『ヴィレッジ』:2004、アメリカ

その村では、7歳の少年ダニエル・ニコルソンの葬儀が執り行われた。墓石には「ダニエル・ニコルソン1890−1897」と刻まれている。 彼の父オーガストが泣き崩れる様子を、村人たちは沈痛な表情で眺めていた。村は周囲を森に囲まれ、外の世界とは完全に隔絶されている。 赤い色は不吉とされ、赤い物は即座に隠すことが村の掟となっている。森に入ってはいけないというのも村の掟だ。森には「口に出しては ならない存在」が住んでおり、聖域に足を踏み入れると災いがもたらされるからだ。
最近、村では奇怪な出来事が起きていた。飼われていた犬が殺され、皮を剥いで捨てられていたのだ。そんな中、年長者による会議が開催 された。村の行事や人々の行動は、全て年長者の会議で決定されるのだ。そこへ青年ルシアス・ハントが現れ、町に出たいと申し入れた。 年長者の1人である母アリスも、その嘆願は聞かされていなかった。ルシアスはダニエルの死をきっかけに、町へ出て薬を手に入れたいと 考えたのだ。
ルシアスは、ある出来事を受け、森に入っても化け物に襲われないのではないかと考えていた。それは、ほぼ盲目のアイヴィーと知的障害 を抱えるノアが競走し、ルシアスの元に現れた時のことだった。ルシアスは、ノアが赤い実を持っているのを知った。それは村と森の境界 で見つけたものだ。その辺りを、ノアは毎日のようにうろついていたのだ。それでも彼は化け物に襲われていない。ルシアスは、ノアが 純真な気持ちの持ち主だったから教われずに済んだと推測した。
ルシアスは年長者たちに、敵意が無いことが分かれば化け物に襲われることは無いだろうと語った。しかし年長者たちは、彼を町に行かせる ことを承諾しなかった。ルシアスはアリスに対し、秘密が多すぎる村に対しての不満を訴えた。各家庭には1つずつ封印された箱があるが、 その中身は分からない。アイヴィーの父エドワードの許可が無ければ開けることは出来ないという。
ルシアスは密かに、村と森の境界へと赴いた。その夜、化け物の襲来を示す警告の鐘が打ち鳴らされた。人々は慌てて扉を閉め、室内に 閉じ篭もる。アイヴィーは姉キティーから扉を閉めるよう言われるが、「きっとルシアスが来てくれる」と言うことを聞かなかった。 化け物が家に近付いた時、ルシアスが現れてアイヴィーの手を取り、扉を閉めて室内に駆け込んだ。翌日、ルシアスは自分が禁忌を破った ことを謝罪した。しかしエドワードたちはルシアスの村人達に対する思いを分かっており、彼を責めなかった。
キティーとクリストフの結婚式が行われ、人々は宴で盛り上がった。そんな中、少年の悲鳴が聞こえてきた。化け物が再び村に現れ、 暗がりへ走って消えたのだという。人々が不安に包まれる中、翌日に審問会が開かれることになった。ルシアスはアイヴィーから自分に 対する愛情をストレートに告げられ、「誰よりも君を守ってあげたい」と応じた。
翌日、アイヴィーに惚れているノアが、嫉妬心からルシアスを刺した。ノアの両親は息子の血だらけの手に気付き、ルシアスは危険な状態 に陥るが、人々に出来るのは祈ることぐらいだ。アイヴィーは年長者達に、薬を取りに町へ行かせてほしいと訴えた。これまでなら絶対に 承知しない年長者たちだが、その心には迷いが生じていた。エドワードはアイヴィーを使われていない納屋に連れて行き、秘められていた村 の真実を明かした。そして彼は独断で、アイヴィーが町へ行くことを許可した…。

脚本&製作&監督はM・ナイト・シャマラン、製作はスコット・ルーデイン&サム・マーサー、製作協力はホセ・L・ロドリゲス、撮影 はロジャー・ディーキンス、編集はクリストファー・テレフセン、美術はトム・フォーデン、衣装はアン・ロス、クリーチャー・デザイン はクラッシュ・マクリーリー、音楽はジェームズ・ニュートン・ハワード。
出演はホアキン・フェニックス、ブライス・ダラス・ハワード、エイドリアン・ブロディー、シガーニー・ウィーヴァー、ウィリアム・ ハート、ブレンダン・グリーソン、チェリー・ジョーンズ、ジュディー・グリア、マイケル・ピット、セリア・ウェストン、ジェイン・ アトキンソン、フランク・コリソン、ジェシー・アイゼンバーグ、フラン・クランツ、ジョン・クリストファー・ジョーンズ、チャーリー ・ホフハイマー他。


『シックス・センス』が絶賛されたものの、その後は『アンブレイカブル』『サイン』と新作を発表する度に評価が落ちている M・ナイト・シャマラン監督による作品。
ルシアスをホアキン・フェニックス、アイヴィーをブライス・ダラス・ハワード、ノアを エイドリアン・ブロディー、アリスをシガーニー・ウィーヴァー、エドワードをウィリアム・ハート、オーガストをブレンダン・ グリーソンが演じている。

ブライス・ダラス・ハワードはロン・ハワード監督の娘。
シャマラン監督は彼女を見て惚れ込み、オーディション無しで起用を決定した。
ホアキン・フェニックスもオーディション無しで、最初からシャマラン監督はルシウス役をアテ書きしたそうだ。
ちなみに自身も出演するのが毎度の恒例となっているシャマランだが、今回は動物保護区の警備員事務所にいる上司を演じている。

『シックス・センス』以降、シャマラン作品は「他の作品からネタを拝借」というのが付き物になっているが、今回もレイ・ブラッドベリ の短編小説「びっくり箱」との酷似が指摘されている。
あと、マーガレット・ピーターソン・ハディックスの小説「ランニング・アウト・ オブ・タイム」の出版社から盗作として訴えられている。
ただし、たぶんシャマランは、それらの小説ではなく映画『恐怖の獣人』からネタを拝借したんだろうと思う。
あの人は、昔のマイナー映画から拝借するのが恒例だから。

ややネタバレになるが、そのネタ(オチ)ってのは、「恐ろしいとされていた外の世界こそが通常の場所であり、実は自分がいた場所こそ 閉じられた異世界だった」というもの。
このネタ自体は、そう珍しくもない。
小説などでも良く使われており、有名な『猿の惑星』でも使われている。
だから本作品を見て、途中で気付く人も結構いるのではないだろうか。

もはやシャマラン監督のトレードマークとなったドンデン返しだが、そういった理由もあって、インパクトはそれほど強くない。
監督はハッタリをカマすのは上手いけど、着地点に待ち受けているものが、少なくとも今回は期待にそぐわない。
今回はネタバラシのタイミングが早いので、そもそも監督自身、それほど「ドンデン返しの一発勝負」という意識は 無かったのかもしれない。

オチに向けた伏線はちゃんと張っているが、それとは少し外れた部分で引っ掛かりが幾つかある。
まずアイヴィーが、とてもじゃないが盲目には見えない。
村でノアと遊ぶ場面では、思い切り走っているし。幾ら障害物の無い原っぱとはいえ、そりゃどうなのかと。
あと、最初の入植者の数と経過年数を考えると、村人の数が短期間で増えすぎじゃないのかと思うぞ。

ノアがルシアスを刺すという事件があった後、審問会の場所に「ノアの手が血だらけ。何かあったようだ」と報告が入り、そこから皆が 各家庭を回って「負傷した人はいませんか」と聞いて回る。
そんな中、アイヴィーが一直線にルシアスの元へ向かうまで、誰一人として彼の元へ行っていないのは不自然だ。
少なくともアリスは息子の無事を確認しに行くだろうに。
それまで普通に歩いていたのに、その時だけアイヴィーが杖で足元を確かめ、歩数を数えながら移動するのも不自然だ。

年長者は身内を無残に殺されたことで、もう愛する人を失いたくないという気持ちから村を作った。
それなのに、医師もいなければ薬も無いから身内が大怪我を負ったり重病になったりしても救えないというのは、本末転倒もいい ところだ。
そこは医師の派遣や薬の入手が可能なルートを確保しておくべきじゃないのか。
エドワードも村を動物保護区に指定して警備させたり、飛行禁止区域に設定したりするために金を使っているんだから、そっちの方で金を 使って何とか出来なかったのかと。

この映画、最初にオチを知ってから見た方が面白いんじゃないかと思ってしまうんだが。
独特な掟によって守られながらも不安に侵食されている、閉鎖的で歪んだ世界観を持つコミューンの薄気味悪さ。
その中で明らかになっていく、年長者が抱える哀しみや苦悩。
そして若者たちによって育まれる純真な愛。
そういった構造の物語として見れば、なかなか良く出来た話じゃないかと。

(観賞日:2008年5月30日)


2004年度 文春きいちご賞:第5位

 

*ポンコツ映画愛護協会