『オンリー・ゴッド』:2013、デンマーク&フランス&アメリカ&スウェーデン&タイ

タイのバンコク。アメリカ人のジュリアンは兄のビリーと共に裏社会で活動し、ムエタイ興行にも絡んでいる。ビリーは風俗店へ行くが、オーナーが用意した娼婦たちの顔触れを見て「もっと若いのがいい。14歳ぐらいの少女だ」と告げる。オーナーは「今はこれだけだ」と言うが、ビリーは「娘がいるな。連れて来い」と要求する。オーナーが断ると、ビリーは彼を殴り倒して娼婦たちに襲い掛かった。ビリーは町を歩き、街頭で客を待っている少女に目を付けた。
引退した警官のチャンは連絡を受け、殺人事件の現場へ赴いた。するとビリーが売春宿で少女を強姦して殺害し、血まみれになっていた。チャンは父親のチョイに娘の死体を見せ、「お前のせいだぞ。親として義務があるのに」と指摘する。彼は「償いのチャンスをやる。好きにしろ」と告げ、その場を後にした。チョイがビリーを殺害した後、チャンは部屋に戻った。彼はチョイを空き地へ連行し、「娘の商売を知ってて、なぜ止めなかった」と批判する。チョイは稼ぎの少なさを理由にするが、チャンは刀で彼の右腕を切り落とした。
ジュリアンは風俗嬢のマイを部屋に呼び、椅子に両手を縛ってもらう。マイは自慰行為を始め、それをジュリアンは見物する。ジュリアンは仲間のゴードンから、兄が死んだいう知らせを受ける。チャンは警官たちを引き連れてカラオケバーへ行き、、得意の歌を熱唱する。アメリカからバンコクに入った母のクリスタルはホテルにチェックインしようとするが、まだ時間が来ていないことをフロント係に説明される。彼女は支配人を呼び出させ、汚い言葉で批判した。
ビリーは手下たちを引き連れ、チョイの元へ乗り込んだ。彼は拳銃を用意し、ビリーを殺した理由を尋ねる。事情を知ったジュリアンは、殺害を取り止めた。帰宅したジュリアンの元にクリスタルが現れ、「犯人は殺したのよね」と問い掛ける。ジュリアンが「許してやった」と言うと、クリスタルは怒り狂った。ジュリアンは「事情が複雑だ。ビリーは16歳の子をレイプして殺した」と説明するが、クリスタルは「何か理由があったのよ」と口にする。
クリスタルは「息子を殺したクソ野郎の始末は、お前には無理。私に任せて」と述べ、ゴードンに指示を出す。ゴードンは金で少年を雇い、チョイを殺害させた。クリスタルから「ビリーの穴埋めはビリーにやらせて」と命じられたゴードンは、「聞いてませんか。あと1人、現場にいました」と言う。彼はクリスタルに、「御心配なく、見つけて片付けますよ」と告げる。ジュリアンが経営するムエタイのジムにいると、警官のキムが訪ねて来た。彼はジュリアンに、チョイが殺されたことを教えた。チャンはジュリアンの前に現れ、「黒幕がいる」と口にして立ち去った。ジュリアンはチャンを尾行するが、姿を見失った。
クリスタルはチャンを始末するため、バイロンという男を雇おうとする。「警官殺しはヤバい」と拒まれたので「幾らなら?」と訊くと、バイロンは「金の問題じゃない。他に見返りは?」と言う。クリスタルがコカインの譲渡を提案すると、バイロンは承諾した。ジュリアンはマイに服を与え、クリスタルとの会食に連れて行く。クリスタルはマイの仕事を知っており、差別的な言葉を口にする。彼女はマイに、「息子はヘロインやコカインを売って稼いでいるの、貴方とヤるためにね」と言う。
クリスタルは失礼な態度を詫びて、「息子を失って気が動転してるの」と釈明する。彼女はビリーのペニスの大きさを語り、「ビリーはジュリアンの理想だった。もし立場が逆でジュリアンが殺されていたら、彼は犯人の首を皿に乗せて持って来るわ。なのにお前は、彼の死は当然の報いだと考えてる。死ね」とジュリアンを厳しく非難した。帰り道、マイが「良く我慢できるわね」と言うと、ジュリアンは「母親だからさ」と告げて激しい怒りを示した。
バイロンの仲介でゴードンが雇ったチンピラたちは、チャンのいる食堂にマシンガンを乱射した。大勢の客が犠牲となったが、チャンは死ななかった。チャンはチンピラの1人を捕まえ、もう1人の居場所を吐かせる。男は雇った人物の情報を白状し、息子のことを頼むと告げる。チャンは少年の目の前で、1人目のチンピラを殺害した。キムはバイロンの店へ行き、拳銃を構えて殺しの依頼人を吐くよう要求する。バイロンが店から去るよう凄むと、チャンは男の両手を突き刺して依頼人の情報を吐かせた。チャンが両膝を刺して「どんな女だ」と尋ねると、バイロンは「知るか」と言う。チャンは彼の両目をナイフで抉り、耳を突き刺した…。

脚本&監督はニコラス・ウィンディング・レフン、製作はレネ・ボーグルム&シドニー・デュマ&ヴァンサン・マラヴァル、共同製作はジェシカ・アスク&ヤコブ・ヤレク、製作協力はイヴ・シュヴァリエ、製作総指揮はライアン・ゴズリング&クリストフ・ランデ&ブラヒム・シウア&トム・クイン&ジェイソン・ジャンゴ&ミケル・リトヴァク&デヴィッド・ランカスター&ゲイリー・マイケル・ウォルターズ&マシュー・リード&トール・シーグルヨンソン、撮影はラリー・スミス、美術はベス・ミックル、編集はマシュー・ニューマン、衣装はワシットチャヤ・“ナンプーン”・モチャナクン、視覚効果監修はマーティン・マドセン、音楽はクリフ・マルティネス。
出演はライアン・ゴズリング、クリスティン・スコット・トーマス、ヴィタヤ・パンスリンガム、ラータ・ポーガム、ゴードン・ブラウン、トム・バーク、サハジャック・ブーンタナキット、ピットチャワト・ペッチャヤホン、チャーリー・ルーズパカナン、コウィット・ワッタナクン、ワンニサ・ペウングパ、ナルチャ・チャイマレング、ダナイ・ティエングダム他。


『ドライヴ』のニコラス・ウィンディング・レフンが脚本&監督を務め、再び主演にライアン・ゴズリングを迎えた作品。
当初はルーク・エヴァンズが主演する予定だったがスケジュールの都合で降板し、ゴズリングが代役を務めることになった。
ジュリアンをゴズリング、クリスタルをクリスティン・スコット・トーマス、チャンをヴィタヤ・パンスリンガム、マイをラータ・ポーガム、ゴードンをゴードン・ブラウン、ビリーをトム・バークが演じている。

残虐な暴力シーンはあるが、それによってテンポは上がることは無い。暴力による高揚感や疾走感は無い。
ゆったりしたテンポで始まり、それは最後まで持続する。かなり静かで淡々とした雰囲気に包まれており、たっぷりと間を取りながら、スローペースで話を進めていく。
基本的には陰鬱な話なのだが、それほど重苦しい雰囲気に満ち溢れているというわけでもない。最初から最後まで、ヒリヒリとした緊迫感が張り詰めているというわけでもない。
むしろ見方を変えれば、ある種の喜劇とさえ言えるかもしれない。

ジュリアンはマイを呼んでもセックスしようとせず、両手を縛らせてオナニーを見物するだけだ。ただ座って見物するだけなら、わざわざ両手を椅子に縛らせる必要など無い。
しかし、この映画では、ジュリアンの両手は男根のメタファーになっているので、縛ることに意味があるのだ。
両手を縛られることは、ジュリアンが去勢されていること、そして暴力的衝動を抑制していることを意味している。
だからジュリアンが暴力的衝動を感じた時、彼は拳を握り締める。いわば両手を勃起させるのだ。

ジュリアンの去勢は、母親の影響によるものだ。
クリスタルは強い権力を持つ支配者ではあるのだが、だからと言って反抗しようと思えば出来るはずだ。しかしジュリアンは、何があっても反抗できない。
ジュリアンにとってクリスタルは、近親相姦で結ばれた絶対的な存在だからだ。
クリスタルはビリーを溺愛し、ジュリアンには冷たく接して来た。クリスタルはビリーの男根を絶賛し、ジュリアンと比較する。
だが、愛が兄に注がれているからこそ、余計にジュリアンは愛を欲しがり、母親に縛られるのだ。

チャンは引退した警官という設定だが、実質的には復讐神だ。現役警官たちがチャンの行為を全て黙認するどころか積極的に協力するのは、相手が神だからだ。
チャンは人を傷付けたり殺したりするが、それは単なる殺人ではない。神の裁きなのだ。
だからチョイにビリーを殺害させた後、右腕を切り落とす。少女を殺したビリーも裁かれるべき悪人だが、娘に売春で稼がせていた父親も悪人だからだ。ただしビリーは殺されるべき犯罪を犯したが、チョイは殺すほどの罪ではないということで、処罰で済ませるのだ。そして警官たちは神であるチャンを崇拝し、神の裁きを手伝うのだ。
そしてチャンはカラオケで歌うことによって、死んだ者を弔う。

終盤、ジュリアンはクリスタルから、「望んで産んだ息子じゃないし、貴方のことは良く分からない」と言われる。
だが、そんなことを言われた直後なのに、「次は私が狙われる。もう誰も残ってない。私を守って」と頼まれると引き受けてしまう。
「チャンの幼い娘を殺すべし」という命令を知ったところで、それだけは思い留まるが、クリスタルを拒絶したり、嫌悪したりするわけではない。その従順な愛は、何も変わらない。
ただし、別れの時は訪れる。チャンに殺害されたクリスタルの死体を見つけると、その腹を裂いて子宮に手を突っ込む。
それはジュリアンにとって、死姦を意味する行為だ。そして胎内回帰が不可能と知り、神に降伏するのだ。

クリスタルの影響によるジュリアンの去勢は、完全な形だったわけではない。前述したように、ジュリアンは暴力的衝動を感じることがある。クラブで急に激昂し、男性客に殴り掛かるシーンもある。
セックスに関する去勢は成功(それを成功と呼ぶべきかどうかは置いておくとして)していても、暴力性の去勢は不完全なものだった。
そしてジュリアンは母を死姦した後、自らチャンに両手を差し出す。
彼は母への甘美な依存に溺れた自身の愚かしい罪を理解し、両手を切り落とされて去勢することによって、それを償うのだ。

と、なんか偉そうな講釈を垂れてみたが、実のところ、「そんなことは、どうだっていいのである」という映画だったりする。
前述したように、様々な箇所にメタファーが隠されていたり、重要な意味が込められていたりするんだろう。
そういうことを、もちろん真面目に考察してもいいけど、あまり真剣に捉えなくても構わないだろう。「なんかヘンテコなシーンだなあ」という程度の解釈でも、別に「映画を捉える感覚がヌルい」とか「考えが浅い」とか、そんな風には思わない。
むしろ、これって論理的に講じるより、感覚で受け止める人の方が正解じゃないかと思ったりするんだよね。

最初にジュリアンを主役として登場させておいて、すぐにビリーのターンへ移行するというのは、ちょっとヘンテコな構成だ。
普通なら、とりあえずジュリアンのターンを描いてからビリーに移るトコだろう。
それだけでも普通じゃないってことが分かろうというものだ。
ただし、この映画に関しては、もはや「構成が下手」とか「計算能力が無い」ってことじゃなくて、「そういうモノ」として受け止めるべきなのだろう。

ビリーは暴力的な男なのに、少女を殺した現場からは逃げようともせず、チャンたちが来ても静かに立っているだけ。チョイが来ても、ベッドで静かに座っているだけだ。正当性を主張して喚くことも無ければ、暴れたりすることも無い。
チャンはチョイに「好きにしろ」と言って部屋を出て行くが、ビリーが反撃したらチョイは逆に殺される危険性もある。だが、チャンはビリーを押さえ付けたり拘束したりすることもないまま、部屋で2人きりにする。
仮に「チョイが殺されても仕方が無い」という考えでタイマンさせたのならともかく、そういうわけでもなさそうなのよね。
そこはチョイが殺されたらチャンとしてもマズいはずなので、ちょっと行動として筋が通らない。
でも、この映画で「筋が云々」ってのは、たぶん意味が無い。

バイロンの元へ乗り込んだチャンは、尋問に対して反抗的な態度を取る相手に対し、「逆らうからだ」と言って両目を抉ったり耳を串刺しにしたりする。
だが、それは復讐神としての行為からは外れている。
そこは食堂で無関係の人々が殺されたことに対する怒りの報復にしておかないとマズいんじゃないか、単なる拷問になったらダメなんじゃないかと思ったりもする。
だけど、あんまり整合性についてマジに考えても意味が無いんだろうなあ、たぶん。

っていうか、そもそもチャンを復讐神にするのなら、無関係の人々が殺されるとか、幼い娘が狙われるとか、そういうのは避けなきゃいけないはずなのよ。
神が簡単に身内を危険にさらすとか、無関係の人々を巻き込むとか、そういうことを入れるべきじゃないでしょ。
クリスタルやジュリアンとチャンを、同じ土壌で勝負させちゃダメでしょ。
でも、そういう諸々も含めて、やっぱりマジに考えたら負けなんだろう。

バイロンを拷問した後、チャンはジュリアンの元へ行く。そしてジュリアンに「俺と戦うかい?」と誘われるとOKし、ジムで戦う。
だが、そんなことをする意味は無い。チンピラを差し向けた黒幕はクリスタルであり、チャンは完全に部外者なのだから。
もっと問題なのは、その格闘が見栄えのしない内容になっているってことだ。
格闘にキレや迫力やスピード感があるなら、メリハリってことを考えて入れてもいいかもしれんけど、モッサリしたアクションを見せられてもなあ。
あと、クリスタルの往生際の良さも違うだろ。そこは最後まで徹底して、憎々しげな悪党であるべきだわ。

過剰な暴力描写が批判の対象になったようだが、そんなに目くじら立てるほど酷いとは思わない。ただ単に、普通に捉えたら退屈な映画というだけだ。つまり裏を返せば、普通に捉えない方がいいってことだ。
監督本人が「これはアシッド映画」とコメントしているが、これは「もしもドラッグをやって観賞したら」と捉えるべきなのだ(その解釈でホントに正解なのかよ)。
で、そんな風に考えると、それほど悪くないんじゃないか。ドラッグをやらなくても、やっているような感覚が味わえるってことになるわけで。
ただし、アッパーじゃなくてダウナーってトコが困りものだが(いや、そういう問題じゃないと思うぞ)。

(観賞日:2015年9月13日)

 

*ポンコツ映画愛護協会