『アダム -神の使い 悪魔の子-』:2004、アメリカ&カナダ

中学で生物教師をしているポール・ダンカンと写真家のジェシーには、アダムという息子がいた。アダムが8歳を迎え、誕生パーティーには夫妻の友人であるダン・サンドラーと妻のクララ、そして大勢の子供たちが集まった。プレゼントを買ったポールは急いで帰宅しようとする途中、2人組の暴漢に襲われて金を要求された。その内の1人は、ポールの元教え子のモーリスだった。相手がポールだと気付いたモーリスは謝罪し、金を奪わずに立ち去った。帰宅したポールは襲われたことを誰にも話さず、買って来た赤いジャンパーをアダムにプレゼントした。
ポールは別の学校から誘いを受けていたが、受けるかどうか迷っていた。給料は倍になるが、引っ越す必要があるからだ。ジェシーは彼に「大都市は子育てには向かないわ。アダムのためよ」と告げ、その話を受けるよう説得した。翌日、ジェシーはアダムを連れて、彼のスニーカーを買いに出掛けた。しかし店先でアダムが交通事故に巻き込まれ、あの世へ旅立ってしまった。何も知らずに帰宅したポールは、ジェシーからの電話で事実を知った。
葬儀の手配で教会を訪れた帰り、夫婦の前にジェシーの大学時代の恩師であるウェルズ博士が現れた。ウェルズは新聞記事でアダムの死を知り、苦しみから救いたくて来たのだと話す。産婦人科のクリニックを開いているウェルズは、クローン技術を開発していることを明かす。そして彼は夫妻に、アダムのクローンを作らないかと持ち掛けた。「倫理に反した違法行為だ」とポールは激怒するが、ウェルズは「しかし命から命を作り出す行為です」と言う。
「クローン人間誕生に成功したことはあるのか」とポールが訊くと、ウェルズは「まだですが、それは候補者がいなかったからです。自信はあります」と告げる。「私にもリスクはある。クリニックは500キロ離れているので引っ越してもらう必要がありますし、アダムを知る人物とは縁を切ってもらわないといけない。仕事は地元の高校に勤務できるように手配します」と彼は語るが、ポールは相手にしなかった。彼が立ち去ろうとすると、ウェルズはジェシーに電話番号を書いたメモを渡した。
帰宅したポールは、クローンの話を受けようとするジェシーに「それはアダムじゃない。コピーに過ぎない」と告げる。しかしジェシーは「それでもいい。同じ顔で笑ってくれたら」と口にした。ポールが「また子供を作ろう」と言うと、彼女は「アダムじゃなきゃダメなの」と声を荒らげた。
ポールは友人のサミールから電話を受け、ウェルズのことを尋ねた。サミールはウェルズについて、遺伝子の分野で優れた業績を上げた天才的人物だが、研究成果を企業に売却して忽然と姿を消したと話す。ウェルズが所長を務めるゴッドセンド医療研究所についてネットで調べたポールは、彼と連絡を取った。ウェルズはジェシーの核を取り除いた卵子に、幹細胞の核を移す処置を行った。ウェルズは夫婦のために、研究所があるリバートンの町に広い一軒家を用意していた。
ポールとジェシーはリバートンに移り住み、新しい生活を始めた。やがてジェシーは無事に出産し、アダムの瓜二つの男児が誕生した。夫婦は男児にアダムと名付け、育て始める。時が過ぎ、アダムは8歳の誕生日を迎えた。誕生パーティーには大勢の子供たちが集まり、ウェルズもやって来た。ウェルズは夫婦と親しく付き合っており、アダムも彼に懐いている。ポールは幸せを感じながらも、「もしアダムが自分はクローンだと知ったら?」という不安が拭い切れずにいた。
誕生パーティーの夜、アダムの叫び声を聞いたポールが2階へ行くと、彼は寝室を出て窓際に立っていた。アダムは窓に映る別人を見て怯え、「お前は誰だ、あっちへ行け」と暴れた。アダムが小学校にいる幻覚を見ていることを知らないまま、ポールは彼を抱き締めて落ち着かせようとする。アダムが意識を失ったため、夫婦は研究所へ運んだ。5時間が経過しても意識が戻らず、ポールは大病院へ移したいとウェルズに求める。しかしウェルズは「約束を忘れたのか。転院は困る。顔色はいいし、眠ってるだけだ」と述べた。
ウェルズは「話を聞いた限りでは、夜間恐怖症だ。眠っている子供が歩き回ったり叫んだりするが目を覚まさない、睡眠障害の一種だ」と話すが、ポールは「そういうのとは全く違う」と同意しない。ウェルズが「前にも話したことがあるはずだ、アダムが死んだ年齢を超えると変化が起きると。8歳になって変化が始まったんだろう」と言うと、「あんな風になるとは聞いてないぞ」とポールは抗議する。「前例が無いのだから、予測は不可能だ。これからは未知の領域だ。病院に行けば解決できる問題ではない」とウェルズは説明した。
翌朝、アダムは意識を取り戻し、元気な様子を見せた。帰宅したアダムは、火事になっている建物の絵を描いた。それを見たポールは、庭にいるアダムを呼ぶ。アダムが森へと逃げ出したので、ポールは後を追った。ポールか山小屋に入ると、アダムは何も無い空を掴もうとした。ポールが呼び掛けると、アダムは正気に戻った。ジェシーは「心配は無い」というウェルズの言葉を信用するが、ポールは専門家に診てもらうべきだと考え、「いつまで彼に頼る気だ?感謝とは別だろ」と彼女に告げた。
ポールは研究所へ行き、ウェルズに「8歳を過ぎ、クローンの元になった細胞で、眠っていた問題が表面化した可能性は?」とウェルズに質問する。ウェルズは「そういった可能性もあるが、健康状態や行動における変化は起きて当然なんだ。アダムは普通の睡眠障害だ」と話すが、ポールは納得しない。重大な問題を見過ごしている可能性を指摘するポールに、ウェルズは「これからは我々も普通の親と同じだ。手探りになる」と述べた。
入浴していたアダムは、シャワーカーテンが勝手に外れ、浴槽から少年が飛び出す幻覚を見た。アダムはポールに「あいつがいた」と説明するが、まるで信じてもらえなかった。アダムは「僕は知ってるんだ。いずれ、すごく悪いことが起きるのを」と口にした。「お前のことはパパが守る」とポールが言うと、アダムは「僕に起きるんじゃないんだ」と告げた。小学校で自分を馬鹿にする同級生のロイたちに、彼は唾を吐き掛けた。女性教師が止めに入ると、アダムは彼にも唾を浴びせた。
ジェシーはポールに内緒で、ウェルズに相談を持ち掛けた。「ポールはアダムの細胞が前の人生を記憶しているって言うの」と彼女が話すと、ウェルズは「そんなことは有り得ない」と笑い飛ばした。ウェルズは「小さな町だから秘密が守られている」と言い、奇妙に考えに取り付かれているポールが町を出ないよう説得してほしいと頼んだ。小学校から呼び出しを受けたポールはジェシーの反発を無視し、アダムをリーバーという医師に診てもらう。アダムは「ザッカリーが僕に付きまとっている」と話すが、ポールもジェシーもザッカリーという人物に全く心当たりが無かった。
ジェシーから「ザッカリーって?」と訊かれたアダムは、「夢の中に住んでる子」と説明した。「その子がザッカリーって名乗ったのか」とポールが尋ねると、「そうじゃなくて、なぜか知ってたんだ」とアダムは答える。「顔は見たことが無いのか」という質問に、「着てるジャンパーで分かるよ。赤で、袖だけ白い」と彼は言う。それはポールが死んだアダムにプレゼントしたジャンパーと同じだった。
帰宅する車内で、アダムは「ザッカリーが僕らの家にいる」と告げた。ジェシーは「馬鹿げてるわ」と言うが、ポールは「どんな子だ?」と問い掛ける。ザッカリーが女性を殺そうとしている幻覚を見たアダムは、「死ね」と叫んだ。「やはり再生に使った細胞の記憶が残っていたんだ」とポールは言うが、ジェシーは認めようとしない。小学校で家族の絵を描くよう言われたアダムは、また火事になっている家を描いて「ザッカリー」と署名した。ウェルズはジェシーに連絡し、アダムから話を聞くために連れて来るよう求めた…。

監督はニック・ハム、脚本はマーク・ボンバック、製作はマーク・バタン&キャシー・シュルマン&ショーン・オキーフ、共同製作はスティーヴ・ミッチェル&マーク・ボンバック、製作総指揮はトッド・ワグナー&マーク・キューバン&ジョン・フェルトハイマー&マーク・キャントン&マイケル・パセオネック&マイケル・バーンズ&エリック・コペロフ、製作協力はクリス・ブリッグス、撮影はクレイマー・モーゲンソー、編集はスティーヴ・ミルコヴィッチ&ニーヴン・ハウィー、美術はダグ・クラナー、衣装はスザンヌ・マッケイブ、音楽はブライアン・タイラー。
出演はグレッグ・キニア、レベッカ・ローミン=ステイモス、ロバート・デ・ニーロ、キャメロン・ブライト、マーウィン・モンデシール、サヴァ・ドレイトン、ジェイク・シモンズ、エル・ダウンズ、エティー・インクセッター、ラウール・バネジャ、ジェニー・レヴィン、トーマス・チェンバース、モンロー・チェンバース、ジェフ・クリステンセン、デボラ・オデル、ジョーダン・シェラー、イングリッド・ヴェニンジャー、アル・バーンスタイン、トレイシー・ホイト他。


『マーサ・ミーツ・ボーイズ』『穴』のニック・ハムが監督を務めた作品。
ポールをグレッグ・キニア、ジェシーをレベッカ・ローミン=ステイモス、ウェルズをロバート・デ・ニーロ、アダムをキャメロン・ブライトが演じている。
他に、ダンをジェイク・シモンズ、クララをエル・ダウンズ、サミールをラウール・バネジャ、ロイをジョーダン・シェラー、リーバーをクリス・ブリットン、ザッカリーをデヴォン・ボスティックが演じている。

まず導入部からして、余計なことを盛り込んでいると感じる。
そこで重要なのは「幸せ一杯の夫婦がアダムを失い、一気に不幸のどん底に突き落とされる」という落差だ。つまり、交通事故が発生するまでは、「アダムがいて愛に包まれ、幸せに満ちている」ということを一点の曇りも無くアピールすべきなのだ。
それなのに、なぜかポールが暴漢に襲われ、しかも相手が教え子ということでショックを受ける様子を描いてしまう。それによって、「幸せ一杯の暮らし」に傷が入ってしまう。
その傷は、ものすごく邪魔な傷だ。
しかも、モーリスはそのシーンだけの登場なのだ。後に全く繋がらないんだから、絶対に要らないでしょ。そのシーン。

アダムの事故は、彼が先に靴屋から出て、ジェシーが支払いを済ませている間に発生している。しかも、ジェシーは店を出たアダムのことが気になったらしく、支払いの手続きを途中でストップしてまで外の様子を確認に行っている。
そうなると、ジェシーには「自分が一緒にいれば助けられたかも」とか「先に店から出ることを止めていれば事故に遭わなかったかも」という後悔や罪悪感が生じるのではないかと思うのだ。
しかし、それ以降の展開で、彼女がそういう感情を抱いている様子は全く見えない。
そうであるならば、それを感じさせる味付けは邪魔になる。「ジェシーにはどうしようもない形で起きた事故」にしておくべきだろう。

一方、そこにポールは介在しておらず、明るく帰宅してから留守電のメッセージで事故の発生を知っている。
そうなると、ジェシーに対して「君が付いていながら」と苛立ちや怒りをぶつけたり、「自分が一緒にいたら助けられたのかも」という気持ちが生じたりということになっても不思議ではない。しかし、そういった感情は抱かず、ただ哀しみに暮れるだけだ。
だったら、「夫婦でアダムを連れて外出し、その時にアダムが事故に巻き込まれて死亡する」という形の方が良かったんじゃないか。
細かいことだけど、夫婦の心理を描くドラマに使えそうな要素があるのに全く使っていないので、だったら使えそうな要素からして最初から排除しちゃった方がスッキリするんじゃないかと思ってしまったのだ。

ウェルズからクローンを作らないかと提案された途端、最初からジェシーが乗り気なのは理解し難い。
なぜなら、ジェシーは全く立ち直ることが出来ないぐらいにアダムを愛しているからだ。
この映画では「愛しているからクローンを作ろうとする」という風に話を持って行くが、そこが腑に落ちない。
アダムを愛しているなら、「アダムの代わりは誰もいない」と感じるはず。深い悲しみでマトモに脳が働かないような状態の人間が、「アダムのクローン」と言われた時点で、それを「アダムと同一人物」と理解するのは難しいんじゃないかと。
彼女はポールから「同じじゃない。コピーに過ぎない」と言われると「それでも同じ顔で笑ってくれたら」と言っているけど、そうなると今度は「アダムじゃなくても見た目が一緒ならいいのかよ」ってことになっちゃうし。

そこを上手く突破するには、むしろ「生物教師だから倫理的な問題を気にして激昂する」という態度を取らせているポールの方を上手く使った方が良かったんじゃないか。
つまり、最初にクローンの話を聞かされた時点で、ポールは激昂し、ジェシーは息子を失ったショックが大きすぎて思考回路がストップしているので乗り気ではないという形にしておく。
そして、心ここにあらずという状態が続くジェシーを見たポールが、迷いながらもクローンに頼ろうと考える。
そういう流れにした方が、まだ乗って行きやすかったんじゃないか。

クローンのアダムが誕生した時点で、「かつてのアダムと瓜二つだ」ということを誰も表現しない。
そりゃあ生まればかりだから比較が難しいってことはあるかもしれないが、それにしても「アダムのクローンを出産した」ということなのに「アダムと似ているのかどうか」に全く触れないのは、いかがなものかと。
その後、すぐに8歳の誕生日へ移るのも、雑な処理だなあと感じる。
8歳になった途端に異変が生じて「穏やかで幸せな日々」は失われるんだから、ダイジェストでいいから「夫妻がクローンのアダム育てて幸せな日々を過ごす」という8年間があったことを端的に描写しておいた方がいいんじゃないかと。

クローンのアダムが誕生してから感じるのは、それがクローンである必要性が薄いってことだ。
もちろんクローンだから外見がそっくりなのは当然として、「かつてのアダムと癖や性格、行動パターンなどが同じ」ということも、夫婦が彼を「以前と同じアダム」として養育していくには重要なポイントになるはずだ。
また、8歳から異変が生じるということを鑑みても、「それまでは全く同じ」ということを示しておく必要があるわけだから、やはり重要なポイントになる。
しかし、そこが脆弱すぎる。外見以外は、「恐竜が好き」という部分ぐらいしか、死んだアダムとの相似性が提示されないのだ。

死んだアダムとクローンの相似性がそれぐらいしか示されていないので、「クローンが8歳になって変化が始まった」ということさえも「本当にそうなのか」という疑問が生じてしまう。
なぜなら、以前のアダムも8歳までの記録しか存在していないからだ。
つまり、もしも以前のアダムが8歳で死なずに生き続けていたとしたら、クローンと同様の現象が起きた可能性だって考えられるんじゃないかってことだ。
その異変はクローンが死んだアダムと異なるから起きたわけじゃなくて、アダムのDNA情報があるから起きたという可能性だって充分に考えられるってことだ。

しかし実際のところ、もちろん「クローンだけに起きた異変」という設定になっている。
だったら、そこに「死んだアダムが8歳を過ぎて生き続けていた場合も異変が起きた可能性」が考えられる余地があり過ぎるってのは決して好ましい状況ではない。むしろ、それを強く打ち消すような環境設定を用意する必要があるはずだ。
そのためにも、夢遊病のような症状だけでなく、他の部分でも「以前のアダムとは異なる点」を幾つも用意すべきなのだ。
それは「観客の不安を煽る」という意味でも、効果的に作用するはずだ。そこの作業が、本作品は足りていない。

ジェシーが全面的にウェルズを信用し、もはや崇拝に近い形で彼の意見ばかりを聞き入れ、ポールの主張を全面的に否定し続けるのは、かなり違和感が強い。そこまでウェルズを盲信する理由は何なのかと。
そりゃあ恩師という設定はあるけど、設定だけで留まっているから、「夫を全面的に否定し、ウェルズを全面的に信頼する」というジェシーの態度が不可解にしか見えない。
最初はウェルズを信じてもいいけど、アダムがザッカリーのことを言い出し、かなりヤバい症状が出始めても、ポールの「再生に使った細胞の記憶が残っていた」という主張を頭ごなしに否定するのは「なんで?」と思っちゃう。
ひょっとすると、「それを認めることで、アダムが死んだアダムとは別人だと認めることに繋がるから、認めたくなかった」ということかもしれないが、だとすれば全く伝えられていない。

アダムに異変が生じた原因については、終盤に種明かしが用意されている。
完全ネタバレだが、「ウェルズが自分の息子であるザッカリーの遺伝子をアダムのクローンに組み込んだ。ザッカリーは小学校に火を放ち、母を殺してから焼身自殺した」というのが真相だ。
だけど、それが明らかになっても、まるでスッキリしない。むしろ「なぜウェルズが妻を殺した息子をクローンとして蘇らせようとしたのか」という疑問が生じる。
「人殺しでも息子は息子だから」思えるぐらい、息子を深く愛していたようには全く思えない。ウェルズの息子に対する愛情は、これっぽっちも見えて来ないのだ。
それに、「じゃあ妻に対する愛はどうなのか」ってことになるし。

実験にアダムの細胞を使った理由については「残されていたザッカリーの遺伝子の一部だけではクローンを作れなかったから」という説明があるんだけど、まるで腑に落ちない。
ポールは「ウェルズがザッカリーの肉体的&精神的特徴をアダムの細胞に転写した」と説明しているけど、どこからどう見ても肉体的にはアダムでしょ。
そもそもアダムの細胞を使っているんだから、「ザッカリーのクローン」になることは有り得ない。

ウェルズが息子を蘇らせたいのなら、その遺伝子をアダムに注入してクローンを誕生させるというのは思考回路が良く分からない。それはアダムのクローンであって、息子のクローンではないからだ。
本当に息子のクローンを誕生させたいなら、息子と瓜二つじゃないと意味が無いんじゃないのかと。
ほんの一部分だけ息子の要素が感じされる程度の子供を誕生させても、それは「ほぼアダム」なのだ。しかも、もちろん手元に置いて育てられるわけでもないんだし。
実験にするにしても、手元に置いて養育できる環境を整えることが出来るようにしておかないと意味が無いんじゃないかと。

そんな風に疑問が色々とあるので、「ウェルズは何をやりたかったのか」と言いたくなってしまう。
いっそのこと「殺人鬼の遺伝子は引き継がれるのか」という実験のためにアダムを利用した、というマッド・サイエンティスト設定にでもした方が、話としてはスッキリする。
ただし、その場合は「息子の遺伝子を注入する」というのではなく、大量殺人鬼のDNAを使う内容に変更すべきだろうけど。

最初に邦題を見た時には『オーメン』を連想したが、内容は全く異なる。
でも、いっそオカルトに傾いた内容にしてくれた方が面白くなったんじゃないかと思ったりもする。
『オーメン』は狭い領域で小さな物語を描きながらもスケールの大きさを感じさせる巧みな内容だったが、これは狭い領域で小さな物語を描いているだけに留まっている。
前半では大きな出来事を起こさず、溜めに溜めて後半で一気に盛り上げる構成なのかと思ったら、後半も大して盛り上がらずに終わってしまう。

最後はウェルズが行方をくらまして新たな実験台を探しており、「まだアダムにザッカリーの記憶が残っている」ってことを示唆して終幕している。
その気になれば続編が作れるような終わり方をしているのだが、この映画が思いっきりコケたので次は無いだろう。
それに、ザッカリーは母を殺して自ら死を選ぶ程度の悪人でしかない。ウェルズ家で働いていた女性は「悪魔」と称しているけど、あっさり自殺しちゃう程度の奴なのだ。
だから続編を作ったとしても、しょっぱい出来栄えになることは目に見えている。

(観賞日:2014年9月10日)

 

*ポンコツ映画愛護協会