『エルム街の悪夢』:2010、アメリカ
エルム街のスプリングウッド。ダイナーにいた高校生のディーンは、友人であるウェイトレスのナンシーに注文を告げる。ナンシーが無視して厨房へ入ったので後を追うと、ディーンは鉤爪の男に襲われる。目を覚ましたディーンは、ナンシーに注意される。彼はダイナーで転寝していたのだ。しかしディーンが左手を見ると、鉤爪による傷で血が出ていた。恋人のクリスが店に来て、不安げな表情を浮かべるディーンを心配した。
。他の席には、クエンティンが友人のジェシー&パクストンと来ている。クエンティンはナンシーに片想い中だが、告白する勇気が持てずにいる。ジェシーは元カノのクリスが来ているのを知り、不機嫌そうに立ち上がる。クエンティンとパクストンは、彼と一緒に店を出る。ディーンはクリスから誰かに相談すべきだと促され、「したさ。医者は過去のトラウマが原因だと。子供の頃の話をした。それ以来、悪夢を見るようになった」と語る。
「眠りたくない」と口にするディーンに、クリスは「ただの夢よ」と告げる。しかしディーンは「あれは現実だ」と言い、クリスが席を外した直後に鉤爪の男が出現して彼を襲う。ジェシーが戻って来ると、ディーンは自分の首をナイフで切って死亡した。葬儀に出席したクリスは、幼少期の自分が花を手向ける様子を目にした。その服には鉤爪で引き裂かれた形跡があったが、気付くと彼女は姿を消していた。墓地にはディーンが幼い頃の写真が飾られていたが、そこに自分が写っているのを見てクリスは困惑した。彼と出会ったのは高校時代だったからだ。
クリスはディーンが死ぬ前に発した「お前は夢だ」という言葉が気になっており、見えない誰かに操られているみたいだとも感じていた。ナンシーは「私も見た」と言うが、話を聞いていたジェシーは「君は何も見ていない。彼女を混乱させるな」と声を荒らげた。その夜、アルバムを見ていたクリスは、子供の頃の写真が抜けているのに気付いた。質問を受けた母は、「ガレージじゃないかしら」と軽く告げる。寝室で就寝しようとしたクリスだが、気になってガレージの屋根裏部屋を調べた。引き裂かれた幼児の服を発見した直後、彼女は「俺を覚えてるか」と言う鉤爪の男に襲われる。だが、それはベッドで彼女が見ていた夢だった。
翌日、歴史の授業を受けていたクリスは、自分が夢の中にいることに気付く。慌てて起きようとしたクリスだが、鉤爪の男に襲われる。悲鳴を上げると目が覚めて現実に戻るが、頭髪の一部が切られていた。その夜、母が仕事で出掛けたため、クリスは1人で留守番をする。そこへジェシーが来たので、彼女は「怖い夢を見る。ディーンも見てた。酷い火傷を負った男が現れる」と告げる。ジェシーも同じ夢を見ていると知り、クリスは怯える。
「ただの夢だ」とジェシーは告げて抱き締め、クリスは彼と一緒に眠る。彼女は夢の中で鉤爪の男を見るが、目を覚まして安堵した。だが、ベッドにフレディーが出現し、彼女に襲い掛かる。悲鳴を聞いたジェシーが目を覚ますと、クリスの体が宙を飛び回って天井や壁に叩き付けられる。その体に引き裂かれた傷が入り、クリスは命を落とした。ジェシーは慌てて逃走し、ナンシーの部屋へ行く。「クリスが夢の中で殺された。殺人鬼を見たんだろ」と問われたナンシーは、フレディーという男の数え歌を聞いただけだと答えた。
ナンシーの母であるグウェンがドアをノックしたので、ジェシーは「そいつが皆の夢の中で生きてる。眠ったら殺されるぞ」と告げて立ち去る。しかし警官隊が駆け付け、彼は殺人犯として逮捕された。拘留されたジェシーは、必死で眠気と戦った。次の日、ナンシーから話を聞いたクエンティンは図書館で睡眠について調べている最中、謎めいた少女を目撃した。後を追った彼は鉤爪の男と遭遇するが、ナンシーに起こされて転寝していたことに気付いた。
いつの間にか拘置所で眠ってしまったジェシーは、鉤爪の男に殺された。ナンシーに「夢に幼い子供たちと学校が出て来る」と聞かされたクエンティンは、何か意味があると考える。彼は70時間の不眠が続くと脳が休養し、知らない内に夢を見るようになることを説明する。その夜、ナンシーはグウェンに、「クリスやディーン、ジェシーやクエンティンは幼馴染?幼稚園は一緒だった?」と尋ねる。グウェンは「そんなはずは無いわ」と返答し、フレディーという人物についても「知らない」と告げた。
グウェンはクエンティンの父であるアランに電話を掛け、「娘が気付いたわ」と知らせた。風呂場で転寝したナンシーは、バダム幼稚園の夢を見た。雪の中で鉤爪の男が現れ、「俺を覚えてないのか」と問い掛けた。ナンシーは「お前が一番だった」と告げる男に顔を舐め回されるが、セットしたアラームが鳴ったので目を覚ました。クエンティンからの電話でジェシーの死を知らされたナンシーは、「夢の中で男を見たわ」と話した。
クエンティンはナンシーに、町外れにあったバダム幼稚園が閉鎖されていることを教える。写真は残っていなかったが、ナンシーは夢で見た幼稚園を描いていた。クエンティンは幼稚園のことを記憶していなかったが、ナンシーは母が何か隠していると確信する。翌朝、2人は家の中を捜索し、幼い頃の自分たちが写っているバダム幼稚園の集合写真を発見する。説明を要求されたグウェンは、「あんなことは忘れ去って欲しかった」と言う。
グウェンはクエンティンとナンシーに、フレッド・クルーガーという庭師が幼稚園の地下に住んでいたこと、園児たちに性的虐待を繰り返していたことを語る。保護者たちが気付いて警察に通報しようとしたが、その前に町から姿を消したとグウェンは語る。まだ母が何か隠しているとナンシーは確信するが、クエンティンは「全ては幻だ」と協力を拒否した。ナンシーが写真に写っていた他の子供たちについて調べると、全員が死亡していた。
水泳の授業に参加したクエンティンは、何者かに足を掴まれて夢の世界へ入り込んだ。そこで彼は、保護者たちがフレッドを廃屋に追い詰める様子を目にしたフレッドは無実を訴えるが、保護者たちは廃屋に火を放って殺害した。気絶していたクエンティンは、コーチの介抱で息を吹き返した。ナンシーはマーカスという死んだ幼馴染のブログをチェックし、悪夢に出て来る火傷の男に怯えていたことを知った。クエンティンはナンシーと共に父の元へ乗り込み、「クルーガーを殺しただろ」と責める。アランが「お前たちが悪戯されたと訴えた」と言うと、クエンティンは「5歳の子供が言ったことだ。警察に任せろ」と反論する。
有罪の証拠が無かったため、クエンティンは「無実の男を殺した」と父を非難した。彼が「僕らのせいだ」と言うと、「止められるかも。幼稚園で何かを見つけてほしいのよ」とナンシーは告げる。2人は地下室を調べるためにバダム幼稚園へ向かおうとするが、ナンシーがフレディーに襲われて怪我を負ってしまう。病院で手当てを受けたナンシーは注射で眠らされそうになったため、アドレナリンを盗んだクエンティンと共に逃亡する…。監督はサミュエル・ベイヤー、キャラクター創作はウェス・クレイヴン、原案はウェズリー・ストリック、脚本はウェズリー・ストリック&エリック・ハイセラー、製作はマイケル・ベイ&アンドリュー・フォーム&ブラッド・フラー、共同製作はジョン・リッカード、製作総指揮はマイク・ドレイク&ロバート・シェイ&マイケル・リン&リチャード・ブレナー&ウォルター・ハマダ&デイヴ・ノイスタッター、撮影はジェフ・カッター、美術はパトリック・ラム、編集はグレン・スキャントルベリー、衣装はマリ=アン・セオ、音楽はスティーヴ・ジャブロンスキー。
出演はジャッキー・アール・ヘイリー、カイル・ガルナー、ルーニー・マーラ、コニー・ブリットン、クランシー・ブラウン、ケイティー・キャシディー、トーマス・デッカー、ケラン・ラッツ、リア・モーテンセン、ジュリアナ・ダム、クリスチャン・ストールティー、ケイティー・スクーピング・ナイト、ヘイリー・スクーピング・ナイト、リア・ウテグ、ドン・ロバート・キャス、カート・ネービグ、カイラ・クルミンス、ブレイデン・コイヤー、マックス・ホルト、アンドリュー・フィスセラ、ボブ・キザー他。
1984年の同名ホラー映画をリメイクした作品。
監督は数々のミュージック・ビデオを手掛けてきたサミュエル・ベイヤーで、これが初長編映画。
脚本は『グラスハウス』『DOOM ドゥーム』のウェズリー・ストリックと、これが映画デビューとなるエリック・ハイセラーによる共同。
旧シリーズのロバート・イングランドに代わり、新たにフレディーを演じたのはジャッキー・アール・ヘイリー。クエンティンをカイル・ガルナー、ナンシーをルーニー・マーラ、グウェンをコニー・ブリットン、アランをクランシー・ブラウン、クリスをケイティー・キャシディー、ジェシーをトーマス・デッカー、ディーンをケラン・ラッツが演じている。これはリメイクであると同時にリブート・シリーズの1作目であり、少なくとも3作目までは続く予定で企画がスタートした。
主演のジャッキー・アール・ヘイリーは、3作目までの出演契約を結んだ。
しかし本作品が酷評を浴びて興行的に失敗したため、シリーズ化の計画は潰れてしまった。
製作したプラチナム・デューンズはリメイク版『13日の金曜日』がコケてシリーズ化に失敗していたのに、そこから何も学ばなかったようだ。この作品を見て、「フレディー・クルーガーって、こんなにシリアスな殺人鬼だったっけ?」と疑問を抱く人は少なくないかもしれない。
そう感じる人は、きっと3作目以降の作品を見ているんじゃないかと思われる。シリーズが続く中で、フレディーは「マジに怖がらせる」という意識を忘れ、「愉快な殺人鬼」へ変化していったのだ。
しかし1作目の時点では、まだシリアスな殺人鬼だったのだ。
この映画は1作目のリメイクであり、原点回帰という意識でシリアスな味付けにしたのだろう。ただし考えなければならないのは、「なぜシリーズが続く中でフレディーのキャラクター描写が変化したのか」ってことだ。
作品の肝となっているのがフレディー・クルーガーという個性的なキャラクターであることは、今さら説明不要だろう。
『13日の金曜日』シリーズのジェイソン・ヴォーヒーズや『ハロウィン』シリーズのマイケル・マイヤーズなど、他の殺人鬼映画と大きく異なるのは、フレディーの「悪夢の住人」という設定だ。
それこそが、この作品の持つ大きな魅力である。1984年に公開されたオリジナル版が、「悪夢の住人」というフレディー・クルーガーの魅力や特徴を最大限に活用しているかと言うと、そうは感じなかった。しかし、それでも「初めてのキャラクター」としてのインパクトは間違いなくあったからこそ、ヒットしたのだろう。
ただし、それは良くも悪くも、「ファースト・インパクト」の力なのである。
2作目以降は、基本的に同じことを繰り返すだけになってしまう。おのずと、そこで恐怖を生み出すことも難しくなる。
だからフレディーは、お茶目なキャラへと変化していったのだ。
『13日の金曜日』シリーズのジェイソンがバカなキャラに変化していったのと同じような現象が、フレディーでも起きていたのだ。このリメイク版でも、今までのシリーズと同じく「ファースト・インパクトの力に頼りない」というハンデがある。
既に多くの観客は、「フレディー・クルーガー」というキャラクターを知っている。
「夢の中で人を殺すと現実になる」「夢の中だから現実のルールが通用しない」「人間は眠らないまま生き続けることが出来ないので、フレディーから逃れることは不可能」といった特徴も分かっている。
そうなると、そこで観客を怖がらせるのは、そう簡単な作業ではない。リメイクなので、基本的なストーリー展開は1作目と同じだ。登場人物の名前は変更されているが、「ヒロインと仲間たちが同じ悪夢に悩まされている」「殺人が発生し、一緒にいた男が犯人として捕まるが、拘留中に死ぬ」「ヒロインの母はフレディーを知っているが、内緒にしている」「ヒロインの母は過去に、犯罪者のフレディーを近隣住民と協力して殺害している」「フレディーは復讐のために復活した」など、かなりの多くの要素を受け継いでいる。
基本的なストーリー展開が一緒なので、オリジナル版を知っている人からすると、なかなか新鮮味を見出すことは難しい。
それでも何から何まで同じにするだけならリメイクする意味が無いので、幾つかの変更点は用意されている。例えば、最初に死ぬのは女じゃなくて男だし、その死に方も「傍から見ると怪奇現象」ではなくて「傍から見ると不可解な自殺」になっている。
ところが困ったことに、オリジナル版とは異なる点が、ことごとく「改悪」になっているのだ。
そうなると、もはや本作品の何を楽しめばいいのかと。例えば、登場人物が夢だと気付くタイミングが、すんげえ早い。
クリスは歴史の授業中、教科書に鉤爪が掲載されているのを見た途端、「起きなきゃ」と自分に言い聞かせている。
つまり、彼女は「それが夢である」と気付いているわけだ。
そして、それが夢であることに気付くってことは、「夢を操る鉤爪の殺人鬼が存在し、自分が狙われている。夢の中にいたら殺される」ってのも理解しているわけだ。
どんだけ頭がキレる奴なのかと。そんなクリスを、なぜかフレディーはなかなか殺さない。
その気になれば、チャンスは幾らでもあった。寝室でガレージの夢を見ている時も、歴史の授業でも、殺すことは出来たはずだ。
ところが、その2つの機会で、フレディーはクリスを怖がらせるだけに留めている。
まあ考えてみれば、ディーンだって登場した時点で「何度も悪夢を見ている」という設定なので、フレディーは「すぐに殺さず、ジワジワと怯えさせてから始末する」という考え方ってことなんだろう。
ただ、こっちからすると、ディーンは早々と死んでいるので、次の標的に勿体を付けているのが「モタモタしている」と思えてしまうわけで。クリスが抵抗したり反撃したりして夢から脱出しているなら、なかなか死なないのは分かるのよ。オリジナル版のナンシーは、そういうことで殺されるのを回避していたのでね。だけど、そうではなくて、ただフレディーが殺さずに引っ張っているだけだ。
で、そういうのをメインのヒロインでやるなら、理解できなくもない。でも、そうやって2度のチャンスをスルーした後、クリスは殺されちゃうのよね。
だったら、ずっと生き延びるナンシーの方で、「フレディーが出て来るけど抵抗して脱出する」ってのを描いた方がいいんじゃないかと。
オリジナル版との違いを付けようとしたのかもしれんが、成功しているとは言い難い。ずっとクリスのターンが描かれている間、ナンシーの出番はほとんど無いわけで、そういう意味でもマイナスだし。何よりも考えなきゃいけないのは、「殺人シーンの見せ方」だろう。
「フレディーが次々に若者を殺害する」ってのは絶対に踏襲しなきゃいけないポイントだから、そこでオリジナル版との違いを出すだけでなく、観客を引き付けるためのパワーが求められる。
簡単に思い付く方法としては、「残虐描写を高める」ってことがある。安易ではあるが、分かりやすいっちゃあ分かりやすい。
だが、そういうアプローチは取っていない。残虐描写に頼らないってのは、実は好意的に受け取れる。
ただし、「じゃあ他にどんな方法を取るのか」ってのが大切だ。
残虐描写を強調しなくても、殺し方に工夫をすれば、「殺人ショー」としてのケレン味が出る。しかし、そういった面白味も感じられない。
フレディーの場合は「夢を操ることが出来る」という特徴があるので、「悪夢の描写」で魅力を出すというのもいいだろう。だが、そっち方面でも引き付けられるモノは見当たらない。
ってなわけで、殺人シーンは全て、ものすごく凡庸に仕上がっている。次々に役者が交代した『13日の金曜日』シリーズのジェイソン・ヴォーヒーズや『ハロウィン』シリーズのマイケル・マイヤーズとは異なり、旧シリーズのフレディー・クルーガーは一貫してロバート・イングランドが演じていた。
リメイク版で彼がフレディーを担当しないことを、残念に思ったファンもいるだろう。
しかし年齢的なことを考えても、世代交代は止むを得ないだろう。
そして二代目のフレディーがジャッキー・アール・ヘイリーという人選に関しても、特に不満は無い。しかし、いざ二代目フレディーが登場した時に、「お前は誰だ」と言いたくなってしまった。
いや、決して「旧シリーズのフレディーとは似ても似つかぬ別人になっている」というわけではない。当たり前ではあるが、旧シリーズのフレディーと同じような外見をしている。
だが、微妙な違いが、こっちからすると「強烈な違和感」に見えてしまうのだ。
問題は、その特殊メイクアップにある。
一言で表現するならば「ちっともカッコ良くない」のである。「残忍な殺人鬼なのに、カッコ良さなんて必要なのか」と思うかもしれないが、フレディー・クルーガーの場合は必要だ。もちろん普通の人間と同じような「イケメン」を欲しているわけではなくて、あくまでも「悪夢の殺人鬼」としてのカッコ良さである。
なのに今回の特殊メイクアップは、「フレディー・クルーガーの出来損ない」みたいな状態なのよ。
ひょっとすると、火傷でただれた皮膚をリアルに表現しようとしたのかもしれない。
でもフレディーってファンタジーの住人なので、そういうトコのリアルって何のメリットも無いのよ。後半、フレディー(オリジナル版の1作目と同じく「フレッド」と呼ばれている)が性的虐待の常習犯だと確信した保護者たちが、彼を殺害したことが明らかになる。
「性的虐待」という部分がオリジナル版とは大きく異なるが、保護者たちに殺されたのは同じだ。
ただし、今回はクエンティンとナンシーが「有罪の証拠が無く、冤罪の可能性が高い」と考え、調査するという展開が用意されている。
そこに来て、なぜかミステリーとしての要素を持ち込んでいるのである。マーカスはブログのビデオで「幼稚園の地下室で何かを見つけさせようとしてる気がする」と話しており、ナンシーも「幼稚園で何かを見つけてほしいのよ」と言っている。
フレディーは夢の中で「俺を覚えてるか」「覚えてないのか」などと言っているので、もしも彼が無実だとすれば、「俺のことを思い出して、無実を証明してほしい」と訴えるために出現したという解釈も出来るだろう。
ただし、たぶんフレディーが無実だと考えてくれる優しい観客は、皆無に等しいはずだ。
なぜなら、彼が無実ってことになると、映画の根幹が変わってくるからだ。それに無実だとすれば、ディーンやクリスを殺しちゃダメだしね。で、大方の予想通り、クエンティンとナンシーの調査によって「やっぱりフレディーの性的虐待は事実でした」ってことが明らかになる。
そんなことは最初から分かり切っているが、「なぜ一時的とは言え、フレディーに同情させるような展開を持ち込んだのか」と言いたくなる。オリジナル版から改変するにしても、誰も得をしないような違いでは意味が無いでしょ。
さらに問題なのは、フレディーが過去にやらかした犯罪を「幼児20人の殺害」から「園児たちへの性的虐待」に変更してしまったことだ。
つまり、フレティーが連続殺人鬼ではなく、ペドファイル(小児性愛者)になっているのだ。
それはフレディーを堕落させているとしか思えんぞ。見た目だけじゃなくて、中身までカッコ悪くなってんじゃねえか。そんな風に書いてしまうと、「まるで殺人鬼がカッコイイ」と表現しているようで語弊があるかもしれないが、それにしてもペドファイルは無いわ。
大体さ、フレディーは園児を性的な対象として見ており、誰も殺していなかったんでしょ。そんな奴が復活して凶悪な殺人鬼になるってのは、どうも違和感があるぞ。
彼はナンシーに「お前が一番だ」と言って顔を舐め回しているぐらいだから、高校生になっても充分にストライクゾーンってことでしょ。だったら殺すんじゃなくて、性的欲求を満たす対象として見ればいいんじゃないのか。もはや殺す理由が無くなっちゃうぞ。
あと、わざわざ「過去に性的虐待をしていた」という事実をクエンティンたちに思い出させようとしていたことも、ただのバカにしか思えないぞ。(観賞日:2016年11月26日)