『オッド・トーマス 死神と奇妙な救世主』:2013、アメリカ

ピコムンドの街に住むオッド・トーマスは、母から受け継いだ特殊な能力を持っていた。彼が12歳の頃、母は異常者とみなされて施設へ収容された。施設に入れられることを望まないオッドは、能力のことを公表していない。オッドの能力は、死者の霊が見えるというものだ。ペニー・カリストという少女の霊に導かれたオッドは、ハーロ・ランダーソンが彼女を車でひき殺したことを知った。彼はハーロと会い、殺人を指摘した。ハーロが逃げ出したので、すぐにオッドは追い掛けた。
ハーロは豪邸に逃げ込み、少年を捕まえようとする。オッドはハーロを殴り倒し、駆け付けた警官のサイモン・ヴァーナーとバーン・エックルズに身柄を引き渡した。オッドがペニーの成仏を見守った直後、ワイアット・ポーター警察署長がやって来た。ポーターはオッドに、警察から事情を訊かれた際にどう答えればよいかをレクチャーした。彼はオッドの秘密を知る数少ない理解者の1人である。その夜、オッドは顔の無い複数の人々に「助けてくれ」と取り囲まれ、担ぎ上げられる悪夢を見た。何者かが顔の無い人々に発砲し、オッドも腹を撃たれた。幻覚から醒めたオッドは災いが起きることを確信し、銃を持っていた人物を突き止める必要性を感じた。
オッドは車や家を所持しておらず、保険にも入っていない。ダイナーでコックとして働き、生活費を稼いでいる。店の常連である恋人のストーミーも、オッドの秘密を知る1人だ。オッドとストーミーは幼い頃、「生涯を共にする」という占いカードを引き、それを信じている。オッドがウェイトレスをしている友人のヴァイオラと店で働いていると、悪霊のボダッハが入って来た。ボダッハは店内を動き回るが、オッドは見えてないフリをする。ストーミーが店を出ようとすると、ボダッハが彼女を追い掛けた。オッドは慌てるが、ボブという客が入って来ると、ボダッハは彼に取り付いた。
ボダッハの出現は血の惨劇が近いことを意味しており、集まる数が多いほど事件は大きくなる。死が起きるのを嗅ぎ付け、見物に集まって来るのだ。そして店には大量のボダッハが押し寄せ、ボブに取り付いた。オッドがボブを尾行しようとすると、ヴァイオラが「これから占ってもらうの。昨日、変な夢を見た。自分と男の死体が横たわってた。乱射されたみたいだった」と言う。オッドが驚いている間に、ボブは姿を消した。
ヴァイオラはオッドに特殊な能力があると信じており、「本当のことを教えて。私に死が見える?」と尋ねる。オッドは「僕には何も見えないし、きっと長生きするよ」と告げた後、死体の男の服装について質問した。ヴァイオラは、赤と黒のシャツでボウリングの球の柄だったと答えた。それはオッドが夢で見た顔の無い人々の服装と一致していた。オッドはボブの捜索を開始し、アイスクリーム店で雇われ店長をしているストーミーの元に立ち寄った。すぐにボブを見つけ出したオッドは、大量のボダッハが付いていることをストーミーに話す。しかしボブがアイスを買って立ち去る時、ボダッハは彼から一斉に離れた。
オッドはストーミーに借りたスクーターでボブの車を尾行し、郊外の家に入る姿を確認した。ボブが立ち去ってから家を調べたオッドは、ボダッハが出入りする扉を発見した。扉を開けた先は凍り付いた部屋になっており、壁の穴に手を入れると大量のボダッハが出て来た。オッドは慌てて身を隠し、ボダッハが飛び出していく様子を見た。オッドが地獄の入り口を確認に行くと、部屋は凍っていなかった。室内を調べると、有名な殺人鬼たちの資料が保管されていた。
ボブの名が付いたファイルに翌日のカレンダーが入っているのを見たオッドは、彼が何かを企んでいると確信した。オッドはワイアットの元へ行き、ボブの調査を依頼した。ワイアットの妻であるカーラは、バーベキューに招いたエックルズとリゼットをオッドに紹介した。ワイアットはバーンを連れ出し、ボブの調査を指示する。リゼットはオッドに、「署長夫妻は私たちをくっ付けるつもりなの」と告げる。リゼットは以前からオッドを知っており、彼を誘惑する素振りを見せた。
ワイアットはオッドに、ボブが5ヶ月前に街へ来たこと、母親が昨年亡くなっていること、犯罪歴が全く無いことを教えた。オッドはストーミーと教会で会い、ボブの深追いについて反対される。そこへ怒りの形相を浮かべたボブが来たので、オッドは尾行されたことを悟った。ボブは教会を破壊して乗り込んで来るが、オッドはストーミーを連れて逃走した。彼はワイアットに電話を掛け、出動を要請した。オッドは知人のオジー・ブーンと遭遇し、注文しておいた鉄製のアクセサリーを受け取る。それはオッドは弾丸から心臓を守るために首から下げる物を求めていたのだが、オジーはストーミーへのプレゼントだと思っていたため、イメージとは違う仕上がりになっていた。しかしオッドは、そのアクセサリーを受け取っておくことにした。
教会を調べたワイアットはオッドに連絡し、指紋が1つも残っていないことを知らせた。ストーミーをスクーターに乗せたオッドは、いつの間にかボウリング場へ来ていた。そこの制服は緑と金色なので、夢で見た人々の服装とは異なるはずだ。しかし中に入ったオッドは、制服が夢で見たデザインに変わっているのを知った。オッドはワイアットに電話を掛けて「ボウリング場にボブが来る可能性が高い」と告げ、警官を派遣するよう要請した。オッドはストーミーに、「夢で殺されたのはここの店員だが、明日は別々の場所にいるはずだ。何かを見落としてる」と漏らした。
オッドはとストーミーがボウリング場を出ると、ワイアットの指示を受けたヴァーナーがやって来た。ストーミーはヴァーナーの手首にある「POD」の刺青をが見つけ、意味を訊く。彼は「卑猥な意味だから」と告げ、返答を避けた。オッドとストーミーはヴァイオラの家へ赴き、夢の内容を聞く。そして2人は、ヴァイオラが2発の銃弾を浴びること、大量虐殺が起きることを知った。ヴァイオラは両親を亡くし、妹であるラヴァンナとニコリーナの面倒を見ていた。寝室に入ったオッドは、2人に複数のボダッハが付いているのを目撃した。オッドはヴァイオラに、妹たちを連れて祖母の家へ行くよう指示した。
家を後にしたオッドとストーミーは、女性の悲鳴を耳にした。2人が急いで現場へ行くと、ボブの近所に住む教師のケヴィン・ゴスが猛犬2頭を射殺していた。その近くには、猛犬に襲われたリゼットの死体が転がっていた。ワイアットは部下たちを集結させ、ボブの捜索を命じた。オッドはワイアットにアクセサリーを渡し、身に付けるよう促した。オッドが部屋に戻ると拳銃が床に置いており、浴槽にはボブの死体があった。警察に連絡すれば拘束されて惨劇を阻止できなくなると考えたオッドは、死体を浴槽から運び出した。死後硬直の進行具合を見たオッドは、教会に来た時点でボブが死んでいたことを悟った。
オッドはボブの死体をシーツに包み、かつては刑務所だった廃墟のガス室に放り込んだ。その帰り道、彼は無数のボダッハが街を徘徊する様子を目撃した。ワイアットは家を訪ねてきた何者かに撃たれるが、アクセサリーのおかげで一命は取り留めた。オッドはピコムンドの惨劇は自分が阻止するしかないと考え、そして翌朝がやって来た。ボブの家を調べたオッドは、冷蔵庫に切断された指や骸骨が保存されているのを見つける。ボブの死霊に襲われたオッドは、ガス爆発を起こした家から脱出した。廃墟へ赴いたオッドはボブの死体を調べ、胸部に「POD」の刺青を発見する…。

監督はスティーヴン・ソマーズ、原作はディーン・R・クーンツ、脚本はスティーヴン・ソマーズ、製作はスティーヴン・ソマーズ&ジョン・バルデッチ&ハワード・カプラン 共同製作はピエール・バフィン&インディア・オズボーン&クリフ・ラニング、製作協力はグレッグ・マイケル&ジュリー・ハートレー、製作総指揮はカーステン・ロレンツ&ブルース・マッキネス&スティーヴン・マーゴリス&ジェームズ・ギブ&マイケル・アラタ&ペイヴァン・グローヴァー&ジョン・カルホーン&ジェリー・ダイグル&マーティン・マッコート&アラステア・バーリンガム&スティーヴ・ロビンス&デズ・ケアリー&マイケル・チオーニ、撮影はミッチェル・アムンドセン、編集はデヴィッド・チェセル、美術はジョン・ゲイリー・スティール、衣装はリサ・ジェンセン、視覚効果監修はジョセフ・グロスバーグ、視覚効果はピエール・バフィン、音楽はジョン・スウィハート、音楽監修はシーズン・ケント。
出演はアントン・イェルチン、アディソン・ティムリン、ググ・ンバータ=ロー、ウィレム・デフォー、シュラー・ヘンズレー、レオノール・ヴァレラ、ニコ・トルトレッラ、パットン・オズワルト、メリッサ・オードウェイ、カイル・マッキーヴァー、モース・ビックネル、アーノルド・ヴォスルー、ローレル・ハリス、カルメン・コーリー、メイシャ・ディアッタ、アシュレー・ソマーズ、マシュー・ダニエル・ペイジ、ネル・マーフィー、ヘスス・マヨルガ、タリア・ラニング、ジャック・ジャスティス、ロビン・ラニング他。


ディーン・R・クーンツの人気小説“オッド・トーマス”シリーズの第1作『オッド・トーマスの霊感』を基にした作品。
監督&脚本は『G.I.ジョー』『ヴァン・ヘルシング』のスティーヴン・ソマーズ。
オッドをアントン・イェルチン、ストーミーをアディソン・ティムリン、ヴァイオラをググ・ンバータ=ロー、ポーターをウィレム・デフォー、ボブをシュラー・ヘンズレー、オッドの母をレオノール・ヴァレラ、ヴァーナーをニコ・トルトレッラ、ブーンをパットン・オズワルト、リセットをメリッサ・オードウェイが演じている。
製作費を巡る訴訟が起きた影響で、アメリカでは劇場公開されなかった。

ディーン・クーンツと言えば、日本での知名度は今一つだが、本国のアメリカでは高い人気を保ち続けている大物作家だ。1980年代から多くのベストセラー小説を世に送り出している。
スティーヴン・キングと比較されることも多いが、ホラーに留まらず様々なジャンルの作品を執筆している。
当然のことながら、今までに複数の小説が映像化されている。
しかし、その中にビッグ・バジェットで製作された映画は1本も無い。全てがB級映画だ。
この映画も前述したような事情で決して潤沢な製作費が用意されたわけではないが、それでも今までの中では最も高額の予算ではないだろうか。

しかも、全てがB級映画というだけでなく、どの作品の評価も芳しくない。ハッキリ言ってしまうと、どの映画も駄作や凡作という評価になっている。
ディーン・クーンツは本作品を称賛しており、どうやら彼のファンからの評価も悪くないようだ。
ただし、それは「今までの映像化作品が酷すぎたから」ということが大きく影響しているんじゃないかという気がする。
絶対評価ではなく、相対評価として「今までの映画に比べれば遥かに出来がいい」ということで、評価が高くなっているんじゃないかと。

私はディーン・クーンツのファンではなく、彼の原作を基にした映画をチェックしているわけでもない。
そんな立場の人間からすると、「原作者が称賛した」という情報があっても、「いや、これって普通にダメな映画でしょ」という感想になってしまう。
そりゃあ、予算を巡るトラブルで気持ち良く仕事の出来る環境ではなかっただろうし、スティーヴン・ソマーズも大変だったとは思う。
しかし、そういう裏の事情は、観客にとっては何の関係も無い話だ。
重要なのは結果だけであり、過程は評価に影響しない。

細かいことかもしれないが、導入部の演出からして、ちょっと違うんじゃないかという印象を受ける。
オッドの指摘を受けたハーロが車から飛び降りて逃走、それをオッドが追い掛けて捕まえようと格闘する時の映像を、スローモーションなどを使って加工している。だが、それは「オッドにだけ見えている映像」とか「特殊能力が行使されている状況」ではなく、ごく普通に進行しているシーンだ。
そこの映像に特殊加工を施すことは、「オッドの特殊能力」との境界線をボヤけさせてしまう。それが得策とは思えない。
むしろ、もっとハッキリと「現実」と「オッドの特殊能力が行使されている映像」を分断した方がいいはずだ。

オッドは顔の無い複数の人々に「助けてくれ」と取り囲まれ、発砲を受ける夢を見る。
でも、それは「死者の魂が見える」という能力とは別物だよね。
予知夢を見るのも能力の内だとしたら、ちゃんとした説明が必要だろう。
あと、なぜ「災いが起きる。銃を持っていた男を突き止めないと」と断言できるのかも良く分からない。これまでも彼が予知夢を見ていたのならともかく、そういう言及は無いし。

「能力のことを周囲に打ち明けられず、変人扱いされている」「死者の魂を見ることが出来るので、その不幸や死や悲惨な運命と直面することもある」など、本来ならオッドは「辛さ」や「苦しさ」「虚しさ」「悲しさ」といった要素を含むキャラクターであるはずなのだが、そこに悲哀の色は全く感じられない。
だから同情心を抱くことも無い。
そりゃあストーミーやポーターという理解者がいて、しかも恋人とラブラブだから、「辛いことなんて何も無い」ってことになっちゃうのかもしれない。
別に悲哀がなきゃ絶対にダメってわけじゃないけど、そのことがオッドという主人公から魅力を削ぎ落としていると感じる。

ダイナーに悪霊のボダッハが入って来た時、オッドの「奴らはボダッハ」というナレーションの後、彼がメキシコ人少年と路地で話している回想シーンが入る。
「ここだけの話に」「連中が見える奴は初めてだ。誰もが幻覚だと」「人には言うな」「昨日、見掛けたから中指を立ててやった」「見えてると知られたら殺されるぞ」といった会話の後、ボダッハを乗せた車に少年がひき殺される。
でも、その少年とオッドの関わりがサッパリ分からない。
どういう経緯で少年と知り合ったのか。

能力のことを人に話したがらないオッドが打ち明けているんだから、その少年を信用しているってことなんだろうけど、その辺りに何の説明も無い。
そりゃあ同じ能力者だから簡単にバラしたってことかもしれんけど、冒頭で「施設に入れられたくないから秘密にしている」と喋ったにしては簡単にバラしているし。
ボダッハの恐ろしさを説明するために、そんな回想シーンを入れなきゃいけないのは、ちょっと不格好だ。
っていうか、そんなの無くても大丈夫じゃねえかと思っちゃうし。

オッドがボブの捜索を開始した時、「僕の特別な能力の一つは、誰かを捜している時、適当に歩いていればバッタリと出会えることだ」という説明が入る。
死者の霊や悪霊を見ることが出来るだけじゃないのね。他にも能力を持ってるのね。
そういうの、先に言ってほしいわ。後からそういう説明が入ると、「後付けでいいなら何でも有りになっちゃうぞ」と言いたくなってしまう。
っていうか、その能力があるなら店を出た彼を尾行しようとする必要性は無いし、「目を離した隙にボブが消えた」という描写の意味も無い。ボブが消えても、全く問題は無いんだから。

ボブの捜索を開始したオッドは、タイヤ店の周囲をうろつく幽霊のトム・ジェッドと遭遇する(ちなみに演じているのはアーノルド・ヴォスルー)。
で、ジェッドがトラックと正面から激突して左腕が切断された回想が入り、左腕の指を鼻に入れた彼が笑いを取ろうとする様子が描かれるが、要らない寄り道だよなあ。こいつが主要キャラで、後から話に絡んで来るならともかく、そうじゃないんだし。
そんな寄り道をしている時間的余裕があるならともかく、ちっとも無いのよ。
あと、ジェッドはオッドと親しい様子だけど、成仏してないのね。ってことは、オッドは幽霊を成仏させることを役目にしているわけではないのね。

オッドがクローゼットに隠れるとボダッハは全く気付かないんだけど、ってことは物質を通して向こうを見るとか、人間の匂いや熱を感知するとか、そういう能力は無いのね。その辺りを「都合のいい設定だなあ」と受け取っちゃダメなのね。
あと、オッドがヴァイオラに目を閉じさせ、両手を彼女の首筋に当てて「何が見え、何が聞こえる?」と問い掛けると夢の詳細を彼女は思い出すが、それも能力ってことなのかな。
どうも良く分からんが、とりあえず後付けの御都合主義に感じられることは否めない。
「僕は死者について良く知ってる。死者は生きている者に危害を加えられないんだ」ってのも、もう映画が3分の2ぐらい過ぎてから説明されるし。

オッドは「この街に大きな惨劇が起きる」という旨を何度か口にするのだが、それにしては危機感や緊迫感が高まらない。
教会から逃げた後、ストーミーは「腹ペコよ、何か食べましょう」とダイナーに立ち寄る。電話を受けたワイアットは妻とベッドでラブラブの最中で、軽い調子で聞いている。
そもそもオッド自体、教会でストーミーと会って全く関係の無い無駄話に花を咲かせているのだ。
だからボブに襲われた後で「8月15日だ、あと3時間も無い。町の歴史に残る日になってしまう」と切迫した状況であることをワイアットに説明しても、「だったらテメエもノンビリしてる場合じゃなかっただろ」と言いたくなる。

急にオジーという男が登場してアクセサリーを渡すのは、キャラの出し入れが上手くないと感じる。
それだけでなく、「そのアクセが心臓を守るための物」ってのも、アピールが足りていない。
序盤で撃たれる夢を見たから危機感を抱いてアクセを頼んでいるんだけど、そのアクセを受け取る頃には、そんな夢のことを完全に忘れているのよ。
それに、そこまでにオッドが「夢の内容を気にしている」ってことも、あまり意識させてくれないし。

オッドが自分のために作らせたアクセサリーをワイアットに渡すのは、ちょっと理由が分からない。
あのタイミングで渡すってことは、ワイアットが襲われると感じたからなんだろう。でも、そう感じる根拠となるような出来事は何も無かったでしょ。
「ヴァイオラの夢で死んでいたのがワイアットじゃないかと思った」ってことなんだろうけど、そこの繋がりを感じさせるための作業が弱いんだよな。結果的に、ワイアットはアクセのおかげで一命を取り留めるけど、そこに「御都合主義」という5文字を強く感じてしまうのよ。
あと、そもそも能力を持たないヴァイオラが予知夢を見ていること自体、御都合主義っぽく感じるし。他の連中も予知夢を見ているならともかく、なぜかヴァイオラだけが見るんだよな。
で、なぜオッド以外では彼女だけが予知夢を見るのか」という部分に関して、腑に落ちるような説明は何も用意されていないし。

教会へ来た時点で巣でにボブは死んでいたのに、そのことをオッドは分からなかった。彼は死者の姿を見ることが出来るけど、そいつが死者かどうか判断する力は無いってことなのね。
それも後半に入ってから明らかにされるので、「また後付けかよ」と言いたくなる。
で、死体を見つけた時にオッドは「床には拳銃、浴槽には死体。誰かにハメられた」とナレーションするが、かなり落ち着いている。
「殺人犯に思われる。何とかしなきゃ」という焦りの色は見られない。

オッドは「警察に連絡したら拘束され、惨劇を阻止できなくなる」という意味で少しだけ焦りは見せるけど、そういう方面で彼が追い詰められる展開は全く無いんだよね。
例えば、死体が見つかって殺人犯として追われる身になるとかさ。
そのシーンは、「教会に来た時点でボブが死んでいたことにオッドが気付く」という手順を踏ませるためだけのモノになっているのだ。
そのシーンから期待させる展開を考えると、そういう目的しか無いってのは、どうにも冴えない。普通は「死体のことでオッドの立場が危うくなる」という方向性で話を進めて行くと思っちゃうでしょ。

惨劇が訪れる当日になっても、まだ危機感や緊迫感は全く足りていない。
その前日には大量のボダッハが街を徘徊する様子が描かれているけど、そいつらが何かを起こすわけじゃないしね。
ボブが死んだりワイアットが撃たれたりというのが予兆として描かれているんだろうけど、「大きな惨劇が起きる」と感じさせるための前触れとしては弱い。
あと、ストーミーやワイアットに妙な余裕が感じられるってのもマイナスなんだよな。

見ている内に、何となくボダッハがオッドにとっての敵、悪役キャラであるかのように勘違いしそうになるってのもマイナスだよなあ。
そいつらは基本的に「オッドが犯人を突き止めるための手掛かり」として存在しているはずなのに。
オッドが戦う相手は悪霊じゃなくて生きている人間なんだけど、冒頭で幽霊を見る能力が示され、悪霊のボダッハが出現する様子なんかが描かれると、どうしても「オッドが人間と戦う」という構図が見えにくくなっちゃうんだよな。
これが例えば「オッドの相棒として、いつも1体の善良な幽霊が近くにいる」という形だったりすれば、前述の構図をクッキリと見せるための手助けになるんだろうけどね。

ボブに「POD」の刺青を発見した途端、それがプリンス・オブ・ダークネスの意味であること、一味が悪魔崇拝者であることに気付くってのも、すんげえ後付けだ。
別に本格ミステリーじゃないから、「真相が明かされる前には観客に大して手掛かりを与えておくべし」とは思わないよ。
だけど、それにしても全てが後付けなんだよな。
「大量殺人を企てているから」という理由で犯人がショッピングモールを狙うと確信するのも、それが正解なのも、やはり御都合主義を強く感じるし。

終盤、モールにボウリング場のスタッフたちが来ているのを見たオッドは、ヴァイオラが妹たちを連れて来ているのを目撃する。でも、すぐにオッドが外へ出るよう指示するので、彼女たちがピンチに陥ることは無い。
そうなると、そこに緊迫感は生じないってことになる。そこもキャラの動かし方が上手く行っていないってことだ。
あと、リゼットも殺されるためだけに登場したキャラになってるよな。彼女の出し入れも失敗している。
ただ殺されるだけだとマズいから、バーベキューのシーンで登場させているんだろう。だけど、その登場シーン自体がギクシャクしていて「なんか無理に彼女を押し込んでないか」と感じるからね。

終盤の「ボブを始末した仲間はヴァーナーだった」→「仲間は1人じゃなく2人だった」→「いや2人じゃなくて3人だった」と次々に人数が増えて行く展開は、そこはかとないバカバカしさを感じてしまう。
そんなトコで立て続けに人数を増やしても、意外性とか面白さを感じられないのよ。
そもそもヴァーナー以外は、そいつが悪魔崇拝者グループだということを示す手掛かりも皆無に等しかった。
だから、それが明らかにされても「なるほど、そういうことだったのか」という爽快感は無いんだし。

完全ネタバレだが、事件を解決した後、ストーミーと一緒にいたオッドは、ワイアットから彼女が死んでいることを指摘される。どうやら既に分かっていた様子のオッドは、ストーミーの成仏を見送る。彼女はモールの乱射で死んでいたのだ。
彼女が死ぬのは原作通りだけど、今一つ心に響く物が弱いのは、たぶん恋愛劇に厚みを持たせる時間的余裕が無かったことが影響しているんだろう。
あと、オッドは「試練を乗り越えて次の世界への資格を得る。彼女と再会するため、僕は負けない」と語り、ピコムンドを出て旅に出る様子で終わっているので、これが「いずれストーミーと再会する日が来る」と予感させつつシリーズが続くなら、ヒロインの死を受け入れやすかったかもしれない。
だけど続編が製作される可能性は、どうやら無さそうなんだよな。

(観賞日:2015年5月16日)

 

*ポンコツ映画愛護協会