『イン・ザ・ハイツ』:2021、アメリカ
ウスナヴィ・デ・ラ・ヴェガは店の前に4人の子供たちを集め、「消え掛けた街の物語」を話すことにした。彼は子供たちに、「昔々、ヌエヴァヨーク(ニューヨーク)という遠くの街に、ワシントン・ハイツという地区があった」と語り出した。ラジオDJのキッド・メロは、「記録破りの熱波なのに市長はエアコンの使用を控えろと言ってる。故郷のドミニカでは、ハリケーンで電気を失った。この街でも熱波で停電だ。今週末はハイツで街角パーティーだ」と喋った。
目を覚ましたウスナヴィは同居している母親代わりのアブエラ・クラウディアに挨拶し、経営している食料品店へ向かった。出身地であるドミニカには、両親が死んでから帰れていない。店の冷蔵庫は壊れ、ミルクが全て使えなくなった。周りの店は買収され、家賃も高騰しているが、ウスナヴィは何とか商売を続けている。常連客のケヴィン・ロザリオはタクシー会社を経営しており、娘は大学生で学費が高い。美容室トリオのダニエラ&カーラ&クカも、店の常連だ。
ソニーはウスナヴィの従弟で、店を手伝っている。ベニーはタクシー会社の配車係で、売り上げはトップだ。ウスナヴィはベニーとソニーから、ヴァネッサをデートに誘うよう促される。ヴァネッサは頭金と家賃を用意し、ダウンタウンへ引っ越そうとしている。停電3日前、気温28度。法律事務所を営むアレハンドロは故郷のドミニカから戻り、ウスナヴィにハリケーンで潰れた両親のバーの写真を見せた。格安の即売物件だと言われたウスナヴィは、父の店だった「エル・スエニート」を再建する決心を固めた。
ロザリオの娘であるニーナは、街を出てスタンフォード大学に進学していた。1年ぶりに戻った彼女はタクシー会社に顔を出し、ベニーに声を掛けた。ベニーはニーナに惚れており、笑顔で言葉を交わした。子供のいないアブエラは、ニーナにとっても母親代わりだ。ニーナが「大学では一人ぼっち、毎日が虚しい」と漏らすと、「彼女は些細なことでいいから、私たちの尊厳を示すの」と告げた。ニーナは退学したが、街の人々から誇りだと思われているので打ち明けることが出来ずにいた。
ニーナはロザリオと会い、「学費の支払い猶予の期限が過ぎてる」と嘘をついた。ロザリオは彼女の学費を捻出するため、今までに事務所の半分を売却していた。ニーナは「これ以上はやめて」と言うが、ロザリオは「大学と話す。金の心配は俺がする」と述べた。ウスナヴィはドミニカで父のバーを再建する考えをアブエラに明かし、ソニーも含めた3人で帰ろうと持ち掛けた。彼はアブエラに、「生活に追われ、もうすぐ30歳だ」と漏らした。
ウスナヴィから話を聞いたソニーは、まるで乗り気な態度を示さなかった。ウスナヴィと違って赤ん坊の頃にニューヨークへ来たソニーはドミニカの思い出も無く、「俺の居場所はここだ。1人で帰ってくれ」と告げた。ロザリオは大学に電話を掛け、学費の納入期限が過ぎていないことを知った。停電2日前、気温31度。ダニエラの美容室を訪れたニーナは、退学したことを明かした。ファッションデザイナーになる夢を持つヴァネッサはダウンタウンで不動産屋と会うが、「両親のサインと家賃の40倍の年収証明書が無いと契約は出来ない」と通告された。不動産屋はヴァネッサを放置し、白人夫婦に物件を紹介した。
ウスナヴィはニーナが店に来ても、デートに誘うことが出来なかった。見かねたソニーはニーナに話し掛け、ウスナヴィがデートを望んでいると吹き込んだ。ニーナはウスナヴィに、週末のパーティーでクラブへ行こうと持ち掛けた。ウスナヴィたちは泳ぎに行こうとするが、店に電話が掛かって来たのでソニーが応対した。彼はウスナヴィを追い、「昨日、宝くじの当たりを売った。店の取り分を分けてくれ」と話した。ウスナヴィは「取り分は無い」と伝え、皆で9万6千ドルが当たった場合の使い道について語り合った。結局、宝くじの当選者は名乗り出なかった。
停電1日前、気温34度。ベニーはニーナから「私が中退して幸せ?」と質問され、「最高だ。ニューヨーク大学にもコロンビア大学にも行けたのに、一番遠い大学へ」と答えた。「私を振った」とニーナが指摘すると、彼は「君のためだ。この話は何度もした」と述べた。ウスナヴィはソニーの父であるガポを訪ね、ソニーを連れてドミニカに帰る許可を求めた。ガポは「あいつは俺の言葉なんか聞かない」と言い、ウスナヴィが「賛成か」と質問すると「どうかな」と明確な返答を避けた。「帰郷は人生のチャンスだ。頼むよ」とウスナヴィが告げると、彼は「あいつの給料は現金だ。なぜか分かるか。不法移民だからだ」と述べた。
停電当日、気温37度。ウスナヴィやヴァネッサたちはアブエラの家で集まり、一緒に夕食を取った。ロザリオは皆の前で、「パイクに店を売った」と発表した。「ニーナは大学を続けられる」と彼が言うと、ニーナは「学費のことだけじゃない」と反発する。ロザリオが「差別のことだろ。昔と同じだ」と語ると、ニーナは「同じじゃない。パパたちの頃はラテン社会が温かく迎え入れてくれた。でも私は独りよ」と述べた。彼女はルームメイトのネックレスが無くなり、窃盗を疑われた出来事について詳しく説明した。彼女は「大学には戻らない」と宣言し、その場を去った。
ウスナヴィはヴァネッサとクラブへ行き、ベニーとニーナに会った。ヴァネッサが男性客から踊りに誘われると、ウスナヴィは「良ければ踊ったら」と勧めた。ヴァネッサが複数の男たちに誘われて次々に踊る様子を見たウスナヴィは、隣にいた女性に声を掛けて一緒に踊った。ヴァネッサが誘うと、彼は「まず飲みたい」とカウンターへ向かった。その直後に停電が発生し、ウスナヴィは外に出た。ヴァネッサは「私と踊らず、ほったらかし」と怒り、その場を去った。ベニーはタクシー会社に赴いて配車係の仕事をこなし、そこへロザリオも来て手伝った。帰宅したウスナヴィは、アブエラを休ませた。アブエラはウスナヴィに看取られ、穏やかに息を引き取った…。監督はジョン・M・チュウ、原作はリン=マニュエル・ミランダ&キアラ・アレグリア・ヒュデス、脚本はキアラ・アレグリア・ヒュデス&製作はリン=マニュエル・ミランダ&キアラ・アレグリア・ヒュデス&スコット・サンダース&アンソニー・ブレグマン&マーラ・ジェイコブス、製作総指揮はデヴィッド・ニックセイ&ケヴィン・マコーミック&ジル・ファーマン&ケヴィン・マッコラム&ジェフリー・セラー、共同製作はジョー・レイディー、製作協力はグレゴリー・ザク、撮影はアリス・ブルックス、美術はネルソン・コーツ、編集はマイロン・カースタイン、衣装はミッチェル・トラヴァース、振付はクリストファー・スコット、視覚効果監修はマーク・ラッセル、オリジナル・ソングはリン=マニュエル・ミランダ、伴奏音楽はリン=マニュエル・ミランダ&アレックス・ラカモア&ビル・シャーマン、音楽製作総指揮はアレックス・ラカモア&ビル・シャーマン、音楽監修はスティーブン・ギジッキ。
出演はアンソニー・ラモス、コーリー・ホーキンズ、レスリー・グレイス、ジミー・スミッツ、メリッサ・バレラ、オルガ・メレディス、ダフネ・ルービン=ヴェガ、グレゴリー・ディアス4世、ステファニー・ベアトリス、ダーシャ・ポランコ、ノア・カターラ、リン=マニュエル・ミランダ、マテオ・ゴメス、マーク・アンソニー、パトリック・ペイジ、オリヴィア・ペレス、アナリア・ゴメス、ディーン・ヴァスケス、メイソン・ヴァスケス、デライラ・ラモス、ヴァレンティーナ、クリストファー・ジャクソン、スーザン・プルファー、マリア・L・イノホサ、ライアン・ウッドル、ドリーン・モンタルヴォ、イリア・ジェシカ・カストロ他。
トニー賞で4冠を獲得し、グラミー賞では最優秀ミュージカルアルバム賞を受賞したブロードウェイの同名ミュージカルを基にした作品。
監督は『グランド・イリュージョン 見破られたトリック』『クレイジー・リッチ!』のジョン・M・チュウ。
原作舞台を手掛けたキアラ・アレグリア・ヒュデスが、映画初脚本を担当している。
ウスナヴィをアンソニー・ラモス、ベニーをコーリー・ホーキンズ、ニーナをレスリー・グレイス、ロザリオをジミー・スミッツ、ヴァネッサをメリッサ・バレラ、アブエラをオルガ・メレディス、ダニエラをダフネ・ルービン=ヴェガ、ソニーをグレゴリー・ディアス4世が演じている。最初の歌である『In the Heights』のミュージカルシーンは、観客を作品に引き込むためにも重要なポイントだ。
しかし主要キャラクターを紹介する目的が強すぎて、楽曲に身を任せて楽しむことが難しい。
あと、そこは「ウスナヴィの店の常連客」を順番に登場させる流れで分かったんじゃないのかな。
途中でソニーが入るのは、あまり上手くないな。そこは歌の前に住ませるか、歌の最後に入れるか、どっちかにしておいた方が良かったんじゃないかと。トム・フーパーが監督した2012年の『レ・ミゼラブル』は舞台版と同じく台詞の全てが歌に変換されていた。
この『イン・ザ・ハイツ』は、そこまで極端なオペラ方式ではないものの、歌の割合はかなり多くなっている(それでも舞台版からは、かなり削っているらしい)。普通に会話劇でいいんじゃないかと思うような箇所でも、すぐミュージカルシーンに突入する。
「ミュージカル映画だから、ミュージカルシーンが多いのは良いことだろう」と思うかもしれないが、そんなに単純な問題ではない。
この映画の場合、ただの「質より量」になっていると感じる。この映画では、「なぜここで歌うのか」と言いたくなるシーンが次から次に訪れる。
「気持ちが高まって歌い始める」ということではなく、何でもないような状況で、わざわざメロディーに乗せる必要も無いような些細なことを、高らかに歌い上げるのだ。そのため、高揚感に繋がらないのだ。
しかも、やたらと歌を増やした弊害として、話の中身が薄くなっているし。
ミュージカル映画だからミュージカルシーンを重視するのは当然っちゃあ当然かもしれないけど、「それだけじゃ困ります」と。「ベニーが配車係の仕事をしているとニーナが来る」というシーンなんて、普通に会話劇でいいでしょ。そこを歌にしている必要性が全く理解できない。
アブエラと話したニーナが外へ出て町を歩くシーンは、「本心を吐露する」という意味では歌にしてもいいと思う。
ただ、先に台詞で気持ちの一端を示し、そこから歌に入った方がいい。
ニーナが美容室に行くとダニエラたちが「新しいネタは無い?」と訊くシーンは、まるで中身のない歌だ。
それに、せめて最初に「新しいネタは無いか」という会話があった方がいい。続くヴァネッサの歌は、ウスナヴィによる説明のモノローグから入るのではなく、「本人のパート」としての前口上があった方がいい。
ウスナヴィがヴァネッサとデートの約束を交わした後の歌は、まるで流れに沿っていない。
そこはどう考えたって「デートの約束が出来てウスナヴィは大喜び」ってのを表現するべきだろうに、実際には「愛するドミニカ、いつか帰る」と歌うのよね。
一方、ヴァネッサも「地元の美容院じゃ多くは稼げないけど、いつか飛び立とう」と歌うので、これまたデートの約束とは無関係だし。「宝くじが当たったら何に使おう」と語り合うシーンも、わざわざ大掛かりなミュージカルシーンにする必要があるのかと。
プールに大勢のダンサーを集めたバスビー・バークレー風の集団ダンスは華やかで見栄えがするけど、歌の内容は「ホントにどうでもいいな」と。
いや、歌の中身がどうでも良くても、そこへの入り方が上手ければ気にならないんだろうけど、「厳しい現実を生きている人々が、大きな夢を膨らませる」という「現実逃避」としてのミュージカルシーンに上手く引っ張り込めていないんだよね。ピラグア(プエルトリコのかき氷)売りの男が急に歌い出すのも、まるで要らないよ。こんな奴、それまでの展開においても、それ以降の展開においても、まるで物語に絡んで来ないんだし。
この男を演じているのが原作者のリン=マニュエル・ミランダなので、「なんだかなあ」と言いたくなっちゃうし。
複数のキャラが歌を繋げて行く中に混じっているわけじゃなくて、完全に「リン=マニュエル・ミランダの歌唱パート」として用意されているんだよね。
ひょっとすると、「特別ゲストのショータイム」という感じなのかな。クラブで踊るシーンがミュージカルになるのは、スムーズな流れと言えるだろう。だが、踊り出す前に描かれる、会話の台詞をメロディーに乗せる必要は無い。むしろ、そこは普通の会話劇にしておいて、踊るシーンのミュージカル演出と切り分けた方がいい。
停電が発生した途端に登場人物が歌い出すのも、「その入り方は本当に正解なのか」と言いたくなる。店から出て来る時に、「ウスナヴィはどこ?」とか「ニーナはどこだ?」という台詞まで歌にしているのも「普通に喋れよ」と言いたくなる。ウスナヴィとヴァネッサの口論も歌にしているけど、ここも普通の口論の方がいいし。
本来ならミュージカルシーンってのは、「感情の高揚」や「本心の吐露」ってのが伝わるモノだと思うんだよね。
だけど、ミュージカルシーンの中に会話を混ぜ込んでメロディーに乗せることによって、逆に登場人物の気持ちを観客に伝える力が弱まっていると感じるのよ。「移民の問題」をテーマにしている作品だが、移民の辛さや苦しみが充分に表現されているとは言い難い。
まず、停電は移民じゃなくても見舞われる出来事だ。
「家賃が高騰し、住民が次々に街から出て行く」ってのも、移民だからこその苦境とは言えない。
ダウンタウンで家を借りるのが難しいとか、紛失事件で泥棒扱いされるとか、そういった人種差別に関わる出来事に幾つかは触れている。
だけど、肝心なウスナヴィ関連のストーリーって、「移民の悲哀」とか「移民の迫害」からは遠いよね。ウスナヴィがドミニカへ帰りたがるのは、「移民にとってニューヨークでの生活は厳しいから」ってことではない。
ヴァネッサとの恋愛も、「移民であるがゆえの壁や障害」にぶつかることは無い。
あと、単に「移民」ってことじゃなくて「ラテン系移民」ってのは重要なポイントのはずだが、そこの意味合いもあまり感じないのよね。
「ミュージカルシーンでラテン系の音楽を使う」というトコでの意味を感じるだけで、物語における重要性は薄いかなと。ウスナヴィは本当はニューヨークに残りたいけど、苦渋の選択で帰郷を決断したってわけではない。
なので、最終的に「やっぱり、ここが自分の居場所だ」と感じて帰郷を取り止めても、それが感動に結び付かない。
結局、ドラマが弱いせいで、最も心に刺さるミュージカルシーンは、死の間際にアブエラが見る夢のシーンになっているんだよね。
それはアブエラのドラマが強いからじゃなくて、「アブエラは老婆だから」という年齢が生み出す説得力だ。(観賞日:2024年8月29日)