『オペラ座の怪人』:2004、アメリカ&イギリス
1919年、パリ。かつてオペラ座だった劇場で、その栄光を感じさせる数々の品物がオークションに掛けられていた。客の中には、かつて 劇場に関わったラウル・シャニュイ子爵とバレエ教師マダム・ジリーの姿もあった。オペラ座の地下で発見されたオルゴールは、ジリーと 競り合ってラウルが手に入れた。次に出品されたのは、かつて劇場で起きた惨劇に関わり、修復されたシャンデリアだった。
1870年、パリ。オペラ座ではオペラ『ハンニバル』のリハーサルが行われていた。主演のプリンジとプリマドンナのカルロッタが歌い、 その周囲でコーラスガールのクリスティーヌやジリーの娘メグたちが踊る。休憩に入った時、支配人のルファーブルが舞台に現れた。彼は 自分が引退する噂が正しいことを認め、新しい支配人のフィルマンとアンドレ、それにパトロンのラウルを紹介した。クリスティーヌは 幼馴染みのラウルが来たことを喜ぶが、彼が自分に気付かず通り過ぎたので落胆した。
リハーサルが再開されると、フィルマンとアンドレはコーラスガールに目を奪われた。ジリーは2人に、クリスティーヌが将来有望な人材 であること、有名なヴァイオリニストだった父を亡くして孤児となってからは自分が娘のように育てていることを話した。カルロッタは フィルマンたちが自分に全く注目していないと気付き、不愉快そうに「もう公演には出ない、歌わないわ」と言い出した。
フィルマンたちがお世辞を並べ立てたので、カルロッタは機嫌を直した。彼女は指揮者のレイエに音楽を要求し、高らかに歌い始めた。 その直後、頭上から背景幕が落下し、カルロッタに当たりそうになった。しかし舞台係のブケーは、自分のいない場所で起きた事故だと 説明する。コールスガールたちは、オペラ座の怪人“ファントム”の仕業だと囁いた。カルロッタは激怒して役を降板すると宣言し、舞台 から引っ込んでしまった。
ジリーは、幕が落下した近くに手紙が落ちているのを発見した。それはファントムからの手紙で、フィルマンたちに対し、ルファーブルの 時と同様に5番ボックスの席と給料を用意するようにという要求が綴られていた。ジリーはフィルマンとアンドレに、ルファーブルが月に 2万フランを支払っていたことを告げた。カルロッタの降板を受けてフィルマンは公演の中止を考えるが、アンドレは代役を立てるよう 主張した。するとジリーはクリスティーヌを推薦し、「いい先生からレッスンを受けている」と話した。
カルロッタの代役としてステージに上がったクリスティーヌは、素晴らしい歌唱で観客の喝采を浴びた。その様子を見ていたラウルは、 幼い頃に彼女と遊んだことを思い出した。公演の後、クリスティーヌは父の祭壇でロウソクに火を灯した。そこにメグが現れて彼女を絶賛 し、「いつの間に、そんなに上手くなったの」と尋ねる。するとクリスティーヌは、「ここに来た頃、亡くなった父のためにロウソクを 灯したら、上から声が聞こえた。それは父が授けてくれた音楽の天使で、私に歌を教えてくれた」と語った。
ラウルはクリスティーヌの控え室を訪れ、彼女を食事に誘う。クリスティーヌは「これから先生のレッスンがあるの」と断るが、ラウルは 一方的に予定を決めて部屋を出て行った。その直後、控え室には「私のものに手を出す無礼な若僧め」という男の声が響いた。それは、 クリスティーヌが「音楽の天使」と信じている先生の声だった。「鏡を見ろ」と言われて彼女が視線を向けると、そこには仮面を被った男 が現れた。クリスティーヌの歌の先生である彼こそが、オペラ座の怪人・ファントムであった。
クリスティーヌはファントムに連れられ、彼が暮らす地下迷宮へと向かった。ラウルが楽屋に入ろうとすると、ドアには鍵が掛かっていた 。小舟に乗って隠れ家に辿り着いたファントムは、クリスティーヌに「お前は私のもの。私に委ねてほしい」と歌い掛ける。陶酔していた クリスティーヌは、自分そっくりの人形を目撃して気を失った。ファントムはクリスティーヌを抱え、そっと寝床に横たえた。
クリスティーヌが目を覚ますと、ファントムはピアノを弾いていた。クリスティーヌは彼に近付き、その仮面を取った。すると、隠されて いた顔の右側は火傷によって変貌していた。驚くクリスティーヌに、ファントムは「畜生、呪われろ」と罵倒の言葉を浴びせる。しかし、 すぐに彼は「顔は醜くても、心は清らかなのだ」と告げた。一方、フィルマンたちはクリスティーヌの失踪を受け、捜索を始めていた。 しかしフィルマンは、カルロッタの失踪も含め、これがオペラ座の良い宣伝に繋がると考えていた。
フィルマンは狼狽するアンドレに、ファントムから届いた手紙を見せた。それは、改めてサラリーを要求する内容だった。ラウルの元にも 手紙は届いており、そこには「心配は要らない、クリスティーヌは音楽の天使が守っている。捜しても無駄だ」と記されていた。そこに 失踪していたカルロッタが現れ、自分の元に届いた手紙を見せた。そこには「君の主役の座は終わりだ。今日からはクリスティーヌに交代 だ。この指示に逆らうな」と書かれていた。
マダム・ジリーにも手紙は届いており、そこには「クリスティーヌは帰した。彼女の成功を望む。次の公演ではクリスティーヌが主役で カルロッタは脇役だ」と綴られていた。カルロッタが腹を立てたので、フィルマンとアンドレは慌てて取り成し、「貴方が主役です、 クリスティーヌには歌わせない」と約束した。フィルマンたちが命令に従わなかったため、ファントムは公演中にカルロッタの声が出ない ように陥れた。さらに、ファントムに追い回されたブケーが首吊り死体となって舞台に落下した。
恐怖にかられたクリスティーヌは、オペラ座の屋上へと足を向ける。そんな彼女を、ラウルは優しく励ました。「どんな時でも一緒だと 約束して」と言うクリスティーヌに、ラウルは「君を守るよ、全てを尽くして君を孤独から救い出す」と告げた。2人は愛を誓い合い、 そして口付けを交わした。愛するクリスティーヌの裏切りを知ったファントムは、「決して許さない」と怒りに燃えた。
半年後、新年を祝う仮面舞踏会がオペラ座で開催された。この半年、ファントムは全く動きを見せていなかった。クリスティーヌはラウル と婚約したが、それを秘密にしてほしいと彼に頼んだ。参加者が浮かれて踊る中、ファントムは自作の新作オペラ『ドン・ファンの勝利』 のスコアを持って現れた。ファントムはクリスティーヌに「お前は私のものだ、離すものか」と言い、その場から去った。
ラウルはジリーがファントムの秘密を握っていると察知し、彼女を問い詰めた。するとジリーは、まだ彼女が若かった頃の出来事を語った 。オペラ座の寮に入っていた彼女は、町に来た見世物小屋を見に行った。そこでは、頭からズタ袋を被せられた少年が「悪魔の子」として 見世物にされていた。少年が主人を殺害したため、見物客は大騒ぎになった。混乱の中、ジリーは少年を連れ出し、オペラ座の地下に 匿った。それがファントムだ。ジリーはラウルに、「彼は天才的な芸術家なの」と告げた。
ラウルが眠っている隙に、クリスティーヌは父の墓へと向かった。彼女は父の霊廟の前で、「どうか私に力を与えて」と願う。すると霊廟 が開き、「こっちへおいで」というファントムの声が響いた。声に誘われるままクリスティーヌが近付こうとした時、ラウルが駆け付けて 「目を覚ませ、それは君の父親の声じゃない」と叫んだ。そこにファントムが現れ、ラウルと決闘になった。ラウルは剣で突き刺そうと するが、クリスティーヌが「やめて、お願い」と止めたため、彼女を連れて墓地を去った。
オペラ座に戻ったラウルは、フィルマンとアンドレに「ファントムの指示に従ったと見せ掛け、彼を誘い出して捕まえよう」と作戦を提案 した。『ドン・ファンの勝利』が上演されている最中、ファントムは主演男優に成り代わって舞台に登場した。クリスティーヌは彼と デュエットするが、その仮面を剥いで素顔をさらした。激怒したファントムはシャンデリアを客席へ突き落とし、クリスティーヌを拉致 して地下迷宮へと逃亡する…。監督はジョエル・シューマッカー、原作はガストン・ルルー、舞台版脚本はリチャード・スティルゴー&アンドリュー・ロイド=ウェバー 、、脚本はアンドリュー・ロイド=ウェバー&ジョエル・シューマッカー、製作はアンドリュー・ロイド=ウェバー、共同製作はイーライ ・リッチバーグ、製作総指揮はオースティン・ショウ&ポール・ヒッチコック&ルイーズ・グッドシル&ラルフ・カンプ&ジェフ・ アッバリー&ジュリア・ブラックマン&キース・カズンズ、撮影はジョン・マシソン、編集はテリー・ローリングス、美術はアンソニー・ プラット、衣装はアレクサンドラ・バーン、振付はピーター・ダーリング、視覚効果監修はネイサン・マクギネス、作詞はチャールズ・ ハート、追加作詞はリチャード・スティルゴー、作曲はアンドリュー・ロイド=ウェバー、音楽共同製作ははナイジェル・ライト、 音楽監修&コーディネーターはサイモン・リー。
出演はジェラルド・バトラー、エミー・ロッサム、パトリック・ウィルソン、ミランダ・リチャードソン、ミニー・ドライヴァー、 サイモン・カロウ、キアラン・ハインズ、ジェニファー・エリソン、ジェームズ・フリート、ヴィクター・マクガイア、ケヴィン・R・ マクナリー、マーレイ・メルヴィン、イモージェン・ベイン、マイルス・ウエスタン、ジュディス・パリス、ハルクロ・ジョンストン、 ポール・ブルック、オリヴァー・チョッピング、アリソン・スキルベック他。
世界中で大ヒットし、今も上演されている同名ミュージカルを基にした作品。
ミュージカルの原作はガストン・ルルーの小説で、そちらの映画化は今までに何度か行われてきた。しかしミュージカル版の映画化は、 今回が初めてだ。
ファントムをジェラルド・バトラー、 クリスティーヌをエミー・ロッサム、ラウルをパトリック・ウィルソン、ジリーをミランダ・リチャードソン、カルロッタをミニー・ ドライヴァー、フィルマンをキアラン・ハインズ、アンドレをサイモン・カロウが演じている。
出演者は歌も歌っているが、ミニー・ドライヴァーの歌だけはマーガレット・プリースによる吹き替えだ。元々、この映画は1991年に公開される予定で企画が立ち上がった。
舞台版を手掛けた作曲家アンドリュー・ロイド=ウェバーは、1987年の『ロスト・ボーイ』を見てジョエル・シューマッカー監督の音楽の 使い方が気に入り、彼を指名して1989年に共同で脚本を完成させた。
その時点では、舞台版のマイケル・クロフォードとサラ・ブライトマンが、それぞれファントムとクリスティーヌを演じる予定だった。
ところがウェバーがブライトマンと離婚したことで企画がストップしてしまい、実現までに長い年月が掛かったのだ。「顔が焼け爛れた悲しい男だけど、あの声が優しく包む」と歌われるほど、「歌声」によってクリスティーヌを強烈に魅了する存在である はずのファントムがジェラルド・バトラーってのは、明らかに力不足でしょ。
そこをパトリック・ウィルソンにすべきじゃないのか。
ラウルやクリスティーヌより歌唱力で劣るってのは、シャレにならないぞ。
アンタはクリスティーヌの歌の先生なんでしょうに。とにかく本作品は、登場人物がこれでもかと歌いまくる。
「そりゃあミュージカル映画なんだから、歌いまくるのは当然だろ」と思うかもしれない。
しかし大抵のミュージカル映画というのは、ドラマが進行される中で、たまにミュージカル・シーンが挿入されるという構成に なっているものだ。
それに対して本作品は、登場人物が普通に喋ってドラマを進める場面が、ものすごく少ないのだ。
ミュージカル映画と言うよりも、「擬似オペラ映画」とでも表現した方が適切なのかな。具体的に挙げるなら、例えばクリスティーヌが代役として舞台に立つシーンでは、ラウルが彼女のことを思い出すのだが、それを全て歌 で表現する。普通のセリフで「思い出した、幼い頃に彼女と遊んだ」と言うのではなく、そこにメロディーを付けて歌い上げるのだ。
良くあるミュージカルと大きく異なるのは、そのように、通常のミュージカル映画ならばセリフのやり取りが普通に行われるような箇所 でも、メロディーを付けて歌にするというやり方だ。
そういう手法は、舞台で演じられるミュージカルでは、特に珍しいことではない。っていうか、実際にアンドリュー・ロイド=ウェバーは 舞台版を手掛けているわけで、それを、そのまんま映画に持ち込んだだけってことだ。
しかし、舞台ならそれでも良かったのかもしれないが(私は舞台版を見ていないので良く分からないが)、映画で見る限り、これは大きな 失敗だったと言わざるを得ない。何が失敗だったかと言うと、なんでもかんでも歌にしてしまうことで、その時の登場人物の心情が全く伝わらなくなっているのである。
例えばメグが「なんて素晴らしいの、感激したわ」とクリスティーヌを称賛するシーンでも、それを歌にしてしまうと、彼女が感激して いる気持ちが薄れてしまう。
クリスティーヌが音楽の天使についてメグに説明するシーンでも、「上の方から声が聞こえた、音楽の天使が私に歌を教えてくれた」と いうのを歌ってしまうと、ファントムに対する陶酔の強さが伝わりにくい。
メグの「貴方は夢見ているのよ」というセリフも、歌にしてしまうので、心配する気持ちがあまり伝わらなくなる。ファントムが実際に姿を現しても、クリスティーヌはウットリしている。
何故そこまで彼に陶酔しているのか、ちょっと理解に苦しむ。
「彼の歌に陶酔している」というところに説得力を求めるのは、かなり厳しいものがあるし。
音楽の天使に陶酔するのはともかく、目の前に現れたのは初めてなんだし、そこで全く動揺しないのは違和感がある。
それと、彼女はファントムの噂を知っていたが、頭の中でファントムと音楽の天使が結び付くことは無かったんだろうか。なんでもかんでも歌ってしまうことによって、登場人物の言動がギクシャクしたものになっている。
特にマズいのがクリスティーヌで、彼女がファントムとラウルの間で入ったり来たりするのが、ものすごく尻軽に見えてしまう。
そこに戸惑いや葛藤が感じられず、コロコロと気が変わる掴みどころの無い女に写ってしまう。
ファントムに対して惹かれたり怯えたりと気持ちが揺れ動くのも、その変わりっぷりに付いて行けない。繊細な心の揺れ動きという風に、 好意的に捉えられない。地下の隠れ家でファントムとデュエットを始めたクリスティーヌが、いきなり仮面を剥ぐのは不自然だ。
礼儀ってものを知らないのか。
あと、ファントムにしても、クリスティーヌの手が仮面に近付いた時点で、ヤバいと警戒しろよ。なぜ全く無防備で剥がされてるんだよ。
それと、それまでクリスティーヌと調子良く歌っていたのに、急に「畜生、呪われろ」と罵るのも、やっぱり不自然に見える。
で、そんなファントムの悲哀も、やはりクリスティーヌの感情と同様に、とても薄っぺらいものになっている。マダム・ジリーがファントムを匿った時のことをラウルに説明するシーンは、久々に普通のセリフがしばらく続く。
その場面で、ホッとしている自分がいた。なんだか、ものすごく落ち着いた気分にさせられた。
そして、そこではマダム・ジリーの気持ちも伝わるように感じられた。
正直、そんなにドラマとして上手い演出になっているわけじゃないけど、そこまでの「延々と歌い続けて、まるで登場人物の感情が 伝わらない」という時間帯があったので、その反動で、そういう印象になったのだ。っていうか、それを言ったら身も蓋も無いんだけど、そもそも原作小説とは異なる「クリスティーヌ、ラウル、ファントムの三角関係」と いう要素を持ち込んでいる時点で、苦しいものを感じるんだよなあ。
どう頑張っても、クリスティーヌがファントムに惹かれるところに無理があると思うのよ。
「ファントムに父を重ね合わせる」という要素によって説得力を持たせようとしているんだろうが、そもそもクリスティーヌの父に対する 思いの強さも伝わって来ないし、霊廟で「パパの声なの?」と言い出すのも無理を感じるし。正直、冒頭の「オークションのシャンデリアが引き上げられ、例の有名なテーマ曲が流れて1870年にタイムスリップする」という部分が、 この映画のピークになっている。
そのピークにしても、そのまま劇場の中の様子を描けばいいのに、一旦、外の様子を入れちゃってるのが無粋だし。
どうやら、舞台のミュージカルを、そのまんま映画に持ち込んでいるようだが、これなら、舞台版を撮影して、それを劇場で上映した方が 、たぶん楽しめる内容になっていたんじゃないかなあ。(観賞日:2010年12月19日)