『荒馬と女』:1961、アメリカ

リノの町で自動車修理工をしているギドは、依頼を受けて出向いた家で、ロズリンという美しい女性と出会った。ロズリンに惹かれたギドは、友人イザベルと共に離婚の手続きに出掛けるロザリンを、自分の車で裁判所まで送り届けた。
離婚手続きを終えたロザリンはイザベルと共に酒場に向かい、そこでギドと彼の親友でカウボーイのゲイと出会う。ロザリンはギドとゲイに連れられ、イザベルと共に郊外にあるギドの家へ向かった。そして彼女はゲイと恋に落ち、一夜を過ごす。
ゲイ、ギド、ロザリン、イザベルの4人はロデオ大会に出掛け、昨年の優勝者パースと合流した。翌日、イザベルを除く4人は、山へ馬狩りに出掛けた。ゲイ達は馬を捕まえるが、犬のエサにされると知ったロザリンは馬を逃がしてほしいと頼んでくる…。

監督はジョン・ヒューストン、脚本はアーサー・ミラー、製作はフランク・E・テイラー、撮影はラッセル・メッティ、編集はジョージ・トマシーニ、美術はスティーヴン・グライムズ&ウィリアム・ニューベリー、衣装はジーン・ルイス、音楽はアレックス・ノース。
出演はクラーク・ゲーブル、マリリン・モンロー、モンゴメリー・クリフト、セルマ・リッター、イーライ・ウォーラック、ジェームズ・バートン、ケヴィン・マッカーシー、エステル・ウィンウッド他。


アーサー・ミラーが妻だったマリリン・モンローのために脚本を執筆した作品で、モンローとクラーク・ゲーブルの遺作となった。
ゲイをゲーブル、ロズリンをモンロー、パースをモンゴメリー・クリフト、イザベルをセルマ・リッター、ギドをイーライ・ウォーラックが演じている。

サスペンスか、あるいは古典的悲劇なのかと思えるような音楽から始まる作品は、とにかくメチャクチャである。
急にサスペンスみたいな雰囲気になったりすることもあるが、別にサスペンスではない。錯乱しているのか、あるいは分裂症なのかとさえ思えるような、ワケの分からない内容だ。
しかし、ストーリーに起伏は全く無い。

さっきまで落ち込んでいたロズリンが、急に何も無かったかのように元気になる。玄関のステップを用意しただけで、ロズリンは急激にテンションがハイになったりする。くだらないことでケンカを始めたロズリンとゲイは、ギドとイザベルが来ると、そんなことはすっかり忘れてしまい、何も無かったかのようにニコニコになる。
郊外の家に向かったロズリン達は、なぜか音楽に合わせて踊る。
特に意味も無く、かなり長い時間を掛けて踊る。
ようやく一段落付いたかと思ったら、今度は外に出たロズリンが1人だけでフラフラと踊る。
そして、なぜか急にグッタリする。

そのダンスシーンを始めとして、「そこに意味はあるのか?」と思えるような場面で、やたら長く時間を割く。
例えばパースが母親に電話を掛けるシーンで、やたら時間を掛ける。
でも、電話の内容に大きな意味は無いし、後の展開にも全く響いて来ない。
サラッと処理すればいいようなシーンを、ダラダラと見せていく。

登場人物の行動や態度には脈絡が無く、急にオーバーアクトを始めたり、急に泣きわめいてみたり、急に笑ったりする。
とにかく、「筋を通す」ということを積極的に拒否するのだ。
ではクレイジーな面白さがあるのかといえば、それは全く無いと断言できる。
その手のパワーは、この映画には備わっていない。

何度か例え話が出てくるが、その例え話で何を表現したいのかは分からない。
というか、映画そのものが何を言いたいのか分からない。
ロズリンが「私って変かしら?」と尋ねてゲイが「君が分からない」と答えるシーンがあるが、まさに本作品がそんな感じ。

 

*ポンコツ映画愛護協会