『オルカ』:1977、アメリカ&イタリア

海洋生物学者のレイチェル・ベドフォードが助手のケンをボートに待機させ、海に潜って調査活動を行っていた。1匹の鮫が迫って来たのに気付いた彼女は、慌てて岩陰に隠れた。バンポ号のノーラン船長はサメに気付き、捕獲のために近付いた。バンポ号にはノーランの他、漁師のノバック、操縦士のポール、彼の恋人であるアニーが乗り込んでいる。ケンはバンポ号に手を振り、潜っている人間がいることを伝えた。ノーランはボートを避けて、鮫に狙いを定めた。しかしケンがボートでバンポ号の前を横切り、レイチェルを引き上げたので、邪魔されたノーランは狙いを外してしまった。
ポールは「25万ドルを逃した」とレイチェルを非難し、ノーランが「水族館がホオジロザメに支払う金額だ」と説明した。鮫が戻って来たので、ノーランは再び狙いを付ける。ケンが誤ってボートから落下し、鮫は彼を襲撃しようとする。そこへ1匹のシャチが現れ、鮫を殺害して去った。ノーランはシャチに興味を抱き、レイチェルの講義を熱心に聴講した。彼が殺害と捕獲にしか関心を持っていないと知り、レイチェルは批判した。するとノーランは、「傷付ける気は無い。水族館で一生を楽しく過ごせる」と悪びれずに告げた。レイチェルが「仲間を売る気?シャチは呼吸をして、話もする哺乳類なのよ」と言うと、ノーランは軽く受け流した。
ノーランはバンポ号で出航し、シャチの群れを発見した。彼は1匹のシャチに狙いを定め、銛を打ち込んだ。シャチの様子がおかしいことに気付いた彼に、アニーは「間違えてメスを撃ったのよ」と教えた。メスのシャチは自らスクリューに突っ込み、体を傷付けた。アニーが「自殺するつもりよ」と言うと、ノーランはノバックにエンジンを切るよう指示した。ノーランがロープでシャチを吊り上げると、胎児の亡骸が腹部から転がり落ちた。ノーランはホースで水を浴びせ、胎児を海に落とした。その様子を、オスのシャチが見つめていた。
ノーランたちが陸へ戻ろうとしていると、オスのシャチがバンポ号に体当たりを食らわせた。アニーは骨折し、シャチは体当たりを繰り返した。転覆を恐れたノーランは、ノバックにロープを切ってメスを海に落とすよう命じた。ノバックはロープを切るが、オスのシャチに襲われて死亡した。オスはメスの死を看取り、亡骸を岸まで運んだ。翌朝、ノーランが岸へ行くと、レイチェルがメスの亡骸の近くに座っていた。レイチェルはノーランに、「オスは貴方の船を追ったのよ」と告げた。
先住民のウミラクがノーランの元へ来て、「昔、父親たちがシャチを襲って傷付けた。シャチは船を転覆させ、ハンターを食い殺した」と語った。「シャチは自分たちを傷付けた人間を覚えている。奴の縄張りから去るべきだ」とウミラクは警告するが、ノーランは軽く笑って立ち去った。彼はノーランの葬儀を神父に執り行ってもらい、「動物への罪も罪ですか」と質問した。すると神父は、「草の葉に対する罪でも、罪は罪です。罪は自分自身に対して犯すものです」と述べた。
バンポ号は修理のため、港に停泊していた。ノーランは船員組合長を務めるスウェインから、「シャチを捕まえるそうだな」と問われる。「そのつもりだったが、気が変わった」とノーランが答えると、スウェインは「それは良かった。ここの人間は迷信深い。オルカがいると魚が逃げると思っている」と告げた。湾内にオスのシャチが入り込み、2隻の船に次々と体当たりを食らわせた。シャチは2隻を転覆させ、港から去った。
ノーランはスウェインから、「2隻の船が沈み、魚群もいなくなった。お前のシャチのせいだ」と非難される。ノーランが「シャチのことなんか忘れろ。もう二度と現れない」と言うと、スウェインは「1時間前、北の岬にいた。じっと動かずに待っていた」と言う。ノーランはレイチェルから行かないよう警告され、受け入れたフリをして岬へ向かう。するとシャチが海から顔を覗かせ、そして姿を消した。
翌朝、スウェインは組合の面々を集め、「沿岸警備隊や水産研究所などに相談したが、誰も手を貸してくれない。俺たちがシャチを何とかするしかない」と訴える。その様子をノーランが見ていると、ウミラクが「シャチを殺さないアンタは腰抜けだと皆が言っている」と語る。ノーランが「理由がある」と言うと、彼は「分かってる。アンタの顔には恐怖がある。だが理由が何であろうと、シャチを追うべきだ。アンタのシャチは村の災いだ」と述べた。
ノーランは桟橋にカカシを置き、シャチをおびき寄せて仕留めようと目論む。するとレイチェルは、「シャチは来ないわ。なぜ他の船を沈めたと思う?貴方と海で戦いたいからよ」と話す。「海で戦う気は無い」とノーランが言うと、彼女は「ここから目を撃って殺す気ね。貴方こそ獣よ。他で楽しみなさいよ」と非難した。ノーランは「君の言う通り、奴に対話能力があるのなら、妻子の死は不幸な事故だと説明して謝罪するつもりだ」と述べた。
ノーランはレイチェルに、「奴の気持ちは分かる。同じ経験があるんだ。妊娠中の妻が病院へ向かう途中、飲酒運転の車が突っ込んだ。その事故で妻子は命を落とした」と語る。シャチは港のパイプラインを切断し、大規模な火災を発生させた。スウェインは仲間に指示し、バンポ号を徹夜で修理した。彼はノーランに電話を掛け、名前を明かさず「船は修理した。朝6時15分の満潮に乗れ」と要求した。
ノーランはポールに、アニーを連れてトラックで村を出るよう指示した。ノーランはレイチェルに電話を掛け、シャチ退治に向かうことを話す。しかしレイチェルの説得を受け、ノーランは「行かない」と約束した。ポールは給油しようとガソリンスタンドに向かうが、店員はガソリンを売ることを拒絶した。ウミラクはポールに、「一緒に行くとノーランに伝えてくれ。奴はシャチと戦うしかない」と述べた。シャチはノーランたちが使っている海辺の小屋を襲撃し、アニーの左脚を食い千切った…。

監督はマイケル・アンダーソン、原案&脚本はルチアーノ・ヴィンチェンツォーニ&セルジオ・ドナティー、製作はルチアーノ・ヴィンチェンツォーニ、撮影はテッド・ムーア、編集はラルフ・E・ウィンタース&ジョン・ブルーム&マリオン・ロスマン、美術はマリオ・ガルブリア、衣装はヨスト・ヤコブ、音楽はエンニオ・モリコーネ。
出演はリチャード・ハリス、シャーロット・ランプリング、ウィル・サンプソン、ボー・デレク、キーナン・ウィン、ロバート・キャラダイン、スコット・ウォーカー、ピーター・フートン、ウェイン・ヘフリー、ヴィンセント・ジェンティル、ドン・“レッド”・バリー他。


『80日間世界一周』『2300年未来への旅』のマイケル・アンダーソンが監督を務めた作品。
原案&脚本は『夕陽のギャングたち』『華麗なる復讐』のルチアーノ・ヴィンチェンツォーニ&セルジオ・ドナティー。
ノーランをリチャード・ハリス、レイチェルをシャーロット・ランプリング、ウミラクをウィル・サンプソン、アニーをボー・デレク、ノヴァクをキーナン・ウィン、ケンをロバート・キャラダイン、スウェインをスコット・ウォーカー、ポールをピーター・フートンが演じている。

1975年に『ジョーズ』が大ヒットして以降、1976年の『グリズリー』、1977年の『テンタクルズ』、1978年の『ピラニア』、1980年の『ジョーズ・リターンズ』、1980年の『アリゲーター』など、二番煎じ的な動物パニック映画が何本も作られた。
この作品も、そんな流れの中に含まれる1本だ。
「これは決して『ジョーズ』の亜流なんかじゃない」と強く主張する人もいるだろうけど、亜流は亜流だ。
ただ、前述したようにルチアーノ・ヴィンチェンツォーニ&セルジオ・ドナティーが脚本を務めたことによって、マカロニ・ウエスタン色が濃くなったというだけのことだ。

この映画、日本では東宝東和が配給した。1970年代の東宝東和といえば、テキトーな邦題を付けたり、デタラメな宣伝方法を取ったりしていたことは、一部では有名な話だ。
この映画の公開当時は、“スパック・ロマン”という謎のジャンルを用意した。
「スパック」とは、「SCIENTIFIC PANIC ADVENTUROUS CINEMA」の略語だ。略さない正式名称の時点で、いかにデタラメなのかが分かるというものだ。
しかも恐ろしいことに、東宝東和は「アメリカ大作路線が新しい時代を迎え、スパックと呼ばれる新しい映画作りへの流れが生まれた」という嘘八百を言いふらしていたのである。

言うまでも無いだろうが、“スパック・ロマン”は東宝東和が勝手に作ったジャンルである。それを「アメリカで生まれた新たなジャンル」と宣伝していたのだ。
ちなみに“スパック・ロマン”は「今までの単なるパニック映画を超えて、映画の持つ明るく楽しい娯楽性と共に、人類の未来をもう一度見つめなおそう」というジャンルらしいが、具体的にどういう種類の映画なのかサッパリ見えて来ない辺りが、いかにも東宝東和らしい。
その上、東宝東和は「『スター・ウォーズ』はスペース・サイエンス、この『オルカ』はマリーン・サイエンスと呼ばれています」という風に、真っ赤な嘘を重ねている。まるで違うジャンルの映画なのに、『スター・ウォーズ』と並べているのだ。
ようするに、“スパック・ロマン”というジャンルは、この映画が公開された当時に世界的ブームとなっていた『スター・ウォーズ』に 何とか便乗しようとして生み出したモノだったわけだ。

冒頭、鮫の接近に気付いたレイチェルが慌てて岩陰に隠れる様子や、ボートから落ちたケンが鮫に襲われそうになる様子が描かれる。そのように「鮫は人間を襲う海洋生物であり、恐れられる存在である」ということをアピールした上で、そんな鮫をシャチが一撃で殺害するシーンを描く。
そうやって「鮫よりもシャチの方が凄いんだぜ」ってのを強調したがる辺りからしても、『ジョーズ』を意識していることは明らかだろう。
ただし、シャチが鮫を殺すだけで去ってしまうのは、生態としておかしいだろ。捕食のための殺害じゃねえのかよ。
実際のシャチがどうかという問題は別にして、「『ジョーズ』に登場した鮫は殺害そのものを目的として人を襲う残忍な生物だったけど、シャチは復讐のために人間を襲うのだ」という風に本作品では描いているはず。
冒頭で殺害そのものを目的とした行動を取らせてしまったら、そこの設定がブレてしまうでしょうに。

序盤、レイチェルがシャチについて学生たちに講義し、「地球上で最も強力な生き物である」と語る。
最も強いかどうかは分からないけど、少なくとも海洋生物では最も強いとされている。鮫よりも強いのは、劇中だけの設定ではなく事実だ。
ただ、レイチェルの講義でも説明されている通り、幼少期に捕獲して育てれば人間に慣れるので、水族館でショーに使われたりしている。また、鮫に比べると見た目の怖さが無い。むしろ可愛い外見をしている。
そのように、「水族館でショーに使われている」というイメージと、「見た目が可愛い」ということがあるので、「動物パニックの映画における恐ろしい敵」として扱うには、あまり向かないように思える。

序盤で鮫より強いみとや獰猛さを見せても、前述した「一般的なイメージ」と「外見から感じさせる印象」ってのを覆すのは、なかなか難しいものがある。
例えば、カバって実は、最強の動物という説もあるぐらいの陸上生物だ。だけど、「カバが人々を襲う」という内容の動物パニック映画って聞いたことが無いでしょ。
それは、「恐ろしい猛獣」として描かれてもピンと来ないからだ。
シャチにも、それと同じことが言えると思うんだよね。

レイチェルは講義の中で「子を思う親心は人間より強く、復讐心も人間に負けない」とも語っているけど、すんげえ不自然な説明だわ。
「オスのシャチがノーランに奥さんと子供を殺され、復讐心を燃やす」という展開があるから、そこに説得力を持たせるために、事前に解説を入れているという事情は分かるのよ。
だけど、そんな段取りを踏まなくても、後から説明すればいい。
ノーランが妊娠しているシャチを殺したと知り、レイチェルが警告として「シャチの復讐心は強くて云々」と言う形にすればいいでしょ。

レイチェルの講義では「シャチは優れた知能を持っていて、人間以上と言える面もある」という説明もあるんだけど、それを納得させるようなシャチの行動が劇中に乏しい。
ノバックを殺しただけで去ってしまうし、港に入った時もバンポ号やノーランを狙わずに他の船を転覆させるだけだし、利口には思えない。
港でバンポ号を転覆させないのは、「転覆させたらノーランが海に出て来られなくなるから」と解釈できないこともないけど、だからって他の船を転覆させても意味が無い。
それが脅しのつもりだとしたら、ノーランが恐れて海に出なくなる可能性だってあるわけで。

この映画の大きな失敗は、少なくとも前半のノーランが、完全な悪役になってしまっているということだ。
彼はシャチに対して「殺すか、捕獲するか」という2つのことしか考えておらず、レイチェルの批判を軽く受け流し、アニーから「シャチは一夫一婦制です。家族を引き離すことになります」と言われても無視し、嬉々としてシャチを狙う。
その姿は、動物映画における「悪者のハンター」そのものだ。
ノーランが岬でシャチを見た時、自動車事故の映像がフラッシュバックとして挿入される。その時点では単に意味不明な映像だが、実は「ノーランは過去に自動車事故で妻子を失っている」という設定があるのだ。
つまり、そこでシャチを見た時に自分の妻子を思い出したということなんだけど、重ね合わせるのが遅いわ。アニーに「家族を引き離すことになります」と言われた時点で、少しは考えようぜ。

っていうか、ノーランはシャチの妻子を殺したことを自分の妻子の死に重ね合わせて罪悪感を抱いているけど、じゃあオスを殺していたら、どうだったのかと。
その場合は自分の妻子の死に重ならないから、罪悪感は抱かないのか。
上手く仕留めることが出来れば殺さずに捕獲して水族館に売却していただろうけど、その場合も「家族を引き離す」ってことではあるんだし、それはそれでシャチからすると復讐心を抱く動機になるだろう。
「水族館で楽しく過ごせる」ってのは人間の勝手な理屈だしね。

そういうことを考えると、「シャチのオスから復讐心を向けられ、ノーランが自分の妻子の死を重ね合わせて罪悪感を抱く」というトコロにドラマを用意されても、あまり気持ちが乗らないんだよね。
「シャチがハンターに対して復讐心を抱く」というプロットを用意した以上、ノーランを「シャチを捕獲する」という目的で行動するキャラ設定にした時点で、その復讐心から逃れることは出来ないでしょ。
シャチの立場になってみれば、家族と引き離す憎き敵なんだから。
殺されたのがオスであろうとメスであろうと、仮に殺されずに捕獲しただけであろうと、情状酌量の余地は無いはずでしょ。

ただし、シャチに対して全面的に肩入れし、復讐劇を応援したくなる形になるのかというと、そういうわけでもない。
途中まではシャチに対する同情心も沸くが、アニーの左脚を食い千切った時点で完全にアウト。
アニーは「家族を引き離すことになる」と言い、むしろシャチの捕獲には反対する意見を述べていたのだから、ただひたすらに可哀想なだけだ。
しかもシャチの狙いはノーランなのに、そのノーランを海へ誘い出すための道具として左脚を食い千切られたようなモンだ。

観客がシャチの復讐劇を応援したい気持ちになったままってのはマズいわけだから、シャチが残忍な行動を取ることで同情心を消滅させるというのは、ある意味では正しい。
だけど、そこまでにシャチへの同情心を抱かせたり、ノーランに「自分と同じだ」ということで罪悪感を抱かせたりしているわけで。
そういう仕掛けがアニーの左脚を食い千切ることで、まるで無意味になってしまうのだ。
結局は「残忍で憎むべき敵」にしてしまうのなら、最初からそういう扱いにしておけばいいんじゃないかと思ってしまうのよ。

(観賞日:2015年2月25日)

 

*ポンコツ映画愛護協会