『インシディアス』:2010、アメリカ&カナダ

ジョシュとルネのランバート夫妻は、長男のダルトン、次男のフォスター、生後間もない長女のカリを連れて新居へ引っ越した。ルネは早朝に目を覚まし、荷物を整理しようとする。本を棚に入れていると、ダルトンがやって来た。部屋が嫌だと言うので、ルネは「すぐに慣れるわ」と言う。朝食の用意をした後、ルネは本が散らかっているのを見つけ、ダルトンとフォスターに出したら片付けるよう注意した。しかしダルトンもフォスターも、出していないと主張した。
教師のジョシュとダルトン、フォスターが学校に出掛けた後、ルネはピアノに向かって作曲活動を行う。カリが泣いたので、ルネは寝室へ行ってあやす。物音がしたのでルネは屋根裏部屋に入り、中を確認した。夜、ダルトンは屋根裏部屋に入り、誤って梯子から転落した。頭を打った彼は、何かを見て絶叫した。急いで駆け付けたジョシュとルネは、ダルトンが梯子から落ちて声を発したのだと思い込んだ。2人は屋根裏部屋へ入らないようダルトンに忠告し、扉に鍵を付けようと考えた。
翌朝、ジョシュは寝室から出て来ないダルトンを起こしに行く。だが、ダルトンが全く動かないのを見て異変を察知し、慌てて病院へ運ぶ。主治医はランバート夫妻に、脳の損傷は無いが昏睡状態に陥っていること、今までに無い症例であることを話した。3ヶ月後、ダルトンは相変わらず昏睡状態のままだが、夫妻は自宅に引き取って面倒を見ることにした。ルネは訪問看護師から、息子にチューブを挿入する手順の説明を受けた。
ピアノを弾いていたルネは、カリの部屋をチェックするためのモニターからノイズ混じりの「お前には何も出来ない」という不気味な声が聞こえるのを耳にした。不意に「寄越せ」と怒鳴られたルネは慌ててカリの部屋へ行き、娘を抱き締めた。その夜、彼女はフォスターから、「お兄ちゃんが夜中に歩き回るから怖い。部屋を替えて」と告げられた。ノックする音が聞こえたのでジョシュは玄関へ行くが、誰もいなかった。
カリの鳴き声を聞いたルネが寝室へ行くと、カーテンの背後に何者かが潜んでいた。しかしジョシュを呼ぶと、誰もいなかった。アラームが鳴ったのでジョシュは屋内を調べるが、これといった異変は無かった。後日、ルネはダルトンのベッドを見て、シーツに血の手形が付着しているのに気付いた。ルネはジョシュに「この家が怖い」と言い、「どうして、いつも帰りが遅いの?」と問い掛ける。「テストの採点を頼まれているから仕方が無い」とジョシュが告げると、彼女は「違うわ。力になろうとせず、面倒を避けてるだけ」と述べた。
夜中に男が徘徊する姿を目撃したルネは、悲鳴を上げた。ルネが怯えて「この家を出たい」と訴えたので、ジョシュは承諾した。新居への引っ越しは、ジョシュの母であるロレインも手伝ってくれた。家族写真を見たロレインは、「信じられない、ジョシュが写真に」と驚いた。その新居でルネは、謎の少年が走り回る怪奇現象を目撃した。彼女は旧知のマーティン神父を呼び、相談に乗ってもらう。ジョシュは鼻で笑うが、同席したロレインは「ルネに起きたことは真実よ。私も見たわ」と告げた。
ロレインはジョシュとルネに、「昨夜、この家の夢を見たから来たのよ。夢の中で、私はこの家にいた。誰かが家で目覚めていると感じた。ダルトンの部屋に行くと、何者かが立っていた。彼は訪問者だと名乗り、目的はダルトンだと告げた」と語る。ジョシュの背後に訪問者の姿を見た彼女は、「そこにいる」と悲鳴を上げた。3人がダルトンの部屋へ行くと、室内は荒らされていた。ロレインはジョシュたちに、「ある人を知ってる。呼ぶべきよ」と告げた。
ロレインの紹介で、スペックスとタッカーという2人組がやって来た。ロレインの知り合いは霊媒師のエリーズで、2人は彼女の助手だ。スペックスたちは、エリーズが来る前に自分たちが調べるのだと説明した。2人は電磁波測定器を使い、室内を調べる。写真を撮影していたタッカーは2人の少女を見て動揺し、スペックスに「すぐにエリーズを呼べ」と指示した。訪ねて来たエリーズはジョシュを見て、「すっかり大人ね」と言う。ジョシュは覚えていなかったが、エリーズは会ったことがある様子だった。
エリーズはランバート夫妻と挨拶を交わした後、すぐに異変を感じ取った。ダルトンの部屋に入った彼女は、彼女だけに見えている存在の特徴をスペックスに説明して描かせた。彼女は夫妻に、「ダルトンは昏睡状態じゃない。魂が肉体と異なる場所にある。彼らは家じゃなく、ダルトンに憑依している。彼らは特殊な能力を持ち、肉体から離れて幽体となって移動できる。ダルトンには、とても優れた幽体離脱の能力がある」と述べた。
エリーズは言葉を続け、「幼い頃から何度となく、眠りの中で長い旅をしていた。夢だと思って恐れなかったから、遠い場所まで旅をして迷ってしまったの。時間の存在しない世界。死者の魂に満ちた暗黒の領域。そこにダルトンはいる。肉体だけが抜け殻として残されたことを死者たちは察知し、集まって来た。彼らはダルトンの肉体に入ろうとしている。でも、彼らとは別の邪悪な存在も来た。悪魔よ。肉体を狙う理由は、他者を苦しめるため」と解説した。
エリーズはジョシュたちに、「彼らは、そう簡単には肉体に入り込めない。でもダルトンの離脱時間が長引けば、肉体を奪いやすくなる」と話す。ダルトンを救う方法をルネが尋ねると、「方法はあるけど、全面的に信頼してもらわないと」とエリーズは告げる。ジョシュは「もう結構だ。こんな話は聞きたくない」と苛立ち、エリーズをインチキ扱いして追い払った。ダルトンの部屋に入ったジョシュは、息子が描いた幽体離脱や悪魔の絵を見た。彼は考えを改め、エリーズの降霊術を受け入れる。スペックスはダルトンの幽体と交信するが、途中で悪魔が入り込んで来た…。

監督はジェームズ・ワン、脚本はリー・ワネル、製作はジェイソン・ブラム&スティーヴン・シュナイダー&オーレン・ペリ、共同製作はジョン・R・レオネッティー&アーロン・シムズ、製作総指揮はブライアン・カヴァナー=ジョーンズ、撮影はジョン・R・レオネッティー&デヴィッド・M・ブルーワー、編集はジェームズ・ワン&カーク・モッリ、美術はアーロン・シムズ、衣装はクリスティン・M・バーク、音楽はジョセフ・ビシャラ。
出演はパトリック・ウィルソン、ローズ・バーン、バーバラ・ハーシー、リン・シェイ、タイ・シンプキンス、リー・ワネル、アンガス・サンプソン、アンドリュー・アスター、ジョセフ・ビシャラ、コーベット・タック、ヘザー・トキグニー、ルーベン・プラ、ジョン・ヘンリー・ビンダー、フィリップ・フリードマン、J・ラローズ、ケリー・デヴォト他。


『ソウ』のジェームズ・ワン監督と脚本のリー・ワネルがコンビを組み、『パラノーマル・アクティビティ』のジェイソン・ブラム&スティーヴン・シュナイダー&オーレン・ペリが製作を務めた作品。
ジョシュをパトリック・ウィルソン、ルネをローズ・バーン、ロレインをバーバラ・ハーシー、エリーズをリン・シェイ、ダルトンをタイ・シンプキンス、スペックスをリー・ワネル、タッカーをアンガス・サンプソン、フォスターをアンドリュー・アスター、悪魔をジョセフ・ビシャラが演じている。

序盤、片付けたはずの本棚が散らかっていて、ルネは子供たちが出したのに片付けなかったと思い込む。ダルトンたちが「出していない」と主張しても、その言葉を信じない。
しかし大半の観客は、それが子供たちの仕業でないことを知っている。なぜなら、もう冒頭から不安を煽る雰囲気を作り出しているからだ。
どうせ観客は最初からホラー映画だと分かっているし、事前にザックリとした内容を情報として入れている人も少なくないだろう。それを考えれば、最初からバレバレでも、そんなに支障は無いのかもしれない。
しかし、やはり話の作り方としては、そこは「怪奇現象ではなく、普通の出来事」と思わせた方がいいのではないかと思うのよね。

ダルトンが昏睡状態に陥る過程は、無駄に手間を掛けていると感じる。
そこは屋根裏部屋で梯子から落ちた後、ダルトンが何かを見た様子を見せる。悲鳴を耳にしたランバート夫妻が駆け付け、梯子から落ちたと思い込み、ダルトンを寝室へ運ぶ。翌朝になって、ダルトンが目覚めないので病院へ運ぶという手順だ。
でも、「屋根裏部屋で何かを見たダルトンが昏睡状態に陥り、発見した夫妻が病院へ運ぶ」ということにすれば、かなりの手順を省くことが出来る。
そして、その省いた手順の必要性は薄いと思うのよ。

ダルトンが入院した後、すぐ3ヶ月後へ飛んでいるのも、構成としては上手くない。
「検査入院を経て、ランバート夫妻がダルトンを退院させて自宅療養に切り替える」という手順を考えると、入院した翌日から自宅療養に移るってのは難しいだろう。
ただ、3ヶ月後に飛ぶってことは、裏を返せば「3ヶ月間は怪奇現象が起きなかった」ってことになるわけで。それって、どう考えても不可解だ。怪奇現象の休憩時間が入るってのは、得策とは思えないのだ。
ダルトンが昏睡状態に陥った後、そこから次第に怪奇現象がエスカレートしていく流れに繋げるべきだろう。

怪奇現象の原因は家じゃなくてダルトンなので、彼が家に戻るまでは何も起きないってことになる。だから怪奇現象の休憩時間が入るのは、当然っちゃあ当然なのだ。
でも、映画の構成としては、それじゃあ困るわけで。
その問題を解消する方法ってのは幾つか考えられるが、分かりやすいのは「3ヶ月後」というスーパーインポーズを入れずに進行するってことだ。ダルトンが入院した後、夫妻が会話を交わすシーンなどを挟んで、シーンが切り替わるとダルトンの自宅療養が始まっている状態にすればいい。
そうすれば、どのぐらいの日数が経過したのかをボンヤリさせたまま、でも「検査が終わって自宅療養に切り替えたんだな」ってことは伝わるだろう。

アラームの出来事があった後、次のシーンではジョシュが学校からルネに電話を掛け、「テストの採点を頼まれたから遅くなる」と話している。
だから、こっちとしては「ジョシュがいない内にルネが怪奇現象を体験する」という展開になるんだろうと思っていたら、ジョシュが幼少時代を思い浮かべて苦悩の表情を見せる様子が写り、車で帰宅する様子が写り、それで別の日になってしまう。
いやいや、何も起きないのかよ。だったら、いかにも前フリっぽい「ジョシュの帰りが遅くなる」の手順は何の意味があったんだよ。
どうせルネが血の手形を見る日も仕事で遅くなっているんだから、そこを同じ日にまとめればいいんじゃないのか。

ルネはジョシュに「この家が怖い」と訴える時、「物が勝手に動くし、夜中にキッチンに行くと私を見ている目を感じる」と説明する。
しかし、それに該当する描写は全く盛り込まれていなかった。
そういうことをルネに言わせるなら、実際に「物が勝手に動くのをルネが見る」とか、「夜中にキッチンで視線を感じる」というシーンを用意すべきだろう。
台詞だけで片付けるより、そういうシーンを入れた方が、観客の不安を煽る効果は間違いなく強いんだし。

ロレインが新居で「訪問者が云々」という夢の内容を語った後、ジョシュの背後に訪問者が姿を現す。
前半の段階で、そんなにハッキリと悪魔の姿を見せるとは思わなかったので、ちょっと意外だった。
ただ、その意外性が歓迎できるものかというと、「ダース・モールの出来損ない」みたいな赤ら顔の怪人が登場した時点で、ちょっと落胆させられる。
でもアメリカ映画では「恐怖の対象を明確にする」ってのが基本なので、そこは「日本人とアメリカ人の感性の違い」として諦めるしかないんだろうなあ。

しかし、ダース・モールもどきのガッカリ感は「日本人とアメリカ人の感性の違い」と解釈するにしても、その直後にスペックス&タッカーという2人組を登場させてヌルいコメディー・リリーフの仕事を担当させるのは、もはや「アメリカ人だから云々」という問題じゃないぞ。
誰がどう考えたって、この映画にコメディー・リリーフなんか要らないでしょうに。
ホラー映画にコメディー・リリーフが必要なのは、それがホラー・コメディーである場合に限られるでしょ。でも、これは純然たるホラー映画のはずで。
実際、スペックス&タッカーって、ほぼ要らない存在になっちゃってるし。

ランバート夫妻には3人の子供がいるが、途中から下の2人は画面に登場しなくなる。
そもそもカリは赤ん坊なので能動的なポジションを担当することは出来ないが、怪奇現象に巻き込まれるとか、悪魔に狙われるとか、そういうことも全く無い。フォスターは「ダルトンが夜中に歩き回る」と訴え、夜中に怖がって部屋の扉を閉めると、そこで仕事が終わってしまう。それ以降は、うっかりすると存在していることさえ忘れそうになるぐらいだ。
つまりフォスターとカリは、存在意義の全く無いキャラクターになっているってことだ。夫婦と長男だけで何の支障も無いのだ。
ちゃんと使わないのなら、最初から他の子供2人は登場させなきゃいいのよ。

後半に入り、ダルトンの魂が幽体離脱で遠くまで行ってしまい、戻れなくなっていることが判明する。つまり、もちろん梯子から落ちた出来事が無関係なのは最初から分かっていたが、そこで何かを目撃したような反応を見せていたのも無関係ってことになる。
ようするに、屋根裏部屋のシーンは昏睡と全く無関係で、それがあろうとなかろうと、ダルトンは就寝している内に幽体離脱して魂が抜けちゃったということだ。
でも、そのミスリードは、やり過ぎだと思うんだよなあ。
屋根裏部屋のシーンを描くのなら、「梯子での落下が原因」というミスリードはOKだけど、「そこでダルトンが何かを見た」ってのは、原因に繋げるべきだわ。

悪霊と悪魔の片方じゃなく、どっちもダルトンの肉体を狙っているってのは、新しい試みと言えなくも無い。
ただ、それが成功しているかと問われたら、答えはノーと言わざるを得ない。
「その怪奇現象は、どっちの仕業なのか」ってのが無駄に引っ掛かるし、ゴチャゴチャしてしまう。
ぶっちゃけ、恐怖の対象を「悪霊たち」と「悪魔」という2つにしたことのメリットは何も感じない。どっちにしろ発生する怪奇現象は1つのグループとしてまとまっちゃうし、悪霊と悪魔の違いもボンヤリしているし。

しかも結局、悪魔は追い払われ、寄生者と呼ばれる悪霊がジョシュの肉体を奪っちゃう。
悪魔って、悪霊より遥かに恐ろしくて強い存在じゃねえのかよ。なんで幽体離脱したジョシュとの戦いであっさりと撃退され、悪霊に目的を達成されちゃってるんだよ。
そんなヘタレな存在なら、登場させない方がいいだろ。
そもそも「他者をを苦しめるために肉体を狙う」という目的からしてバカバカしいし。
ホント、悪魔の存在が中途半端だわ。

序盤から「そういう方向性で行くのかな」という匂いは漂っていたが、ルネがカーテンの背後に潜む人影に驚くシーンで、それはハッキリする。
何が言いたいのかっていうと、これが「音で脅かす」という手法を重視した映画だってことだ。
前述したシーンでも、ルネが人影に気付いた途端、大きな音を鳴らして観客を脅かしている。
最初から悪霊や悪魔を登場させるのではなく、ちょっとした怪奇現象を少しずつ散りばめているので、心理的にジワジワと追い詰める手法を使うのかと思っていたら、そうではなかった。

心理的にジワジワと追い詰める映画だと見せ掛けて、実は音で脅かすというお化け屋敷映画である。
「ホントは心理的に追い込んで行くべきなのに、それが厳しいからショッカー演出に逃げている」という風にも、途中までは思えた。しかしクライマックス、ダルトンを救うためにジョシュが幽体離脱すると、最初から「お化け屋敷映画」を狙っていたことがハッキリする。
何しろ、ジョシュがダルトンの幽体を捜して霊界を移動する様子は、お化け屋敷のアトラクションそのものなのよ。
ただし、ジョシュが怖がりながら逃げまくるだけなのかと思いきや、なぜか肉弾戦を始める展開が始まるので、もはや演出の方向性が分からなくなって来るんだけどね。

(観賞日:2015年9月27日)

 

*ポンコツ映画愛護協会