『インランド・エンパイア』:2006、アメリカ&フランス&ポーランド
男は娼婦を部屋に連れ込み、服を脱ぐよう指示する。砂嵐が流れるテレビ画面を見て、1人の女が寝室で泣いている。3人のウサギ人間が出て来るシットコムが、女の脳内では放送されている。1人のウサギ人間がドアを開けて移動すると、そこは豪華な部屋になっている。ウサギ人間が部屋から消えた後、2人の男が現れる。1人が「分かっているんですね」と、もう1人の男に確認を取る。またウサギ人間が現れ、そして姿を消す。
ニッキー・グレイスの豪邸には、近所に引っ越してきた中年女性が挨拶に訪れる。中年女性はニッキーが映画のオーディションを受けたことを知っており、幾つかの質問をする。それから彼女は、少年が悪魔の分身を作り出したという昔話、少女が市場で迷子になった昔話を口にする。また映画に関する質問をした後、彼女は「劇中で必ず殺人が起きるはずです」と決め付ける。不愉快になったニッキーが帰ってもらおうとすると、女性は「今がいつなのか分からない」と言い出す。
ニッキーはオーディションに合格したという電話を受け、友人2人と喜ぶ。スタジオへ赴いたニッキーは、監督のキングスリーや主演俳優のデヴォン、助監督のフレディーたちと会う。キングスリーは彼女に、「君の才能があれば、必ず頂点に返り咲くことが出来る」と告げる。ニッキーとデヴォンは映画を宣伝するため、トークショーに出演する。マリリンの不愉快な質問や態度に、出番を終えたデヴォンは激怒する。デヴォンはマネージャーから、「彼女の亭主は町の有力者だ。君の行動は全て筒抜けだ。恐ろしい目に遭うぞ」と忠告される。彼は「彼女は美人だが、タイプじゃない」と、ニッキーへの好意を否定する。
ニッキーとデヴォンはスタジオに入り、キングスリーは台本の読み合わせを行う。フレディーが「セットに誰かいる」と指摘し、デヴォンが様子を見に行くと侵入者は逃げ出した。キングスリーはニッキーとデヴォンに、この作品がリメイクであること、オリジナル版は製作中に主演俳優2人が殺されて未完成に終わっていることを明かす。ニッキーの夫のピオトレックはポーランド人で、同郷の夫婦を客として連れて来る。しかしニッキーはポーランド語が話せないので、2人と会話を交わすことは出来ない。
ドリス・サイドは取調室で刑事のハッチンソンに、「このままだと人を殺してしまう。バーで男に催眠術を掛けられた」と訴える。殺す方法を問われた彼女は「ドライバーで」と答えた後、自分の腹にドライバーが突き刺さっていることに気付いた。フレディーはニッキーとデヴォンに、金を無心する。ピオトレックはデヴォンを夕食に招き、「妻は自由の身ではない。私が許さない」と忠告する。デヴォンは撮影の合間に、ニッキーを口説く。「撮影が終わったら食事しないか」と誘われたニッキーは、自分の知っている隠れ家的なイタリア料理店をリクエストした。
「私たちの関係が夫にバレたみたい」とデヴォンに告げたニッキーは、「なんてこと、台本の台詞と同じだわ」と口にする。だが、それは撮影中の出来事だった。デヴォンはニッキーが現実と映画を混同する様子を見て、この映画が呪われているのではないかと不安になる。デヴォンはニッキーと肉体関係を持ち、その様子をピアトレックが密かに見ている。ニッキーが急に意味不明なことを言い出したので、デヴォンは困惑する。
ニッキーに瓜二つのスーザンは買い物の帰りに気になる扉を見つけ、建物の中に入る。闇を抜けると、そこは撮影スタジオだった。逃げ出す彼女をデヴォンが追い掛ける様子は、フレディーが侵入者の存在を指摘した時と酷似していた。スーザンはデヴォンに「ビリー!」と呼び掛けるが、応答は無かった。スーザンが目の前のドアを開けて駆け込むと、そこは家だった。ドアは鍵が掛かって開かなくなっており、窓の外にはデヴォンがいる。スーザンは「ビリー!」と叫ぶが、いつの間にかデヴォンは消えていた。
ドアが開いていたので、スーザンは外に出てみる。再び家に入って奥へ進むと、大勢の女たちが集まっている部屋があった。スーザンが「貴方たちは誰?」と訊くと、「会ったことがあるなら言って」「昔の男のために股を広げたい」「彼はアレをした?」「感じた?」「私は何でもさせてあげるの」などと女たちは言い、ニッキーは泣き出す。「今にアンタは夢を見る」「目を開けると見慣れた人がいる」と女たちは告げる。両手で顔を塞いたスーザンが目を開けると、そこは雪の積もる屋外になっている。
女たちはスーザンに、「見たい?この先よ」「腕時計をして煙草に火を付け、シルクに押し当てながら回すの。シルクを顔に近付けて、穴を見つめるの」と話す。気が付くと再び部屋の中に戻っており、女たちは怪しげな笑みを浮かべて窓を開ける。外には雪の風景が広がっている。スーザンは腕時計をして煙草に火を付け、シルクに穴を開けて見つめてみる。「娘は渡さないわ」と夫に告げたポーランド女性が、激しい暴行を受ける。
スーザンはミスターKの元へ相談に訪れ、「男はいつか必ず本性を表す。その男もそうだった。私に何かしようと企んでいたのよ」と言う。そして彼女は、15歳の時に自分を犯そうとした男の片目を抉り取って睾丸を握り潰したことを語る。スーザンは節約に励んでおり、夫に妊娠を告げる。しかし夫は喜ばないどころか、「俺にはショックだ」とまで口にする。スーザンはビリーに電話を掛けるが、受話器を取ったのはウサギ男だった…。脚本&監督はデヴィッド・リンチ、製作はメアリー・スウィーニー&デヴィッド・リンチ、共同製作はローラ・ダーン&ジェレミー・アルター、製作協力はサブリナ・S・サザーランド、製作協力はエリック・クレーリー&ジェイ・アーセング、カメラ・オペレーターはデヴィッド・リンチ&エリック・クレーリー&オッド・イエル・サルテル&オーレ・ヨハン・ロシュカ、美術はクリステイーナ・ウィルソン、衣装はカレン・ベアード&ハイジ・ビーヴェンズ。
出演はローラ・ダーン、ジェレミー・アイアンズ、ジャスティン・セロー、ナスターシャ・キンスキー、ローラ・ハリング、ハリー・ディーン・スタントン、ピーター・J・ルーカス、ジュリア・オーモンド、ダイアン・ラッド、メアリー・スティーンバージェン、ウィリアム・H・メイシー、エリック・クレーリー、グレイス・ザブリスキー、イアン・アバークロンビー、カロリーナ・グルシュカ、クシシュトフ・マイフシャク、Nae(裕木奈江)、ヘレナ・チェイス、テリー・クルーズ、スタンリー・カメル、モニカ・キャッシュ他。
『ロスト・ハイウェイ』『マルホランド・ドライブ』のデヴィッド・リンチが脚本&監督&製作&撮影を務めた作品。
ニッキー&スーザンをローラ・ダーン、キングスリーをジェレミー・アイアンズ、デヴォン&ビリーをジャスティン・セローが演じている。
他に、フレディー役でハリー・ディーン・スタントン、ピオトレック役でピーター・J・ルーカス、ドリス役でジュリア・オーモンド、マリリン役でダイアン・ラッド、スーザンを訪ねる女性役でメアリー・スティーンバージェン、トークショーのアナウンサー役でウィリアム・H・メイシー、ミスターK役でエリック・クレーリー、グレイス家に来る中年女性役でグレイス・ザブリスキーが出演している。
路上に座り込んでいるカップルの女性役で、裕木奈江が出演している。ちなみに、その相手役はテリー・クルーズだ。デヴィッド・リンチは年を重ねるごとに、どんどん難解で取っ付きにくい映画を撮るようになっているんじゃないか。
今まで彼の作品に付いて来た観客も、この映画は脱落してしまうかもしれない。彼のフィルモグラフィーの中でも、分かりにくさのレベルはダントツで一番だろう。
まあ彼の作品は『ストレイト・ストーリー』のような例外を覗くと全て取っ付きにくいし分かりにくいので、その中で順位を付けることの意味なんて無いのかもしれないけどね。
シュールがダメな人は、どれも見ても受け付けないだろうし。ただし、「ストーリーを理解しよう」「それぞれの場面を分析しよう」と考えるから難解に感じるのであって、「イカれた監督の妄想を垂れ流した自己満足の記録映像」とでも捉えれば、何も難しいことは無い。
かなり辛辣な表現をしたけど、別に「芸術家の才気溢れる実験的作品」と表現したって構わない。
芸術家の創作活動ってのは基本的に自己満足だから、どっちにしろ大して変わらないんだし。
「難しいことは無い」っていうか、「難しく考える必要が無い」ってことだ。そもそもデヴィッド・リンチ監督自身でさえ、本作品について言葉で説明を求められたら、たぶん無理なのだ。監督はインタビューで「映画は説明を受け付けないものだと思っている」とコメントしているしね。
監督が言葉で説明できないんだから、この映画を見た観客が言葉で理解しようと思っても無理でしょ。たぶん出演者の誰一人として、どういう映画を作ったのか良く分かっていないと思うぞ。
1つ1つのシーンを繋げて解釈しようとするから、見ている間に頭がグチャグチャになってしまうのだ。だから、そんなことをせず、1つのシーンが終わったら、そこで完全に切り離して次のシーンに移ってしまえばいい。
ようするに、「シュールで実験的な映像の断片を大量に生産し、何の脈絡も無しに並べてコラージュしている」と捉えればいいのだ。
1つ1つのシーンに関連性が無いと考えれば、何も苦労せずに済むだろう。そういう鑑賞方法は、普通の映画なら間違ったアプローチってことになるだろうけど、この作品に関しては、むしろ適しているように思える。
と言うのも、デヴィッド・リンチは好きな時に出演者を呼び、その度に用意した短い台本を渡して撮影し、そうやって集めた映像を繋げて構成しているのだ。
ウサギ人間の登場するシーンなんて、この映画のために撮影された映像ではない。
デヴィッド・リンチの運営する会員制サイトで公開されていた短編映像『Rabbits』の一部だ。それを後から挿入しているのだ。本作品は全体の台本が無いまま撮影が開始されており、デヴィッド・リンチはインタビューにおいて「全体像がどうなるかは分からない」と言っている。
そりゃあ、ワケの分からん映画になるのも当然だろう。
色々と真面目に解釈しよう、深く掘り下げようとすれば、出来ないことはない。それぞれのシーンや登場人物の繋がりを読み解いて、そこから分析していれば、知的っぽい考察を書くことは出来る。
でも、それは骨折り損のくたびれ儲けになるだけだと思うので、自分がやろうという気は一切起きない。ローラ・ダーンが登場する部分だけは、彼女が扉を抜けてスタジオに辿り着くシーンまでは、ハッキリとした形で繋がりが感じられる形になっている。
だが、そんなことは、あまり気にしなくてもいい。
そんな形式だけの繋がりなど、デヴィッド・リンチ・ワールドの中では大した意味を持っていない。
それに、繋がりがあったからって、それで映画の面白味が生じているわけではないんだし。
「分かりやすい」のと「面白い」のは全く別問題だ。この映画の場合、シーンの繋がりや中身が分かりやすくても、難解でも、面白さのタイプや質は全く変わらない。
デヴィッド・リンチの熱狂的なファンなら、どっちにしろ楽しめるだろう。
そうでなければ、「それなりに」ってことだ。
それに、繋がりが分かったところで、どうせ1つ1つのシーンや台詞の意味するところが難解なのだから。ローラ・ダーンがスタジオに辿り着き、そこから逃げ出すシーンが訪れると、彼女の登場するシーンが最も難解な状態になる。
それがニッキーなのかスーザンなのかが分からなくなるからだ。
上述の粗筋では、扉を開けてスタジオに辿り着いて以降のローラ・ダーンを全て「スーザン役」と解釈しているが、それが正解なのかどうかは分からない。
でも、そもそも本作品に本当の意味での「正解」なんて存在しないのだから、私の解釈が正解かどうかなんて、どうでもいいことなのだ。「独特のシュールでイカれた世界を楽しむ」ってのがデヴィッド・リンチ作品の基本的な鑑賞方法ってことになるんだろうけど、この映画はシュールを受け入れるにしても、180分という上映時間なので完全にアウト。
こういうのは、せいぜい90分が限度だ。2時間でもアウトなので、3時間なんて問題外だ。
こんなモンを3時間も観賞させようなんて、ある種の拷問だよ。
安っぽい言葉遊びみたいなことを書いてしまうと、これはデヴィッド・リンチによる、映画を使ったリンチだわ。(観賞日:2015年2月24日)
第29回スティンカーズ最悪映画賞(2006年)
ノミネート:【最も過大評価の映画】部門
2007年度 文春きいちご賞:第10位