動いたので、エミーは動揺する。
営業時間が終了し、イーデンは自転車で帰路に就く。レイのガソリンスタンドを通過したイーデンの前に、エリックが車で現れた。無視して通り過ぎようとしたイーデンだが、エリックが呼び止めた。イーデンがニューヨークの大学へ行くと決めたことにエリックが腹を立て、それが原因で2人は別れていた。また進学のことで文句を言うエリックに、イーデンは「ここじゃ未来が無い。貴方はお父さんの跡を継げばいいけど、私は腐っていくだけ」と述べた。
「ニューヨークじゃなくて医者にはなれるだろ」とエリックが告げると、イーデンは「この町が嫌いなの」と口にした。そこへレイがトラックで通り掛かり、イーデンに付きまとわれてるのか」と問い掛けた。イーデンが否定すると、レイは「橋の上は駐車場じゃないぞ。すぐに車を動かせ」とエリックに告げる。レイはエリックの車を避けながら、トラックで橋を渡ろうとした。すると向こうから、エミーの車がやって来た。エミーはトラックと衝突しそうになり、慌ててハンドルを切った。
エミーの車は橋から落ちそうになり、急いでレイが彼女を助けに駆け付ける。すぐにイーデンは、運転しているのがシーシーの祖母だと気付いた。エミーは頭を打っていたが、まだ息はあった。レイはエリックに、「彼女を引っ張り出すから受け取れ」と告げた。彼がドアを開けて助けようとすると、エミーは「私よりトランクを」と言う。レイはエミーを抱えてイーデンとエリックに預け、トランクを取りに戻る。すると蓋が開き、数匹の蛇が飛び出した。レイは蛇に噛まれ、バランスを崩した車は彼を乗せたまま沼に転落した。沈んだ車の中で、レイは蛇たちに襲われた。エミーの方も、命を落とした。
現場に駆け付けた保安官とターナー保安官補は、遺体とトランクを確認する。保安官はトランクの中に描かれている絵を見て、「まじないの絵だな。クレオールの絵だ」と述べた。保安官はターナーに、橋を封鎖して車を全て退けろと命じた。現場に駆け付けたシーシーは、祖母がしている首飾りに気付いて顔色を変えた。彼女は慌てた様子で、保安官に「トランクが無かった?」と尋ねる。中が空っぽだと知らされたシシーは、「大変だわ」と口にした。
シシーが「祖母の家に行かなきゃ。父は出張で日曜まで戻らないの」と言い、保安官に車で送ってほしいと頼んだ。検死官のテリーは死体保管所に運ばれてきたレイの遺体を調べるが、目を離した隙に消えてしまった。彼が困惑しながら廊下を調べていると、窓から何かが飛び込んで来た。ターナーはレッカー車をガソリンスタンドまで移動させ、不審な音を耳にする。周囲を調べている間に、車の上に置いてあった鍵の束が無くなった。無線で連絡を取ろうとしたターナーは、レイに殺害された。
翌日、エリックはショーンに、レイのことで謝罪する。しかしショーンは、「あいつが死んでも、悲しくも何ともない。産まれてから、ほとんど喋ったことも無い。お袋を妊娠させて逃げた男。それだけさ。親父でも何でもない」と冷淡に告げる。イーデンは1年前に死去した父、デヴィッドの墓参りに出掛ける。大きな音を耳にしたイーデンが道に出ると、レイのレッカー車が走り去るのが見えた。
車で出掛けたタミーとパティーは、タイヤの空気が減っていたのでレイのガソリンスタンドに立ち寄った。タミーがタイヤに空気を入れている間に、パティーはトイレへ行く。なかなかパティーが戻らないのでタミーがトイレへ行くと、彼女の姿は無かった。ガレージへ赴いたタミーは、チェーンで宙吊りにされているパティーの死体を発見した。慌てて逃げ出そうとしたタミーだが、レイがシャッターを封鎖した。レイは車を下ろしてタミーの動きを止め、彼女の顔に砂吹き機を噴射した。
イーデンはレイチェルに誘われ、湖へ出掛けた。レイチェルの恋人であるショーン、それにエリックも一緒だ。レイチェルとショーンが湖で遊ぶ一方、イーデンはエリックにレッカー車を目撃したことを話す。2人が仲直りした直後、リッキーが来てターナーとテリー、レイの死体が消えて町民が大騒ぎしていることを語る。ショーンは苛立った様子を示し、酒が入った状態でバイクに乗り込んだ。エリックが止めに行くが、ショーンはバイクを発進させた。
イーデンはシシーに会うため、エミーの家へ行くことにした。レイチェルとリッキーも同行し、車で森の奥にある家へ向かう。3人が家に入ると、壁には何かの儀式を描いた絵が飾られていた。そこにシシーが現れ、「それは毒抜きの儀式。ハイチの古い伝統よ。まじない師が悪霊を祓い、男の魂を救ってる。男は助からない。まじない師は蛇を操って悪霊を吸い出し、男に安らかな死を与える」と語った。 エリックがガソリンスタンドへ行くと、ショーンのバイクが転がっていた。ショーンは悪酔いして荒れており、物を壊して暴れ始めた。彼を制止したエリックは、ショーンの幼少時代の写真があるのを見つけた。ガレージに入ったエリックとショーンは、血まみれになった床に惨劇の跡を見た。シシーはイーデンに、祖母がブードゥーの神殿を設けていた部屋を見せた。「先祖代々、まじない師だった。ずっと昔から、皆がここへお祈りに来た。お婆ちゃんは大勢を助けた。優しい人だった」と彼女は語った。
首飾りを見つけたイーデンに、シシーは「悪霊を遠ざけるお守りよ」と説明した。「あんな遅くに何をしてたの?」とイーデンが訊くと、シシーは「かつてクレオールの墓地だった場所に、新しい工場の建設が決まった。お婆ちゃんは、掘り返される前にトランクを取り戻そうとした。お婆ちゃんは大勢の極悪人の魂を救った。吸い出した悪い魂が全て、あのトランクに入っていた。もし蛇が外に出てレイを殺したとすれば、数え切れないほどの悪い魂が彼に憑依している」と話す。
シシーは涙をこぼし、「今のレイは生贄を見つけ出すこと以外、頭に無いわ。手当たり次第に殺す」と語る。イーデンはシシーがおかしくなったと感じ、レイチェルたちに母のローラと保安官を呼んで来るよう頼んだ。するとシシーは「貴方も逃げて。お婆ちゃんが死んで、身内は私だけ。必ずレイは、ここに来る。貴方まで巻き添えになる。もう誰も止められない。レイが墓地にいたのは、邪悪な祈りを捧げるためなのよ」と述べた。
外に出たレイチェルとリッキーは、乗って来た車が逆さまにされているのを目にした。すぐに近くにレッカー車があるのを発見した2人は、不審な物音に怯える。そこにレイがバールを持って現れたので、2人は慌てて逃げ出した。イーデンはレイチェルの悲鳴を耳にした。「行っちゃダメ」とシシーは止めるが、イーデンは外に出た。レイチェルとリッキーは家の近くまで戻るが、すぐにレイが追って来る。3人は家に駆け込もうとするが、レイはバールをリッキーの脚を突き刺し、階段に固定した。
レイが家の中に入って来ようとしたので、シシーが慌ててドアを閉めた。シシーはイーデンとレイチェルに、「ここにいれば助かるわ。守りのまじないが掛かっている」と告げる。レイは殺したリッキーの腕を引き抜き、外壁に血を塗り付けた。レイはリッキーの死体を引きずり、どこかへ姿を消す。イーデンは寝室へライフルを取りに行くが、シシーは「どうせ役に立たない」と言う。エリックとショーンがエミーの家へ行くと、そこへレイが戻って来た。イーデンたちが早く入るよう叫び、エリックたちは家に駆け込んだ。
イーデンたちは神殿の部屋に移動するが、窓を突き破ってチェーンが飛び込んで来た。チェーンはショーンの首に巻き付き、彼を外へと引っ張り出した。レイがショーンを鎖で引きずるのを見たエリックは、助けに飛び出す。レイは2人に襲い掛かろうとするが、イーデンの発砲を受けて弾き飛ばされる。だが、レイはすぐに立ち上がり、ショーンの胸をバールで突き刺した。エリックが発砲してレイを弾き飛ばし、その間にショーンを家へ運び込む。しかしショーンは大量に出血しており、直後に絶命した。
シシーはイーデンからレイを倒す方法は無いのかと訊かれ、「私はまじない師じゃない。人形や呪文を少しやったことがあるだけ」と言う。しかしシシーは「人形を作る。レイの体に入り込んだ悪霊を殺すことは出来ない。でも少しの間、体が動かないようにすれば逃げられる。何もしないよりはマシよ」と話す。ただしブードゥー人形を作るためには、レイの頭髪か皮膚、身に付けている物が必要だ。イーデンはショーンの死体に付着したレイの血を使うよう提案し、反対するエリックとレイチェルを半ば強引に説得する…。

監督はジム・ギレスピー、原案はフリント・ディル&ジョン・ズール・プラッテン、脚本はフリント・ディル&ジョン・ズール・プラッテン&ブランドン・ボイス、製作はケヴィン・ウィリアムソン&スコット・フェイ&カレン・ローダー、共同製作はジェニファー・D・ブレスロウ&ロン・シュミット、製作総指揮はボブ・ワインスタイン&ハーヴェイ・ワインスタイン&アンドリュー・ローナ&マイケル・ゾーマス、共同製作総指揮はフリント・ディル&ジョン・ズール・プラッテン、製作協力はサラ・クチェルカ&ジョシュア・レヴィンソン、撮影はスティーヴ・メイソン、編集はポール・マーティン・スミス、美術はモンロー・ケリー、衣装はジェニファー・パーソンズ、特殊メイクアップ・デザインはパトリック・タトポロス、音楽はジェームズ・L・ヴェナブル、テーマ曲はジョン・デブニー。
出演はアグネス・ブルックナー、ジョナサン・ジャクソン、ローラ・ラムジー、メソッド・マン、D・J・コトローナ、リック・クレイマー、ミーガン・グッド、ビジュー・フィリップス、パヴェル・シャイダ、デイヴェッタ・シャーウッド、ステイシー・トラヴィス、ジェームズ・ピッケンズJr.、マーカス・ブラウン、デボラ・デューク他。


『ラストサマー』『D-TOX』のジム・ギレスピーが監督を務めた作品。
イーデンをアグネス・ブルックナー、エリックをジョナサン・ジャクソン、レイチェルをローラ・ラムジー、ターナーをメソッド・マン、ショーンをD・J・コトローナ、レイをリック・クレイマー、シーシーをミーガン・グッド、タミーをビジュー・フィリップス、リッキーをパヴェル・シャイダ、パティーをデイヴェッタ・シャーウッド、ローラをステイシー・トラヴィス、保安官をジェームズ・ピッケンズJr.が演じている。

無駄に謎が多い。
最初の時点で、エミーがシーシーの祖母であることも、レイがショーンの父親であることも明らかになっていない。そこを隠しておくことに意味があるのかと言うと、何も無い。
エミーがシーシーの祖母だということに関しては、説明するタイミングが難しいので、イーデンがエミーを見るまで明かされないのも仕方が無い。
しかしレイの方は、ファストフード店のシーンでチャンスがある。
そこで明らかにせずに引っ張ることに、何のメリットも無いぞ。

レイが川に落ちた夜の内に、怪物として蘇った彼がターナーを殺すシーンがハッキリと描かれている。
だったら、その直前、死体安置所の窓を何かが突き破ってテリーに襲い掛かるシーンでも、何が起きたのかハッキリと見せればいいでしょ。テリーが殺される様子も明確に描けばいいでしょ。
そこでテリーを襲う相手を隠しておく意味が無いんだから。
あと、ターナー殺害の際にレイの顔を見せているんだから、タミー殺害の時に顔をハッキリ見せないようにしているのも無意味でしょ。

若者たちの中でショーンには「レイの息子」という設定があり、それは大いに使えそうな要素だ。
ショーンは「あんな奴は父親じゃない」と吐き捨てているが、とは言え死んでしまったことに対して、それなりに複雑な心情もあるだろう。
だから、「父親が怪物と化して襲撃してくる」ということになれば、そこでの苦悩や葛藤も生じるはずだ。
ところが、そんな美味しい要素を持ち込んでいるにも関わらず、そこを全く使わないままショーンは死亡する。だから、そこの親子関係は全くの無価値になっている。勿体無いなあ。

「レイをモンスターにするって、どうなのよ」というところに、引っ掛かるモノがある。
レイは若者たちの間で色々と悪い噂も立っているけど、劇中で描かれている様子を見る限りは、決して悪い奴じゃない。ちゃんとエミーを助けようとしているしね。
で、助けようとしたら蛇に噛まれて怪物に変貌したのに、変貌してからは問答無用で悪党扱いされちゃってるのが、ちょっと不憫に思えるんだよなあ。
悪いのは彼に憑依した悪霊たちであって、レイ本人じゃないはずなのに。

今までに世界中で数え切れないほど作られてきたホラー映画で使い古されたパターンをそのまんま使っただけの、ものすごく凡庸で何の捻りも無い映画である。
パターンやセオリーを使うってのは、特にホラー映画の世界では、決してダメな行為ではない。
むしろ、変に捻りを加えようとして失敗するケースもある。
しかし本作品の場合、「過去に何度も使われてきたパターンを低品質で繰り返している」というだけなので、「そういうのは見飽きた」という風に全てがマイナスとして作用してしまう。

キメの細かいシナリオや編集で、ベタベタな話を面白く仕上げているわけではない。スプラッター風味が強烈というわけでもないし、映像表現に凝りまくっているわけでもない。
人間ドラマに厚みや深みがあるわけでもない(例えばイーデンとエリックは簡単に仲直りする)。キャラクターが魅力的というわけでもない。
何から何まで、全てが凡庸だ。
「若者たちがモンスター化した殺人鬼に次々と殺される」という話をやると決めた時点で、もうちょっと工夫しないとマズいだろうってのは誰でも分かりそうなモノだが、なぜ何もしなかったのか。
これで勝負できると思ったセンスを疑う。集客力の高いスターが出演しているならともかく、そうじゃないんだし。

何よりダメなのは、怪物のキャラクターがつまらないということだ。
蛇に噛まれたレイは怪物として復活するが、見た目はそんなに変貌が強烈なわけじゃない。それなりに皮膚が変わったりして怪物っぽさは出ているが、蛇の要素は見えない。顔が蛇っぽくなるとか、腕から蛇が生えるとか、そういった見た目に分かりやすい変化が何も無い。
終盤、皮膚を突き破って蛇が出てくるシーンがあるけど、そこまでは見た目のインパクトが弱い。
それ以外では、使用する凶器に凝っているわけでもなく、殺し方にケレン味が溢れているわけでもない。死体を飾り付けるわけでもないし、話す言葉に引き付けるモノがあるわけでもない(そもそも喋らないし)。

殺し方にケレン味が無いどころか、パティーの時は「タミーが死体を見つける」という形であり、彼女が殺害される様子を描いていない。
既にレイが復活して殺人鬼になったことはターナー殺害のシーンで明らかになっているんだから、そこで犯人の正体を隠す必要も無いはず。だから、そこで殺害シーンを省略する意味がサッパリ分からないのだ。
ここまでベタベタな話なんだから、どこで工夫するかと考えた時、まず最初に思い付くのは「殺害シーンの描写」や「スプラッター描写」じゃないかと思うんだけど、そこが凡庸。
ブードゥーの要素が持ち込まれているが、そこも薄っぺらい扱いなので、映画を面白くするためには何の貢献もしていない。

標的にルールがあるわけではなく、「手当たり次第に誰でも殺す」という形にしてあるのも、キャラをボンヤリさせちゃう原因の1つになっている。
また、殺す前や殺した後の行動も、特に意味が無い上、恐怖を喚起するための効果も無い。
例えばレイはターナーを殺した後、額に血でマークを描くが、それに何の意味があるのかサッパリ分からないし、怖さを煽る効果も無い。
レイチェルの車を逆さまに置くという行為なんかは、むしろバカバカしくて笑ってしまいそうになる。
それは脅しじゃなくて、度の過ぎたイタズラにしか思えん。

リッキーの腕を引き抜いて外壁に血を塗り付けるのも、まじないを解除するための行動かと思ったら何の意味も無い。
そんで「チェーンを壁に繋いでレッカー車で引っ張り、家を破壊する」という行動に出ちゃうので、「まじないで家が守られている」という設定も無意味になっちゃうし。
その後は「逃げるイーデンたちをレッカー車で追跡する」というカーアクションまでやっちゃう。
もうさ、そうなると、レイが怪物である必要性が皆無に等しいでしょ。「イカれたオッサン」でも成立しちゃうでしょ。
もっと怪物らしさを全面に出して暴れてくれよ。この映画に必要な盛り上がりって、決してカーアクションではないと思うぞ。

(観賞日:2014年7月30日)

 

*ポンコツ映画愛護協会