『オーメン2/ダミアン』:1978、アメリカ

イスラエル。エクソシストのブーゲンハーゲンは友人である考古学者のマイケルを訪ね、米国大使のロバート・ソーン夫妻の葬儀について書かれた新聞記事を見せた。彼は1週間前に発掘されたイゲールの壁画について「壁にアンチ・キリストの顔が4つある。1つが悪魔の子だ」と言い、「夫妻の息子であるダミアンは悪魔の子だ」と断言した。懐疑的なマイケルに、ブーゲンハーゲンは「大使は真実を知り、息子を殺そうとした。私が彼に短剣を渡した」と告げた。
ブーゲンハーゲンは「ダミアンは大使の弟の家で養育されている。その夫婦に君から渡してほしい。詳しいことは手紙に書いた。放置しておくと危険だが、私は病気で行くことが出来ない」と箱を取り出した。まだ疑いを抱いているマイケルに、ブーゲンハーゲンは「では壁を見に行こう」と持ち掛けた。ブーゲンハーゲンは発掘現場へ行き、マイケルに悪魔の子の壁画を見せる。その顔はダミアンと瓜二つだった。その直後、遺跡が崩壊し、2人は生き埋めになった。
7年後、シカゴ。大使の弟であるリチャードとアンの夫妻に引き取られたダミアンは、自分が悪魔の子だと知らないまま、13歳に成長していた。夫妻の実子であるマークとは兄弟同然に仲良くしており、同じ陸軍幼年学校に進学していた。休暇で帰郷していた2人は、宿舎へ戻ることになった。挨拶に行くと、伯母のマリオンはダミアンには冷たく、マークには優しく接した。リチャードはマリオンから、マークとダミアンを引き離すよう頼まれる。「兄さんはダミアンを殺そうとしたのよ。なぜだと思う?」とマリオンはダミアンの危険性を訴えるが、リチャードは彼女の要求を聞き入れなかった。
リチャードはソーン博物館の館長であるチャールズを呼んでおり、自身が会長を務めるソーン産業の支援で発掘された出土品をスライドで確認する。その内の1つは、ブーゲンハーゲンとマイケルが遺跡で見た「バビロンの娼婦」と呼ばれる龍の像だった。スライドの一枚には、チャールズの友人でブーゲンハーゲンの伝記を執筆しているジョー・ハートが写っていた。一方、寝室で就寝していたマリオンが目を覚ますと、部屋にカラスが侵入していた。その直後、彼女は突然の発作を起こして死んだ。
翌日、出社したリチャードは、社長のビル・アサートンから重役のポール・ブーハーについて不満を聞かされる。ポールの提案は司法省と揉めることに繋がるものであり、望ましくないというのがビルの考えだった。ポールは広大な土地を買収して食料を増産しようと考えており、部下であるパサリアンはビルの説得に当たった。アンはマリオンの遺体を発見し、連絡を受けたリチャードは帰社した。
ダミアンとマークの所属するB小隊では、ネフ軍曹が新しい小隊長に就任した。個人面接が実施され、ダミアンの番になった。ネフは彼に、「私は君の味方になる。相談に来い」と告げた。ダミアンが部屋を出ると、同級生のテディーにソーン家を嘲笑されたマークが怒って喧嘩をしていた。マークに馬乗りになって罵声を浴びせるテディーに、ダミアンは呼び掛けた。ダミアンに睨まれたテディーは、急に苦悶し始めた。ネフが出て来て「何をしている?」と告げ、ダミアンが視線を外すと、テディーの痛みは消えた。マークから「何をした?」と問われたダミアンは、「分からない」と答えた。
リチャードが運転手のマーレイに車を用意させて空港へ向かおうとすると、ジョーンが声を掛けて来た。記者嫌いのリチャードだが、彼女が「どうしても話したいんです。数分で構いません」と言うので、車に乗せて話を聞くことにした。すると車が走り出した途端、ジョーンは遺跡からブーゲンハーゲンの骨が発見されたことを話す。「貴方の兄さんは死ぬ前にブーゲンハーゲンと会っている。その理由は?」と尋ねるジョーンを、リチャードは車から追い出した。ジョーンは「貴方の身が危険なの」と訴えるが、リチャードは無視した。
チャールズがソーン博物館でアンと話していると、そこにジョーンがやって来た。チャールズに「貴方も危険なのよ。ダミアンが」と何か言い掛けたジョーンだが、アンの顔を見て口ごもり、「今に分かる」と告げて足早に去った。陸軍幼年学校を訪れたジョーンは、壁画の絵と瓜二つのダミアンを見て驚愕した。帰り道、エンジントラブルで車を停めた彼女は、カラスに襲われて道路脇に転がり落ちた。視力を奪われたジョーンは道路に這い出るが、走って来たトラックにはねられて死んだ。
マークの13歳を祝う誕生パーティーが開かれ、大勢の人々が集まった。その会場でポールを見掛けたビルは、彼の計画に反対していることを改めて告げた。ポールはダミアンに声を掛け、「ソーン産業について知っておくべきだ。いずれ君の物になる」と述べて植物プラントの見学に来るよう誘った。さらに彼は、「そろそろ子供っぽい行為は卒業して、自分を見つめるんだ。偉大なる時を感じるはずだ」と言う。ダミアンが「分かるよ。僕の身に何か起きそうな気がする」と口にすると、ポールは「それが宿命だ」と告げた。みんなで氷の張った湖に出てホッケーに興じていた時、薄氷が割れて転落したビルが水死した。
ビルの死を受けて、リチャードはポールを新社長に任命した。するとポールはリチャードの了解を得ないまま、パサリアンを土地購入のためにインドへ派遣した。リチャードはポールを叱責し、パサリアンの設計したユニットに異常があることを告げた。ダミアンは歴史の授業中、教師の似顔絵を描いているのを見つかった。教師が「授業が退屈か。ナポレオンについて詳しいのか」と訊くと、ダミアンは「少しは」と告げた。教師が歴史の難問を次々にぶつけると、ダミアンは簡単に答えを出した。
ネフが教室に来てダミアンを外に連れ出し、「何をしてる?自慢か」と言う。「いえ、なぜか答えが分かるんです」とダミアンは告げた。「目立つことはするな。いずれ君が何者なのかは分かる」とネフは注意し、「自分のことが知りたければ新約聖書の黙示録を読め。13章だ。それを読んで学習し、君の実体を理解しろ」と言う。聖書を部屋に持ち帰ったダミアンが指定された箇所を読むと、「人々は恐れ、その獣に権威を与えた竜を拝む」「獣と地の王らの軍は騎馬の軍勢に戦いを挑み、やがて自らの心におごり高ぶって多くの人を滅ぼした」「貧富を問わず、右手か額に獣の名であり数字である刻印を押させる」「数字は人間にあり。その数は666なり」などと記されていた。自分の頭頂部を鏡で確認したダミアンは、そこに666の刻印を見つけて愕然とした。
出張先から帰国したパサリアンは、ポールから「私の元へ来い」と命じられた。パサリアンはポールに、土地の売却を断った地主が次々に殺害されたこと、ソーン産業の人間が犯人である疑いが強いことを話す。パサリアンはリチャードに報告しようと考えていたが、ポールは「私から話す」と告げた。ダミアンが友人たちを連れてプラント見学へ行くと、パサリアンがユニットの点検に来ていた。リチャードと連絡が取れないまま点検作業に赴いたパサリアンは、ユニットから漏れた薬液を吸い込んで死亡した。
見学中の生徒たちも薬液を吸ったため、病院に運ばれる。全員が軽症で済んだが、ダミアンに関しては全く影響を受けていなかった。不審を抱いた医師のケインは、ダミアンに血液検査を受けさせるようリチャードに勧めた。リチャードが了解したため、ケインはダミアンの血液を採取した。その夜、ケインはダミアンから採取した血液を調べ、それがジャッカルの物だと気付いて困惑する。彼は同僚と相談するため、エレベーターに乗り込んだ。しかし籠がシャフトを急降下し、落ちて来たワイヤーに体を切断されて死亡した。
博物館に出勤したチャールズが届いた出土品を確認すると、その中にはブーゲンハーゲンの箱が含まれていた。箱を開けると、その中にはメギトの聖なる短剣やダミアンに関する資料、手帳、十字架、リチャード宛ての手紙が入っていた。手紙を読んだチャールズはソーン邸を訪れ、リチャードに箱のことを告げる。彼はダミアンが悪魔の子であること、周囲の人間が次々に殺されていることを訴えて警告するが、リチャードは激怒して追い払った。そんな2人の会話を、マークが密かに聞いていた…。

監督はドン・テイラー、キャラクター創作はデヴィッド・セルツァー、原案はハーヴェイ・バーンハード、脚本はスタンリー・マン&マイケル・ホッジス、製作はハーヴェイ・バーンハード、共同製作はチャールズ・オーム、製作協力はジョセフ・“ペピ”・レンツィー、撮影はビル・バトラー、編集はロバート・ブラウンJr.、美術はフィリップ・M・ジェフリーズ&フレッド・ハープマン、音楽はジェリー・ゴールドスミス。
出演はウィリアム・ホールデン、リー・グラント、ジョナサン・スコット・テイラー、ロバート・フォックスワース、ニコラス・プライアー、リュー・エアーズ、シルヴィア・シドニー、ルーカス・ドナット、ランス・ヘンリクセン、エリザベス・シェパード、アラン・アーバス、フリッツ・フォード、ミシャック・テイラー、ジョン・J・ニューカム、ジョン・チャールズ・バーンズ、ポール・クック、ダイアン・ダニエルズ、ロバート・E・イングラム、ウィリアム・B・フォッサー、コーニー・モーガン他。


1976年の映画『オーメン』の続編。
監督は『新・猿の惑星』『ドクター・モローの島』のドン・テイラー。
リチャードをウィリアム・ホールデン、アンをリー・グラント、ダミアンをジョナサン・スコット・テイラー、ポールをロバート・フォックスワース、チャールズをニコラス・プライアー、ビルをリュー・エアーズ、マリオンをシルヴィア・シドニー、マークをルーカス・ドナット、ネフをランス・ヘンリクセン、ジョーンをエリザベス・シェパード、パサリアンをアラン・アーバス、マーレイをフリッツ・フォードが演じている。
アンクレジットだが、ブーゲンハーゲンをレオ・マッカーン、マイケルをイアン・ヘンドリーを演じている。レオ・マッカーンが、前作から引き続いて出演している唯一のキャストだ。

『オーメン』の監督はリチャード・ドナーが務めていたが、その前には『狙撃者』のマイケル・ホッジスもオファーを受けていた。
内容が気に入らずに断ったホッジスは『電子頭脳人間』で興行的に失敗した後、今度は続編の監督をオファーされた。今度は興味をそそられ、ホッジスは監督を引き受けた。
しかし、1つ1つのカットに対して異常なこだわりを見せて時間を費やした上、映像面では凝るくせにオカルト映画としての演出に全く興味を示さなかったため、プロデューサーのハーヴェイ・バーンハードは激怒して彼を降板させた。
そして職人監督であるドン・テイラーが雇われ、残りの部分を撮影して何とか映画をまとめ上げた。

『悪魔のいけにえ』がトビー・フーパー監督にとって生涯に一度の奇跡だったのと同様に、『オーメン』は脚本を執筆したデヴィッド・セルツァーにとって生涯に一度の奇跡だった。
だから、ハーヴェイ・バーンハードが原案を考え、スタンリー・マン&マイケル・ホッジスがシナリオを担当した本作品が、前作と比べて著しく劣る内容になっているのは、仕方が無いっちゃあ仕方が無いのかもしれない。
そもそも、ダミアンが少年に成長している時点で、1作目に比べて厳しい状態になっていると言わざるを得ない。

1作目は、「まだ自我も芽生えていない純真無垢な赤ん坊が、無自覚の内に悪魔の力で殺人を遂行している」というところに恐ろしさがあった。「何の穢れも無い産まれたばかりの赤ん坊が無表情で養育されている間に、彼の周囲で勝手に不審死が連続する」というところに不気味さがあった。
しかし少年になると、もう自我は芽生えている。
そして、今度は無表情では済まされない。それだと「冷酷な少年」というイメージになってしまうので、「無自覚の内に殺人が遂行される」という形ではなくなってしまう。
だからと言って、あまり豊かな感情表現を見せてしまうと、今度は薄気味悪さが無くなることに繋がってしまう。
実際、この映画のダミアンには、まるで薄気味悪さが感じられない。

ダミアンが平穏に過ごしている、楽しく暮らしているという様子が挟まれる度に、おどろおどろしい雰囲気は打ち消される。
「平穏なシーンを用意して、恐ろしい出来事との落差を付ける」という意図的な演出だとしても、まるで効果的ではない。
前述したようにマイケル・ホッジスはオカルト映画の演出を全く意識していなかった人なので、たぶん意図的ですら無いんだろうと推測される。
ともかく、「無垢で無表情な赤ん坊が殺人を繰り返す」という設定は、ものすごく重要な意味を持っていたのだ。

「赤ん坊が殺人を繰り返す」という大きな強みを失ってしまった本作品が、その代わりに何を持ち込んだのかというと、それが見えて来ない。勝負するためには、新しい武器が必要なはずなのに。
決して徒手空拳で戦おうという無謀な意識ではなく、一応は「これで勝負する気だったのかなあ」と感じるような要素は幾つかある。
ただ、それが勝てる武器には到底見えない。
前述した1作目のアイデアを拳銃に例えるなら、今回は水鉄砲だ。

それと、そもそも「続編である」という時点で、既にハンデを背負っていると言ってもいい。
何しろ、ダミアンが悪魔の子であり、無自覚の内に彼の周囲で次々と殺人が起きることが、今回は最初から分かり切っているからだ。
だからマリオンがリチャードに「マークを彼から引き離して」と訴えた時点で、それを聞き入れないリチャードをバカだなあと感じるし、それを訴えたマリオンには死のフラグが立ったと感じる。次の展開が何となく読めてしまうのだ。
そして実際、その通りになる。
大まかに言うならば、1作目の後半部分を繰り返しているような内容になってしまう。
それは厳しいでしょ。

しかも、じゃあ「不審死のシーンをケレン味たっぷりに描き出す」という作業が前作より優れているのかというと、まるで物足りない。
例えばマリオンの死は、「目が覚めたらカラスが室内にいる。そのカラスがアップで写し出された後、マリオンは発作で苦しむ」という形になっている。
なんじゃ、そりゃ。
カラスが出て来ただけで不気味さが強く伝わってくるわけでもないし、「発作で死にました」ってのも怖さはゼロだ。

ジョーンが事故死するシーンは、それに比べれば遥かにマシだが、まだまだケレン味は全く物足りない。残酷殺人ショーとしての面白さは、1作目より明らかに劣る。
1作目のジェニングスは暴走トラックの積んでいたガラス板に首を切断されているけど、今回のジョーンは急ブレーキを掛けて停まろうとしたトラックにひねられて吹っ飛んだだけだからね。
ビルの死は「湖に落ちて死にました」という普通の事故死でしかないし、パサリアンの死も「漏れ出した薬を浴びた」という普通の事故死だから、「不審死の内容がどんどんエスカレートしていく」というわけでもない。
っていうか、そもそも不審な死に方じゃないし。

ケインの死亡シーンで、ようやく「エレベーターのワイヤーが急降下し、火花を上げながら体を真っ二つに切断する」というケレン味が見られるが、それぐらいだ。
マークの死は「ダミアンに睨まれて苦悶し、バッタリと倒れる」という呆気ない最期だし、チャールズは列車に挟まれて死ぬけど大して盛り上がらないし、リチャードはアンに刺されて死ぬだけだし、アンは燃えて死ぬけど淡白な描写。
1作目に比べると、「これから人が死にますよ」という盛り上げ方もイマイチなんだよな。

それと、まだダミアンが「自分が悪魔の子である」という自覚を持っていない段階で、既に「テディーを冷たく睨み付け、テディーが見えない何かに襲われて苦悶する」という描写があるんだよね。
そうなると、「ダミアンの中の悪魔が時に外へ出て来て、力を発揮する」ということに見えてしまう。
それがプラスかどうかと問われたら、間違いなくマイナスだよ。それは「既にダミアンが自分の力を自覚している」ってのと大して変わらない印象になってしまう。悪魔の子であることは自覚していなくても、特別な力を持っていることは自覚しているように受け取れるしね。
っていうか、そりゃ自覚できるだろ、睨んだだけで相手が苦しむんだから。

あと、その「睨んだだけで相手が苦しむ」という時も、「歴史の難問にスラスラと答える」という時も、「なぜ自分はこんなことが出来てしまうんだろう」というダミアンの困惑や苦悩ってのは、まるで無いんだよね。
で、「自分は何者なのか」と悩むドラマは全く描かれないまま、急に「頭頂部に666の刻印を見つける」という展開が訪れる。
その時は、さすがにショックを受けた様子を見せるが、そこから「そんなはずはない」と否定したり、でも悪魔の子であることを実証するような出来事が起きて苦悩したり、そういうドラマが描かれていくわけではない。彼は揺らぎや迷いなど全く持たず、その夜には自分が悪魔の子であることを受け入れる。
だから、「無自覚だったダミアンが自分の正体を知る」という展開を盛り込んだ意味が全く無い。

この映画は「ダミアンが無自覚の内に周囲の人々を死に追いやる」というホラーとしてのアプローチが弱く、「ダミアンが彼の信奉者に自分を見つめるよう促され、自分の正体と成すべきことに気付き、巨大企業を動かして世界の支配を企む」というピカレスク・ロマンのようなアプローチが色濃くなっている。
それはマイケル・ホッジスがそういう方向性を打ち出して演出していた影響が強く残ってしまったせいなんだろう。
だけど、裏事情がどうであろうと、それは不出来の言い訳にならない。
しかも、じゃあ「巨大企業を使った世界征服」というピカレスク・ロマンとして面白いのかというと、そういうわけでもないしね。

(観賞日:2014年3月22日)


1978年スティンカーズ最悪映画賞

ノミネート:【最悪の続編】部門

 

*ポンコツ映画愛護協会