『アナと雪の女王』:2013、アメリカ

アレンデール王国の王女である8歳のエルサは、触れる物全てを雪や氷に変える魔法の力を持っていた。妹のアナが「雪だるまを作って遊ぼう」と持ち掛けると、エルサは空気をかき混ぜて雪を作り出した。アナが大はしゃぎすると、エルサは完成させた雪だるまにオラフと名付けた。アナが飛び跳ねるのに合わせて、エルサは次々に雪山の足場を作った。しかし浮かれたアナがどんどん高く飛ぶので、エルサは焦った。エルサは足を滑らせ、ジャンプしたアナの足場を作るのが遅れた。そのままではアナが墜落してしまうため、慌ててエルサは魔法を使う。しかし目標を誤り、アナの頭部に魔法の力が当たってしまった。
アナは意識不明の状態に陥り、国王と王妃はトロールの谷へ向かった。その様子を、トナカイのスヴェンを連れてクリストフという少年が覗き見ていた。国王が助けを求めると、トロールの長であるパビーはアナを回復させてくれた。ただし、魔法に関する記憶も消去された。バビーはエルサに、「魔法の力はどんどん強くなる。美しい力だが、危険も秘めている。力を抑えるのだ」と忠告した。国王は城の門を閉ざし、召し使いを減らし、周囲の目からエルサの力を隠すことにした。
記憶を失ったアナは、これまで仲良く遊んでいたエルサが部屋に閉じ篭もるようになったことが理解できなかった。アナが一緒に遊ぼうと誘いに来ても、エルサは顔も見せずに拒否することしか出来なかった。力を制御できないエルサに、国王は手袋を装着させた。しかし月日が過ぎても、エルサの力は強くなる一方だった。10年が経過したある日、両親は旅の途中で海難事故に遭って死亡した。しかしエルサとアナは、相変わらず顔を合わせることの無い生活が続いた。
3年後、エルサが成人したため、女王としての戴冠式が執り行われることになった。久々に城門は開かれ、大勢の人々がアレンデールにやって来た。氷売りの山男になったクリストフや、富を奪おうと目論むウェーゼルトン国の公爵も王国に入った。アナは素敵な出会いを期待し、浮かれた気分で町へ出た。彼女はサザンアイルズ王国のハンス王子と遭遇し、たちまち恋に落ちた。戴冠式の鐘が鳴ったので、彼女は慌てて城へ戻った。
エルサは戴冠式のために、ずっと装着していた手袋を外した。彼女は何とか感情を殺して耐え切り、儀式を終えると即座に手袋を装着した。パーティー会場で公爵からダンスに誘われたエルサは、アナに任せた。ハンスと再会したアナは、楽しく会話を交わした。ハンスからプロポーズされたアナは、喜んでOKした。そのことをアナから知らされエルサは、結婚を認めないと告げる。アナが激しく反発して非難の言葉を浴びせると、エルサは感情を抑え切れなくなり、魔法の力を使ってしまった。
公爵は「捕まえろ」と怒鳴り、エルサはアレンデールから逃げ出した。彼女が去った後、アレンデールは氷と雪の国に変貌した。アナは追跡を命じる公爵を制し、自分が行くと告げた。ハンスが「一緒に行く」と言うと、アナは残って国を守るよう頼む。アナはハンスに国を任せると宣言し、馬に乗って国を出発した。一方、エルサはノースマウンテンに辿り着き、そこに氷の城を建てて暮らすことにした。アナは雪山で馬に逃げられ、何とかサウナ付き山小屋まで辿り着いた。
アナが主人のオーケンと話していると、全身雪まみれのクリストフがやって来た。彼がノースマウンテンから来たと知り、そこにエルサがいるのではないかとアナは考える。アナはクリストフに、ノースマウンテンまで連れて行ってほしいと頼む。クリストフは断るが、山小屋では高額で買えなかった品物をアナが差し出すと、案内を承知した。2人はスヴェンに曳かせたソリで出発するが、狼の群れに襲われる。アナたちは何とか逃げ切ったが、代償としてソリと荷物を失ってしまった。
ノースマウンテンに足を踏み入れたアナたちは、言葉を話して動き回る雪だるまのオラフと遭遇した。名前を聞いたアナは、すぐにエルサが作ったことを察知した。アナはオラフに、エルサの元まで連れて行ってほしいと頼んだ。クリストフが「夏を取り戻す」と言うと、夏に憧れているオラフは案内役を快諾した。一方、ハンスはアナの馬だけが戻って来たので、捜しに行くと決めた。同行者を募ると、侯爵は部下2名を行かせることにした。侯爵は部下たちに、エルサ王女を見つけ出し、力ずくで冬を終わらせろと命じた。
アナは氷の城に到着すると、クリストフやオラフたちに外で待つよう頼んだ。中に入った彼女は、一緒に国へ戻るようエルサに告げる。しかしエルサはアナを傷付けてしまうことを恐れ、一人で国へ帰るよう促した。するとアナは、アレンデールが危機に陥っていることを教えた。「元に戻せるでしょ」とアナが言うと、エルサは「やり方が分からない」と口にする。「絶対に出来るわ」とアナは告げるが、エルサは「やめて」と声を荒らげた。感情的になった彼女の魔法は、アナの胸に命中した。
アナは何とか説得しようとするが、エルサは雪男のマシュマロウを出現させて追い払った。城を出てもマシュマロウが追って来たので、アナたちは慌てて逃走した。クリストフはアナの髪の一部が白く変化したのを見て、家族同然の関係であるトロールたちの元へ連れて行く。パビーはアナを見ると、エルサの氷のカケラが心に刺さっていること、そのまま放っておけば永遠に凍り付くことを告げる。「凍った心を溶かせるのは真実の愛だけなのだ」という言葉を聞き、クリストフはアナを連れてハンスのいる城へと急ぐ…。

監督はクリス・バック&ジェニファー・リー、着想はハンス・クリスチャン・アンデルセン、原案はクリス・バック&ジェニファー・リー&シェーン・モリス、脚本はジェニファー・リー、製作はピーター・デル・ヴェッチョ、製作協力はエイミー・スクリブナー、製作総指揮はジョン・ラセター、編集はジェフ・ドラハイム、アート・ディレクターはマイケル・ジャイモ、プロダクション・デザイナーはデヴィッド・ウォマスリー、キャラクター・デザイン監修はビル・シュワブ、視覚効果監修はスティーヴ・ゴールドバーグ、音楽製作総指揮はクリス・モンタン、音楽監修はトム・マクドゥーガル、オリジナル歌曲はクリステン・アンダーソン=ロペス&ロバート・ロペス、伴奏音楽作曲はクリストフ・ベック。
声の出演はクリステン・ベル、イディナ・メンゼル、ジョナサン・グロフ、ジョシュ・ギャッド、サンティノ・フォンタナ、アラン・テュディック、キアラン・ハインズ、クリス・ウィリアムズ、スティーヴン・J・アンダーソン、マイア・ウィルソン、エディー・マックラーグ、ロバート・パイン、モーリス・ラマルシェ、リヴィー・シュトゥーベンラウフ、エヴァ・ベラ、スペンサー・ゲイナス、ジェシー・コーティー、ジェフリー・マーカス、タッカー・ギルモア他。


アンデルセンの童話『雪の女王』をモチーフにして、大幅に脚色を加えたディズニーの長編アニメーション映画。
脚本は『シュガー・ラッシュ』のジェニファー・リー。監督は『ターザン』『サーフズ・アップ』のクリス・バックと、脚本担当のジェニファー・リーによる共同。
ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオズの長編映画で女性が監督を務めるのは、ジェニファー・リーが初めてのことだ。
アナの声をクリステン・ベル、エルサをイディナ・メンゼル、クリストフをジョナサン・グロフ、オラフをジョシュ・ギャッド、ハンスをサンティノ・フォンタナ、公爵をアラン・テュディック、パビーをキアラン・ハインズが担当している。
日本語吹替版ではアナの声を神田沙也加、エルサを松たか子、オラフをピエール瀧が担当した。

この映画は世界的に大ヒットし、特に女性からの人気が高かった。一方で男性からの評価は、女性に比べると今一つだった。
その理由は簡単で、ディズニーが「女性向け」ってことを強く意識して製作したからだ。
ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオのチーフ・クリエイティブ・オフィサーであるジョン・ラセターは映画の内容を固めていく時、ジェニファー・リーを中心とする女性スタッフの意見を積極的に取り入れたのだ。
女性向け映画が男性に受けにくいってのは、当然っちゃあ当然のことだろう。

この映画で何よりも優れているのは、ミュージカル・シーンだ。
アニメーションにおけるミュージカル・シーンの品質を決定する大きな要素は2つあって、1つは映像、もう1つは音楽だ。
実写映画の場合、「ダンス」というのが大きな意味を持つが、アニメーションの場合は映像表現という部分に含まれる。
まず映像に関しては、何しろ信頼と実績のディズニーであり、しかも低迷期を抜けてからの作品なので、そこは申し分ない。そこに今回は優れた歌曲が用意されたのだから、鬼に金棒と言っていいだろう。

日本でも大ヒットした『レット・イット・ゴー』の他、『とびら開けて』や『雪だるまつくろう』、『生まれてはじめて』といった全ての歌曲が、「歌いたくなる」「歌いやすい」という意味でも質が高く、それが映画の大ヒットに貢献した部分は大きいだろう。
日本ではあまり馴染まなかったが、北米などでは「劇場で一緒に歌う」という観賞方法も広がった。
日本に限定するなら、吹き替えキャストの歌唱と日本語歌詞が優れていたことにも触れておくべきだろう。神田沙也加や松たか子の歌唱は高く評価されたが、訳詞を担当した高橋知伽江(他にも『塔の上のラプンツェル』や『メリダとおそろしの森』などを担当)の力も大きい。

さて、この映画が大好きで、不愉快な気持ちになりたくない人は、ここで読むのを終わらせた方がいい。ここから下は基本的に文句しか書いていないので、気分を害することは確実だ。
まあ当サイトを訪問する人は大半が「そういう場所」ってのを理解しているだろうけど、念のために忠告しておく。
ここから先の文章を読んで嫌な気持ちになったり腹が立ったりしても、それは自己責任なので、そっちで上手く処理して下さい。
その怒りを私にぶつけられても、「知らんがな」と華麗にスルーしますので。

前述したように、ミュージカル・シーンのクオリティーは間違いなく高いトコロにある。
それなのに文句が多くなる理由は何なのかっていうと、それはシナリオの方がドイヒーってことだ。
それはミュージカル・シーンの品質と差し引きすると、トータルで赤字が出てしまうぐらい残念すぎる出来栄えなのだ。
それどころか、シナリオの出来の悪さが、ミュージカル・シーンにも影響を及ぼしている。せっかくミュージカル・シーンが優れていても、シナリオが台無しにしてしまうぐらい、ある意味では強いパワーを持っているのだ。

エルサは魔法の力を父や母から受け継いだわけではない。劇中では言及されないが、どうやら隔世遺伝というわけでもなさそうだ。
つまり一族は今まで普通の人間だったのに、エルサだけが魔法の力を持って誕生したということになる。
「なぜ彼女だけが魔法の力を持って誕生したのか」という部分に疑問を持つ人がいても、それは当然だろう。
ただ、そこに関しては、個人的にはあまり気にしていない。
「これはメルヘンである」と捉えれば、「そういうのも有りっちゃあ有りだわな」と受け入れることも出来る。

それよりも問題なのは、「大きな事故が起きるまで、両親はエルサの魔法についてどのように考えていたのか」ってのが見えないことだ。
アナが死ぬかもしれない事故が起きて、初めて国王は「魔法の力を知られないよう、エルサを隔離する」ってことを決めているけど、その前から力のことは知っていたはずで。
あと、トロールは魔法に詳しいみたいだけど、「魔法を抑える方法」とか「魔法を失わせる方法」は知らないのか。
そういうことを国王が全く質問しないのも引っ掛かるし。

それと、アナが意識不明の重体に陥った際、両親は娘2人を連れてトロールの谷へ向かうが、「アンタたちは国王と王妃なんでしょ」と言いたくなる。
立場を考えると、本人たちが行くにしても、従者は連れて行くべきじゃないのかと。
自ら馬を走らせて谷へ行くってのは、国王らしからぬ行動でしょ。立場を考えれば、警備を伴わず外に出るのは危険なはずなんだし。「エルサの魔法の力を知られたくない」とか、そんなこと言ってる場合じゃねえし。
まさか、召し使いの誰もエルサの力を知らないという設定だったりするのか。
それは無理があるでしょ。召し使いってのは、エルサの世話もするはずなんだから。

パビーがアナを救う時、「魔法を全て消し去るのです。念のため、魔法に関する全ての記憶も」と言う。
アナを救うために魔法の記憶も消去しなきゃいけないという理由が、その説明だとサッパリ分からない。
しかも、「楽しい思い出はそのままに」ってことは、頭を守るために記憶を消去しなきゃいけないってわけではないのよ。
その下手クソすぎる御都合主義は何なのかと。だったら「頭を打った衝撃で記憶が失われた」とか、そういうことでも良かったんじゃないのかと。

両親が旅に出て海難事故で死亡するってのも、あまりにも安易な御都合主義に萎える。
「どうしても行かなきゃいけない理由」ってのが全く説明されないし、「序盤で両親を退場させないと面倒なので」という事情が、不格好な形で露呈している。
しかも、そこで1つ大きな問題が生じるんだよね。
それは「国王と王妃が死んだ後、誰が国を統治するのか」ってことだ。もちろん後継者はエルサになるはずだが、戴冠式は3年後なのだ。
だったら、その3年間は誰がどうやって国を統治していたんだよ。

国王が城門を閉じ、エルサを隔離してしまうのは、「親としてどうなのよ」という問題をひとまず置いておくとして、一応は理解できる。
しかし、なぜアナまで城の中に閉じ込められてしまうのか、それが全く理解できない。
アナが外へ出ることは特に問題ないはずでしょ。
もちろん1人で遊びに行ったら危険だろうけど、だったら召し使いを同行させればいいはずで。
アナが事故の後は一歩も城から出られず、戴冠式で久々に外へ出て浮かれるってのは、ちょっと不自然さを感じるわ。

さて、そんな戴冠式の朝、ミュージカル・シーンがシナリオの悪影響を顕著な形で受けている最初のポイントが訪れる。
アナとエルサが『生まれてはじめて』を歌うのだが、エルサが「誰にも会いたくない」と沈んでいるのに対し、アナは浮かれまくっている。その対比は別にいい。
問題は、アナが浮かれている理由だ。彼女は「窓が開いて外の景色が見られた」とか、「色んな人に会える。運命の人にも会えるかも」ということで浮かれているのだ。
いやいや、そこは「久しぶりにエルサと会える」ってことを喜べよ。
3年後に切り替わる直前も、エルサと会えないことを寂しがっていたはずでしょうに。なんで「素敵な若者に会えるかも」と浮かれるんだよ。

ハンスと出会った途端に恋に落ちるエルサは、「あまりにも尻軽で軽薄」と言われても仕方が無いような女だ。
ただし「お姫様が王子様と出会うと、あっという間に恋に落ちて結婚する」ってのは、メルヘンでは珍しくない。
恋に落ちた後の描写が魅力的だったり、結果的にハッピーだったりすれば、それはそれで受け入れられる。
しかし、お決まりの筋書きを繰り返したくないということだったのか、それとも「王子様に救われたり守られたりするヒロインなんて古い」という女性スタッフの意見が反映されたのか、この映画は昔ながらのパターンを採用せずに物語を構築している。

どういうことなのかというと、ハンスは王子ではあるが、ヒロインが結ばれる相手ではないということだ。彼はアナとエルサを始末し、国を乗っ取ろうと目論む悪党なのだ。
途中からアナはクリストフと道連れになるので、その時点で「恋の相手はハンスじゃなくて彼かも」という予感が漂うってこともあるし、ハンスを悪党に設定するのは別にいいと思うのよ。しかし、その本性が終盤まで明らかにされないという構成には、これっぽっちも賛同できない。
悪党であることを最初から明かさず終盤まで隠しておいたのは、もちろん「予想外の展開」を狙ってのことだろう。
それが予想外かと問われれば、答えはイエスだ。しかし歓迎できるかと問われれば、答えはノーだ。

本性が露呈するまでのハンスは、普通に優しい好青年だ。困っている国民に対しても、マントを配ったり温かい飲み物を用意したりしている。
だからこそ本性が露呈した時の意外性は強まるわけだが、「そういうのってディズニー・アニメに対して観客が期待するモノなのかな」っていうのが疑問なのよね。ある程度は予定調和を守った中で面白いモノを作ってこそ、ディズニー・アニメじゃないかと思うんだよね。
それに、「ハンスが悪党でした」というドンデン返しって、もはや目的のための手段と言うより、それ自体が目的化しているとしか思えないのよね。
つまり「意外な展開を用意してやろう」ってことが最優先で、まさに「ドンデン返しのためのドンデン返し」と化しているように感じるのよ。

しかも、そこはミュージカル・シーンがシナリオの悪影響を顕著な形で受けている2つ目のポイントにもなっている。1つ目のポイントよりも、そして後述する3つ目のポイントよりも、悪質さという意味では遥かに上回る。
なぜなら、ハンスは前半で『とびら開けて』をアナとデュエットするからだ。
それは愛の歌であり、求婚の歌でもあるのだ。ハンスが求婚し、アナかせ喜んで承諾し、楽しくてハッピーな気持ちにさせてくれる歌だ。
ところが前述したように、ハンスは終盤になって悪党であることが判明する。
それが明らかになった時、「あの歌で盛り上げたのは何だったのか。楽しいと感じた気持ちを返してくれよ」と言いたくなるのだ。
ミュージカル・シーンで抱かせた楽しい気分まで裏切るってのは、絶対にやっちゃダメだわ。

エルサが国を出た後、あの有名な『レット・イット・ゴー』のシーンになる。
そして、ここはミュージカル・シーンがシナリオの悪影響を顕著な形で受けている3つ目のポイントでもある。
何がダメって、エルサの歌が単なる開き直りにしか見えないってことだ。
日本語歌詞の「ありのままで」ってのは意訳であり、レット・イット・ゴーを直訳すると「放っておく」ってな具合だろう。ただ、意味まで考えると、「自分の意志で歩いて行こう」という感じだろうか。

つまりエルサは「魔法の力に悩んでいた今までの自分を捨てて、これからは思うがままに生きて行こう」という意味で、レット・イット・ゴーと歌うわけだ。
だが、エルサがアレンデールを出て行く時に周囲は氷漬けになっているわけで、「国を変貌させておいて、自分だけ思うがままに生きて行こうって、そりゃ身勝手じゃねえか」と思ってしまう。
後になって、その異変をエルサが全く知らなかったことが明らかになるけど、『レット・イット・ゴー』を歌っている時点では、そこが分からないのでね。

『レット・イット・ゴー』に関しては、もう1つ問題がある。
アナが氷の城に来た後、エルサは激しい動揺を示し、また元の状態に戻ってしまうのだ。
それによって、過去を吹っ切って「思うがままに生きて行く」と決めた『レット・イット・ゴー』の意味が、あっさりと死んでしまうのだ。
別にさ、『レット・イット・ゴー』後のエルサに対して、「何があっても冷徹に徹しろ」と言いたいわけじゃないのよ。
ただ、あまりにも簡単に元の状態へと戻っちゃうので、「あの強い決意を表現する熱唱は何だったのか」と思っちゃうのよ。

前述したように、アナがクリストフと道連れになって以降は、ここで恋愛劇を作ろうという意識が生じている。
2人の言い争う様子は、「最初は喧嘩もするけど、最終的には仲良くなって」というベタベタな展開を予想させる。
トロールたちは勝手に誤解して結婚させようとするし、クリストフはアナを救うために城へ戻るし、オラフはアナにクリストフが愛していることを教える。
予想通り、アナとクリストフは恋人同士になる。

そのベタは大いに結構なのだが、困ったことが1つある。
それは、「アナが恋に落ちる相手がハンスかどうかという以前に、そもそも彼女の恋愛劇が余計な要素になっている」ということだ。この映画、「姉妹の絆」がテーマなので、アナの恋愛劇は邪魔なだけなのだ。
「姉妹の絆」をテーマにしたことが悪いのではない。それを中心に据えるなら、「ハンスと見せ掛けてクリストフ」というアナの恋愛劇の部分が要らないってことだ。
もちろん上手く両立できれば、ドラマに厚みが出ただろう。しかし「姉妹の絆」と「アナの恋愛」は全く絡み合っていないし、最終的にアナを救う「真実の愛」も「エルサの妹に対する愛」なので、思わせぶりなクリストフというキャラクターは、無駄に話を散らかしているだけなのだ。
「愛と言えば男女の恋愛」「お姫様が王子様に恋をして結ばれる」という、今までのディズニー・アニメが繰り返してきた2つのパターンに対するアンチテーゼを一度にやろうとしたのが、二兎を追う者になっちゃったってことだろう。

他にもシナリオには色々と不満がある。
例えばアナは喋るオラフと遭遇した時、すぐにエルサが作ったと気付く。それは、幼い頃にエルサが雪だるまを作ってオラフと名付けたことを思い出したからだ。
しかし、そのことで、幼い頃に自分がエルサの魔法で意識不明になったことを思い出すわけではない。それどころか、その記憶に関しては、最後までアナは思い出さないままなのだ。
それは明らかに手落ちだわ。
それを思い出した上で、「私が悪かったの」とか「何も気にしていない」ってことを告げて、ずっとエルサが抱いている罪悪感を解消してあげるべきでしょ。

クリストフは少年時代にエルサとアナがトロールと会う様子を目撃しているが、それが後の展開に全く絡んで来ない。それを彼が目撃していたという設定をバッサリと排除してストーリを進めたとしても、何の支障も無いのだ。
「クリストフはトロールと仲良し」ってのを後半に入って初めて見せたとしても、そんなに大きな問題ではない。序盤でクリストフがトロールと出会っているからって、それだけで「家族のように仲良くなる」というトコの説得力に繋がるわけではないんだし。
それと、クリストフはトロールと仲良しなんだから、エルサのせいでノースマウンテンに異変が起きた時、すぐ相談すればいいんじゃないのか。相談しない理由が分からない。
あと、アナを救う方法を教えただけでトロールが役目を終えて、その後は全く絡まないってのは、キャラを上手く使いこなせていないと感じるぞ。

(観賞日:2015年9月24日)


2014年度 HIHOはくさいアワード:第3位

 

*ポンコツ映画愛護協会