『ヴァン・ヘルシング』:2004、アメリカ&チェコ

1887年、トランシルヴァニア。フランケンシュタイン博士は助手のイゴールと共に、怪物を誕生させた。博士を影で操っていたのは、 ドラキュラ伯爵だった。しかしドラキュラの陰謀を知った博士は、協力を拒むようになった。そのため、ドラキュラは博士を殺害した。 村人達はフランケンシュタイン城に集結し、逃げ出した怪物は風車小屋ごと焼き討ちにされた。
1888年、パリ。お尋ね者の張り紙に、ヴァン・ヘルシングの名前がある。そのヘルシングは、ジキル博士が変貌した怪物ハイドを退治する ため、ノートルダム寺院に現われた。上からは生け捕りにするよう指示されていたが、戦いの中でハイドは転落死した。しかも転落の途中 でジキル博士に戻ったため、ヘルシングは集まった人々から人殺しとして非難された。
バチカン市国へ戻ったヘルシングは、ジネット枢機卿と面会した。ヘルシングは、公式には存在しないとされている聖騎士団の一員で あった。捨て子だったヘルシングは記憶を失っており、それを取り戻すために戦うようジネットから告げられる。ジネットは新たな任務と して、ルーマニアのトランシルヴァニアへ行ってドラキュラを倒すよう指示した。
ジネットの説明によれば、トランシルヴァニアには古くからドラキュラ退治を使命とするヴァレリウス一族がいる。しかし一族の血を引く ジプシーの王ボリス・ヴァレリウスは、1年前に行方を眩ましている。ボリスにはヴェルカン王子とアナ王女の2人の子供がおり、この 2人が死ぬと一族は途絶えることになる。ジネットはヘルシングに、ボリスが残した文書の切り端を渡す。そこには、ヘルシングが着けて いる指輪と同じ紋章が刻まれていた。ヘルシングは発明家の修道僧カールを連れて、ルーマニアへ向かう。
ヴェルカンとアナは、森で狼男と戦っていた。だが、アナを助けようとしたヴェルカンは、狼男と共に谷底へ転落して姿を消した。 ヘルシングはトランシルヴァニアに到着したが、村人たちは歓迎しなかった。そこへ現われたアナも、ヘルシングへの敵意を示した。そこへ 、ドラキュラの花嫁アリーラ、ヴェローナ、マリューシカが襲い掛かってきた。ヘルシングはカールの発明したスーパー・クロスボウで 戦い、アナも格闘する。ヘルシングは聖水でマリューシカを退治し、アリーラとヴェローナは飛び去った。
村人たちは報復として皆殺しにされると考え、ヘルシングを非難した。そんな中で、アナだけは擁護した。アナはヘルシングを、ボリスの 居城へ案内した。そこは、かつてドラキュラが暮らしていた城だ。夜、アナの前にヴェルカンが現れた。だが、彼は狼男に噛まれていた。 満月が雲間から顔を出すと、ヴェルカンは狼男に変貌した。
ヘルシングが駆け付けると、ヴェルカンは逃亡した。ヘルシングが追跡して退治しようとすると、アナが制止した。アナは、狼男の呪いを 解く薬をドラキャラが持っていると告げた。狼男は最初の満月では脱皮するだけで、完全には変身しないのだという。その頃、ドラキュラ はイゴールを連れて、実験のためにフランケンシュタイン城に入っていた。かつてボリスを使った実験に失敗していたドラキュラは、今度 は狼男の呪いが掛かったヴェルカンを使うことにした。
ヘルシングとアナは、フランケンシュタイン城に潜入した。そこで2人は、無数の繭を発見した。それはドラキュラの花嫁が産んだ卵で あり、ドラキュラの息子である吸血コウモリが潜んでいる。だが、彼らは命を持っていない。子供たちに命を与えるため、ドラキュラは ヴェルカンのパワーを与える実験に入っていた。実験が開始され、ドラキュラの子供達は繭を突き破って飛び出した。彼らはアリーラと ヴェローナに伴われ、トランシルヴァニアへ向かって飛んでいく。
ヘルシングはドラキュラの胸に銀の杭を打ち込むが、全く効果は無かった。炎の十字架を掲げても、やはり無意味だった。ドラキュラは ヘルシングを「ガブリエル」と呼び、「300年、400年ぶりかな」と話し掛けた。ヘルシングはアナを連れて、城から脱出した。ドラキュラ の息子達は、急に姿を消した。実験は失敗に終わったのだ。ドラキュラは、ヘルシングとアナの抹殺命令を下した。
ヘルシングとアナは地下洞窟に転落し、フランケンシュタインの怪物と遭遇した。怪物は、フランケンシュタイン博士の装置の鍵を握る のが自分だと告げた。さらに彼は、城には他にも繭が多く存在すること、ドラキュラの子供に永遠の命を与えるためには自分が必要だと いうことを話した。ヘルシングは怪物をドラキュラから保護するため、バチカンへ連れて行くことにした。
ヘルシング、アナ、カールは怪物を馬車に乗せ、バチカンへ向かう。だが、アリーラ、ヴェローナ、ヴェルカンが襲ってきた。ヘルシング は罠を仕掛けてヴェローナを倒し、ヴェルカンを撃退する。だが、ヘルシングはヴェルカンに噛まれてしまった。さらに、アナがアリーラ に連れ去られてしまった。アリーラは、アナと怪物の交換を要求してきた。
ヘルシングは人の多い場所を指定し、仮面舞踏会の会場でアナと怪物を交換することになった。ヘルシングは大勢の吸血鬼が集まる会場 へ乗り込み、アナを救出した。トランシルヴァニアへ戻ったヘルシング達は、ドラキュラの弱点を探る。ヘルシングたちは壁の絵画を調べ、 欠落した一部分に文書の切れ端を当てた。そこに書かれた言葉を唱えると、壁に鏡が出現した。だが、それは鏡ではなく、向こう側に 通り抜けることが出来る扉だった。その先には、ドラキュラの城があるのだ…。

監督&脚本はスティーヴン・ソマーズ、製作はボブ・ダクセイ&スティーヴン・ソマーズ、製作総指揮はサム・マーサー、撮影はアレン・ ダヴィオー、編集はボブ・ダクセイ、美術はアラン・キャメロン、衣装はガブリエラ・ペスカッチ、音楽はアラン・シルヴェストリ。
出演はヒュー・ジャックマン、ケイト・ベッキンセール、リチャード・ロクスバーグ、デヴィッド・ウェンハム、シュラー・ヘンズリー、 エレナ・アナヤ、ウィル・ケンプ、ケヴィン・J・オコナー、アラン・アームストロング、シルヴィア・コロカ、ジョジー・マラン、 トム・フィッシャー、サミュエル・ウェスト、ロビー・コルトレーン、スティーヴン・H・フィッシャー他。


『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』のスティーヴン・ソマーズが監督・脚本・製作を務めたファンタジー・アクション映画。
ヘルシングをヒュー・ジャックマン、アナをケイト・ベッキンセール、ドラキュラをリチャード・ロクスバーグ、カールをデヴィッド・ウェンハム、 怪物をシュラー・ヘンズリー、アリーラをエレナ・アナヤ、ヴェルカンを映画初出演となるバレエダンサーのウィル・ケンプ、イゴールを ケヴィン・J・オコナー、ジネットをアラン・アームストロングが演じている。

前作『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』で1932年のユニバーサル映画『ミイラ再生』をリメイクしたソマーズだが、今回は複数の ユニバーサル映画のモンスターを一挙に集めて映画を作った。怪物だけでなく、1939年の『フランケンシュタインの復活』と1942年の 『フランケンシュタインの幽霊』でベラ・ルゴシが演じたイゴールも登場させている。
ただ、オマケ扱い(メインのストーリー展開には全く関係が無い)で登場するジキル博士とハイド氏がユニバーサル印のモンスターじゃ ないのは、徹底が足りないんじゃないの。そこは1933年『透明人間』の透明人間、1943年『オペラの怪人』の怪人、1954年『大アマゾンの 半魚人』の半魚人あたりからチョイスすべきだったな。
あと、この映画でも『リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い』でもハイドが同じような見た目なんだが、西洋ではハイドってのは超人ハルクのイメージなのかね。
それと、ユニバーサル・モンスターを集めるには集めたけれど、そんなに深く考えず「とりあえず集めて見た」というだけなので、その モンスター同士を関連付ける作業はチョー大雑把。さすがスティーヴン・ソマーズ監督。
ちなみに怪奇映画のキャラを集めているけど、ホラー映画ではない。この映画、怖さはゼロよ。ソマーズ監督はホラーの人じゃないのでね。

なんせスティーヴン・ソマーズが監督と脚本を務めた作品なので、頭をカラッポにして見ることが要求される。「後には何も残らないけど 、その場が楽しければそれでいいじゃん」という刹那主義に満ち溢れた作品である。中身は見事にスッカラカンで、ヴァン・ヘルシングや ドラキュラのキャラまでスッカラカンという徹底ぶり。
だからヴァン・ヘルシングにしろドラキュラにしろ、表面上はキャッチーな設定だが、それほどキャラが立っていない。
ジネット枢機卿との面会シーンで矢継ぎ早に設定に関する説明があるが、あまりに慌ただしいので全く頭に入らない。
ただし、どうせ大した意味は無いので把握できなくても大丈夫ってのが、さすがソマーズ作品だ。
ヘルシングの過去の記憶とか、彼とドラキュラの因縁とか、ヴァレリウス一族とドラキュラの関係とか、色々と謎を持ち込み、風呂敷を 広げているが、そんなの気にしちゃいけない。
どうせ最初から、ソマーズ監督は広げた風呂敷を畳むつもりなんて全く無いはずだから。

ようするに、「VFXを多用した派手な映像と、大音量に飾られたアクションシーンを見せれば、それだけで充分じゃん」ってな作りの、 やたらテンションだけは高い映画なのよ。
ある意味、ジェリー・ブラッカイマー製作、マイケル・ベイ監督のコンビによる作品と通じるものがある。
ただ、それよりも個人的にはZAZトリオ(デヴィッド・ザッカー、ジェリー・ザッカー、ジム・エイブラハムズ)と共通するセンスをソマーズ監督に感じたけどね。
ZAZはコメディー映画のトリオだから、ジャンル的には全く違う。
ただ、ZAZのギャグって、ウンコとかチンコとか幼稚なネタが多い。
で、ジャンルは違えど、知恵が無くても単純に楽しめるノリという部分でソマーズにも同じセンスを感じたのだ。
いや、勘違いを避けるために釈明しておくけど、バカにしているわけじゃないよ。

ヴァン・ヘルシングは1931年の『魔人ドラキュラ』に出てくるような賢い教授ではなく、戦うイケメンになっている。
まあ簡単に言うと、バンパイアハンターDとジェームズ・ボンドを組み合わせたようなキャラだ。
ただしカールが用意した秘密道具は大して活躍せず、ほとんど出オチに近い。スーパークロスボウなんて、いきなり役立たずになっているし。
で、途中からは特殊な武器じゃなくて普通に銃を使って戦ってるし。

ヴァン・ヘルシングのファースト・ネームは『魔人ドラキュラ』ではエイブラハムだったが、ここでガブリエルに変更されている。そして ドラキュラを悪魔の申し子ということにして、「悪魔の手先と大天使」という対決の図式を作っている。
ただし、そこは曖昧にしたままで映画は終わっている。
たぶん最初から続編を狙っていて、その設定を使った壮大な構想があるんだろう。
しかしソマーズなので、深く考えず適当にネタを放り込んだだけという可能性が無きにしも非ずだが。

そのヴァン・ヘルシング、ハッキリ言って弱い。そりゃ苦戦するシーンがあってもいいけど、苦戦にも程があるぞ。 最終的に狼男のパワーを使わないとドラキュラに全く歯が立たないって、困ったモンだ。
しかも、そこには「実はドラキュラを倒すことが出来るのは狼男だけ」という見事な御都合主義が用意されている。
狼男をドラキュラの手先にしておきながら、ドラキュラの弱点を狼男に設定するという、後で説明に困るような話を構築する辺りのテキトーっぷりは、さすがソマーズ監督だ。
で、ヘルシングが情けないのなら、彼を助けてアナが活躍するのかというと、こちらもヒーローを凌駕するほど強いわけじゃない。どっちも中途半端な強さ。
ちなみにケイト・ベッキンセールは身のこなしが軽やかとは言えず、モタモタしている。
腰が入っていないアクションは、テレンス・ヤング監督の時代から続く伝統的な「女闘美」の女性の動きだね。

とにかく次から次へとアクションシーン、これでもかとアクションシーンばかりをひたすら並べて突き進んでいく。
同じアクション野郎でも、ソマーズは北村龍平監督に比べれば戦いの撮り方が下手ではないから、1つ1つのアクションを取ってみれば、それほどダメってわけ ではない。
ただ、さすがに同じ調子でメリハリを付けずにアクションだけを連発されると、どれだけ激しく戦っていても飽きてくる。
で、印象に残るアクションの見せ場が無い。
あと、CGがショボいぞ。ILMが手抜きしてるのか。


第27回スティンカーズ最悪映画賞

受賞:【最悪の言葉づかい(男性)】部門[リチャード・ロクスバーグ]

ノミネート:【最悪の作品】部門
ノミネート:【最悪の主演女優】部門[ケイト・ベッキンセール]
ノミネート:【最悪の言葉づかい(女性)】部門[ケイト・ベッキンセール]

 

*ポンコツ映画愛護協会