『イントゥ・ザ・ストーム』:2014、アメリカ

北オクラホマで巨大な竜巻が発生し、車内にした高校生4人が死亡した。翌朝、車を走らせていたピート・ムーアたちは、ニュースで事件を知った。ピートと仲間のアリソン、ダリル、ジェイコブ、ルーカスは竜巻追跡チーム「タイタス」として全米各地を巡り、竜巻を撮影したドキュメンタリー作品を製作しようとしている。しかし最後に撮影したのは1年前で、そこからは全く竜巻を捉えることが出来ていない。竜巻注意報が出たので、すぐにチームは移動した。
シルヴァートン高校に通うドニーは卒業式を迎え、タイムカプセル用の動画を撮影した。母は亡くなっており、ドニーは弟のトレイ、教頭である父のゲイリーと3人で暮らしている。ゲイリーは自分からタイムカプセルのことを言い出したのに、ドニーがコメントを求めると「忙しい」と冷たく対応した。ドニーは反発し、父の謝罪を拒絶して学校へ向かった。ガソリンスタンドに立ち寄ったピートはスポンサーに電話を入れ、向こうの推薦で起用した気象学者のアリソンについて「あの女は使えない。気象学なんて役に立たない」と告げた。
アリソンは「竜巻はシルヴァートンに来る。これまでとはパターンが違う」と言っても、スポンサーに降りられたピートは全く信じようとしなかった。しかしアリソンがデータを信じるよう要求すると、ピートは不満を抱きながらも承諾した。ドンクとリーヴィスの2人組は、バカな過激映像を撮影して動画サイトに投稿している。その日も2人は、火を付けたプールにドンクがバギーで突っ込む動画を撮影した。シングルマザーのアリソンは娘のグレイスに電話を掛け、帰宅予定が延びたことを釈明した。
ピートは学校に到着し、トレイにビデオを撮影させる。トレイは校長のウォーカーたちを撮影した後、ピートが思いを寄せている同級生のケイトリンにカメラを向けた。教師と揉めているケイトリンを見たトレイは、声を掛けろとピートを焚き付けた。ピートが話し掛けると、ケイトリンはインターンのための課題を提出したら動画ファイルが壊れていたことを話す。彼女は閉鎖された製紙工場へ行き、有害物質の残っている現場を撮影したのだという。ピートが彼女に手伝いを持ち掛ける様子を、トレイが密かに撮影していた。
ピートはトレイに、25年後の自分へのメッセージを撮影する仕事を任せた。バスケ代表チームの主将を務めるトッド・ホワイト、工事現場で働くケニー・ハースト、チアリーダーのマデリン・スミス、愛犬のスーナーと暮らすチェスター・キャンベル老人、優等生のダスティン・クーパーといった面々のインタビュー映像を、トレイは撮影した。竜巻がリバーサイドを直撃したことが報じられ、ピートはアリソンに「見ろ。シルヴァートンじゃなかった」と責めるような口調で告げる。ピートはリバーサイドへ移動しようとするが、雹が降り出したので撮影しながらシルヴァートンへ向かった。
高校では卒業式が始まるが、ドニーは出席せず、ケイトリンと共に工場を訪れていた。アリソンたちは車を停め、積乱雲の接近を撮影した。ドンクとリーヴィスは車を走らせながら積乱雲を撮り、「俺たちは竜巻ハンターだ」と浮かれた。積乱雲が渦を巻き、竜巻になった。高校では豪雨が降り出したため、ウォーカーはスピーチを切り上げた。警報が鳴ったので、教師や生徒たちは校舎に移動した。アリソンやピートたちは車で竜巻を追い掛け、撮影を続けた。
ピートは車を停め、竜巻の接近を撮影しようとする。しかし竜巻は左に曲がり、高校へ向かう。ゲイリーは生徒たちを避難させ、頭を低くするよう指示した。倒木が玄関のガラスを破壊したため、強風が校舎の中に吹き込んだ。一方、工場にいるドニーとケイトリンは、竜巻の発生に気付いていなかった。ドニーはゲイリーから携帯に着信が入っても、卒業式に出なかったことで怒られるだけだと考えて出なかった。ゲイリーはトレイの携帯を借りて連絡を取るが、事情を説明しようとしたところで電波が途絶えてしまった。
工場にも竜巻が襲い掛かり、屋根が一気に吹き飛んだ。テレビのニュースをチェックしていたアリソンは、次の竜巻が町に迫っていることを知った。ピートは「次は限界まで近付きたい。どうしても竜巻の目を撮りたい」と言い、次の場所へ向かう。ドニーとケイトリンは無事だったが、崩れた瓦礫に閉じ込められた。ケイトリンは足首を負傷しており、ドニーは応急処置を施した。ゲイリーはトレイを車に乗せ、工場へ向かった。街が崩壊しているのを見たトレイは、呆然とした。
ゲイリーたちはチェスターが車内で負傷しているのを発見し、外へ運び出した。ゲイリーが再び工場へ向かうと、トレイは近道を教えた。アリソンはドンクとリーヴィスを発見し、建物に避難するよう促した。しかし酔っ払っているドンクたちは、耳を貸そうとしなかった。しかし竜巻が迫って来たので、彼らは銀行に逃げ込んだ。ゲイリーは行く手を車に塞がれ、先にトレイを避難させた。ゲイリーはアリソンが飛ばされそうになっているのを見つけ、腕を掴んで助けた。
竜巻が消えた後、ゲイリーは自分の車が壊れているのを目にする。ゲイリーはドニーに連絡しようとするが、携帯電話は繋がらなかった。彼はアリソンの携帯を借りようとするが、やはり繋がらなかった。ジェイコブは怯えて仕事を降りようとするが、ピートやダリルが説得した。ピートたちが嵐を追って工場のある北へ向かうことを知ったゲイリーは、乗せてほしいと頼んだ。ピートは断るが、アリソンが説得すると「仕事の邪魔はするなよ」と釘を刺して了承した。
ピートはトレイに、「カメラを回し続けろ。いい絵が撮れたら3千ドル払う」と告げた。道の真ん中に倒木があって先へ進めないため、ゲイリーたちはトレイの指示した別のルートを使うことにした。4つの竜巻が同時に発生し、ゲイリーたちは囲まれる状態となった。危険なので避難すべきだとアリソンは主張するが、ピートは拒否した。外に出て動画を撮影していたドンクとリーヴィスは竜巻に飲み込まれた。ゲイリーたちの乗る車が横転して使えなくなり、ピートは近くの教会へ逃げ込むよう指示した。
ゲイリーたちが教会へ走っていると、火災が発生した。1つの竜巻は炎を取り込み、撮影を続けて逃げ遅れたジェイコブが命を落とした。残る面々は教会へ逃げ込み、竜巻をやり過ごした。ゲイリーがドニーの救出に向かおうとすると、アリソンはバンを使った方が安全だと告げる。ピートが映像を確認する様子に気付いた彼女は、「そんなに大事?ジェイコブが死んだのよ」と非難した。ダリルは「ピートのせいじゃない。俺が連れて来たんだ」と言い、ゲイリーを手伝うようアリソンに告げた。彼は「ここに残るよ。ジェイコブの親を捜して連絡してみる」と口にした。
ゲイリーとアリソン、トレイの3人は、気象予測装置を積んであるバンで工場へ向かう。ドニーとケイトリンは穴に水が流れ込んで来たため、何とか脱出を図るが無理だった。ドニーが携帯を掲げると父に繋がるが、留守電になっていた。彼は助けを求めるメッセージを吹き込むが、バッテリーが切れてしまった。携帯をチェックしたゲイリーは、ドニーのメッセージを聴いた。ドニーとケイトリンは死を覚悟し、遺言ビデオを撮影した。ゲイリーたちは工場に到着し、水没した場所から伸びるドニーの腕を発見する。トレイは車を突っ込ませて鉄骨を退かすが、そのせいでドニーが足を挟まれて動けなくなる…。

監督はスティーヴン・クエイル、脚本はジョン・スウェットナム、製作はトッド・ガーナー、製作総指揮はリチャード・ブレナー&ウォルター・ハマダ&デイヴ・ノイスタッター&マーク・マクネア&ジェレミー・スタイン&ブルース・バーマン、撮影はブライアン・ピアソン、美術はデヴィッド・R・サンドファー、編集はエリック・シアーズ、衣装はキンバリー・アダムズ、視覚効果監修はランドール・スター、音楽はブライアン・タイラー。
出演はリチャード・アーミティッジ、サラ・ウェイン・キャリーズ、マット・ウォルシュ、アリシア・デブナム=ケアリー、アーレン・エスカーペタ、マックス・ディーコン、ネイサン・クレス、ジェレミー・サンプター、カイル・デイヴィス、ジョン・リープ、スコット・ローレンス、リー・ウィテカー、デイヴ・ドラム、ブランドン・ロイター、ジミー・グロース、リンダ・ゲーリンジャー、ケアラ・ウェイン・ウィンターハルト、リアンヌ・ナーゲル、フランク・ジージャー、クロン・ムーア、ロンドン・エリス・ムーア他。


『エイリアンズ・オブ・ザ・ディープ』『ファイナル・デッドブリッジ』のスティーヴン・クエイルが監督を務めた災害パニック映画。
脚本は『エビデンス -全滅-』のジョン・スウェットナムが担当。
ゲイリーをリチャード・アーミティッジ、アリソンをサラ・ウェイン・キャリーズ、ピートをマット・ウォルシュ、ケイトリンをアリシア・デブナム=ケアリー、ダリルをアーレン・エスカーペタ、ドニーをマックス・ディーコン、トレイをネイサン・クレス、ジェイコブをジェレミー・サンプター、ドンクをカイル・デイヴィス、リービスをジョン・リープ、ウォーカーをスコット・ローレンスが演じている。

竜巻は高速で移動するので、それを追い掛けていたら、ドラマをじっくりと描くことも出来ない。
災害パニック映画ってのは、その気になれば人間ドラマを盛り込むことが可能なケースが大半だ。しかし竜巻だと、それは難しい。
竜巻を回避すれば、人間ドラマを描く余裕が出来るだろう。しかし、竜巻を追い掛けないと、それはそれで「災害によるパニックやサスペンスが全く生じない」という問題が起きる。
だから主要キャストには、何らかの理由で竜巻と近い距離を保ってもらう必要がある。
そこで最も分かりやすいのは、「竜巻を観測したり撮影したりする目的で追い掛ける」という人物を据えることだ。

竜巻を題材にした災害パニック映画と言えば、ヤン・デ・ボンが監督を務めた1996年の『ツイスター』が有名だ。
あの映画の主役は、竜巻を観測するチームのメンバーだった。つまり自ら望んで竜巻に接近しているわけで、だからピンチに陥っても全くハラハラしないという問題が生じていた。
この映画にも竜巻ハンターのピートたちが登場するので、そのままだと同じ轍を踏む恐れがある。
そこで、2つの要素を持ち込むことによって、その問題を解消しようと試みている。

まず1つ目は、「息子の救助に向かう」という目的で動くゲイリーを登場させることだ。
ただし、その目的だけなら竜巻を避けて動けばいいわけだから、それだけと困る。そこで「車が壊れたのでピートたちに同乗させてもらう」ってことで、「息子の救助に向かう」という目的と「竜巻を追う」という目的を合体させる。
もう1つの要素として、「説得されてチームに残ったジェイコブ」というキャラを用意している。
つまり「自らの意思だけで積極的に竜巻を追っていたわけではない」というキャラを用意することで、「窮地に陥っても自業自得だろ」と感じさせることを回避しようとしているわけだ。

「息子の救助を目指すゲイリーを登場させる」「説得されてチームに残ったジェイコブというキャラを用意する」ってことは、「本人が竜巻を追い掛けているんだから、窮地に陥ってもハラハラしない」という問題の解消に、ある程度は繋がっていると言ってもいいだろう。
ただし、そこには別の大きな問題が残っている。
「それを言っちゃあ、おしめえよ」なんだけど、「そんなことは、どうでもいいと思えてしまう」ってことなのよ。

災害には様々な種類があるが、その中でも竜巻ってのは映画の題材として難しいのではないかと感じる。
その理由は、「予兆があって、ジワジワと忍び寄り、大きな災害が発生し、その影響が持続する」という構成に出来ないからだ。
『ツイスター』は災害パニック映画と言うよりもアトラクション映画だったが、こちらも同様だ。
たぶん『ツイスター』を意識した部分はあるんだろうけど、そもそも竜巻を題材にしたらアトラクション化せざるを得ないってことではないだろうか。
あと、ちょっと気になるのは、ロブ・ゾンビが「訴求力を度外視してもワイフを使いたい」と思っていたのか、「ワイフにはヒロインとしての魅力がある」と思っていたのかってことなんだけど、どうなんだろうね。

竜巻の場合、予兆で不安を煽ることが難しい。風の渦が発生したら、たちまち大きくなるからだ。
この映画では、竜巻注意報が出たり、アリソンがデータを見て「嵐が拡大している」と言ったりしているので、それは予兆と言えなくもない。
しかし、それは「竜巻の発生が近付いていると感じさせることによって、観客の不安を煽る」という効果には全く繋がっていないのだ。
大きな雹が突如として降り出した時も、竜巻の予兆ってことが分かりにくい上、アリソンたちが喜んでいるので、ちっとも不安を煽らない。
観客の不安に繋がらない予兆なら、何の意味も無いのよね。

『ツイスター』との差別化を図ったのか、それとも流行を取り入れようってことなのか、意図は分からないけど、この映画はPOVを導入している。
ただし、全編に渡ってPOVで構成されているわけではなく、部分的に取り込むという方法を採用している。
だけど、POV映画の「あるあるネタ」である「その映像は誰が撮ったんだよ」「その状況で、そういう映像を撮るのは不自然だろ」と言いたくなる箇所が幾つも登場するのよね。

例えば、校舎に強風が吹き込む中でトレイがカメラを回し続けているけど、下手すりゃ大怪我を負うかもしれない危険な状態なのに、それでも撮影を続けるのは不可解極まりないぞ。
竜巻が去った直後、様子を見るためにゲイリーが外へ出たり、車で工場へ向かったりする様子をトレイが延々と撮影するけど、これも「状況を考えろよ」と言いたくなる行為だ。それをゲイリーが叱らず、放置しているのも変だ。
チェスターを救助する時は、わざわざカメラを地面に置いて撮影している。
それは「撮影するために置いた」というより「置いたカメラが救助の様子を捉えていた」って感じだけど、そうだとしたら都合が良すぎるし。

POV形式を取り入れるために、この映画では「タイタスチーム」「ドニー」「トレイ」「ドンク&リーヴィス」と、複数の面々がカメラを回している設定にしてある。
まあ都合が良すぎる設定ではあるが、それは受け入れよう。
他に「学校内に設置された防犯カメラの映像」なども使って、POVの部分を増やしている。
ただ、「神の目」とも言える映像も混ざるので、POVの持つ「ドキュメンタリーっぽさ」というセールスポイントが生じない。

そもそも、「撮影された動画を後から編集して1本にした」ってことじゃなくて、あくまでも「現在進行形」の話として作っているし、諸々を含めて、中途半端にPOV形式を持ち込んだメリットは薄いんじゃないかと。
っていうかさ、「POVを部分的に取り込んでいる」と前述したけど、ひょっとすると全編をPOVで構成しているつもりなのかな。
だとしたら、ますます問題はデカいよな。
まあ、どっちにしても、POV形式が効果的じゃないってことに変わりは無いけど。

人間ドラマを積極的に盛り込もうという意識は、それなりに感じられる。そもそも、竜巻が消えている間、発生しない間なら、それなりに落ち着いて人間ドラマを描くことは可能なのだ。
しかし、やはり竜巻を題材にした映画と人間ドラマの組み合わせは上手く行かないのか、結局はアトラクション映画としての仕上がりになっている。様々な人間模様が盛り込まれているものの、どれも表面をサラッとなぞっているだけで、薄っぺらいのよね。
だから、むしろアトラクション映画として開き直った方が良かったんじゃないかと思ってしまう。
そして皮肉なことに、人間ドラマの部分は、ほぼ邪魔な存在と化している。

この映画は「竜巻に襲われる人々の様子」だけじゃなくて、「瓦礫に閉じ込められたドニー&ケイトリンの様子」も描いている。
それによって変化を付けようという狙いがあるのかもしれないけど、あまり成功しているとは言い難い。
まず「それって竜巻の襲来じゃなくても成立するよね」ってのが気になる。
それより問題なのは、ドニー&ケイトリンは「危機に陥る」とか「何とか脱出しようとする」というアクションよりも会話劇を担当している時間が長くて、そこが退屈なだけの時間帯になっているってことだ。

ピートやジェイコブたちと違って、ドンク&リーヴィスは「自ら望んで竜巻に接近する奴ら」というポジションを全く崩さない。
だから彼らがピンチに陥っても全くハラハラしないし、それどころか不愉快なバカどもなので「さっさと竜巻に巻き込まれて死ねばいいのに」とさえ思ってしまう。彼らが竜巻に巻き込まれて退場すると、スッキリした気持ちになる。
ラスト寸前に「実は生きていた」ってことで再登場するけど、ちっとも歓迎できないオチだわ。そんな捻りは、まるで要らんよ。
大勢の人々が犠牲になった悲劇的な現状を見せた後、そんなのを見せても緩和にならん。場違いで、不愉快なだけだ。

(観賞日:2016年2月20日)

 

*ポンコツ映画愛護協会