『オペラ座の怪人』:1989、アメリカ&イギリス&ハンガリー

ニューヨーク。ジュリアード音楽院2年生のクリスティーン・デイは音楽図書館へ行き、地下の絶版書コーナーへ赴いた。司書をしている親友のメグに、オーディション用の珍しい曲を探してもらっていたのだ。メグは彼女に、『ドン・ファンの勝利』という古い楽譜を見せた。作者のエリック・デスラーという名前にクリスティーンは聞き覚えがあったが、メグは「無名のはずよ。聞いたことが無い」と告げる。しかしクリスティーンは、確かに聞いたことがあると感じていた。
書物によると、エリックは才能豊かな作曲家だったが人格に問題があり、若いオペラ歌手に執着した。エリックが死んだ夜、その女性も消えた。立証はされていないが、エリックはロンドン市内で少なくとも12人以上は惨殺した殺人鬼だった。クリスティーンはエリックの曲を気に入るが、本の間に挟まれていた楽譜は一部だった。クリスティーンはメグと共に絶版書コーナーを探し、全て揃った楽譜を発見した。彼女が軽く歌ってみると、楽譜から血が滲み出した。クリスティーンは驚くが、メグが来たので振り返る。また楽譜に視線を戻すと、血は消えていた。
翌日、公開オーディションに臨んだクリスティーンが『ドン・ファンの勝利』を歌い始めると、舞台のワイヤーが外れて砂袋が頭部に落下した。クリスティーンは舞台に倒れ込み、意識を失った。1889年のロンドン。オペラ座で練習中に倒れたクリスティーンが意識を取り戻すと、傍らには心配する親友のメグがいた。クリスティーンはメグに伴われ、楽屋に戻った。クリスティーンはヒロインのマルガリート役を務めるカルロッタの代役を担当しており、アメリカ人がロンドンの舞台に上がれることに興奮していた。
オペラ座の地下に住む怪人は、醜い顔に皮膚を縫い付けて容姿を整えた。用具係のジョゼフは仲間たちに、「ロープが外れたのは俺のミスじゃない、幽霊のせいだ」と告げた。怪人はジョゼフの前に現れて「私のせいにしたな」と怒り、逆さ吊りにしてナイフで突き刺す。帰宅したクリスティーンは、外から聞こえる「素敵な声だったよ」という怪人の声を耳にした。「貴方なのね」とクリスティーンが喜ぶと、怪人は「そうだ。君の師であり守護天使」と言う。彼はクリスティーンに、「大事なのは音楽だ。私のために歌え。カルロッタのパートだ。マルガリートのように歌えるのは君だけだ」と告げた。クリスティーンの歌を聴いた怪人は、「準備は出来た。今夜、その歌声を世界に披露しろ」と告げて去った。
オペラ座の経営者であるマーティン・バートンはカルロッタの楽屋へ赴き、作成した契約書への署名を求めた。彼は「クリスティーンを外して」とカルロッタに言われ、困惑して「ただの代役だ」と告げる。カルロッタが高慢な態度を変えないので、マーティンは腹を立てて「黙って契約書に署名しろ」と声を荒らげる。しかしカルロッタは拒否し、要求を飲むよう迫った。リチャードが楽屋を去った後、彼女は床の血だまりを発見した。彼女がクローゼットを開けると、皮を剥がれたジョゼフが瀕死の状態で押し込まれていた。彼は「助けて」と言い残して絶命し、カルロッタは悲鳴を上げた。
オペラ座の新しい共同経営者であるリチャード・ダットンは、マーティンに怪人の指定席があることを教える。「毎晩、5番ボックス席を確保してる」と言うリチャードに、マーティンは「実際は誰が座る?」と質問した。リチャードが「空席のままだ。怪人の呪いを避けるためさ」と話すと、マーティンは「伝説など気にせずチケットを売る」と告げた。『ファウスト』の初日が開幕するが、カルロッタが急病でクリスティーンが代役を務めると発表された。マーティンが「これで破産だ。カルロッタめ」と憤慨して楽屋へ乗り込もうとすると、リチャードが「僕が話すよ。新顔の方がいい」となだめた。
ホーキンス警部は連絡を受けてカルロッタの楽屋へ行き、部下のデイヴィスたちと合流する。カルロッタが怪人の仕業だと言っていることをデイヴィスが話すと、ホーキンスは「怪人などいない。知っている手口だ」と告げた。怪人はボックス席でオペラを観賞しながら、過去を振り返った。エリック・デスラーとして活動していた頃、彼は自分の楽曲を世に広めるため、悪魔と取引した。その代償として、悪魔は「誰も愛されない呪い」として彼の顔を醜く変貌させたのだった。
クリスティーンの歌声は聴衆を魅了し、スタンディング・オベーションが起きた。怪人はボックス席に一輪の花を残し、劇場を後にした。娼婦たちから誘われた怪人は冷たく無視するが、マディーという女にクリスティーンの面影を感じた。怪人はマディーを誘って部屋に行き、「クリスティーン」と呼んで抱いた。マーティンが批評家のハリソンとレストランで会っていると、クリスティーンがリチャードと共に現れた。人々はクリスティーンに気付いて拍手するが、マーティンはハリソンに「彼女で客は呼べない」と告げた。
クリスティーンはリチャードに、「私の亡き父が先生となる天使を送ってくれた。会ったことは無いけど、感じるし、聞こえる。この流れを失いたくない」と語る。リチャードが求婚するつもりだったことを明かすと、彼女は「今は出来ない」と言う。しかしクリスティーンとリチャードは、互いに愛し合っていることを確認した。リチャードはクリスティーンに満足せず、カルロッタを復帰させる考えをハリソンに明かした。ハリソンは彼に、そのための協力を約束した。
怪人は馴染みの女であるサラが働く酒場の片隅で、曲を書いていた。常連客のモットが絡むと、怪人は冷たく追い払った。怪人が店を出るとモットが追い掛け、仲間2人と共にナイフを構えた。彼らは金を出すよう脅して襲い掛かるが、怪人に惨殺された。翌朝、メグは朝刊を持ってクリスティーンの元へ行き、批評を見ようとする。クリスティーンも楽しみにしていたが、ハリソンの酷評を見てショックを受けた。怪人は蒸し風呂に入るハリソンの元へ行き、彼を殺害した。
失意のクリスティーンが外出する様子を目撃したリチャードは、後を追った。クリスティーンは父の墓へ行き、「もう歌う自信が無いの。どうすればいい?」と吐露した。怪人は墓地の門を封鎖してリチャードの侵入を阻止し、クリスティーンの前に現れた。クリスティーンはリチャードの呼び掛けに気付くが、怪人から「世界が愛する音楽を共に作ろう」と誘われて馬車に乗った。怪人はクリスティーンを連れて、オペラ座の地下にある自分の住まいへ戻った。
クリスティーンはエリックの楽譜を見つけ、「貴方の名前ね」と怪人に告げる。怪人は「その男は、もう死んだ」と否定し、オルガンを演奏しようとする。クリスティーンが「貴方の曲を弾いて」と頼むと、怪人はオルガンで未完成の『ドン・ファンの勝利』を演奏した。するとクリスティーンは、演奏に合わせて歌い始めた。怪人が「なぜ歌詞を知っている?」と尋ねると、クリスティーンは「歌ったことがあるの。どこでかしら?」と口にした。
怪人はクリスティーンに、君に全てを与えよう。音楽のように私を愛するのだ」と言い、指輪をはめる。クリスティーンが嫌がると、彼は「君は音楽と結婚した。主人は2人も要らない。他の男とは会うな」と述べた。クリスティーンは怯えながら、「誓うわ」と答えた。怪人は「今夜、君は私の花嫁になる」と口にした。リチャードはホーキンスと会い、「クリスティーンが危険だ」と訴えた。ホーキンスは彼に「君もだ」と言い、ジョゼフとハリソンが同じ動機で殺されたことを話した。
ホーキンスが「犯人はクリスティーンを愛する者。怪人のエリックだ」と告げると、リチャードは「怪人を殺す唯一の方法は、彼の曲を殺すこと」という伝説を明かした。ホーキンスは伝説を否定し、「私が信じるのは事実だけだ」と告げた。メグは戻ったクリスティーンの様子がおかしいことに気付き、相談するよう促した。窓の外にリチャードの姿を目撃したクリスティーンは、メグに「彼とは会えない」と告げて手紙を託す。仮面舞踏会の参加したリチャードはクリスティーンと会い、怯える彼女に「馬車を用意する」と告げる。だが、その様子を怪人は全て見ていた…。

監督はドワイト・H・リトル、原作はガストン・ルルー、映画原案はジェリー・オハラ、脚本はデューク・サンドファー、製作はハリー・アラン・タワーズ、製作総指揮はメナハム・ゴーラン、製作協力はエリエゼル・ベン=チョーリン、撮影はエレメール・ラガリイ、編集はチャールズ・ボーンスタイン、美術はティヴァダル・ベルタラン、メイクアップ効果はケヴィン・イェーガー、衣装はジョン・ブルームフィールド、音楽はミシャ・シーガル。
主演はロバート・イングランド、共演はジル・シュエレン、ステファニー・ローレンス、テレンス・ハーヴェイ、アレックス・ハイド=ホワイト、ビル・ナイ、ネイサン・ルイス、ピーター・クラップハム、モリー・シャノン、エマ・ローソン、マーク・ライアン、イェフダ・エフローニ、テレンス・ビーズリー、レイ・ジュワーズ、ロビン・ハンター、ヴァージニア・フィオル、キャシー・マーフィー、アンドレ・ソーントン・グライムズ、ジャクリン・メンドーサ、ジョン・ギャヴァン、ミッキー・エプス、ラズロ・スジリ他。


ガストン・ルルーの同名小説を基にした作品。
監督は『KGB闇の戦士』『ハロウィン4/ブギーマン復活』のドワイト・H・リトル。
脚本は『ゴーストタウン』のデューク・サンドファー。
エリックをロバート・イングランド、クリスティーンをジル・シュエレン、カルロッタをステファニー・ローレンス、ホーキンスをテレンス・ハーヴェイ、リチャードをアレックス・ハイド=ホワイト、マーティンをビル・ナイ、デイヴィスをネイサン・ルイス、ハリソンをピーター・クラップハム、ニューヨークのメグをモリー・シャノン、ロンドンのメグをエマ・ローソンが演じている。

広く知られている『オペラ座の怪人』と大きく異なるのは、現代のニューヨークから物語が始まることだ。
では時代設定を現代に変更して同じような内容を描くのかというと、そうではない。かなり早い段階で、舞台は1889年のロンドンに写る。クリスティーンが舞台で気絶し、意識を取り戻すと1889年のロンドンになるので、「タイムスリップした」ということなのだろうと誰でも思うはずだ。
ところが目覚めたクリスティーンは、そこが1889年のロンドンであることに全く困惑しない。彼女は「1889年のロンドンでカルロッタの代役を務める人」という設定なのだ。
だが、それだと現代のニューヨークから始める意味が全く無いでしょ。

それまでの映像化作品と比較すると、完全にホラーというジャンルに寄せている。
まあ『エルム街の悪夢』シリーズのフレディー役であるロバート・イングランドにエリックを演じさせていることや、『ハロウィン4/ ブギーマン復活』のドワイト・H・リトルに監督を担当させていることからも、そういう企画だったってことだろう。
だから怪人が皮膚を顔に縫い付けるとか、ジョゼフの前に現れて怯えさせるとか、そういうトコを丁寧に描いている。逆さ吊りにして突き刺す際に血がドビッシャーと出る表現も、いかにもホラーだ。カルロッタが床に血だまりを発見するとか、クローゼットを開けると皮を剥がれた血まみれのジョゼフがいるとか、そういうのもホラーとしての演出だ。
仮面舞踏会のシーンでは、スープの寸胴をシェフが開けたらカルロッタの生首が入っているという描写もある。

ロンドンのクリスティーンは、既に怪人と出会っており(姿は見ていないが)、音楽の師匠として崇拝しているという設定だ。
しかし、これは大事な手順を端折っているように感じられる。
他にも手順の不足や間違いを感じる箇所が色々とある。
例えば、クリスティーンがリチャードとレストランで食事をするシーンで、2人が交際している設定が初めて明らかになる。それは明らかに説明不足というか、手順を間違えている。そのシーンまでに、2人が付き合っていることは観客に知らせておくべきだ。

リチャードはカルロッタの休演に激怒したマーティンをなだめ、自分が楽屋へ行くと言って立ち去る。
ところが彼がカルロッタの部屋で事件を知る前に、ホーキンスが接触して「話がある」と連れ出している。
だったらホーキンスが事件についてリチャードに説明するシーンがあるのかと思いきや、それも無い。なので、いつリチャードがジョゼフの殺害を知ったのか全く分からない。
それは必要なはずの手順を飛ばしているとしか思えない。

怪人がボックス席でオペラを観劇するシーンがあるのに、「5番ボックス席に誰か座っている」と気付く人物が存在しない。席に残した一輪の花でさえ、誰も気付いていない。
だったら、怪人がボックス席で観劇したことも、花を残したことも、まるで無意味になっちゃうでしょ。
あと、怪人が観劇しながら「悪魔と契約して云々」という様子を回想するのだが、その設定は邪魔だなあ。この映画で現実離れした存在は、怪人だけにしておこうよ。回想シーンとはいえ、怪人より圧倒的に強い力を持つ悪魔という存在を登場させると、パワーバランスが崩れてしまうし。
この映画では、怪人が圧倒的な力を持つ存在じゃないとダメでしょ。

怪人がクリスティーンに似た娼婦を見つけ、「クリスティーン」と呼びながら関係を持つシーンも要らないなあ。
クリスティーンへの恋心をアピールしたかったのかもしれないが、そんなの無くても充分すぎるぐらい伝わっているし。
露骨に性欲を見せるのは、怪人の価値を下げることに繋がる。
ホラーに寄せているから、ひょっとすると、「怪人はただの殺人鬼に過ぎない」ってことで、あえて矮小化したのかもしれない。でも、だとしても間違った改変だし。

マーティンはカルロッタの高慢な態度に憤慨し、病気を理由に休んだ時も激怒している。
彼がカルロッタに激しい怒りを抱いているのなら、代役のクリスティーンが拍手喝采を浴びた時点で「今後はクリスティーンを使おう」と考えてもおかしくない。
ところが彼はハリソンに、「彼女で客は呼べない」と言っている。
でも彼は劇場の反応を見ているはずなのに、なぜ客を呼べないと思うのか理解できない。彼にクリスティーンを否定させるのなら、カルロッタに惚れているとか、交際しているとか、そういう設定にでもした方がいい。

怪人が酒場にいた3人組に強盗目的で襲われるシーンは、全く要らない。それは「怪人がクリスティーンを愛し、スターにしようとする」という目的とは全く関係の無い殺人だからだ。
生首を切断する残酷描写をやりたかったのかもしれないが、だとしても「怪人の目的を邪魔する奴」を標的にすればいい。
あと、オペラ座の外での殺人ってのも、どうなのかなあと。ハリソンを殺す時も蒸し風呂なので、目的は本筋から外れていないけど、やはりオペラ座の中で殺した方がいいなあと。
絵変わりを求めたのかもしれないけど、それによって怪人は「単なる連続殺人鬼」という印象が強まってしまう。

仮面舞踏会のシーンでは、ホーキンスがネズミ捕りの男を見つけ、怪人の隠れ家へ案内するよう要求する展開がある。
だけど、そこまでにネズミ捕りの男の存在には全く触れていなかったので、ものすごく不自然だ。
そんなに無理をしてまでネズミ捕りの男を登場させる理由は、「怪人の犠牲となる人間を終盤になって一気に増やしたいから」ってことだ。
怪人の隠れ家へ向かうメンバーをリチャードとホーキンスに限定せず、デイヴィスと警官のモリスが同行する形にしてあるのも、理由は一緒。ネズミ捕りの男もデイヴィスとモリスも、「怪人が次々に惨殺する」というシーンを描くための道具として使われるのだ。

リチャードたちが怪人の隠れ家へ向かう辺りになると、もはや現代のニューヨークから物語を始めたことさえ忘れているほどだ。
途中で全く思い出さなくなるぐらい、その設定は全く活用されていない。
ホーキンスが怪人に銃弾を浴びせた直後、舞台が現代のニューヨークに戻り、ようやく「そう言えば、そこから始まったよね」と思い出す。
で、クリスティーンが舞台で意識を取り戻すと、制作者で後援者のフォスターがいる。そしてクリスティーンは主演に抜擢され、フォスターの家へ行くという流れになる。

フォスターを演じているのがロバート・イングランドだと気付かなくても、怪人と同一人物ってのは誰でも分かるだろう。で、そこからは「クリスティーンはフォスターの正体がエリック・デスラーだと気付く」という手順に繋がる。
たぶん、怪人は撃たれても死なず、ずっと生き続けていたという設定なんだろう。だけど、それなら現代のニューヨークだけで話を構成すればいいでしょ。「ずっと生き続けていた怪人が、かつて愛した女と瓜二つのクリスティーンに執着して」という内容にすればいい。
現代のニューヨークと1889年のロンドンの両方を舞台にしている意味を全く感じない。
あと、クリスティーンが怪人を突き刺して簡単に片付けているんだけど、「音楽を殺せば怪人も死ぬ」ってのは伏線でも何でもなかったのね。

(観賞日:2017年11月27日)

 

*ポンコツ映画愛護協会