『悪魔のいけにえ/レジェンド・オブ・レザーフェイス』:1994、アメリカ

1996年5月22日。高校生のジェニーは、恋人のショーンとプロムの会場に来ていた。パーティーの直前、ジェニーの友人であるヘザーは、恋人のバリーが他の女とキスしている現場を目撃して激怒した。彼女は車に乗り込んで会場から飛び出そうとしたので、バリーは後を追い掛けて助手席に滑り込んだ。2人が言い争っていると、後部座席でイチャイチャしていたジェニーとショーンが体を起こした。驚いたヘザーが運転を誤り、横から走って来た別の車と激突した。
ヘザーは再びアクセルを踏んで車を発進させ、バリーと言い争う。ジェニーとショーンはヘザーの味方になり、バリーの女癖の悪さを指摘した。一行は霧が出ている田舎道に入ったところで、また別の車と激突してしまう。その車から出て来た運転手の青年は、「大丈夫だ」と言って気絶してしまう。事故で車は故障してしまい、一行はショーンを現場に残して電話を借りに行くことにした。民家を探して歩き回ったジェニーたちは、ダーラという女性のいる事務所に辿り着いた。
ジェニーが「事故で怪我をした男性がいるので警察を呼んでほしい」と事情を説明すると、ダーラは夫のヴィルマーに電話を掛けた。事故現場にレッカー車で到着したヴィルマーは、青年の首を折って殺害した。彼は怯えるショーンに、「逃げても無駄だ。お前を殺す」と宣告した。ショーンは必死で逃げるが、ヴィルマーは車で追い掛け回す。ヴィルマーは車でショーンをはね、何度もタイヤで踏み付けて殺害した。ヘザーとバリーは走って来るトラックを見つけて「乗せてくれ」と叫ぶが、無視されたので追い掛けた。
トラックを見失ったヘザーとバリーは、一軒の民家をノックする。返事が無いので、バリーはヘザーに頼まれて裏口を調べに行く。バリーは家の住人であるWEにショットガンを向けられ、脅しを掛けられる。ヘザーはレザーフェイスに捕まり、悲鳴を上げる。声を聞いたバリーは駆け付けようとするが、WEが銃を発砲しようとするので動けない。バリーはWEに命じられて家に入るが、ドアの鍵を掛けて彼を閉め出す。レザーフェイスはバリーを金槌で襲って昏倒させた後、ヘザーをフックで天井から吊るした。
残されたジェニーがショーンを捜していると、ヴィルマーが車で通り掛かった。ヴィルマーがショーンの居場所を知っていると言うので、ジェニーはトラックに乗せてもらう。ヴィルマーに命じられたジェニーが荷台を見ると、そこにはショーンと青年の死体が積まれていた。ジェニーが車から飛び降りて逃走を図ると、ヴィルマーは「好きにしろよ」と笑って走り去った。その直後、レザーフェイスが現れてチェーンソーを振り回すので、ジェニーは慌てて逃げ出した。
ジェニーはダーラの家へ逃げ込み、助けを求める。するとダーラはWEを呼び、ジェニーを捕まえさせた。WEはジェニーを麻袋に閉じ込め、車のトランクに積み込んだ。ダーラが車に乗り込み、ピザを受け取りに行く。ピザ屋の店員も、通り掛かった警官も、ジェニーが閉じ込められていることには気付かなかった。ダーラは逃げ出して倒れているヘザーを発見するが、そのまま放置した。家に到着した彼女は、「女が逃げたわ。捕まえて来なさい」と命じた。ジェニーは家に運び込まれ、すぐにヘザーも連れ戻された。
ダーラはジェニーを洗面所へ連れて行って2人きりになると、「ヴィルマーもそれほど悪い人じゃないのよ。きっと仕事のストレスで変になってるの」と告げる。「人殺しが仕事?」とジェニーが言うと、彼女は「誰にも言っちゃダメよ。この世界を影から操っている連中がいる。私は信じていないけど、ケネディー大統領を殺したのは奴らよ。何千年も前から世界を支配してる。ヴィルマーは奴らの仲間なの」と語った。ジェニーは隙を見てヴィルマーのショットガンを奪うが、すぐに取り返されてしまう。車で逃げ出そうとしたジェニーだが、すぐに捕まって連れ戻された。ヴィルマーがパーティーを始めようとしていると、ロスマンという男が訪ねて来る…。

脚本&監督はキム・ヘンケル、製作はロバート・J・クーン&キム・ヘンケル、製作総指揮はロバート・J・クーン、製作協力はチャールズ・クーン、撮影はレヴィー・アイザックス、編集はサンドラ・アデール、美術はデボラ・パストール、衣装はカリ・パーキンス、音楽はウェイン・ベル。
出演はレネー・ゼルウィガー、マシュー・マコノヒー、ロバート・ジャックス、ジェームズ・ゲイル、トニー・ペレンスキー、ジョー・スティーヴンス、リサ・ニューメイヤー、タイラー・コーン、ジョン・ハリソン、クリス・キルゴア、ヴィンス・ブロック、スーザン・ローラン、デヴィッド・ローレンス、グレイソン・ヴィクター・シルマッチャー、ジャネット・ウィギンズ、カーメン・ノゲイルズ、リサ・カラヴェオ、レス・マーティン、アダム・ホワイト、ビル・ワイズ、ローレン・グエラ、デレク・キール、デブラ・マクマイケル、ジェリー・ウォルコット、アクセル・L・シラー他。


『悪魔のいけにえ』シリーズ第4作。
第1作でトビー・フーパーと共に脚本を担当したキム・ヘンケルが、初監督を務めている(脚本も彼が担当している)。
ジェニーをレネー・ゼルウィガー、ヴィルマーをマシュー・マコノヒー、レザーフェイスをロバート・ジャックス、ロスマンをジェームズ・ゲイル、ダーラをトニー・ペレンスキー、WEをジョー・スティーヴンス、ヘザーをリサ・ニューメイヤー、バリーをタイラー・コーン、ショーンをジョン・ハリソンが演じている。
ラストシーンでは、1作目で「Grandfather」役だったジョン・デュガンが警官役で、ヒロインだったマリリン・バーンズ(出演者名は「Anonymous」と表記される)が担架で運ばれていく患者役で、それぞれ登場する。

この映画は『The Return of the Texas Chainsaw Massacre』という原題で1994年に封切られたが、その時は少数の映画館で限定的に公開されただけだった。
レネー・ゼルウィガーが1996年公開の『ザ・エージェント』でブレイクしたので、コロムビア・ピクチャーズは1997年にフィルムを編集して『Texas Chainsaw Massacre: The Next Generation』とタイトルを変更し、公開規模を拡大して再上映した。
シリーズ第4作だが、前作と物語としての繋がりは全く無い。
っていうか、実質的には、ほぼ焼き直しと言ってもいい。襲われるメンツが違うだけで、やってることは1作目と変わらない。3作目も1作目のリメイクっぽい中身だったが、それ以上に本作品はリメイク臭が強くなっている。
3作目の批評でも書いたが、1作目のリメイク的な内容ってことは、どう頑張っても1作目を越えられないってことだ。
あれはトビー・フーパーに舞い降りた一生に一度の奇跡だから。

これまた3作目の批評で書いたことだが、「テキサスにポツンと建っている一軒の家にレザーフェイスと家族が暮らしており、生贄を連れ込んでは殺害する」という基本的な部分はシリーズとして使いたいだろうし、そうなると1作目に似た構成になってしまうという事情はあるだろう。
ただ、それだと「焼き直し」から逃れることは難しいんじゃないか。
トビー・フーパーが2作目で試みたパロディーとしてのアプローチってのは、だから案外、そう悪くない方向性だったのだ。

喜劇の方へ舵を切らないのであれば、残酷描写の部分をケレン味たっぷりに飾り付けることで変化を付けるか、あるいは批判を覚悟して、思い切って構成を変えちゃうしか無いだろう。
最も分かりやすい例としては、「ある家に生贄を連れ込んで殺す」という行動パターンを崩して、レザーフェイス一家を遠出させちゃうとかね。
まあ一歩間違えると、『13日の金曜日PART8 ジェイソンN.Y.へ』みたいになっちゃう恐れはあるけど。

レザーフェイス一家は作品ごとに家族構成が異なっており、1作目ではレザーフェイスの他に2人の兄(ドレイトンとヌビンズ)と父親(当時は「祖父」とされていた)が登場し、2作目ではヌビンズの双子の兄弟であるチョップ・トップが加わった。
3作目になって整合性が取れなくなり、レザーフェイスはテックス、ティンカー、アルフレードという3人の兄とママ、娘、父の7人家族という設定になった。
ただ、3作目で家族構成がおかしくなってしまったとは言え、前3作のレザーフェイス一家は全て「Sawyer」という苗字だった。

しかし今回は「Slaughter」になっており、しかもヴィルマー、ダーラ、WEという新たな顔触れが登場する。
まあ2作目で最初の家族は全滅していると解釈すれば、その連中が出て来ないのは当然だが、「では新たな家族は何者か」という疑問は生じる。
それに、前3作のミイラ化した父を連想させる「祖父」は登場するので、そうなると「やはりレザーフェイスの家族は死んでいなかった」とも受け取れる。
ただ、それ以外は明らかに異なるキャラクターだし、繰り返しになるが苗字が違うので、もはやレザーフェイスだって同じ格好をしているだけで前3作とは別人なんじゃないか(まあ演じているのは別人なんだが)と思ってしまうぞ。

製作サイドは当初、1作目と2作目でドレイトン(コック)を演じたジム・シードウや1作目でヒッチハイカー(ヌビンズ)を演じていたエドウィン・ニールに、同じ役で出演してほしいと考えていたらしい。
ところが、その両名にオファーを断られたため、レザーフェイス一家として別のキャラクターを登場させることになったという経緯がある。
だから「事情があって仕方なく」ということではあるんだけど、事情を知ったからって違和感が消えるわけではない。

レザーフェイス一家の狂人ぶりは1作目とは比較にならないし、2作目や3作目よりも劣る。
ヴィルマーやダーラは楽しそうに殺人を遂行しているが、「得体の知れなさ」に欠けている。ごく平凡なサイコ・キラーという感じだ。
不安を煽る雰囲気作りは充分に出来ておらず、緊迫感も不足している。
「ヘザーが背後から現れたレザーフェイスに髪の毛を触られているのに気付かない」というシーンなんかは、まさに「志村、後ろ」という感じで、普通に怖がらせようとしているのか、それとも笑いを取りに行っているのか良く分からん。

ヒロインは終盤に入っても強気で、絶望感は全く感じられない。
ダーラが無駄にフェロモンを振り撒いたり、レザーフェイスが女装したり、ヴィルマーがアッパーなドラッグでハイになったかのように弾けたりするのは、ことごとく恐怖と連動しない。
「アーパーな若者たちが軽率な行動を取って殺人鬼に殺されていく」という内容や作品の雰囲気は『13日の金曜日』シリーズを連想させるモノがあるが、それが恐怖を醸し出すのに貢献しているかってのは言わずもがな。

シリーズの続編ってのは、なんでもかんでも前作と同じにすりゃあいいってもんじゃないし、ただの焼き直しなら1作目を見ればいい。
だから新しい要素を盛り込むのは別に構わないんだけど、踏襲すべきポイント、絶対に引き継がなきゃいけないポイントってのも存在する。
このシリーズで言えば、レザーフェイス一家が人食い家族じゃなくなってるというのはダメだろ。
そこは『悪魔のいけにえ』にとって必要不可欠な要素でしょ。なんで人肉を食わずにピザを食ってんだよ。

ダーラがジェニーに話す「ヴィルマーが奴らの仲間」という内容はキチガイの妄想ではなく事実で、ヴィルマーは「イルミナティー」という秘密組織のメンバーという設定だ。
それは前3作との変化を付けるために持ち込んだ設定かもしれんけど、バカバカしいったらありゃしないぜ。
ロスマンがヴィルマーの上司で、「お前は真の恐怖を与えるために存在するんだ」みたいな説明をするんだけど、なんだか良く分からないし、分かりたくもない。スケールのデカさを出したかったのかもしれないが、陳腐さしか出ていない。
っていうか、『悪魔のいけにえ』にスケールのデカさなんて無用の長物でしょうに。

今になって本作品を観賞する場合、普通の映画として捉えると単なる駄作なので、「そこにどんな価値を見出すか」というのがポイントになる。
もちろん、無理に観賞する必要など全く無いが、どうしても見たいのであれば(そんな物好きは少ないと思うが)、まずは「いかにダメな作品なのかを確認するため」という考え方がある。
もしも『悪魔のいけにえ』のファンであれば、この作品を見ることによって、どれほど1作目が素晴らしかったのを再確認するってのも1つの手だろう。

もう1つ、「若かりし頃のレネー・ゼルウィガーとマシュー・マコノヒーをチェックする」という鑑賞法も考えられる。
この当時、まだ2人は、ほぼ無名に近い存在だった。
本作品から2年後の1996年、レネー・ゼルウィガーは『ザ・エージェント』、マシュー・マコノヒーは『評決のとき』で、それぞれ注目されることになる。
そんな2人の黒歴史とも言える映画をチェックするというのも一興だろう。
でも、まあオススメはしない。

(観賞日:2014年2月25日)


第20回スティンカーズ最悪映画賞(1997年)

ノミネート:【誰も要求していなかった続編】部門

 

*ポンコツ映画愛護協会