『オズ はじまりの戦い』:2013、アメリカ

1905年、カンザス州。巡回サーカスで奇術師をしているオズは、サクラ役としてメイという女をスカウトした。彼はデビューの祝いとしてオルゴールを贈り、「戦争の英雄だった祖母の形見だ」と嘘をついた。オズがメイを口説いてキスに持ち込んでいると、助手のフランクがやって来た。彼は「客が少ない」と言い、わずかな売上金を差し出した。オズは大半を自分の懐に入れ、わずかな取り分だけをフランクに渡した。メイに対しては「拍手が一番の報酬だ」と告げ、一銭も与えなかった。
小屋に移動したオズはショーを始めるが、客席に座ったメイは指示されたことを完全に忘れていた。仕方なくオズはメイを指名し、舞台に上げた。フランクが伴奏音楽や仕掛けを担当し、オズは人体浮遊と人体消失の奇術を披露した。すると客席にいた車椅子の少女は感激し、「私を歩けるようにして」と頼んだ。オズは「今は駄目だ」と告げ、ショーを終えようとした。すると少女は「貴方を信じてる」と言い、両親は「お金はこれだけしかありませんが」と所持金を差し出した。
観客が「歩かせろ」と騒ぎ出す中、オズは舞台から立ち去った。小屋を出た彼は、フランクに「早く幕を引け。お前は役立たずの猿だ」と罵声を浴びせた。「友達に向かって、そんな言い方は無いだろう」とフランクが反発すると、オズは「お前は友達なんかじゃない」と冷淡に告げた。恋人のアニーが訪ねて来たので、オズは喜んだ。オズは数ヶ月に一度、巡回で町へ来た時しか彼女と会えない。そのアニーから「ジョン・ゲイルに求婚された」と打ち明けられ、オズはショックを受けた。
アニーから「どうすればいいと思う?」と問い掛けられたオズは、「ジョン・ゲイルは善人だ」と口にした。「貴方もよ」とアニーが言うと、オズは「俺は違う」と告げる。「望めば善人になれる」とアニーが話すと、彼は「俺は善人じゃなくて、偉大な男になりたい」と語る。騙して口説いた女の夫である怪力男が憤慨して乗り込んで来たので、オズは慌てて逃げ出した。彼は気球を拝借し、空へと飛び去った。しかし、しばらく飛んでいると、竜巻に飲み込まれてしまった。
オズが「死にたくない。立派なことを成し遂げる。俺は変わる。約束する」と叫ぶと、気球は竜巻を抜けた。激流に落ちた気球は、滝壺を過ぎて下流に流れ着いた。オズの前に1人の女が現れ、「ここはオズの国よ」と告げた。オズは「俺の名前だ」と言い、奇術で花束を出した。すると女は「王の予言は当たった」と喜び、「国と同じ名前の魔法使いが空から現れ、私たちを救う。貴方だわ。私たちの王になるのよ」と述べた。
女から「貴方、魔法使いよね?」と訊かれたオズは、「そうとも」と答えた。どこからか恐ろしい唸り声が聞こえると、女は「悪い魔女が貴方を殺しに来た」と告げた。彼女は「魔女の手下よ」と教え、オズを連れて洞窟へ隠れた。「魔女は嫌いだ」とオズが言うと、彼女は「私も魔女なの。良い魔女のセオドラ」と告げる。しかしオズは本気にせず、軽く笑った。魔女の手下である空飛ぶヒヒが去った後、オズはセオドラを口説く態度を示した。
オズはセオドラに、悪い魔女について尋ねる。セオドラは「国王だった父親を毒殺した。私の姉がエメラルド・シティーから追放した」と話す。オズはセオドラにオルゴールを渡し、「女帝だった祖母の物だ」と告げて口説いた。セオドラは心を奪われ、彼とキスを交わした。2人が歩いていると、翼の生えた言葉を喋る猿がツタに絡まって助けを求めていた。セオドラが「助けなきゃ」と言うので、オズは猿に近付いた。オズがナイフでツタを切ると、猿は「ライオンに襲われる」と警告した。
背後からライオンが襲い掛かって来たが、テッドは煙幕を出して追い払った。すぐにオズが魔法を使ったように装ったので、セオドラは「さすが魔法使い」と口にした。猿はフィンリーと名乗り、主人が悪い魔女に襲われたので森に隠れていたことを話す。「助けられた恩に報いるため、忠実な召し使いになります」とフィンリーが言うので、オズは連れて行くことにした。エメラルド・シティーに到着すると、セオドラはオズに「王妃になれて光栄だわ。数千人の人々が貴方の奇跡を待ってる」と告げた。
先にセオドラが町へ入った後、オズはフィンリーに「俺は魔法使いじゃない。だが、人々に魔法使いだと納得させたい」と協力するよう指示した。紋章官のナックと兵隊が出迎えに来ており、オズたちは宮殿に導かれた。オズが宮殿に入ると、セオドラの姉で王の相談役を務めるエヴァノラが待っていた。エヴァノラはオズが偽者の魔法使いではないかと疑い、証拠を見たいと考えた。彼女はオズを連れて、オズの財宝が眠る部屋に入った。財宝を見たオズが浮かれていると、エヴァノラは「王になれるのは悪い魔女を退治した後よ。ダーク・フォレストへ行き、魔法の杖を壊して。それが魔力の源よ」と語った。
財宝を手に入れたいオズは、魔女退治を引き受けた。彼はフィンリーに鞄を持たせ、ダーク・フォレストへ向かう。しかし陶器の村から煙昇るのを見たフィンリーが「助けが必要かも」と向かったので、オズは後を追った。2人が町に入ると、全ての建物が倒壊していた。両足の壊れた少女が「もう戻らない」と泣いていたので、オズは接着剤で直してやった。空飛ぶヒヒの群れが上空を通ったので、オズたちは慌てて息を潜めた。
陶器の少女はオズとフィンリーに、魔女の手下が町を襲ったことを話した。オズは彼女に、エメラルド・シティーへ行くよう促した。だが、少女が「一緒に行きたい」と泣き出したので、連れて行くことにした。一行は森に入り、魔女が杖を置く様子を密かに観察した。オズは隙を見て杖を奪うが、魔女に気付かれてしまった。「貴方が魔法使い?」と問われたオズは、魔女がアニーと瓜二つだったので驚いた。彼は真っ直ぐな態度で、「そうだ」と答えた。
魔女が「私はグリンダ、南の良い魔女」と言うので、オズは「エヴァノラが良い魔女だと思っていた」と口にする。グリンダは「彼女は悪い魔女。ずる賢くて冷酷よ。みんなを騙して私が父を毒殺したと言っているけど、彼女の仕業」と語り、「付いて来て」と告げた。その様子を水晶玉で見ていたエヴァノラは、「どうして、まだグリンダが生きているの?」と憤った。そこへセオドラが来て、「魔法使いが行方不明なの」と言う。水晶玉を見た彼女に、エヴァノラは「グリンダと一緒にいるわ」と教えた。
セオドラは「ついに予言が実行されるのね」と喜ぶが、エヴァノラがオルゴールを持っていることに気付いて困惑する。「それをどこで手に入れたの?」と訊かれたエヴァノラは、「魔法使いに貰ったのよ。昨夜、一緒に踊ったわ。私をこんな気持ちにさせるなんて、さすがは偉大な魔法使い」と話す。オズに騙されたと感じたセオドラは号泣し、怒りと憎しみが溢れ出した。一方、エヴァノラは空飛ぶヒヒたちを呼び寄せ、グリンダとオズを滅ぼすよう命令した。
グリンダはオズに、「父の死後、一人でエヴァノラに立ち向かったけど、私はオズの人々を守れなかった。だから父の予言を信じて、貴方を待っていた」と話す。そこへエヴァノラの兵隊が乗り込んで来たので、グリンダは「魔法を使うのよ」とオズに告げる。しかしオズが「逃げよう」と言ったので、グリンダは魔法で深い霧を出現させた。それによって兵隊の突入は阻止できたが、空飛ぶヒヒの群れが霧を越えて突入して来た。オズやグリンダたちは必死で逃亡するが、崖に追い詰められた。
グリンダが「私と同じことをして」と崖に飛び込み、フィンリーは陶器の少女を抱えて後に続いた。オズが覚悟を決めて飛び降りると、大きなシャボン玉が体を包み込んで空に浮かんだ。一行が空を飛んでいると、巨大な壁が立ち塞がっていた。グリンダが「敵を跳ね返せる。良い心の持ち主は通れる」と言うので、オズは焦った。しかし彼は壁に激突したものの、何とか通り抜けることが出来た。一行が町に到着すると、待ち受けていた人々はオズを歓迎した。
人々から「私たちを助けて」と言われたオズは、グリンダに「俺は魔法使いじゃない」と打ち明ける。グリンダは「知ってるわ。期待していたのとは違う」と告げた上で、「でも彼らは知らない。信じさせてあげて」と促した。オズが「約束通りに黄金を貰えるか?」と確認すると、彼女は「ええ」と答えた。そこでオズは人々に向かって、「君たちの魔法使いが来た」と高らかに宣言した。その様子を水晶玉で見ていたセオドラは、ショックを受けた。
セオドラはエヴァノラに、「グリンダが王妃になるの?」と尋ねる。「そうなるわ。恋に破れたのね」と言われた彼女は、「この苦しみを止めて」と頼む。エヴァノラは魔法のリンゴを差し出し、一口かじるよう指示した。リンゴをかじったセオドラは、エヴァノラが悪い魔女だと知った。「騙したのね」と口にした直後、セオドラは魔法の力で苦悶する。彼女は感情を失い。悪意だけが残った。醜悪な姿に変貌したセオドラは、オズへの憎しみを露わにした。
オズはグリンダから、「戦って王位を取り戻す。貴方が作戦を考えて」と告げられる。「兵隊はいるのか?」とオズが尋ねると、彼女は「ええ」と答えた。しかしグリンダが集めたのは、農民ばかりのカドリング族にブリキ職人のティンカー族、服作りが得意なマンチキンといった面々ばかりだった。「彼らに魔女が殺せるのか?」とオズが訊くと、グリンダは「殺すことは許させていないわ」と述べた。「殺すことの出来ない兵隊だって?」と、オズは呆れ果てた。
その時、上空にある魔法の壁を突き破り、セオドラが町に降り立った。セオドラはオズの体を操り、激しく吹き飛ばした。グリンダが制止に入ると、セオドラは「姉と軍隊を連れて戻る時、黄色いレンガ道は深く染まる。魔法使いは一番に殺してやる。その男が身勝手で嘘つきだということを思い知るがいい」と述べて飛び去った。オズは逃げ出そうと考え、グリンダが説得しても耳を貸さなかった。しかし陶器の少女にエジソンのことを話していたオズは、発明と奇術でエヴァノラを打ち負かす方法を思い付いた…。

監督はサム・ライミ、原作はL・フランク・ボーム、映画原案はミッチェル・カプナー、脚本はミッチェル・カプナー&デヴィッド・リンゼイ=アベアー、製作はジョー・ロス、製作総指揮はグラント・カーティス&パラク・パテル&ジョシュア・ドーネン&フィリップ・ステュアー、共同製作&視覚効果プロデューサーはタマラ・ワッツ・ケント、共同製作はK・C・ホーデンフィールド&W・マーク・マクネアー、製作協力はデビ・ボッシ、撮影はピーター・デミング、美術はロバート・ストロンバーグ、編集はボブ・ムラウスキー、衣装はゲイリー・ジョーンズ&マイケル・クッチェ、特殊メイクアップ効果はグレッグ・ニコテロ&ハワード・バーガー、視覚効果監修はスコット・ストクダイク、音楽はダニー・エルフマン。
主演はジェームズ・フランコ、共演はミラ・クニス、レイチェル・ワイズ、ミシェル・ウィリアムズ、ザック・ブラフ、ビル・コッブス、ジョーイ・キング、トニー・コックス、スティーヴン・R・ハート、アビゲイル・リー・スペンサー、ブルース・キャンベル、テッド・ライミ、ティム・ホームズ、トニ・ウィン、ロブ・クライツ、ウィリアム・ディック、ジーン・ジョーンズ、ジョン・ロード・ブース三世、スザンヌ・ケイリー、シャノン・マーレイ、ラルフ・リスター、ジョン・マンフレディー、ロバート・ストロムバーグ他。


L・フランク・ボームの児童小説を基にした1939年の映画『オズの魔法使』の前日譚を意識して製作された映画。
『スパイダーマン』『スペル』のサム・ライミが監督を務め、『隣のヒットマン』のミッチェル・カプナーと『ラビット・ホール』のデヴィッド・リンゼイ=アベアーが脚本を担当している。
オズをジェームズ・フランコ、セオドラをミラ・クニス、エヴァノラをレイチェル・ワイズ、グリンダをミシェル・ウィリアムズ、フィンリーをザック・ブラフが演じている。

まず根本的な問題として、「みんなが見たい“オズ”の物語って、こういう内容なのかな」ってことだ。
これは「オズが魔法の国へ来て、偉大な魔法使いと呼ばれるようになった経緯」を描く前日譚としての物語だ。
つまり、L・フランク・ボーの原作には無い話だ。
でも、原作の『オズの魔法使い』を読んだことがある人も、読んだことは無いけど何となく知っているという人も、やはり「ドロシーが仲間たちと共に旅をする」という話が見たいと思うんじゃないかと感じるのだ。

レトロな雰囲気のタイトル・デザインといい、モノクロで始まることといい、1939年の映画『オズの魔法使』のプリクエルであることを、そういうトコでも意識していることが感じられる。
あまりにも1939年の『オズの魔法使』が有名なので、それを超えることは難しいから、じゃあ同じ世界観を使って別の話を作ろうという考えがあったのかもしれない。
しかし考えてほしいのは、「果たして『オズの魔法使』を見ている人、見たとしても詳しく覚えている人が、どれぐらいいるんだろうか」ってことだ。

もちろん、決して少数じゃないことは確かだろう。ただし一方で、見ていない人だって大勢いるはずで。
何しろ古い映画なので、かなりの映画ファンでなければ、わざわざ見ようとしないんじゃないかと思うのだ。
そういうことを考えると、改めて『オズの魔法使い』を映画化しても、企画としては問題ないんじゃないかと思うんだよね。
そりゃあ、1939年の『オズの魔法使』と比較する声は絶対に出て来るだろうけど、それでも商売として成功する可能性は充分にあるんじゃないかと。少なくとも、「誰も知らないオズの物語」を一から作り上げるよりは、「馴染みのある話」で勝負した方が、観客を引き付ける力が強くなる可能性は高いんじゃないかと思うのよね。

それに「誰も知らないオズの物語」と書いたけど、一方で原作の『オズの魔法使い』を読んでいるか、1939年の映画『オズの魔法使』を観賞しているという前提条件が無いと、この作品を充分に楽しむことが出来ないという問題もあるんだよね。
何しろ前述したように、これはオズが偉大な魔法使いと呼ばれるようになる経緯を描いた物語だ。つまり『オズの魔法使い』に繋がる話なので、「それを知っている」ということが条件になっているのだ。
原作の『オズの魔法使い』や1939年の映画『オズの魔法使』に触れていなくても、全く理解できないわけではない。「理解」という意味で言うなら、それは問題が無い。
ただし、『オズの魔法使い』に繋げることを絶対条件として物語が構築されているので、そこを知らないと充分に楽しむことは難しい。
しかし、実は上手く繋がっていないという事実があるので、「じゃあプリクエルとして作った意味は何なのか」と言いたくなるんだよね。

まず大きな失敗をやらかしていると感じるのは、「オズの奇術が本当に見事」ってことだ。
人体浮遊はワイヤーで吊っていると見せ掛け、それを切っても浮いていることを見せる。メイの上に掛けていた布を外すと、彼女の姿は消えている。
他の奇術もそうだが、この映画はトリックを明かしていない。
っていうかホントにトリックを使った奇術を見せているわけではなく、映像を加工して「奇術」として描写しているのだ。
それによって、まるでオズは最初から魔法が使えるかのような男に見えるのだ。

人体浮遊の方はともかく、メイを一瞬で消してしまう技なんて、トリックがあるようには全く見えない。後から「こういう仕掛けが用意されていました」とネタバラシをするわけでもない。
それじゃあダメでしょ。
オズの国に移動してからも、例えばライオンを追い払う煙幕をVFXで描写している。そうなると、ある意味では「魔法」みたいなモンでしょ。
「周囲からは魔法だと思われ、オズも魔法だと見せ掛ける」という形を取るのであれば、彼が披露する技は全て「奇術としては本物」であるべきなのよ。

そもそも、オズが「見事な腕を持つ奇術師」ということであっても、やっぱり上手くないのよ。後の展開を考えると、彼はセコい手品しか出来ない三流マジシャンであるべきで、むしろ手品師と言うよりもペテン師に近いぐらいの方がいい。
あれだけ見事な奇術の腕を持っているのに巡回サービスのボロ小屋に留まっているってことになると、それは本人の腕が無いからじゃなくて、才能があるのに埋もれているってことになる。
そうなると、オズの国へ行かなくても、頑張っていればチャンスが転がって来る可能性があるんじゃないかと思える。
そうじゃなくて、「カンザスでは自他共に認めるセコいペテン師だったのに、オズの国では偉大な魔法使いとして扱われる」という形にした方がいいんじゃないかと思うんだよね。

この映画でも、「俺の才能なら大劇場に出られるんだ」と自信を持っているのにボロ小屋が舞台であることに不満を抱いていたオズが、オズの国では偉大な魔法使いとして扱われるので得意げになるという展開がある。
それは、前述した「セコいペテン師だったのに云々」ってのと大して変わらないように思えるかもしれない。
でも、それは全く違うんだよね。
前者が絶対にダメってことじゃないけど、この映画の展開を考えると、後者の方がいいんじゃないかと。

後半への伏線にしたいのは分かるのだが、オズが車椅子の少女から「私を歩けるようにして」と頼まれて舞台を去るシーンを入れるのは、得策とは思えないんだよな。
それは後半、「オズが陶器の少女の脚部を修理して歩けるようにする」という展開に繋がっている。車椅子の少女を歩けるように出来なかったオズが、今度は望みを叶えてやるってことで、一見すると伏線を見事に回収しているようにも思える。
しかし冷静に考えると、車椅子の少女は悲嘆に暮れたままなのだ。
どういう形であれ、やはり彼女にハッピーを与えてあげないとスッキリしないのよね。

オズはアニーが求婚されたと知ってショックを受けているが、つまり本気で惚れていたってことだ。
しかし、その前に「手当たり次第に女を口説いては捨てている」ということが描かれているので、「アニーに本気で惚れていた」ってのを見せられても、なんかモヤッとする。
そもそも、アニーに本気で惚れているという部分からして要らないわ。
「軽薄で身勝手なペテン師だったオズが変化していく」という話なんだから、「一人の女に本気だった」という部分で中途半端に好感度を上げておくのは邪魔なだけだ。

セオドラと会うのはアニーが求婚されてショックを受けた直後なのだが、そんなことは完全に忘れてスケコマシになっているし。グリンダと会った時も、相手はアニーと瓜二つなのに、やはり軽薄な調子だし。
だったら、ますますアニーに本気だった設定なんて邪魔なだけだわ。
あと、グリンダと行動を共にする際、危機に陥ったオズが彼女に向かって「ワンダ」と叫ぶシーンが2度ほど用意されているけど、何の意味なのか良く分からんわ。
っていうか、そこは「アニー」と叫ばせないのかよ。

「オズがアニーに本気で惚れていた」というのも伏線になっており、後からグリンダとの恋愛劇に繋げている。アニーとグリンダ、車椅子の少女と陶器の少女、フランクとフィンリーを同じ俳優に演じさせることで、そこをリンクさせているわけだ。
でも、オズとグリンダの関係も含めて、ロマンスの要素が丸ごと要らない。
ド真ん中のハリウッド映画だから、恋愛劇を盛り込みたいのも分かるけど、そこは本筋から外れた要素だし。
あと、オズとグリンダの恋愛劇を入れると、『オズの魔法使い』に上手く繋がらないでしょ。

オズは「善人ではなく偉大な男になりたい」と強い野心を口にして、それを聞いたアニーは悲しそうな様子を見せる。そういうシーンを序盤で用意するなら、最終的に「オズは偉大な男ではなく、善人になることを選ぶ」というゴールを用意すべきだろう。
ところが実際には、オズは「偉大な魔法使い」と呼ばれる男になるので、どうにもスッキリしない。
しかも、一応は「善人」にもなっている形を取るけど、セオドラが悪い魔女に変貌したのはオズが軽薄に口説いて捨てたのが原因なのよ。
そのくせ、まるで自分には何の非も無いかのような態度を取っているけど、セオドラを良い魔女に戻さない限り、オズをホントの善人とは受け取れないわ。

気球が竜巻を抜け出すと、画面がモノクロからカラーに変化する。これは「オズの国に入った」ってのを意味する演出で、1939年の映画『オズの魔法使』を意識している。
しかし、形式的には『オズの魔法使』と同じだが、意味合いが大きく異なる。
モノクロからカラーに変化したのなら、「オズの国に到着した」ってことをアピールするため、ファンタジーとして風景を広げるべきでしょ。観客を魔法の世界に引き込むべきでしょ。そして、初めての光景にオズが驚く様子を見せるべきでしょ。
ところがオズは全く驚かないし、しかも直後に激流で流されるのだ。つまり、まだピンチが続いているわけで。
魔法の国に入ったことを描くシーンとしては、それじゃ困るのよ。

オズは川の妖精を目にしても、まるで驚かない。噛み付かれたことに腹を立て、「消えろ」と言うだけだ。
「異世界に来たことを最初は受け入れようとしない」という動かし方をしたいのなら、それは一向に構わない。
しかし川の妖精は明らかに「初めて見る不思議な生物」なんだから、そこは驚きを示すべきでしょ。なんで、そこは普通に受け入れているんだよ。
一方で「魔女の手下が襲って来た」という話は受け入れるが、セオドラが魔女ってのは信じない。

オズは翼の生えた喋る猿が現れても、陶器の少女と遭遇しても、まるで驚かずに対応している。そこは普通に受け入れるのよね。
そういうトコはメルヘンの主人公らしい反応なんだけど、トータルではメルヘンの主人公に不適格だ。オズが何を受け入れ、何を信じないかという基準がフワフワしている。
あと、オズはグリンダから「私は良い魔女。エヴァノラは悪い魔女」と言われると簡単に信じるけど、グリンダが嘘をついている可能性を全く疑わないのは引っ掛かるぞ。
エヴァノラじゃなくてグリンダを信じる理由は何なのか。オズがアニーとグリンダを重ねている気配は薄いので、「アニーと瓜二つだから信じる」と解釈するのも無理があるし。

オズが陶器の町へ向かうのは、「フィンリーが鞄を持っているから」ってことかもしれないけど、あまりスムーズとは言えない。ダーク・フォレストへ向かう途中に町があるという設定にでもすれば、もっとスムーズだったんじゃないか。
あと、エヴァノラが陶器の街を破壊した理由が何なのか、それがサッパリ分からない。
っていうか、そもそも彼女が根本的に何を目論んでいるのかが分からないのよ。
国の支配者になりたいのなら、反旗を翻しているわけでもない町を破壊するのはデメリットしか無いでしょ。もう「グリンダが悪者」という偽情報は広まっているから、彼女の仕業に見せ掛けて悪事を働く意味も無いんだし。

陶器の少女の脚が壊れているのを見たオズは、「魔法だ」と告げて接着剤を取り出す。で、接着剤で脚を直そうとしている最中、空飛ぶヒヒの群れが町の上空を飛ぶ。そいつらが飛び去るのを待って、陶器の少女が「悪いの魔女の手下に町が襲われた」と語る。
そういう手順の後に、オズが立ってみるよう促し、元に戻った少女が感謝する様子が描かれる。
でも、それだと、そのシーンの印象が弱くなるのよ。「オズが接着剤を使い、陶器の少女の脚を直して歩けるようにする」ってのは、一連の流れで見せるべきなのよ。
空飛ぶヒヒの群れを出現させるなら、それを先に片付けてから、接着剤の手順に入った方がいい。

それと、陶器の少女が可愛くて魅力的なキャラクターなので、ますます「オズとグリンダのヌルくて浅い恋愛劇なんか要らないなあ」と思ってしまうんだよね。
オズを陶器の少女の「守護者」として配置し、そこの関係描写を厚くした方が、ドラマとして面白くなったんじゃないかと思えるんだよなあ。
そもそも『オズの魔法使い』という物語に、主人公の恋愛要素が似合わないようにも感じるし。
ただ、陶器の少女の脚を直す時にオズが車椅子の少女を全く思い出さないので、そこが上手くリンクしていないんだよなあ。

一度はビビって逃げ出そうとしたオズだが、立ち向かうことを決める。
でもね、この話って「身勝手で軽薄で嘘つきだったオズが、困っている人々を救うために命懸けで敵と戦おうと決意する」という変化こそが重要だと思うのよ。それなのに、そこの心情変化が全く描写できていない。
彼が戦う気になったのは、「発明と奇術でエヴァノラを打ち負かせる」と確信したからだ。でも大切なのは方法じゃなくて、「人々を助けてあげたい」という使命感や義侠心に目覚めるってことなのよ。
そこが欠けているから、「偉大な男になる」とか「黄金を手に入れる」という野心や欲望だけで動いているようにさえ思えてしまう。

そもそも『オズの魔法使い』におけるオズという男は、悪い魔女に怯えていたし、オズの国での暮らしにもウンザリしていた。一刻も早く抜け出したいと考え、最後は気球に乗って飛び去っていた。
1939年の映画『オズの魔法使』は随分と昔に見たので詳細は覚えていないが、オズの人物造形に関しては、そこまで大きな違いは無かったように思う。
で、そういう人物造形を知った上で本作品を観賞すると、そこに繋がるプリクエルとしては受け取れないんだよな。この映画のオズって、ずっとオズの国で「偉大な魔法使い」として暮らし続けることを望んでいる様子なのでね。
まあ「最初はそうだったけど、やがてウンザリするようになった」ということも考えられなくはないけど、そこまでの脳内補完を観客に要求するのは違うでしょ。

(観賞日:2015年12月31日)

 

*ポンコツ映画愛護協会