『アーロと少年』:2015、アメリカ

6500万年前、大きな隕石が地球へ向かうが衝突せず、恐竜は絶滅しなかった。数百万年後、アパトサウルスの夫婦であるヘンリーとイダは、3つの卵が孵化するのを待っていた。3つの内、1つだけが他の2つより遥かに大きかった。小さい卵が順番に孵化し、長女のリビーと長男のバックが誕生した。最後に大きな卵が孵化し、最初の2匹より遥かに小さな次男のアーロが誕生した。ヘンリーとイダは家を建て、畑でトウモロコシを育て、鶏を飼って暮らしていた。
成長した子供たちは、家の仕事を手伝うようになった。リビーとバックは畑仕事を担当し、アーロは鶏のエサやりを任された。しかし臆病なアーロは、鶏に追われて逃げ回ることを繰り返していた。ヘンリーとイダは蓄えた食料を盗まれないよう石でサイロを作り、足跡の印を付けた。子供たちも付けたがると、ヘンリーは「まだ早い。印を付けるには、やるべきことをやれ。自分より大きなことだ」と告げた。バックは木を引き抜いて畑を広げ、印を付ける許可を得た。リビーは土を耕し、印を付けさせてもらった。そんな中でアーロは鶏を怖がる状況が続いていたが、不安を抱くイダにヘンリーは「大丈夫だ」と告げて息子を温かく見守った。
その日もアーロは鶏に怯え、バックからバカにされた。その夜遅く、ヘンリーはアーロを連れ出してホタルの群れがいる草原へ案内し、「怖さを乗り越えることで、初めて見ることの出来る世界があるんだ」と説いた。ヘンリーは尻尾を使ってホタルの群れを光らせ、アーロに「新しい手伝いを与える」と告げた。翌朝、ヘンリーはサイロから食料が盗まれていることをアーロに明かし、犯人を捕まえて退治するよう指示した。ヘンリーはアーロと共に、犯人をおびき寄せて捕まえるための罠を作った。
アーロは張り切って仕事を引き受け、犯人を待ち受けた。しばらくすると罠が作動し、アーロが近付くと人間の少年が網に掛かっていた。初めて見る生物が激しく吠えたので、アーロは後ずさりした。棍棒で殴り付けようとしたアーロだが、縄を切って逃がしてやった。そこへヘンリーが来ると、アーロは「逃げられた」と嘘をついた。ヘンリーは「怖さを乗り越えないと、生きることは出来ないぞ」と諭し、一緒に犯人を追い掛けるよう告げた。
天気が悪化する中、ヘンリーは川沿いを歩いて犯人の足跡を辿る。必死で付いて行くアーロだが、足を挫いてしまう。それを見たヘンリーは冷静さを取り戻し、「もういいんだ」と変えることにした。雨が強くなり、2頭の元へ激しい濁流が迫って来た。ヘンリーはアーロを避難させ、流れに飲まれ消えた。イダは夫の分まで働くが、疲労困憊となった。母の分も頑張ろうとしたアーロは、サイロに侵入して食料を盗んでいる少年を発見した。アーロは「お前さえいなければ」と激怒して捕まえようとするが、一緒に川へ転落して気絶した。
意識を取り戻したアーロは、崖の上にいる少年を見つけて追い掛ける。少年を見失ったアーロは周囲を見渡し、知らない場所へ来たことを理解した。川を見つければ家に帰れると自分に言い聞かせ、アーロは歩き始めた。木の実を取ろうとした彼は、誤って大きな岩に片足を挟まれて動けなくなった。いつの間にか眠り込んだアーロが翌朝に目を覚ますと、足が抜けるようになっていた。誰かが岩の下を掘った痕跡があり、その周辺には人間の小さな足跡が付いていた。
雨が降り出す中でアーロが休息していると、少年がトカゲをくわえて現れた。少年はトカゲをアーロの前に置き、食べるよう促す。アーロが傍観していると、トカゲが意識を取り戻して逃亡した。しばらくすると、少年は大きな昆虫を捕まえてアーロの前に置いた。アーロが拒否すると、少年は木の実を取ってきた。アーロは木の実に貪り付き、少年への憎しみを語りつつ「もっと欲しい」と要求した。すると少年は、アーロを木の実が鳴っている場所へ案内した。
アーロが木の実を取ろうとすると、慌てて少年が制止する。それを無視してアーロが木の実に近付くと、大蛇が降って来た。大蛇はアーロに襲い掛かるが、少年が立ちはだかって撃退した。それを見ていたスティラコサウルスのペットコレクターは少年を気に入り、家のある山へ帰りたいと言うアーロに「そいつをくれ」と告げる。ペットコレクターは様々な動物を収集しており、「名付けたら貰う」と言う。彼が思い付いた名前を次々に言うと、アーロも対抗する。アーロの「スポット」という呼び掛けに少年が反応すると、ペットコレクターは「絆で結ばれた。山への道は、その生き物が導くだろう」と述べた。
アーロとスポットは一緒に移動する中で、すっかり仲良くなった。ホタルの草原に辿り着いたアーロは、父を真似して群れを光らせた。彼は小枝を使い、言葉の通じないスポットに家族の存在を教える。するとスポットも小枝を使い、両親が死んだことを伝えた。翌日、砂嵐に見舞われたアーロは、雷を見て父が濁流に流された出来事を思い出す。彼は怯えて逃走し、木に激突して失神した。意識を取り戻した彼は川が見えなくなっていることに気付き、「家に帰れなくなった」と嘆いた。
テロダクティルの群れが飛ぶのを見たアーロは声を掛け、帰り道を教えてほしいと頼んだ。群れのリーダーを務めるサンダークラップは仲間が倒木の下に閉じ込められた小動物を発見したと聞き、アーロに手伝いを要請した。アーロは尻尾で倒木を降り、サンダークラップは小動物を拾い上げた。彼はアーロに「君のお蔭だ」と言い、その小動物を食べた。驚いたアーロは、スポットの存在を隠そうとする。だが群れに気付かれたため、アーロはスポットを背中に乗せて逃げ出した。
アーロとスポットはテロダクティルの群れに追い詰められるが、ティラノサウルス姉弟のラムジーとナッシュに救われた。アーロが「川はどこにあるの?」と尋ねると、ラムジーは「帰り道は分からないけど、水飲み場に付いて来れば何か分かるかも」と言う。しかし姉弟の父であるブッチは、「いなくなった牛を集めないといけない。子守をしている暇は無い」と冷たく告げる。そこでアーロは、牛を集める仕事の手伝いを申し出た。彼はスポットに、牛の匂いを嗅いで後を追うよう指示した。
スポットが牛の匂いを嗅いで草原へ向かうと、ブッチは泥棒に盗まれたことを確信する。一行が草原にいる牛の群れを発見すると、ブッチは牛泥棒を誘い出すためアーロに「岩の上に立って叫べ」と命じた。アーロが叫ぶと、牛を盗んだラプトルのブッバと仲間たちが現れた。ラプトルがアーロに襲い掛かると、ティラノサウルス一家が駆け付けて戦う。身軽なラプトルに苦戦を強いられるティラノサウルス一家だが、アーロも加わって撃退した。
アーロはブッチに、顔の傷について質問する。ブッチがワニの群れに囲まれて戦った時の武勇伝を語ると、アーロは「パパと気が合っただろうな。怖い物知らずだ。もう二度と怖がらないぞ」と言う。するとブッチは、「怖さを感じない奴は生き残ることなんか出来ないぞ。怖さを受け入れ、自分を信じて乗り越えていくんだ」と説いた。翌朝、アーロはティラノサウルス一家の案内で水飲み場へ向かい、故郷の山を見つけた。彼は一家と別れ、スポットを連れて我が家を目指す…。

監督はピーター・ソーン、オリジナル・コンセプトはボブ・ピーターソン、原案はピーター・ソーン&エリック・ベンソン&メグ・レフォーヴ&ケルシー・マン&ボブ・ピーターソン、脚本はメグ・レフォーヴ、製作はデニス・リーム、製作総指揮はジョン・ラセター&リー・アンクリッチ&アンドリュー・スタントン、 製作協力はメアリー・アリス・ドラム、ストーリー監修はケルシー・マン、編集はスティーヴン・シェーファー、ヴィジュアル・デザインはシャロン・キャラハン、スーパーバイジング・テクニカル・ディレクターはサンジェイ・バクシ、プロダクション・デザイナーはハーレー・ジェサップ、スーパーバイジング・アニメーターはマイケル・ヴェンチュリーニ、音楽はマイケル・ダナ&ジェフ・ダナ。
声の出演はレイモンド・オチョア、ジェフリー・ライト、フランシス・マクドーマンド、サム・エリオット、アンナ・パキン、A・J・バックリー、スティーヴ・ザーン、ピーター・ソーン、デイヴ・ボート、マーカス・スクリブナー、マレア・パディラ、ジャック・ブライト、マンディー・フロイント、スティーヴン・クレイ・ハンター、キャリー・パフ、カラム・マッケンジー・グラント、ジョン・ラッツェンバーガー、ライアン・ティープル、ジャック・マッグロー他。


ピクサー・アニメーション・スタジオが『インサイド・ヘッド』の次に公開した長編アニメーション映画。
脚本は『インサイド・ヘッド』のメグ・レフォーヴ。
短篇アニメーション『晴れ ときどき くもり』を手掛けたピーター・ソーンが、長編初監督を務めている。
アーロの声をレイモンド・オチョア、ヘンリーをジェフリー・ライト、イダをフランシス・マクドーマンド、ブッチをサム・エリオット、ラムジーをアンナ・パキン、ナッシュをA・J・バックリー、サンダークラップをスティーヴ・ザーンが担当している。
日本語吹替版ではイダを安田成美、ブッチを松重豊、ナッシュを八嶋智人、ラムジーを片桐はいりが担当している。

この映画を見てパッと連想したのが『カーズ』だった。あれはザックリ言うと、「登場キャラクターを全て車にしただけで、そこを人間にすれば、良くあるような話」という映画だった。
この作品も同様で、良くあるような話を用意して、登場キャラクターを人間から別の生物に置き換えているだけだけだ。人間のポジションを恐竜に、犬のポジションをスポットに置き換えているのだ。
スポットは四つん這いで移動したり、舌を出してハアハアと息を吐いたり、遠吠えしたりと、とても分かりやすく犬っぽさを表現している。
何の恩義もないはずのスポットが、岩に足を挟まれたアーロを救ったり、食料を運んだりするのは不自然に思えるかもしれないが、そこは「犬が人間に懐いた」と解釈すればいい。

ストーリーの部分はベタで使い古されたような中身になっており、「キャラを置き換える」という部分で変化を付けようとしているわけだ。
それ自体が悪いわけじゃないが、「ほぼそれだけ」になっているんだよね。シナリオを面白くしようとする意識が薄弱で、薄っぺらくなっている。
人間を恐竜に置き換えて描くのは別にいいとして、「だから何なのか」と言いたくなるような内容なのね。そこで思考停止してしまい、そこから先のアイデアが見当たらない。
スポットにしても、見た目を除けば何から何まで犬そのものなので、「だったら犬でいいんじゃねえか」と言いたくなる。

この映画が完成するまでには随分と紆余曲折があり、公開予定が迫っても全く完成に至らなかった。そこで公開を延期し、監督を交代させ、企画をスタート地点に戻してゼロからストーリーを作り直した。その結果として、当初の予定から比べるとシンプルな話になったらしい。
でも、それは「手に負えなくなったので、シンプルにせざるを得なかった」という結果のようにも思える。
一方で背景に関しては丁寧な仕事をやっており、さすがはピクサーの質を感じさせる。どうやらピクサーは「写真のような背景」を目指したらしく、そこは狙い通りの美しい映像を実現できているんだろう。
ただ、それだけで映画が面白くなるわけではない。
しかも、そこに登場するキャラクターはリアル路線というわけでもないので、上手く同化していないし。

序盤、1つだけ大きな卵を見たヘンリーは、「きっと大きな子だぞ」と期待感を口にする。いざ誕生すると先に産まれた2匹より遥かに小さいのだが、それにヘンリーはガッカリすることもなく、笑顔で迎え入れている。
だったら、「卵は大きいのに産まれた子は小さい」という仕掛けにしている意味が全く無いでしょ。
ヘンリーを嫌われ役にしたくないのなら、そこに同席者を用意して、アーロが小さいことにガッカリしたり、「中身はチビか」と馬鹿にしたりさせればいい。そしてアーロにも、小さいことへの申し訳なさそうな様子や、居心地の悪そうな態度を表現させた方がいい。

ヘンリーは臆病でヘマを繰り返すアーロを不安視するイダに、「任せておけ」と言う。そして夜中にアーロを連れ出すのだが、何をするかというと、ホタルの群れがある草原へ連れて行って一緒に楽しむだけ。
一応は「怖さを乗り越えることで、初めて見ることの出来る世界があるんだ」と説いているけど、「怖さを乗り越えたら美しいホタルの群れが見られるよ」ってのを見せても、あまり言葉の重みを感じない。
実際、その言葉を受けて、アーロが「怖さを乗り越えよう」と思っている様子は皆無だし。
ヘンリーの言葉のおかげで恐怖を乗り越え、食料を盗んでいる犯人を退治できるわけでもないし。

しかも、その翌朝になってヘンリーは「新しい手伝い」として、サイロの食料を盗む犯人を退治するようアーロに命じているんだよね。
いやいや、それは違うでしょ。
それまでのアーロが与えられていた仕事は鶏のエサやりであり、何度も鶏に怯えて逃げ回っていた。だから彼が恐怖を乗り越えて一人前になるためには、「怖がらずに鶏のエサやりを完了させる」というミッションのクリアが必要なはずなのだ。
そこを放置しておいて別の手伝いを指示している時点で、「目の前の恐怖から逃げている」ってことになっちゃうでしょ。

アーロがスポットを逃がす理由が、可哀想に思ったからなのか、怖がったからなのかが分かりにくい。
最初は吠えられて怯えているが、スポットが疲れておとなしくなった様子を見せてから、アーロは縄を切って「逃げろ」と言っている。
話の流れを考えても、たぶん可哀想に思って逃がしたということなんだろうとは思う。
ただ、もっとハッキリと表現した方がいい。
怖くて逃がしたか、可哀想で逃がしたかで、そのシーンの持つ意味は大きく変わってくるんだし。

今にも嵐になりそうな悪天候の中で、ヘンリーがアーロを連れて食料泥棒を捕まえに遠出しようとするのは不自然だ。
彼が厳格で昔気質な性格だったら、それは分かるのよ。だけど、むしろ真逆で、アーロが臆病な様子を見せていても、どれだけヘマを繰り返しても、優しく穏やかな態度で見守っていた父親なのだ。
そんな奴が、そこだけ急にキャラが変貌したように行動するのよね。
そこは「ヘンリーが川を流されて姿を消す」という展開のために、キャラを捻じ曲げているようにしか思えない。

ヘンリーは川を流されるが、明確に「死んだ」ってことが描かれるわけではない。なので、後から「実は生きていて」みたいなことでもあるのかと思ったりしたが、二度と登場しない。
だったら、もっと明確に「死にました」ってのを示した方がいい。
あと、ヘンリーが川を流されても何の余韻も無く、あっさりと次のシーンへ移るのは雑だなあ。
リビーが父の死を嘆く様子もないし、バックがアーロを「お前のせいだ」と責めることもないし。

っていうかさ、リビーとバックって、そもそも存在意義が皆無に等しいんだよね。
一応は「不出来で臆病なアーロ」と比較対象するためのキャラとして配置されているんだけど、それって別に要らないんだよね。
アーロだけを単独で登場させて、「臆病でヘマばかり」ってのを描いたとしても、受ける印象としては大して変わらない。リビーにしろバックにしろ、その程度の扱いだからね。
どうせイダも含めて、アーロが川を流された後は終盤まで全く登場しないんだから、そいつらは要らなくないかと。

スポットを気に入ったペットコレクターが「名付けたら貰う」と言い出すと、アーロが対抗して色んな名前でスポットを呼ぶのだが、どういう理由でそんな行動を取ったのか良く分からない。
まず、アーロの中に「スポットを渡したくない」という気持ちがあったかどうかが分からない。
また、ペットコレクターは「名付けたら貰う」と言っただけで、「互いに名前を呼んで反応したら、そいつの物」と提案したわけでもないし。
なので、なんか奇妙なシーンになっている。

アーロはサンダークラップに騙されたとは言え、小動物が食われる手伝いをした形になっている。
その瞬間のアーロは驚いているものの、「スポットも食べられるかも」と焦ったり存在を隠そうとしたりするだけで、「小動物を死なせてしまった」ということに対する罪悪感は全く抱いていない。そりゃダメだろ。
あと、本人は全く引きずっていないものの、アーロに罪を背負わせちゃダメだろ。
劇中では「大したことでもないし」みたいに軽くスルーされているけど、こっちは最後まで気になるわ。

「アーロがスポットと出会い、互いに孤独な中で絆を深め合っていく」という友情ドラマをメインにしているのかと思いきや、「アーロが様々な経験や出会いを経て精神的に成長していく」という物語を持ち込んでいる。
この2つは上手く融合せず、軸がブレているだけだ。
また、「アーロの父に対する思い」という要素に関しては、終盤に「ヘンリーの幻影がアーロに語り掛ける」というシーンを用意することで回収しているが、その扱いは中途半端だ。
っていうか、「アーロが父の死を引きずっていたが、それを乗り越える」というドラマを終盤に用意するなら、ますますスポットなんて要らなくないか。

ラスト直前、いよいよアーロの我が家が近付いた辺りで、3人の人間が現れる。するとスポットは彼らに近付き、アーロと別れることを選ぶ。
そいつらがスポットの家族であれば、それは何の問題も無く受け入れられる。しかし何の関係も無い連中であり、単に「同じ人間」というだけだ。
「同じ種族で暮らした方が幸せだよね」ってのは分かりやすいっちゃあ分かりやすいけど、なんか引っ掛かる。
ものすごく浅くて安易な着地を用意していると感じるし、面倒になって適当に放り出したようにさえ感じられる。

(観賞日:2018年5月9日)

 

*ポンコツ映画愛護協会