『アパリション -悪霊-』:2012、アメリカ

1973年、超心理学を研究する研究グループが、死んだ友人のチャールズ・リーマーと接触することを試みた。いわゆるチャールズ実験だ。大学生のパトリック、グレッグ、リディアは仲間の男に撮影させ、特異心理学の実権を行った。彼らはチャールズ実験と異なり、ハイテク設備で霊を呼び出そうと考えた。3人は脳波計とヘッドギアを装着し、テーブルに人形を置いて霊を憑依させようとする。しかし研究室でポルターガイスト現象が発生すると、彼らは怯えた。停電が起きる中、リディアは見えない力で空中で引っ張られた。
数年後、ペット・クリニックで働くケリーは、エンジニアをしている恋人のベンと同棲生活を始めることにした。2人が新生活を始める場所は、パームデールのデュルス・クレストという住宅地だ。空き家が多く郊外にあることを、ケリーは気に入っていた。2人の新居は、ケリーの母から借り受けていた。既にケリーは、隣人であるマイクや娘のマギーと仲良くなっていた。ホームセンターで買い物を済ませた2人は、荷物を運び込む。すると買ったばかりのサボテンが枯れ、料理をしていないのにテーブルには焦げた跡が付着していた。
深夜に2人が目を覚ますと、施錠したはずのドアが開いていた。ベンが警備会社に連絡して調べてもらうが、侵入の形跡も故障も無かった。翌朝、ケリーが服を片付けていると、箪笥が勝手に動いた。ベンは鍵を交換し、防犯カメラを設置した。マイクの飼い犬であるペッパーが家に入り込み、家の片隅を眺めて座り込んだ。ペッパーの具合が急に悪化したので、ケリーたちは慌てて動物病院へ連れて行くが、そのまま死んでしまった。ケリーの謝罪を受けたマイクは、「仕方ないことだよ」と責めなかった。
床材が割れているのを見つけたケリーが剥がしてみると、カビが生えていた。床下に潜って調べようとしたベンは、何かの気配を感じた。ケリーがシャワーを浴びている間に、ベンはパソコンのメールをチェックした。何日も前から、彼はパトリックから大量のメールを受けていた。最初は「電話してくれ」という内容で、やがて「再実験する。君も来てくれ」「来なくても実験する」「実験は失敗した」「緊急事態だ」「君も危険だ」といった内容に変化していったが、ベンは全て無視していた。
ベンが送られてきた映像を確認すると、パトリックは「数年前に出現させた霊を封じ込める実験を行う」と言っていた。しかし実験は失敗に終わり、グレッグが犠牲となっていた。浴室を出たケリーはクローゼットが荒らされているのを発見し、ベンに知らせた。怖くなったケリーがテントで寝ることにしたので、ベンも付き合った。ケリーが「クローゼットを見た?人間の仕業じゃない」と言うと、ベンは実験のことを話さず「俺が調べる」と告げる。ケリーが寝た後でベンが見回りに行くと、防犯カメラが壊されていた。
翌朝、仕事へ出掛けるケリーに、ベンは「不安だろうが、全て元通りになる」と話す。ガレージに隠してあるトランクの中身を確認した彼は、パトリックからの着信を無視した。家に戻ったベンは、天井に大きな虫の巣のような物が出来ているのを見つけた。ベンが巣を突くと、実験で使った人形が出て来た。ベンは巣を完全に除去してゴミ袋に詰め、車で捨てに行く。彼が去った後、ガレージの扉は勝手に開いた。仕事から戻ったケリーは、マギーから「あの家が犬を殺した」と告げられた。
ガレージに入ったケリーは、トランクに人形や実験で使った道具が入っているのを見つけた。さらに彼は、ベンがリディアの恋人だったことを示す写真も発見した。トランクに入っていた映像を再生すると、実験の様子が記録されていた。戻って来たベンはケリーに追及され、「リディアは消えた」と言う。「消えたって、死んだの?私も死ぬの?」とケリーが訊くと、ベンは「まさか」と否定する。ケリーが「断言できる?家の中に何がいるの?」と質問すると、彼は「俺にも分からない」と答えた。
ケリーが「なぜ黙ってたの」と責めると、ベンは「知らない方が安全だと思ったんだ。俺なりに君を守っているつもりだった」と釈明した。ケリーは「貴方を信用できない」と告げ、出て行くよう要求した。しかし怪奇現象に怯えた彼女は、ベンに連れられてホテルへ移動した。ケリーは同じベッドで就寝することを拒み、ベンはソファーで眠った。深夜、ベンが目を覚ますと幽体離脱しており、天井に体が張り付いていた。ケリーはシーツに襲われ、窒息死しそうになる。ベンは何とか脱出し、彼女を救った。
翌朝、ベンはパトリックと連絡が付いたので、ケリーを連れて彼と会った。パトリックはベンに、「霊は家じゃなく、君に憑いた。あれは人間の霊じゃない」と言う。ケリーが「霊の望みは何?」と尋ねると、彼は「この世を征服して、俺たちの命を糧にして懲らしめ、世界を歪めて人間を乗っ取る」と答えた。パトリックは2人に、「俺たちが世界の裂け目を開いた。2度目の実験で、さらに開いた」と告げた。パトリックが「終わらせる方法はある」と言うので、ケリーとベンは彼の考えた作戦に協力する…。

脚本&監督はトッド・リンカーン、製作はジョエル・シルヴァー&アンドリュー・ローナ&アレックス・ハインマン、共同製作はリチャード・ミリシュ&アダム・カーン&チャーリー・ウォーケン&クリストフ・フィッサー&ヘニング・モルフェンター、製作総指揮はスティーヴ・リチャーズ&スー・ベイドン=パウエル&ダニエル・オルター、製作協力はイーサン・アーウィン&スティーヴン・ベンダー、撮影はダニエル・C・パール、美術はスティーヴ・サクラド、衣装はキンバリー・アダムズ、編集はジェフ・ベタンコート&ハロルド・パーカー、音楽はトムアンドアンディー。
出演はアシュリー・グリーン、セバスチャン・スタン、トム・フェルトン、ジュリアンナ・ギル、ルーク・パスクアリーノ、リック・ゴメス、アンナ・クラーク、スザンヌ・フォード、ティム・ウィリアムズ他。


ダークキャッスル・エンタテインメントが製作したオリジナルのホラー映画。
「トワイライト」シリーズのアリス役だったアシュリー・グリーン、「キャプテン・アメリカ」シリーズのバッキーを演じているセバスチャン・スタン、「ハリー・ポッター」シリーズのドラコ役だったトム・フェルトンが顔を揃えている。
ケリー役がアシュリー・グリーン、ベンがセバスチャン・スタン、パトリックがトム・フェルトンだ。
脚本&監督のトッド・リンカーンは、これまでに短編は何本か撮っているが、長編は初めて。
ちなみに、JUDY AND MARYの『ラッキープール』でPV監督を務めた人らしい。

この作品は、アメリカのホラー映画専門誌『ファンゴリア』が選ぶ2013年のファンゴリア・チェーンソー賞で最低映画賞にノミネートされている。
ちなみに他の候補作は『デビル・インサイド』『ピラニア リターンズ』『スマイリー』で、受賞作は『パラノーマル・アクティビティ4』だった。
もうちょっと余計な情報を書いておくと、最優秀作品賞は『キャビン』で、最優秀外国語作品賞は『ゾンビ革命 -フアン・オブ・ザ・デッド-』だった。

冒頭、「この映像は1973年に撮影された。超心理学を研究する研究グループが、死んだ友人のチャールズ・リーマーと接触することを試みた。いわゆるチャールズ実験だ」という説明と共に、古いフィルムっぽく加工した実験映像が写し出される。
だが、その映像を冒頭で見せる意味が無い。
その直後にパトリックたちの実験シーンがあるんだから、そこから始めても全く支障は無い。
そのチャールズ実験が後から意味を持ってくるならともかく、何も無いんだし。

チャールズ実験の映像を最初に見せても、それによってリアリティーや説得力が生じることは無い。
そもそも、チャールズ実験って実際にあった出来事じゃないし。モキュメンタリーの要素を中途半端に持ち込んで、上手く消化できていない印象を受ける。
あと、その映像で不安を煽るように始めておいて、パトリックたちの実験準備が描かれると軽快でノりのいいBGMが流れて来るので、雰囲気を台無しにしてしまう。
そこは「不安を煽っておいて、明るいノリにして」という落差を付けることで、効果が出るような箇所ではない。最初に不安を煽るような映像を用意したのなら、その雰囲気のまま進めた方がいい。

パトリックたちの実験が始まると、途中でベンが撮影している映像も挿入される。
だが、その映像だけでシーンを構成するわけじゃないし、あまり効果的とは言えない。「その映像をチェックしたら変な物が写っていた」とか、そういう使い方をするわけでもないし。
後でケリーが映像を見つけるシーンはあるけど、その時に意味が生じるぐらいのモノなんだよね。だから、実験シーンでベンの撮影した映像を挟む意味は薄い。
POVを中途半端に持ち込んで、上手く使いこなせていない印象を受ける。

サボテンが枯れたり、テーブルの焦げをベンが見つけたりした時に、SEを使うなどして観客の不安を煽っているが、それは演出の先走りだと感じる。
その辺りは、もう少しサラッと流してしまった方がいい。
その辺りで不安を煽るなら、ベンの正体は最初から明かしておいた方がいい。
っていうか、そういう理由じゃなくても、ベンの正体を隠しておく意味を感じない。そこのミステリーなんて何の効果も無いし、むしろ実験に参加していたことを明示した方が、観客の不安を煽るには好都合のはず。

あと、数年前に恋人が目の前で消失する恐ろしい体験をしている上に、以前からパトリックのメールで危険が迫っていることは分かっていたはずなのに、ベンが新居で不気味な現象が起きても落ち着いて対処しているのは不可解だ。
「ケリーの前だから平静を装っている」ということじゃなくて、ホントに「幽霊なんて無関係」と思っているかのような態度にしか見えないのよ。
むしろケリーよりベンの方が、早い段階で動揺すべきじゃないのかと。
例えば「ケリーの前では平静を装うが、実際は怯えている」という描写でもいいし。

そもそも、あれだけパトリックから危険を訴えるメールが何度も届いているのに、それを完全に無視するってのは不可解だわ。
「ケリーに何も知らせない方が安全だと思った」という言い訳を受け入れるとしても、パトリックとは連絡を取るべきだろ。既に様々な怪奇現象が家で発生しており、「君も危険だ」という警告の意味は理解できたはずなんだし。
無視していたら怪奇現象が止まるとか、危険が去るとか、そういうことじゃないんだからさ。
まあ「現実逃避」と解釈できないことも無いけど、それでスッキリするわけではない。

ベンが実験に参加していたことを隠したまま物語を進めておきながら、まだ30分ぐらいしか経過していない辺りで観客にバラすってのは、ものすごく中途半端だわ。
それによって、「まだケリーは知らないけど観客は知っている」という時間帯が生じるのも上手くない。
それによって「観客は知っているけど、何も知らないケリーがヤバい行動を取るから、こっちはハラハラする」とか、そういう風に上手く使っているならともかく、そうじゃないし。

マギーの「あの家が犬を殺した」という台詞は真実から外れているので、コケ脅しとしては中途半端。家が攻撃性を持っているわけじゃなくて、ケリーとベンが家を出ても襲って来るのでね。
で、ガレージに入ったマギーが実験映像を発見し、ようやく意味のある形でベンの撮影した動画が使われる。
いっそのこと、ケリーが映像を見つけるまで、実験シーンを描かないまま進めるってのも1つの手だったんじゃないか。
どうせ前述したように、ベンが撮影を担当していたことも途中まで隠しているぐらいだし。

ただでさえ陳腐な印象の強い状態で話が進んでいくのに、パトリックが霊の正体や目的について説明すると、ますます陳腐になってしまう。
「人間の霊じゃない」とか「世界の裂け目を開いた」という説明があるので、ひょっとするとクトゥルー神話的な要素を持ち込む意図があったのかもしれない。ただ、スケールを大きく見せようとしたのかもしれないが、逆にチンケに感じさせる結果となっている。
そもそも、なぜパトリックがそんなことを詳しく知っているのか疑問が湧くし、霊の目的なんかどうでもいいし。むしろ目的が良く分からない方が、得体の知れない怖さがあるでしょ。
「恐怖の正体をハッキリさせたがる」という、アメリカ人の悪癖が出たのかねえ。

パトリックはケリー&ベンと会うと、「サイコマンテウムを覚えてるか。電気の流れを変えて負の磁場を作り、脳波の避難所を作った」とか、「現れそうな場所に装置を設置する。最初の実験で録画した脳波が使える。逆再生して全エネルギーを装置に送り込む。4千人の力を40万人分に増幅させる。俺たちが受け皿になる。みんなで一気に押し返す」「初回の実験で脳波が鍵の役目をした。2度目で扉が開いた。その逆をやる」「増幅した脳波を逆伝送し、余剰エネルギーで扉を閉めてロックする」などと説明する。
ワシには「ワケの分からない説明」としか思えないのだが、なぜかケリーはすんなりと受け入れる。
そりゃあ、ケリーが「どういう意味?」などと質問して、いちいちパトリックが説明していたら、時間が無駄に消費されるだろうってのは理解できるよ。どうせデタラメな理論なので、無駄な説明に時間を割くよりも、テンポ良く進める方を選ぶってのは、分からないでもない。
ただ、パトリックの説明にリアリティーや説得力があるのかというと、それはゼロだからね。
「なんかバカバカしいことを、それっぽく喋ってるなあ」という印象しか受けないのは確かだ。

準備に入ったケリーは物置で怪奇現象を目撃し、扉を外から釘で打ち付ける。しかし振り向くと、なぜか物置の中に閉じ込められている。
そこだけ急に、それまでとは全く異なる類の怪奇現象が起きているので、違和感を覚える。
さらに、物置の奥から貞子チックな女性の幽霊が床を両手で這いながら出現するので、これまた「そこで急に幽霊を出しちゃうのかよ」と違和感を覚える。
そこまで怪奇現象オンリーで引っ張ったのなら、最後まで徹底した方が良かったんじゃないかと。
そこで中途半端に幽霊を出現させても、恐怖をエスカレートさせる効果は生まれず、むしろ陳腐な印象に繋がっている。そこから幽霊が襲って来る展開が続くのかというと、そうじゃないんだし。

その後、パトリックの主導で実験が行われるのだが、「しばらくポルターガイスト現象が続いて、それが停止する」というだけの描写になっており、盛り上がりもへったくれも無い。
あっさりした印象のまま、「実験に成功した」ということになってしまう。
もちろん、その実験で全てが解決するわけではなく、「全て終わったはずなのに襲われて」という展開になるんだけど、だからって実験のシーンを淡白に済ませていいってわけじゃないでしょ。
まあ淡白に済ませているつもりなんて無いんだろうけどさ。

日本だと、そこそこ人気のあるタレント(アイドルのケースが多い)を起用し、その訴求力だけに頼ったようなボンクラなホラー映画が山のように作られている。
この作品を見た時、アメリカでも同じようなことがあるんだなあと認識させられた。
まあハリウッドの場合、先にタレントのスケジュールを押さえて、後から企画を考えるようなことは無いだろうけどさ。
でも出来上がった映画を観賞した時の印象は、あまり変わらないモノになるのよね。

(観賞日:2015年8月26日)

 

*ポンコツ映画愛護協会