『イン・ザ・カット』:2003、オーストラリア&アメリカ&イギリス

フラニーはニューヨークの大学で文学を教えている。フラニーには、街で気に入った言葉を見つけるとメモを取る習慣があった。彼女は 社交的な性格ではなく、同じアパートの住人にさえ挨拶しないほどだった。腹違いの妹ポーリーンと外出したフラニーは、教え子の黒人 コーネリアスとバー“レッド・タートル”の前で会う。コーネリアスは、フラニーと関係を持ちたがっている。
バーに入ったフラニーは、コーネリアスが得たスラングについてメモを取る。トイレに行こうとしたフラニーは、地下で女にフェラチオ させている男を目撃した。男の顔は暗くて見えなかったが、手首にはスペードの3を彫った刺青があった。相手に気付かれないように、 フラニーは慌てて立ち去った。席に戻ると、コーネリアスはどこかに消えていた。
数日後、フラニーのアパートにマロイという刑事がやって来た。先週の土曜、午前0時から2時頃の間に女性が殺され、遺体の一部が アパートの近くで発見されたという。その時、電話が鳴り、ジョン・グレアムという男が留守電にメッセージを吹き込んだ。ジョンは過去 にフラニーが2度の性的関係を持った相手で、ストーカーとなって彼女に付きまとっていた。フラニーは、マロイの手首にスペードの3の 刺青を見つけた。彼女は「何も知らない」と答え、マロイに帰ってもらった。
翌日、フラニーが外出すると、マロイが声を掛けてきた。彼は相棒のロドリゲス刑事と一緒だった。マロイたちはバーテンダーへの聞き込み で、フラニーが店に行ったことを調べていた。フラニーは、教え子と一緒に行ったが、昼間だったと説明した。マロイたちは、被害者の アンジェラがバーで目撃されていることを話した。地下でフェラチオしていたのが、そのアンジェラだった。別れる時、マロイはフラニー をデートに誘ってきた。
フラニーはマロイたちと別れた後、ストリップ・バーの上にあるポーリーンのアパートへ行った。ポーリーンは不倫していた医者から別れを 告げられ、泣いていた。ポーリーンはフラニーに、チャームをプレゼントした。夜道を歩いていたフラニーは何者かに襲われ、財布を 奪われた。フラニーはマロイに連絡を取り、迎えに来てもらった。フラニーはマロイに、バーでの事件を詳しく尋ねた。マロイは、今回の 犯人はバーの殺人とは無関係だと告げた。フラニーとマロイは肉体関係を持った。
翌朝、フラニーはダイナーでポーリーンと会い、「マロイは嘘をついている。バーでフェラチオさせていた」と語る。そこへジョンが姿を 見せ、外で待っているとフラニーに告げた。フラニーはポーリーンと別れ、ジョンと外を歩いた。「もう会わない方がいい」とフラニーが 告げると、ジョンは癇癪を起こした。夜、フラニーはポーリーンのアパートで泊めてもらい、両親のことを話した。父は婚約者と別れ、母 を選んだ。しかし母と離婚し、合計4回の結婚をした。ポーリーンの母とは、結婚していない。
フラニーは警察署へ行き、マロイと会った。2人は車で湖畔へ出掛けた。湖に浮かぶゴミ袋を見つけ、マロイはピストルで撃った。彼に 勧められ、フラニーも銃を握った。マロイはフラニーに、別れた妻との間に出来た子供たちに会うため、フロリダへ行くことを告げた。 フラニーが帰宅すると、ジョンが勝手に上がり込んでいた。ポーリーンをデートに誘うために来たのだと、彼は行った。外へ連れ出すと、 また彼は癇癪を起こした。フラニーがポーリーンの部屋に行くと、そこには妹の惨殺死体があった…。

監督はジェーン・カンピオン、原作はスザンナ・ムーア、脚本はジェーン・カンピオン&スザンナ・ムーア、製作はローリー・パーカー& ニコール・キッドマン、製作協力はレイ・アンジェリク、製作総指揮はフランソワ・イヴェルネル&エフィー・T・ブラウン、撮影は ディオン・ビーブ、編集はアレクサンドル・デ・フランチェスキ、美術はデヴィッド・ブリスビン、衣装はベアトリクス・アルナ・ パスツォール、音楽はヒルマル・オルン・ヒルマルソン、音楽監修はローリー・パーカー。
出演はメグ・ライアン、マーク・ラファロ、ジェニファー・ジェイソン・リー、ニック・ダミチ、シャーリーフ・パグ、 アーサー・ナスカレラ、ジェームズ・フィロ、パトリック・オニール、マイケル・ヌッシオ、アリソン・ネガ、サンライズ・コイグニー、 ヘザー・リッティーア、ドモニク・アリーズ、ミシェル・ハースト、ハル・シャーマン他。


スザンナ・ムーアの小説『スペードの誘惑』(映画公開に合わせて『イン・ザ・カット』の題名で再出版された)を基にした作品。
フラニーをメグ・ライアン、マロイをマーク・ラファロ、ポーリーンをジェニファー・ジェイソン・リー、ロドリゲスをニック・ダミチ、 コーネリアスをシャーリーフ・パグが演じている。
アンクレジットだが、ジョン役でケヴィン・ベーコンが出演している。

かつてロマコメの女王だったメグ・ライアンだが、この映画においては、その頃に発揮していた魅力は全く感じられない。
そもそもジェーン・カンピオン監督には、ヒロインを美しく撮ろう、魅力的に見せようという意識が無い。それはキャラクター設定との 関連もあるんだが、野暮ったくて冴えない女性として見せている。性欲の解放と共に、美しく魅力的になっていくわけでもない。
メグ・ライアンは今まで避けていた(もしくはオファーが無かった)エロティックな芝居に挑戦しているのだが、そこも艶っぽさは無く、 下品で生々しいものになっている。完全に脱ぎ損だ。
普段から良く脱いでいる人、シリアスな作品への出演が多かった人であれば、そんなにダメージは大きくなかったかもしれない。
しかし、ロマコメの女王というイメージからの脱却を目指すチャレンジとしては、大失敗に終わったと言える。

メグ・ライアンは必死にイメチェンを図っていたようだが、それは大きな間違いだ。
もちろん、コメディー俳優が他ジャンルに進出し、成功を収めるというケースはある。
しかしメグ・ライアンは、シリアスの世界では輝けない不器用な人なのだ。
それは決して恥じるべきことではない。例えばゴールディ・ホーンだって、コメディーでしか輝けない女優だ。メグ・ライアンも喜劇映画 の世界で生き続ければいい。年老いてロマコメの主演は厳しくなってきたのなら、脇で光る女優になればいい。

サスペンスとしては凡庸で退屈だ。フーダニットとしてのストーリーテリング、ドラマ演出は冴えない。っていうか、ほぼ見当たらない。 犯人が割れても衝撃は無いし、「そこへの伏線が何も無かったなあ」と思うだけ。
ポーリーンやジョン、コーネリアスといった面々は、何のために出て来たのか良く分からない。ジョンとコーネリアスは犯人候補として 登場させているのかもしれんが、全く疑いを持つ気にならんぞ。っていうか、フーダニットへの意識は全く沸いて来ない。
マロイを「犯人かも」と怪しませるためのミスリードも弱い。「犯人かもしれないが惹かれてしまう」という、フラニーの微妙な心の揺れ も、あまり伝わらない。
っていうか、そもそも彼に惚れている心情からして良く分からない。フラニーは非社交的で、恋愛に臆病なキャラ設定のはず。そんな女が 、出会ったばかりのマロイに誘われて、なんで簡単にセックスしているのかワケが分からん。
ひょっとして、恋愛には消極的だけどセックスには積極的だというキャラ設定なのか。

何の前触れも無く、唐突に「貴方が犯人なの?」とフラニーがマロイに尋ねるシーンを持って来る辺りからしても、マトモにサスペンスを やる気があるとは思えない。
両親の回想が何度か入るが、それも何の意味があるんだか分からん。
サスペンスとしては無意味だし、フラニーの心情ドラマにおいても、効果を発揮しているとは言い難い。
フラニーが言葉を集めているという設定も、それが犯人解明への手掛かりになったりするのかとも思ったんだが、全くストーリーに 関わってこない。

サスペンスに主眼は無くて、けだるい雰囲気の中でフラニーの内面を描こうとしているのだろう。
性欲を解放すること、男に身を委ねること、心の抑制を失うことへの畏怖と願望、それが入り混じった複雑な感情を描こうとしているの だろう。
『ピアノ・レッスン』のジェーン・カンピオンが娯楽映画に挑んだと見せ掛けて、やっぱり文芸の人だったということなんだろう。
でも、高尚な文芸映画にも成り切れていないんだよな(高尚だったら面白いというわけではないが)。
下品でグロテスクだし、娯楽サスペンスとしてのテンポも悪い。
どう受け止めるにしても、中途半端な仕上がり。
メグ・ライアンもそうだが、ジェーン・カンピオンも他ジャンルへの挑戦を諦めて、自分の得意ジャンルで行くべき人なんだろうな。

当初はニコール・キッドマンがフラニーを演じる予定だったが、メグ・ライアンが同役を熱望したため、ニコールは彼女に主演を譲って 製作に回っている。
もちろんメグ・ライアンがミスキャストなのは明白だが、仮にニコール・キッドマンが主演を務めていたとしても、やはりダメな映画に なっていたと思う。
主演を回避したニコールは、結果的には賢明だったってことか。

(観賞日:2008年10月15日)

 

*ポンコツ映画愛護協会