『運命のボタン』:2009、アメリカ

ラングレー空軍基地から国家安全保障局(NSA)副長官のマーティン・ティーグに、入院患者のアーリントン・スチュワードが蘇生したことを確認する報告が行われた。退院して秘密の場所へ移送されたスチュワードが、使用目的の分からない装置を作って一般家庭に届けていることも報告されていた。1976年、ヴァージニア州リッチモンド。12月16日の早朝に、ルイス家の玄関のチャイムが鳴った。一家は夫のアーサー、妻のノーマ、息子のウォルターという3人暮らしだ。ノーマが覗き窓からドアの外を見ると、車が走り去るところだった。
ノーマがドアを開けると、玄関先には差出人不明の箱が置いてあった。家族3人が集まり、ルイスが箱を開けると、中には赤いボタンの付いた装置が入っていた。その装置には、「スチュワードが午後5時に伺います」と書かれた手紙が添えられていた。だが、3人ともスチュワードという名前に心当たりは無かった。夫妻は仕事に出掛け、ウォルターはスクールバスで学校へ向かう。ウォルターの学校で教師をしているノーマは、生意気な生徒のチャールズから引きずっている足を見せるよう要求される。ためらいながらも、ノーマは4本の指が無い右足を見せた。
NASAはラングレー・リサーチ・センターで火星探査結果の記者会見を開き、広報担当官のノームが質問に応じる。しかし記者のロンダからNSAの関与を指摘されると、それには答えなかった。会見の場には、搭載カメラの設計を担当したアーサーも来ていた。ノーマは校長のポーテスから、学費の教員割引を来学期から中止することになったと知らされた。ノーマは友人のレベッカに「生活費は毎月ギリギリよ。アーサーはショックを受けるわ。まだ宇宙飛行士になる夢を持ち続けているんだから」と吐露する。
夕方、ノーマが一人で自宅にいると、スチュワードを名乗る老人が訪ねて来た。彼の顔の左側は、火傷で抉り取られていた。スチュワードはノーマに、「装置のボタンを押せば、貴方の知らない誰かが死にます。そして貴方には100万ドルが手に入ります」と語った。困惑するノーマに、彼は「お金は私が届けます」と言い、証拠としてスーツケースに持参した100万ドルを見せた。スチュワードは家に招き入れてもらった謝礼として100ドル紙幣を渡し、支払いの条件として「雇い主の情報は教えられない」「今回の提案について誰にも話さない」「考える猶予は24時間」と説明した。明日5時までの決断を促し、断れば提案がリセットされて別の人間にボタン装置が届けられることを型って、スチュワードは立ち去った。
義足を作っていたアーサーは同僚に問われ、ノーマが17歳の時に兄のバーベルが足に落下したこと、医者がX線を放射したまま放置したせいで4本の指を切断せざるを得なくなったことを語った。アーサーはノーマのために、義足を作っているのだった。宇宙飛行士訓練センターからアーサーに不合格通知が届いたため、合格を確信していた上司が抗議の電話を掛けた。心理テストに失敗したという説明があるが、全てのテストで最高点を叩き出したアーサーは納得できなかった。
帰宅したアーサーに、ノーマはスチュワードのことや、彼から聞かされたことを全て語った。アーサーは「ボタンを押すと知らない誰かが死ぬ」という話を笑い飛ばすが、ノーマは不安を抱いていた。2人は地下室に箱を隠し、ベビーシッターのデイナにウォルターを預けて演劇鑑賞に出掛けた。帰宅したアーサーが装置を開けると、中は空っぽだった。ベッドに入ったノーマは、「100万ドルがあれば、お金の心配をしなくて済む」とアーサーに告げた。
翌朝、「足の手術は延期すべきね。お金が無いもの」とノーマが言うので、アーサーは「じゃあボタンを押してみろ」と促す。ノーマが怖がるので、アーサーは警察に連絡しようとする。しかしノーマは制止し、アーサーが「そいつは電話したことをどうやって知るんだ?」と言っても怯えたままだった。同じ頃、NASAのロケット科学者であるジェフリー・カーンズは妻からの電話で、息子のジミーが誘拐されたことを知らされた。彼が急いで車に乗り込む様子を、男が密かに撮影していた。
100ドル紙幣が本物であることを調べたアーサーは、スチュワードの説明を真実として受け入れた。「罪の意識に耐えられるか?」と彼が問い掛けると、しばらく考えていたノーマは思い切ってボタンを押した。通報を受けてカーンズ邸へ急行した警官たちに、隣人は「銃声がした後に彼が鞄を持って車で飛び出した」と告げた。警官たちが屋内に入ると、ジェフリーの妻ダイアンが射殺されており、幼い娘はトイレに閉じ込められていた。
夕方、スチュワードがルイス邸を訪れた。彼は装置を回収して100万ドルを夫婦に渡し、車で家を去った。「次は貴方たちの知らない誰かが死ぬ」というスチュワードの言葉で、夫婦は自分たちが死ぬ可能性もあるのだと気付いた。刑事のディック・バーンズは部下たちから、カーンズ邸の事件について報告を受けた。失踪したジェフリーは近所の評判が良く、前科も無い男だった。ノーマはアーサーから義足をプレゼントされ、彼と抱き合った。
ルイス夫妻は、ノーマの実家を訪れた。ノーマの妹であるデボラの結婚リハーサルとしてパーティーに出席するためだ。ノーマの父であるディック、母のラナを始めとする参加者の大半が笑顔を浮かべる中、アーサーは険しい顔で自分たちを凝視する老女がいることに気付いた。たくさんのプレゼントから1つを受け取る一番手に選ばれたアーサーは、その中にボタン装置の箱を見つけた。その箱を選んだアーサーは、友人たちから開けるよう促される。箱を開けると、スチュワードの写真が入っていた。
ウォルターはデイナを地下室へ案内し、アーサーが集めた火星に関する資料の数々を見せた。アーサーは書き留めたスチュワードの車のナンバーをディックに渡し、持ち主を調べて欲しいと依頼した。すると直後にノーマはスチュワードからの電話を受け、「御主人が車のことを警察に話しましたね。私には多くの従業員がいる」と言われる。「これ以上の面倒は嫌なの」とノーマが言うと、スチュワードは「もう面倒な事態になっています。装置がリセットされるまでは試練が続きます」と話す。「どうすればいいの?」とノーマが尋ねると、彼は「良心に従えばいいのです」と告げて電話を切った。
帰宅したアーサーは、デイナを車で送る。デイナはアーサーに、両親が購入した家が未完成なのでモーテルで暮らしていると話す。彼女は「光を見つめて」と告げた後、さらに何かを言おうとして気を失う。彼女の免許証を見たアーサーは、偽名を使っていることを知った。デイナはモーテルに到着すると目を覚まし、「ここは危険よ、早く行って。貴方を救えるのは1人だけ。鏡を見れば分かる」と告げた。家に戻ったアーサーは地下室の写真を確認し、火星バイキング計画に携わったメンバーの中にスチュワードの姿を発見した。
次の日、アーサーは警察署を訪れ、車のナンバーについてディックに尋ねる。スチュワードが使っていたのは、NSAの車だった。デスクにあった写真に気付いたアーサーの質問を受け、ディックは射殺事件について話した。ノーマが買い物をしていると、一人の女性が「NSAは黙認してる。あの男は子供1人の幸せな夫婦を試してる。誰も信用しないで。夫でも。図書館でこれを」とメモを渡して失神した。
アーサーはディックに頼み、事件現場へ案内してもらった。机の上の写真を見つけたアーサーは、そこに写っているのがNASA広報担当官のアーリントン・スチュワードだとディックに告げた。本を写した写真を見つけたアーサーは、それを手掛かりに図書館へ赴いた。アーサーがNASA職員が稲妻に撃たれたことを報じる記事を発見すると、不気味な利用客たちが後を付いて来た。外へ出ようとしたアーサーの前に、スチュワードの妻であるクライメンが現れる。彼女はアーサーに「彼はみんなを試している」と言い、ある場所へ案内する。そこには3つの入り口があり、クライメンは「選べるのは1つだけ。救済の道は1つ。残る2つは永遠の破滅よ」と告げる…。

脚本&監督はリチャード・ケリー、原作はリチャード・マシスン、製作はショーン・マッキトリック&リチャード・ケリー&ダン・リン、製作総指揮はスー・ベイドン=パウエル&テッド・フィールド&パリス・カシドコスタス・ラトシス&テリー・ダガス&エドワード・H・ハムJr.、撮影はスティーヴン・ポスター、編集はサム・バウアー、美術はアレクサンダー・ハモンド、衣装はエイプリル・フェリー、音楽はウィン・バトラー&レジーヌ・シャサーニュ&オーウェン・パレット。
出演はキャメロン・ディアス、ジェームズ・マースデン、フランク・ランジェラ、ジェームズ・レブホーン、ホームズ・オズボーン、サム・オズ・ストーン、ジリアン・ジェイコブス、セリア・ウェストン、デボラ・ラッシュ、リサ・K・ワイアット、マーク・カーティア、ケヴィン・ロバートソン、ミシェル・ダーレット、イアン・カーン、ジョン・マガロ、ライアン・ウッドル、ベイジル・ホフマン、ロバート・ハーヴェイ、ジェントリー・リー、アンドリュー・レヴィタス、ガブリエル・フィールド、フランク・リドリー他。


リチャード・マシスンの短編小説『死を招くボタン・ゲーム』を基にした作品。
『ドニー・ダーコ』『サウスランド・テイルズ』のリチャード・ケリーが脚本&監督を務めている。
ノーマをキャメロン・ディアス、アーサーをジェームズ・マースデン、スチュワードをフランク・ランジェラ、ノームをジェームズ・レブホーン、ディックをホームズ・オズボーン、ウォルターをサム・オズ・ストーン、デイナをジリアン・ジェイコブス、ラナをセリア・ウェストン、クライメンをデボラ・ラッシュが演じている。

この映画の時代設定が、1976年12月になっている意味が良く分からない。
なぜ公開された2009年じゃダメなのか。インターネットが発達して、ボタンについて色々と調査することが可能になっている状況を避けたかったのか。
しかし過去の時代設定にするなら、「2009年を避ける理由」ではなく、「1976年でなければならない理由」を用意すべきだ。
原作の発表が1970年なのに、そこに合わせているわけでもないんだな。火星バイキング計画に合わせて1976年に設定しているんだろうけど、妙なトコに固執してるなあ。

根本的な問題として、『死を招くボタン・ゲーム』を長編映画化するという企画の段階で、ほぼ失敗することは目に見えている。
なぜなら、原作小説は長編映画化に向かない素材だからだ。
説明に必要なので原作の完全ネタバレを書くが、大まかな流れは「押せば大金が手に入るが、知らない誰かが死ぬとボタンを持った男が夫婦の元に来る」→「妻がボタンを押すと夫が死ぬ」→「約束が違うと妻が抗議すると、貴方は夫のことを本当に知っていたのかと男が問い掛ける」という内容である。
ようするに、星新一のSFショートショートのような、痛烈な皮肉を込めたオチだけで勝負する一発ネタの話なのである。

その原作小説に使われたワンアイデアを活かして長編映画にするとなったら、オチに向けたネタ振りの部分を引き延ばすしかなくなるわけで。
それは、どう考えても単に間延びしたモノになってしまう危険性が高い。
しかし大幅に改変し、オチのインパクトで勝負するタイプではない作品にしてしまうぐらいなら、『死を招くボタン・ゲーム』を映画化する意味が無いってことになる。
そんな風に考えていくと、長編映画化した時点で失敗が見えていたと思ってしまう。

ただし実のところ、何とかなるんじゃないかというアイデアはある。
それは、「ボタンを押してから1週間以内に知らない誰かが死ぬという設定にしておく」→「ボタンを押すまでの夫婦の葛藤に時間を使う」→「妻はボタンを押すが、誰かが死んだニュースを知る度に自分のせいではないかと考える」→「夫が何も気にしないなど、夫婦関係が表面的であることを描写しておく」→「妻は男について調べるが何の情報も得られない」→「身内や友人の愛する人間が謎の不審死を遂げ、直接の面識は無い“知らない誰か”なので、妻は自分のせいではと考える」→「妻の苦悩が深まる中、夫が急死」→「それがボタンのせいだと知った妻は抗議するが〜」という風に構成するってことだ。
まあ自分で書いていても、少し無理のある内容だとは思うよ。
でも『死を招くボタン・ゲーム』を長編映画化しようとすると、どこかに無理が生じるんじゃないだろうか。

で、この映画だが、原作小説とは大幅に異なっている。
決定的に違うのは、原作のオチを使っていないということだ。つまり前述した「映画化する意味が無い」という改変をやっているのだ。
この映画を見ても、ホントに『死を招くボタン・ゲーム』を映画化した意味が見えない。
どうやらリチャード・ケリーは原作小説のオチの部分ではなく、「押すと誰かが死ぬ」というギミックに興味を抱いたようだが、それを使って説教臭いトンデモSFに仕上げるってのは、どういうセンスなのかと。

始まって30分ぐらいで、アーサーがノーマに「向かいの住人だったら?彼らのことを本当に知ってる?僕のことは?」と問い掛けるので、もう原作小説のオチは使えなくなってしまう。使えなくなるだけでなく、原作を読んだ人なら「原作のオチを使っていない」ってことが分かる。
この映画は原作のオチを使わない代わりに、ある意味では原作よりも驚愕のオチを用意している。
それは、「全ては宇宙人の実験だった」というオチだ。
もう少し詳しく書くと、終盤になって「スチュワードは火星人に雇われていて、NSAもFBIもCIAも彼の言いなりになっている。火星人は人類の利他主義をテストするためにボタン装置を用意した」ってことが明らかにされる。火星人は「他人の利益のために自分を犠牲に出来なければ、人類に生きる価値は無い」と考えており、テスト結果によっては人類を滅亡させるつもりなのだ。
まあ厳密に言うと、それが明かされた後も話が続くので、オチと表現するのが適切なのかどうかは微妙なところだが、それ以降の部分は単にダラダラと話を引き延ばしているだけとしか思えないし、実質的には「宇宙人の仕業」ってのが判明した時点で作品としてはオチている。

前述した個人的なアイデアで原作を映画化したとしても、せいぜい80分ぐらいだろう。この映画が115分もあるのは、どう考えても無駄に時間を引き延ばし過ぎだ。
どうやって引き延ばしているのかというと、例えば早朝に手紙を添えた箱が車で届けられ、夕方になってからスチュワードが訪問して詳細を説明している。
そんなのは、どう考えたって無駄な手間。スチュワードが箱を持って訪問する形にしておけばいい。
ノーマが生意気な生徒のチャールズに要求されて不自由な方の足を見せるシーンなんかも、何のためのシーンか良く分からん。

そもそも「ノーマが17歳の時に兄のバーベルが足に落下したこと、医者がX線を放射したまま放置したせいで4本の指を切断せざるを得なくなった」という設定にしている意味が分からん。
ノーマの足の損傷は、「自分も体の一部を損傷しているから、スチュワードの苦しみが分かる」ってトコロで関連性を持たせているけど、そのことを彼女が言い出す時には、それどころじゃないような混沌状態に物語が陥っているんだよね。
だから「そんなの、どうでもいいわ」としか思えない。
それに、そこへ向けてのノーマの心情ドラマも描写が著しく不足しているので、涙目で「貴方を見た時、貴方への溢れるような愛を感じたそして二度と自分を憐れむのはやめようと思った」と言っても、ただ唐突なだけだし、「何言ってんの?」と感じるだけ。

ノーマが学費の教員割引の中止を通告されたり、アーサーが宇宙飛行士のテストに落ちたりするのは、すんげえ無駄な手間にしか思えない。
後になって、全ては火星人が夫婦を追い込むための仕掛けだったことが判明するけど、「ボタンを押させるために、そこまで手間を掛けるのかよ」と言いたくなる。
なぜボタンを届けて選択を迫るだけで満足しないのか。
火星人の「人類の利他主義をテストする」という目的からすると、そのための行動に無駄が多いし、すんげえ陳腐なのよね。

鼻血を出す連中はスチュワードに洗脳された従業員だったとか、完全に洗脳できるわけでは無いからアーサーに真実を話そうとするけど鼻血が出て失神しちゃうとか、一応は伏線を回収しようという意識がある。
だけど、結果としては散らかったままという印象が否めない。
プレゼントの山の中にボタン装置と同じ箱が混ざっているとか、それを開けるとスチュワードの写真が入っているとか、パーティー会場に険しい顔で凝視する老女がいるとか、そういった怪しげで意味ありげな出来事の数々は、伏線として描かれているのかもしれないけど、単なるコケ脅しにしか思えない。

ノーマがボタンを押すのは、映画開始から30分を経過した辺り。
そのように書くと、夫妻がボタンを押すまでに悩む時間がそれなりに設けられていたように思えるかもしれないが、実際に映画を見ると、かなり簡単に押している印象を受ける。
というのも、スチュワードの説明が終わるのが開始から17分頃で、その後にアーサーの様子が描かれたりして、実質的に夫婦がボタンのことを考える時間は劇中シーンとしては10分程度。
しかもアーサーはノーマに決断を求める直前までは全く信じていなかったので、彼の方は全く悩んでいないし。

そんでボタンを押した後も、「自分たちのせいで誰かが死んだ」ということに苦悩するんじゃなくて、「次は自分たちが死ぬかも」ということで不安を覚えるんだよね。
つまり2人が悩むのは、誰かを殺したという罪悪感が原因ではないのだ。
しかも、そこでの悩みも短くて、すぐに「アーサーがスチュワードについて調べる」という展開へ移ってしまう。
で、そこからどんどん話が明後日の方向へ進み、トンデモ度数の高い内容が充満し、観客に徒労感や脱力感を与える結果になっている。

アーサーはクレイメンに3つの出口から1つを選ぶよう要求されるが、そこに来て急にボタンと別の試練が用意されるってのは、完全に後付けだろうに、と言いたくなる。
しかも、その試練は「同じ出口が3つある中から1つを選べ」という内容だから、運だけのギャンブルなんだよね。それは何の意味を持つ試練なのかと。
アーサーが2番を選ぶのは、チャールズたちがピースサインをしていたのを覚えていたからだろうけど、それがヒントだと確信した理由も良く分からんし。
そんで、その後にはウォルターを誘拐し、「配偶者を殺せば子供は助ける」という選択を迫るんだけど、また後付けの試練なのかよ。

リチャード・ケリーは「火星人が人類の利他主義を試している」という説教がましい理屈を用意しているけど、結局は悪質な殺人ゲームを強要しているだけにしか思えんぞ。変に理屈を用意しても、それが全く話の面白味に繋がっていない。
しかも、そのせいで後味も悪すぎる。
原作のオチはブラックだけど、ニヤリとさせられる心地良さがあった。
しかし本作品の結末は、ただ単に不愉快なだけだわ。

それにしても、まさか2009年にもなって『宇宙からのツタンカーメン』的なネタを使う映画が製作されるとは思わなかった。
ただ、『宇宙からのツタンカーメン』は1982年のZ級SF映画だけど、21世紀に入ってからも「実は宇宙人の仕業」というオチを使った映画って、ジュリアン・ムーア主演のアレとかが作られているんだよね。
で、あの映画が酷評を受けたはずなのに、また同じネタを使っているのね。
どう頑張ってもB級なポンコツ映画のテイストが強く漂う仕上がりになってしまうネタなんだけど、そういうのを使いたがるクリエーターと、それでゴーサインを出しちゃうプロデューサーってのが、まだまだハリウッドには生息しているんだねえ。

(観賞日:2014年12月7日)

 

*ポンコツ映画愛護協会