『アイ・ソー・ザ・ライト』:2015、アメリカ

1944年12月15日、アラバマ州アンダルシア。カントリー歌手のハンク・ウィリアムズは恋人のオードリーと結婚するため、治安判事の元を訪れた。判事はオードリーと前夫の離婚が10日前に確定したことを示し判決書を確認し、ハンクとの結婚を承認した。ハンクはバンドを率いて酒場のステージに立ち、ギターを弾きながら歌った。売れない歌手のハンクだが、酒場では客を満足させた。店の隅では、ハンクの母でマネージャーのリリーとオードリーが稼ぎを巡って険悪な雰囲気になっていた。
ハンクはオードリーをステージに呼び、一緒に歌った。オードリーは客の1人に歌を酷評されると、座るよう要求して怒鳴り付けた。客が文句を言うと、ハンクは嫌味を浴びせる。客に殴り掛かられたハンクは反撃するが、背中の痛みに苦悶した。翌日、リリーは次の仕事先であるラジオ局に向かう車を運転しながらハンクに愚痴をこぼし、自分が音楽活動を支えて来たのにオードリーは女王様気取りだと苛立ちを見せた。ハンクは辟易した様子で、「俺が酔い潰れたら、金を奪ってやろうって互いに必死になるんだろ」と告げた。
泥酔状態でラジオ局に着いたハンクは女性社員のローラを口説き、先に来ていたバンドのメンバーと合流した。プロデューサーのハワード・ピルは遅刻した上に酒臭いハンクに腹を立て、「必ずクビにしてやるからな」と言い放った。ハンクは全く悪びれず、番組収録を始めると「これで番組は最後になる」とリスナーに告げた。ハンクはオードリーから、「ラジオで一緒に歌えるって約束したのに口だけだった」と文句を言われた。
ハンクが家のポーチで作詞していると近所に住むエリーが来て、「私にも詩を書いて」と言う。ハンクが「だったら、もう少し君のことを知らなきゃ」と口説こうとすると、リリーが来てエリーを立ち去らせる。そこへオードリーが現れ、「ピルから電話があった。契約があるから戻って来いって」とハンクに伝える。リリーも戻るよう促すが、ハンクは「あと2回でピルとは終わりだ。明後日はナッシュビルでラジオの面接だ。『グランド・オール・オプリ』だ」と話した。その面接はチャーリー・ホルトの紹介で、オードリーは自分の口利きだと得意げに語った。
2日後、ナッシュビルのラジオ局へ赴いたハンクはアナウンサーのジャド・コリンズと会い、「貴方を頼ればオプリに出られるって」と告げる。彼はオーディションを通さず出演することを望んでいたが、「オーディションでプロデューサーに気に入ららればいい。オプリに近道は無いよ」と告げられた。コリンズはハンクに、フレッド・ローズと繋がりを持つよう助言した。ハンクはフレッドの事務所を訪ね、自分やバンドのメンバーが作った曲を歌う。オードリーも電話で積極的に売り込み、フレッドはソングライターとしてハンクと著作権契約を交わした。
1947年4月21日、ハンクのバンドはナッシュビルでレコーディングした。彼は新聞に掲載された自分の記事をオードリーに見せ、レコードが9万枚を売り上げることに触れた。オードリーがピルから電話があったことを教えると、ハンクは「もう二度とゴメンだ」と疎ましそうな表情を浮かべた。しかし再びピルの番組に出演し、オードリーを呼んで歌わせた。ピルはハンクたちに気付かれないよう、オードリーの音声を下げた。
ピルとバンドのメンバーは、オードリーを外すようハンクに要求した。ピルが「あの歌は酷すぎる」と告げると、ハンクは「そうかもな。だが、アンタがコケにしてるのは俺の女房だ」と声を荒らげた。その会話を聞いていたオードリーが怒ると、ハンクは「誤解だ。俺は君を庇ったんだ」と主張する。しかしオードリーは「みんな私の歌を褒めてくれる。でも貴方は扱き下ろした」と言い、ハンクが「マイクの前に立たせて、ずっと近くで見守っていたんだぞ」と反論すると「嫌そうな顔でね。これ以上、貴方と一緒にいて嫌な思いはしたくない」と怒鳴る。ハンクが腹を立てると、彼女は「貴方は私の夢を潰した。弁護士から電話があるまで待ってなさい」と立ち去った。
1948年、フロリダ州ペンサコーラで入院していたハンクは退院し、離婚を請求しているオードリーから届いた書類に目を通す。オードリーはハンクについて、「酒浸りで暴力を振るい、散財も激しかった」と主張していた。しかし実際に金遣いが荒かったのはオードリーであり、ツケで大量の家具を購入していた。ハンクは支払いを請求され、危うく家を差し押さえられるところだった。彼はフレッドに電話を掛け、昔からの夢であるオプリに出たいと訴える。フレッドは「関係者と交渉を続けているが、音楽がいいだけではダメだ。信用も勝ち取る必要がある」と諭し、KWKHの番組『ルイジアナ・ヘイライド』に出演できるようセッティングしたことを伝えた。
ハンクは連れ子のリクレシアと暮らすオードリーの元へ行き、番組に出演してほしいと頼む。さらに彼は、復縁も持ち掛ける。オードリーは「酒を断って私を大事にしてくれる?一緒に歌っても文句を言わない?」と言い、承諾したハンクとヨリを戻した。2人は同居を再開し、しばらくするとオードリーは妊娠した。それを知らされたハンクは、父親になれるのだと喜んだ。彼はフレッドから、シンシナティーのセッションに行って向こうのバンドと演奏するよう指示された。
1948年、11月22日。ハンクはシンシナティーでジェリー・バードのバンドと会い、他人の曲を演奏する。彼は自分の曲も歌わせてほしいと要求するが、バンドは賛同しなかった。フレッドも難色を示すがハンクが説得し、ハンクは自分の曲を演奏した。するとレコード売り上げで1位を記録し、これでオプリに出演できるとハンクは確信した。オードリーは男児を出産し、ハンクは喜んだ。彼はオプリへの出演が決まったことを話し、オードリーは赤ん坊の世話で同行できないことを残念がった。
1949年6月11日。緊張しながらオプリの出番を待っていたハンクは、フレッドから番組マネージャーのジム・デニーを紹介される。ハンクはステージで歌い、観客の喝采を浴びた。彼はオプリの若きスターとなり、ニュース映画でも動向が取り上げられるようになった。ハンクとオードリーは、ナッシュビルの新居に引っ越した。盛大なホームパーティーを開いた彼は酔っ払い、ガレージのシャッターを何度も開閉させて喜んだ。
ハンクはMGMレコードと契約し、社長のフランク・ウォーカーはオードリーの作品をデッカ・レコードに売却した。ハンクとオードリーの関係は、また悪化していた。オードリーはオクラホマで巡業中のハンクが宿泊するホテルに電話を掛けるが、シャワー中なので出なかった。するとオードリーは交換手に、「貴方に大事な話がある。この卑怯者」と伝えるよう頼んだ。1950年9月16日。テキサスのコンサートに参加したハンクは悪酔いしており、ステージで歌わずに「夫婦がプライドを押し通して離婚し、娘を犠牲にした」という話をした。
ツアーから戻ったハンクは入院中のオードリーを訪ねるが、「いつも他の町にいて、フラリと戻ってきて私と寝る。貴方は何も分かってない。貴方のせいでこうなったのよ」と罵られる。「何の話だ?」とハンクが言うと、彼女は「いつも家にいない。もう父親とは呼べない。貴方に二役は無理だったのよ」と言う。ハンクは「勝手に決めないでくれ」と反論するが、「もう遅いわ」と告げられた。
1951年7月15日。ハンクの故郷であるアラバマ州モンゴメリーで凱旋公演が開かれ、オードリーやリリーも参加する。ハンクはバンドを従えて歌い、観客の喝采を浴びた。1951年10月14日、ニューヨーク。ハンクはCBSの『ペリー・コモ・ショー』に出演した後、仕事なので渋々ながらジェームズ・ドーランという記者のインタビューを受ける。ファンに何を与えているのか質問されると、彼は「誰もが心に闇を抱えている。俺の歌で闇を見せる」と答えた。ドーランが女性関係やアルコール依存について質問すると、ハンクは「これ以上、話す気は無い」と不機嫌になって去った。
ハンクは狩りに出掛けた先で背中が痛み、倒れて動けなくなった。入院した彼は、医師から脊髄が潜在的に閉じていないと説明を受けた。医師は彼に、慢性的な症状で完治せず、手術して痛みを和らげるしか対処法は無いと告げた。手術を受けたハンクは退院して自宅療養し、夜遊びして帰宅したオードリーに嫌味を浴びせる。これまでの浮気三昧を責められると、「俺を都合良く利用してるんだろ。ウィリアムズ夫人の座にしがみ付いて」と彼は罵る。するとオードリーは、「そんな座なんてどうでもいいわ。返してあげる」と告げた。
デニーから巡業の予定を聞かされたハンクは、今は無理だと言う。しかしデニーが「君が出ないと立場が悪くなる」と言い、オプリに残りたければ謝罪を録音しろと告げるので従った。オードリーが友人を連れて帰宅すると、ハンクは酔っ払って拳銃で瓶を撃っていた。非難を浴びた彼がソファーを撃つと、オードリーは腹を立てて「貴方とは一緒に暮らせない」と最後通牒を突き付けた…。

脚本&監督はマーク・エイブラハム、原作はコリン・エスコット&ジョージ・メリット&ウィリアム・マキュウェン、製作はマーク・エイブラハム&G・マーク・ロズウェル&ブレット・ラトナー&アーロン・L・ギルバート、製作総指揮はパティー・ロング&ジェームズ・パッカー&ジョン・レイモンズ&デヴィッド・ジェンドロン&マイケル・ハンセン&ジェイソン・クロース&アンディー・ポラック&ゲイリー・スレイト&アラン・シンプソン、共同製作総指揮はマーゴット・ハンド&ブレンダ・ギルバート、製作協力はエリック・ギーデルマン&アナスタシア・ブラウン&デニス・チャミアン&アラン・J・スティット、撮影はダンテ・スピノッティー、美術はメリデス・ボスウェル、編集はアラン・ハイム、衣装はラーリー・プーア=エリクソン、音楽はアーロン・ジグマン、音楽製作総指揮はロドニー・クロウェル、音楽監修はカーター・リトル。
出演はトム・ヒドルストン、エリザベス・オルセン、チェリー・ジョーンズ、ブラッドリー・ウィットフォード、マディー・ハッソン、レン・シュミット、デヴィッド・クラムホルツ、ジョシュ・ペイス、ウェズリー・ロバート・ラングロイス、ジョシュア・ブレイディー、ケイシー・ボンド、マイケル・リン、ウィル・ベインブリンク、スティーヴン・トッド・バーネット、リチャード・ジャクソン、タビー・フェイス、ダニエル・ブリスコー・デイヴィス、アシュリー・ベッケル、ジョシュア・グレアム、ブリタニー・バーロウ、ダグラス・M・グリフィン他。


伝説的カントリー歌手のハンク・ウィリアムズを描いた伝記映画。
脚本&監督は『幸せのきずな』のマーク・エイブラハム。
ハンクを演じたトム・ヒドルストンは、歌唱シーンも吹き替え無しで担当している。
オードリーをエリザベス・オルセン、リリーをチェリー・ジョーンズ、フレッドをブラッドリー・ウィットフォード、ビリー・ジーン・ジョーンズをマディー・ハッソン、ボビー・ジェットをレン・シュミットが演じている。

ハンクはオードリーと挙式し、ステージに上げて一緒に歌い、客が文句を言うと腹を立てる。なので「オードリーを熱烈に愛している」という状態なのかと思ったら、リリーに「俺が酔い潰れたら、金を奪ってやろうって互いに必死になるんだろ」と告げる。
ここでリリーだけじゃなく、オードリーに対しても「自分から金を奪い取ろうとしている」と表現するのだ。そして自宅で食事を取るシーンでも、ちっとも仲睦まじい様子は見せていない。
実は挙式から随分と時間が経っていて、その間に仲が悪くなったったことなのか。
でも時間経過が全く分からないから、2人の関係が早い段階で悪くなっているのは「どういうこと?」と困惑させられる。

で、そうかと思えば、その後にはオードリーとラブラブな様子も見せるし、どうなってるのか。
オードリーが急に激怒してハンクを責めるシーンも出て来るけど、ずっと険悪が続いていたわけじゃなくて、途中でラブラブに戻るシーンを挟んでいるせいで、そういう感情を貯め込んでいたことも全く伝わらなかったし。
あと、オードリーの自己主張の強さも、金より何より自分が前に出たいと思っているのも、充分に表現できているとは言い難いし。

冒頭、フレッド・ローズのインタビュー映像が映し出される。実際のインタビューっぽく見せているが、フレッド役のブラッドリー・ウィットフォードが演じた映像だ。ハンクがコリンズから助言を受けたタイミングでも、同じようなインタビュー映像が挿入される。
他に、フランク・ウォーカーのインタビュー映像が挿入されるシーンもあるが、こちらも本物ではない。
そういう形でインタビュー映像を挟み、経緯を説明させる演出は、まるで効果的ではない。
それどころか、フレッドとの出会いのシーンを描かずに済ませるマイナスの方が遥かに大きい。
フレッドとの関係は、ハンクの歌手人生において大きな意味を持つはずでしょうに。

序盤、ハンクは『グランド・オール・オプリ』のオーディションに行く。
実は『グランド・オール・オプリ』は、カントリー歌手にとって憧れの場所だ。だが、そのシーンでは、そういうことが全く伝わらない。
後で「オプリに出たいんだ、昔から夢見てた」とフレッドに頼むシーンがあるが、それぐらい強い思いがあったにしては、それが以前のシーンでは全く伝わらなかったぞ。
それと、そこでオーディションを受けずに去る理由も分からない。どうしても出たければ、チャンスを掴むためにオーディションを受ければいいんじゃないのか。

新聞にハンクの記事が掲載され、9万枚を売り上げたことが描かれるシーンがある。
ずっと地方の売れない歌手だったハンクにしてみれば、ものすごく大きなトピックのはずでしょ。でも、台詞で軽く触れるだけなので、それが全く伝わって来ない。
「レコードがヒットした」ってのが全く伝わらない形でスルーしているのは、どう考えてもダメでしょ。
そこに限らず、歌がヒットして裕福になるとか、ファンに囲まれるとか、そういう描写が全く無いので、「順調にスターへの階段を登っていく」という流れが全く伝わらないのだ。

フロリダのペンサコーラのシーンでハンクは入院中なのだが、それは無駄に分かりにくい。
で、退院したハンクはオードリーに復縁を持ち掛けるが、「なぜ?」と言いたくなる。激しくオードリーを罵った上、金遣いも荒いのに、どういう心境なのかと。
そこでオードリーが復縁を承諾するのも「なんでだよ」と言いたくなるし。
いや、「まだ愛してるから」ってことなんだろうけどさ、復縁に納得できるようなキャラ描写やドラマは無かったからね。その場その場で用意されている段取りを、事務的に処理しているだけだからね。

リクレシアの存在意義はゼロだし、ハンクと彼女の関係描写も皆無。ジュニアが産まれることで、そこの関係に変化が生じるような描写も無い。
ハンクが他のバンドと演奏することを仲間に話すシーンがあるが、そのせいでレギュラーバンドとの関係がギクシャクするようなことは無い。
オードリーがオクラホマのホテルに電話を掛け、交換手に「貴方に大事な話がある。この卑怯者」と伝えるよう頼むシーンがあるが、怒っている理由が良く分からない。
ハンクがテキサスのコンサートで悪酔いしている理由も分かりにくい。オードリーと険悪になっているのかと思ったら、ツアーから戻るまで彼女の心情に全く気付いていないし。

モンゴメリーの凱旋公演では、ハンクが呼ばれてからステージに出て来るまでに、少し時間が掛かっている。
家族全員が揃っている状況だし、何かあるのかと思ったら、ただ歌って喝采を浴びるだけで終わる。
だったら、そんなシーンはカットしてもいいでしょ。何のドラマも無いんだから。
ただ「故郷に錦を飾りました」ってのを示すだけなんだから。
このように、「そこに意味はあるのか」と感じるシーンが幾つもあるんだよね。

ハンクは登場した時から酒に溺れていて素行が悪いし、結婚しているのに女性を口説く。
ただ、多くの女性と深い関係になっている様子は全く描写されないまま話が進むので、オードリーが浮気三昧を批判しても説得力に欠ける。
そんで終盤に入るとハッキリとした形で女にルーズな部分が描かれるが、「そういうのは序盤から描いておけよ」と言いたくなる。
終盤に出て来るのはビリー・ジーン・ジョーンズとボビー・ジェットだから、そこをハッキリ描くのは分かるよ。
でも構成としては、そこに至るまでの浮気三昧を曖昧模糊とさせているのは何のメリットも無いでしょ。

伝記映画を取り上げた時には何度も書いているような気がするが、「焦点を絞り切れず、何でもかんでも詰め込もうとする」ってのが良く陥りがちな失敗だ。
そして残念ながら、そういう失敗をやらかす伝記映画は後を絶たない。人生の年表を表面だけなぞって、最初から最後まで浅薄な印象に終始する伝記映画が世界中で山のように生み出されているのだ。
ここまで書けば分かるだろうが、この映画も同様の失敗をやらかしている。
その上、何から何までボンヤリしているので、ハンクが心臓発作で急死しても全く同情心が湧かない。「そうですか」と、淡々と受け流すだけだ。

(観賞日:2022年12月23日)

 

*ポンコツ映画愛護協会