『インナースペース』:1987、アメリカ

出世街道から外れ、酔っ払ってパーティーで騒ぎを起こしたパイロットのタック・ペンデルトンは、ある実験のパイロットとして選ばれた。その実験とは、パイロットが探査艇に乗り込んだ状態で縮小化され、ウサギの体内に入り込むという内容だ。
タックが乗った探査艇が縮小化され、注射器にセットされた直後、マーガレット・カンカー博士を中心とするスパイ組織が研究所を襲撃した。実験の担当者オジー・ウェクスラーは、探査艇の入った注射器を持って現場から逃走する。
オジーはスパイ組織のアイゴーに追われ、殺害される。しかし殺される直前、オジーは衝突したスーパーマーケットの店員ジャック・パターに探査艇を注射していた。人間の体内に入ったことに気付いたタックは、ジャックに呼び掛けて事情を説明する。
研究所に向かったジャックとタックは、組織に盗まれたマイクロチップが無ければ探査艇を元の大きさに戻せないこと、明日の午前9時には探査艇の酸素が無くなることを知る。さらに2人は、捜査官ブランチャードがタックの生命を無視し、囮にして組織を誘い出そうと考えていることを知り、急いで研究所から逃亡する。
ジャックはタックの指示を受け、タックの恋人で記者のリディア・マックスウェルに接触する。ジャックはリディアの協力を取り付けるが、その直後にアイゴーに連れ去られる。脱出に成功したジャックは、リディアと共にテクノロジー専門の売人カウボーイを尾行する。リディアはカウボーイから、組織のボス、スクリムショーと会うことを聞き出した。
タックは探査艇の特殊装置を使って、ジャックの顔をカウボーイの顔に変形させる。ジャックはリディアを連れて、カウボーイとしてスクリムショーやマーガレットに会う。だが、商談の途中で顔が元に戻ってしまい、ジャックとリディアは監禁される…。

監督はジョー・ダンテ、原案&共同製作はチップ・プローザー、脚本はジェフリー・ボーム&チップ・プローザー、製作はマイケル・フィネル、製作総指揮はスティーヴン・スピルバーグ&ピーター・グーバー&ジョン・ピーターズ、共同製作総指揮はフランク・マーシャル&キャスリーン・ケネディ、撮影はアンドリュー・ラズロ、編集はケント・ベイダ、美術はジェームズ・H・スペンサー、衣装はロザンナ・ノートン、視覚効果監修はデニス・ミューレン、特殊メイク・アップ効果デザイン&創作はロブ・ボッティン、音楽はジェリー・ゴールドスミス。
出演はデニス・クエイド、マーティン・ショート、メグ・ライアン、ケヴィン・マッカーシー、フィオナ・ルイス、ヘンリー・ギブソン、ジョン・ホーラ、ロバート・ピカード、ウェンディ・スカール、ウィリアム・シャラート、ハロルド・シルヴェスター、マーク・L・テイラー、ヴァーノン・ウェルズ、オーソン・ビーン、ケヴィン・フックス、キャスリーン・フリーマン、アーチー・ハーン、ディック・ミラー他。


『ミクロの決死圏』を同じアイデアを、切り口を変えて映画化した作品。タックをデニス・クエイド、ジャックをマーティン・ショート、リディアをメグ・ライアン、スクリムショーをケヴィン・マッカーシー、マーガレットをフィオナ・ルイスが演じている。

まず、タックとジャックの登場シーンからして、外していると感じた。タックは、エリートの知人達が集まるパーティーに酔っ払って乱入してケンカするという形で登場するのだが、このシーン、後に全く繋がらない。ケンカの相手が再登場するようなことも無いし、タックが落ちこぼれで世を拗ねているという設定さえ大した意味が無い。
次にジャックは、精神科医に「レジ打ちで異常に高い値段が出て客のオバサンに銃で撃たれる」という悪夢を見たと相談しているという形で登場する。しかし、ジャックが悪夢に悩まされているという設定は、後で1つのギャグを見せるための前フリに使われるだけ。しかも、そのシーンは、悪夢の設定が無くてもギャグとして成立している。

「縮小化されたタックがジャックの体内に入ってしまった」という設定を、タックの言葉によって弱気だったジャックがアタフタしながらも強い態度で行動しようとするとか、ジャックが体内のタックに話し掛けているのをペニスに話し掛けていると勘違いされるとか(これは1シーンだけだが)、そういう形で生かそうとしているようだ。
だが、せっかくタックがジャックの体内にいるのに、その設定を「タックが動くことで、ジャックの体に影響が及ぶ」という形で使うことはほとんど無い。例えばタックが体内で衝突してジャックが痛がり、周囲に怪しまれないように必死に誤魔化すとか。
また、逆にジャックの行動によって、タックに影響が及ぶという使われ方も無い。例えばジャックが何かを食べたことで、消化された食物がタックの探査艇に落ちてくるとか。あるいはジャックがゲップをして、探査艇が大きく揺れるとか。

ちょっと考えただけでも、設定を使ったギャグは幾つも作れるように思えるのだが、笑いのピントが設定と大きくズレている。そういう使われ方が無いということで、体内の様子を特殊効果やセットによって見せるという部分の面白さも薄い。
そして、特殊な設定を使った笑いを見せようとせずに、普通のアクションやチップ争奪戦を見せる。つまり、「縮小化した人間が体内に入ってしまった」という設定を、センス・オブ・ワンダーとしても笑いとしても、充分に生かし切れていないということだ。

「縮小化されたタックがジャックの体内にいる」という設定よりも、「タックがハイテク探査艇に乗っている」という設定の方が多く使われている。例えばレーザー光線で敵を倒すとか、特殊装置でジャックの顔を別人に作り変えるとか。
最初から使えるはずの設定を有効利用する姿勢に乏しかった作品は、話が進んで行くにつれて、ますます設定から遠く離れていく。スティーヴン・スピルバーグ印のジェットコースター的な展開に、センス・オブ・ワンダーと笑いをミックスした作品のはずが、センス・オブ・ワンダーも笑いも、ほとんど抜け落ちてしまっている。

 

*ポンコツ映画愛護協会