『一枚のめぐり逢い』:2012、アメリカ

海兵隊員のローガン・ティーボウは、アフガニスタンで戦っていた。敵を追っていたローガンと仲間たちは、エースと呼ばれる隊員たちと遭遇した。ローガンたちは敵襲を受け、負傷兵を助けようとしたエースが銃殺された。翌日、撤収命令を聞いたローガンは、一枚の写真が落ちているのを見つけた。ローガンが写真を拾うと、一人の若い女性が写っていた。その直後、迫撃砲による攻撃があり、ローガンが先程まで腰掛けていた場所が爆発した。
上官は3人が死亡したことをローガンに告げて写真を渡し、「これを拾いに行って命拾いしたな。お前の守護天使だ」と言う。写真の裏には、「無事を祈ってるわ」と書かれていた。ローガンは仲間たちに写真のことを尋ねるが、「知らない」という返事だった。8ヶ月後、ローガンは同じ小隊のヴィクターたちとジープで移動していた。ローガンが写真を眺めていると、敵が砲撃してきた。仲間たちは全員が死亡し、ローガンだけが生き残った。
ローガンは帰国し、コロラドにある姉夫婦の家で居候する。姉の子供たちがTVゲームをする音やイタズラに対し、ローガンは過敏に反応した。姉は彼に、軍の医療機関に診察してもらうよう勧める。ローガンはインターネットを使い、写真に写っている灯台の場所を調べる。彼は「なぜ僕だけが生き残ったのか。大きな重荷を抱えたようだ。居場所が無い。それを探しに行く」と語ったビデオレターを残し、愛犬のゼウスを連れて家を出た。目指す先は、写真の女性が暮らしているルイジアナだった。
灯台のある町に辿り着いたローガンは、酒場でロジャーという男性から写真の女性について「それはベスだ。友達の元女房で、郊外で犬舎をやってる」と教えてもらった。ローガンがグリーン・ケンネルへ行くと、ベスが明るく元気に仕事をしていた。ローガンは「貴方に会いに来たんです。これを見つけて」と言い、写真を取り出そうとした。するとベスは「求人広告を見たのね?」と言い、仕事について簡単に説明した。書類を差し出されたローガンは、そこで働こうと考えた。
ベスはローガンを不審に感じており、母のエリーに相談する。ベスはローガンの採用を断ってもらおうとするが、エリーは彼を雇った。ローガンはオンボロの家を借り、犬舎で働き始めた。ベスはエリーと息子のベンの3人で暮らしていた。ベスが不在の時、犬舎に保安官のキースが現れた。高圧的な態度でを取る彼に、ローガンは犬舎で働いていることを告げる。キースは台に手を乗せるよう命じ、ローガンの身体検査を行った。「ベスに何か伝言でも?」とローガンが尋ねると、キースは「呼び捨てにする仲か。ベスに4時と伝えろ」と告げた。彼はベスの別れた夫だった。
ベスはベンを連れて、キースの父であるクレイトンのガーデン・パーティーに出掛ける。ローガンには偉そうな態度だったキースだが、ベンの前では良きパパとして振る舞っている。判事を務めるクレイトンは次期市長の座を狙っており、そのパーティーは資金集めが目的だ。かつて小学校教師をしていたベスは、臨時教員として2日だけ働く。校長から「産休の教師がいるからフルで復職しない?」と言われたベスは、「今は無理」と断った。
ローガンはエリーに頼まれ、彼女を合唱団の稽古場まで車で送って行く。「戦地へは何度?」と訊かれたローガンは、「3度」と答えた。エリーは「孫は2度目の途中まで。貴方とは気が合ったと思うわ」と告げた。ローガンはグリーン家の夕食にお邪魔し、仲良くなったベンと遊んで手品を見せてもらった。ベスはベンを寝かせた後、「手品は兄が教えたの。去年、亡くなったわ。海兵隊だった」と述べた。
エリーが帰って来たのと入れ違いで、ローガンは立ち去ることにした。彼はベスに「話したいことがある」と言うが、「どう言っていいか、言葉が見つからない」とためらい、なかなか切り出せない。するとベスは、「この次にしましょう」と告げた。立ち去るローガンの姿を、車で張り込んでいたキースが観察していた。後日、ベスはエリーと共に、兄であるドレイクの墓参に出掛けた。戻って来たベスが花壇を荒らしているのを目にしたローガンは、彼女を制止した。
ベスが泣き出すと、ローガンは「大丈夫だよ」と穏やかに告げる。ベスは「最初、軍は伏せてた。味方の誤射かもしれないこと。それが1年前の今日。最悪なのは、何も分からないこと。無駄死にじゃないと分かるのなら、何だってするわ」と語った。ベスは「子供の頃から仲が良くて、何でも一緒にやった」と兄との思い出を語り、また涙を流した。ローガンは彼女を優しく抱き締め、「笑い声がいい。もっと聞いていたい」と告げた。
キースに連れられて少年野球の試合に出掛けていたベンが、顔に痣を作って帰って来た。驚くベスに、ベンは「ゴロを止めて勝った」と元気に語り、キースも誇らしげな様子を示す。ベンを家に入らせた後、ベスは「分からないの?パパのために無理したのよ」とキースを責めた。腹を立てたキースは「ベンは俺の息子だ。いつだって引き取れるんだぞ」と言い、ベスの腕を掴んで凄んだ。ベスが手を放すよう求めると、キースは鋭く睨む。そこに現れたローガンが「聞こえてるだろ。手を放せ」と言うと、キースは不快そうに車で去った。
ベスはキースを飲みに誘い、一人になることが出来るというクルーザーへ連れて行く。「昔から釣りが好きな父の遊び場だった。幼い頃に両親は事故死した。だから兄とは、いつも一緒だった」と彼女は語った。帰る途中、ローガンとベスはキスを交わす。そこへ保安官補のムーアが来て、「速度違反だ」と難癖を付けた。すぐにベスは、キースの差し金だと見抜いた。ムーアは「見逃してやる。早く帰れ」と荒っぽい口調で告げた。
ローガンはベスとの心の距離を縮め、ベンもすっかり彼に懐いた。ベンの8歳の誕生パーティーには、ローガンも招待された。キースは彼の存在を疎んじ、ベスに「奴と付き合うな」と言う。ベスが「貴方に何の権利があるの?」と反発すると、キースは「息子のことは俺に決定権がある。もしも母親が不健全な交際で息子に悪影響を与えていると訴えたら、反対する判事はいない。特に、この町では」と脅した。ベスはローガンに事情を説明し、「ベンを失いたくない」と述べた。
ローガンが「君に迷惑を掛けるつもりは無かった。残念だ」と口にすると、ベスが「貴方は彼のことを知らないからよ」と告げる。「君らしい人生が他にある」とローガンは言い、その場を後にした。エリーはベスに、「子供のために全てを犠牲にするのは無償の愛じゃない。馬鹿げてるだけよ」と説いた。ベスはキースの元を訪れ、「あの子を奪いたいなら、貴方の一族を相手に戦う。裁判で争うか、さもなければ、これ以上は関わらないで」と強気で言い放った…。

監督はスコット・ヒックス、原作はニコラス・スパークス、脚本はウィル・フェッターズ、製作はデニーズ・ディ・ノヴィ&ケヴィン・マコーミック、共同製作はケリー・ヘイセン、製作総指揮はラヴィ・メータ&アリソン・グリーンスパン&ブルース・バーマン、撮影はアラー・キヴィロ、編集はスコット・グレイ、美術はバーバラ・リング、衣装はデイナ・ピンク、音楽はマーク・アイシャム、音楽監修はジョン・ビッセル。
主演はザック・エフロン、共演はテイラー・シリング、ジェイ・R・ファーガソン、ブライス・ダナー、ライリー・トーマス・スチュワート、アダム・ルフェーヴル、ロバート・ターレル・ヘイズ、ジョー・クレスト、ラス・コメジス、シャロン・モーリス、アン・マッケンジー、ケンドル・タットル、キャメロン・バンフィールド、リッチー・モンゴメリー、コートニー・J・クラーク、トレイ・バーヴァント、ギャヴィン・レイナ、マシュー・ミチャード他。


ニコラス・スパークスの同名小説を基にした作品。
監督は『アトランティスのこころ』『幸せのレシピ』のスコット・ヒックス、脚本は『リメンバー・ミー』のウィル・フェッターズ。
ローガンをザック・エフロン、べスをテイラー・シリング、キースをジェイ・R・ファーガソン、エリーをブライス・ダナー、ベンをライリー・トーマス・スチュワート、クレイトンをアダム・ルフェーヴル、ヴィクターをロバート・ターレル・ヘイズ、ムーアをジョー・クレストが演じている。

「それがニコラス・スパークス作品の特色だ」と言われたら、そうなのかもしれないが、御都合主義に満ち溢れたベタベタな話である。
予定調和に満ち溢れた作品が、全て悪いわけではない。
繊細なタッチで丁寧に仕上げれば、予定調和の素晴らしさが伝わる質の高い映画になる可能性もある。
だが、先読みの容易なベタな話を雑にやると、予定調和が全面的にマイナス評価へと繋がってしまうことになる。

序盤、ジープ移動の途中で砲撃を受けるシーンは、スローモーションで表現される。
ただ、その映像は「どうやら攻撃を受けたらしい」という感じで、妙に幻想的なシーンになっている。しかも途中でパッとカットが切り替わり、ローガンが空港で座っている様子が写るので、「今のは現実に起きたシーンではないのかもしれない」という変な引っ掛かりも生じてしまう。
後で「なぜ僕だけが生き残った」というローガンのモノローグが入るので、やはり小隊が全滅したということのようだが、だったら爆撃があった時点で、もっと明確に起きた出来事を描写した方がいい。その場で「仲間が全滅し、自分だけが生きている」とローガンが実感する様子を描いた方がいい。
むしろ写真を拾った直後の砲撃より、車を砲撃される出来事の方が重要だ。
っていうか、そこは1つにまとめちゃってもいいし。

「居場所が無い」と漏らしたローガンが、「それを探しに行く」ということでベスの元へ向かうのは、ちょっと論理として上手く繋がっていないように感じる。
ベスに写真を渡したところで、それで居場所が見つかるわけではないでしょ。
姉夫婦の家で彼が見せたのは「戦争ゲームの銃撃音に過敏に反応する」とか「急に子供たちが起こしに来た時に捻じ伏せようとしてしまう」とか、そういう行動であって、そういう戦争後遺症はベスに写真を渡して解決する問題ではないはず。
そこはホントは、切り離して考えるべき問題だろう。

しかも、ベスの犬舎で働き始めた後、「最初は戦争の後遺症が残っていたローガンだが、ベスと触れ合う中で次第に消えて行く」という様子が描かれているわけでもなく、働き始めた直後から、そういうのは無くなってるんだよな。
そういう雑な処理なので、だったら最初から「後遺症に苦しんで姉夫婦の家を出る」ということにしなくてもいいんじゃないかと。
そんな要素が無くても、「写真の女性を見つけ、それを返却する」という目的はあるので、その目的を果たすためにローガンを出発させればいいだけなんだから。

写真の裏に「無事を祈ってるわ」と書かれている時点で、その女性が持ち主の恋人や奥さんという可能性が高いと考えるのが普通だろう。
にも関わらず、ローガンがその女性にすがろうとしているように感じられるので、その時点で「それは違うんじゃないか」と言いたくなる。
実際は奥さんや恋人ではなく妹だったわけだが、そこも御都合主義だよな。
っていうか結果的には妹だったが、そのメッセージを見た時点で「奥さんか恋人だろう」とローガンが考えるべきだろうに、そういう意識が全く見えないのは違和感があるし。

ローガンはインターネットで簡単に灯台の場所を見つけ出し、酒場でロジャーという男と会い、簡単にベスの居場所を突き止める。
ここも御都合主義だし、すげえあっさり風味だなあとは感じる。戦場では兵士たちに聞き回っても誰も持ち主を知らなかったのに(ってことは、ドレイクは誰にも妹のことを話さず、写真も見せていなかったということになる)。
それと、「そもそもロジャーって誰やねん」というところで引っ掛かるし。
ローガンが「ロジャー」と呼び掛けているので知り合いかと思ったら、そうでもないみたいなんだよな。じゃあロジャーのことは、どうやって知ったんだろう。

ローガンがルイジアナへ行く際に愛犬のゼウスを連れて行くのは、ものすごく不自然だ。
帰国した時にゼウスを可愛がる様子は見せていたものの、「ゼウスが心を許せる唯一の友達」という感じは受けなかったし、旅のパートナーとしての必要性にも疑問を感じた。
で、ベスの居場所が犬舎と分かった時点で、「そのためにゼウスを連れて行かせた」という御都合主義がハッキリする。
実際、犬舎で働き始めた後、ゼウスの存在意義は皆無に等しい。

ベスの元を訪れたローガンは、写真を渡そうとしない。「求人募集を見たと間違えられたから」ってのは何の言い訳にもならなくて、その時点で「いや求人募集じゃなくて、これを渡しに来た」と言えば済むことだ。
写真を渡すことに迷う理由、ためらう理由など何も無いはず。写真を渡すことで居場所が見つかるかどうかは別にして、少なくとも「とりあえず前に進むための第一歩」にはなるだろう。
ところがローガンは何の迷いも無く、すぐに従業員として働こうと決める。「渡りに船」とばかりに、書類に記入する。
そこにエロい欲望は無いにしても、「ベスにすがりたい、癒されたい」という、ある意味での下心が透けて見えるのだ。
写真のことを隠したまま犬舎で働き始める理由が「ベスの近くにいたい」という私欲ぐらいしか見当たらないので、ローガンが卑怯な奴にしか思えない。

夕食に招かれて立ち去る際も、やはりローガンは写真のことを切り出せないのだが、そこまで躊躇する理由が良く分からんのよ。
何かしらの負い目があるわけでもないし。
あえて言うなら「自分は生き残った、ベスの兄貴は死んだ」ということがあるけど、そのことが負い目になっているとしたら、上手く表現できていない。
しかも映画を見ている限り、言い出せずにいた理由はそれじゃないみたいだし。

ローガンがベスとカップルになった後は、写真のことなんて完全に忘れ去ったかのようになっている。
そんで写真の存在をベスに知られると、今まで明かせなかったことを「自分でも分からないことを、どう説明すればいい?」と言い訳し、自身を正当化する。
この映画は、ローガンの良く分からない行動や不愉快な行動、身勝手な行動を、全て「帰還兵で戦争の後遺症を抱えているから」ということを言い訳にして済ませ、同情心を抱かせようとしている向きが見られる。
そこがすげえ嫌な感じだ。

ベスはローガンに兄の戦死を語った後、「ベンも私たちも苦しんでる」と言う。
だが、その時点では、ベスやベンの苦しみが全く伝わって来ない。
別に「やたらと暗い顔で苦悩の表情を見せろ」とか「いつも泣いてばかりいろ」とか、そういうことじゃないのよ。静かに淡々と描くのも、ベスが明るく元気なのも構わない。
ただ、そういう描写にした中で「ドレイクの死によってベスやベンの心に生じた喪失感」が滲み出てくるようにしておく必要はあるわけで。
それが無いと、ただ淡々と進むだけになってしまう。

ベスが「ベンも私たちも苦しんでる」と告白した後、彼女がエリーと墓参に出掛けて泣くとか、花壇を荒らして泣くとか、そういう描写が盛り込まれ、ようやく抱えている辛さや悲しみが伝わってくる。
結局、そうやって分かりやすい表現をやらないと伝わらないのなら、告白の前にそういうのを見せておくべきだ。
告白してから初めて見せる構成にすると、「後付け」という風に感じられてしまうのだ。

キースは写真の存在を知って盗み出し、ベスに見せる。
ここでキースは「ローガンがドレイクを誤射した犯人ではないか」と吹き込むが、すぐにローガンがベスを訪ねて事情を説明し、ベスも「ローガンが誤射したのではないか」という疑いを抱くことは無い。ベスがローガンに対して腹を立てるのは、単純に「兄の写真を持っていて、今まで隠していた」ということに対する怒りだ。
だからキースの目論みは、何の意味も無い要素になっている。そこが無意味になることで、キースがベスに写真を渡すことの意味まで弱くなってしまう。
そうなると、そもそも誤射の疑いという要素さえ必要性が薄くなる。
終盤にローガンが「ドレイクの小隊はエースだ」と気付き、ベスに「誤射じゃなく部下を助けて撃たれた」と喋る展開はあるけど、あまり効果的には作用していない。

薄っぺらいロマンスが描かれていく中で、キースがローガンとベスの恋路を妨害するキャラクターとして絡んで来る。こいつは父親が判事、自身も保安官という職業で、「ローガンと付き合ったら訴えてベンを引き取る」とベスを脅す。
これに対してエリーに諭されたベスは「訴えるなら訴えてみやがれ」と強気に出るが、実際に訴えられたら、勝てないかもしれない。ベスは「私が良き母親であることは誰もが知ってる」と主張するが、何しろキースの父親が判事で町の顔役でもあるので、どうにでも出来てしまう可能性がある。
で、もちろん最終的に障害が取り除かれてローガンとベスがハッピーなカップルになることは容易に予想できるのだが、「どうやってキースという厄介な存在の妨害を取り除くのか」という問題の答えは難しい。
これで「キースは悪党だけど、クレイトンは息子の横暴を正そうとしている善玉」ということなら、クレイトンを使うことで解決できる。だが、クレイトンも短い出番の中では悪党っぽい印象をアピールしているので、それは出来ない。

で、この映画ではどうやったのかというと、ハリケーンというデウス・エクス・マキナを利用する。
その前に「キースが急に善人になる」という御都合主義もあるのだが、そこに加えて「ハリケーンで川が荒れ、吊り橋から落ちたベンを救うためにキースが濁流へ飛び込み、駆け付けたローガンに息子を任せた後、落下した吊り橋の下敷きになって流されて死亡」という御都合主義が待ち受けているのだ。
いやあ、思わず笑いそうになるぐらいの御都合主義だが、たぶん「それがニコラス・スパークス」ってことなんだろう。

(観賞日:2014年7月29日)

 

*ポンコツ映画愛護協会