『悪魔を憐れむ歌』:1998、アメリカ

ジョン・ホッブス刑事は自分が逮捕した連続殺人犯エドガー・リースに呼ばれ、死刑執行に立ち会うこととなった。エドガーは撮影スタッフを招き、自分が死刑になるまでの様子をドキュメンタリー・フィルムとして記録させていた。
死刑執行の直前、リースはホッブスに握手を求め、呪文のような言葉をつぶやいた。彼は「なぜライオンズとスパコフスキーの間に空白があるのか」という問いをホッブスに投げ掛け、ローリング・ストーンズの「悪魔を憐れむ歌」を歌いながら死んだ。
その直後、チャールズという男がリースと同じ手口でロシア人を殺害した。チャールズはロシア人の家に一泊し、朝食にシリアルを食べてからホッブスに電話を掛けた。チャールズは殺害現場の住所だけを知らせて電話を切った。
ホッブスが現場に出向くと、壁には「ライオンズ???スパコフスキー」という文字が書かれていた。ホッブスが調べてみると、ライオンズとスパコフスキーは歴代の表彰された刑事の名前で、2人の間にはロバート・ミラノという刑事が表彰されていた。しかし、なぜかミラノの名前は記録から抹消されていた。
ホッブスは上司のスタントン警部補はミラノのことを尋ねるが、彼は何も語ろうとしない。ホッブスはミラノの娘で神学教授のグレタに面会する。グレタも多くを語ろうとはしないが、ミラノは殺人容疑を掛けられて山小屋で自殺したらしい。
再びリースと同じ手口の殺人事件が発生した。今度の犠牲者はチャールズだった。ホッブスはミラノが死んだ山荘で「AZAZEL(アザゼル)」という文字を見つけ、グレタからそれが人に憑依する悪霊のことだと知らされる。
一連の事件は、全てアザゼルの仕業だった。アザゼルは人から人へと憑依を続けながら、ホッブスを狙っていた。やがてホッブスはアザゼルの罠に掛かり、殺人容疑を掛けられる。ホッブスは全てを終わらせるため、山小屋にアザゼルを誘い出す…。

監督はグレゴリー・ホブリット、脚本はニコラス・カザン、製作はチャールズ・ローヴェン&ドーン・スティール、共同製作はケリー・スミス=ウェイト、製作協力はリチャード・サックル&パトリシア・グラフ、製作総指揮はニコラス・カザン&イーロン・ダーショウィッツ&ロバート・カヴァーロ&テッド・カーディラ、撮影はニュートン・トーマス・シーゲル、編集はローレンス・ジョーダン、美術はテレンス・マーシュ、衣装はコリーン・アトウッド、音楽はタン・ダン。
主演はデンゼル・ワシントン、共演はジョン・グッドマン、ドナルド・サザーランド、エンベス・デヴィッツ、ジェームズ・ガンドルフィーニ、エリアス・コーティアス、ガブリエル・カシューズ、ロバート・ジョイ、アイダ・タトゥーロ、マイケル・J・ペイガン、フランク・メドラーノ他。


刑事が悪霊と戦うオカルト・スリラー。
ホッブスをデンゼル・ワシントン、同僚刑事ジョーンジーをジョン・グッドマン、スタントンをドナルド・サザーランド、グレタをエンベス・デヴィッツが演じている。

冒頭のシーンは期待を持たせるに十分なテンションを持っている。
そして、そのテンションは序盤で消えてしまう。
神や堕天使という言葉を持ち出しながら、そこを深く突っ込んでいない。
だから、中途半端な印象しか残らない。

雪山で倒れているホッブスが過去を回想するという形で、物語は始まる。
だが、そういった捻りは必要無かった。
むしろ、時間の経過通りにストーリーを進めていった方が面白くなったはずだ。

ホッブスのナレーションが、ジャマでしょうがない。
完全に喋りすぎだ。
観客が映像から読み取って判断すべき事柄を、クドクドと説明している。
小さな親切、大きなお世話というヤツだ。
説明すると、面白味が失われることもあるのだ。

スタントンもジョーンジーも、ほとんど物語に絡んでこない。
グレタは意味ありげに登場した上に、アザゼルに関する知識も持っている。
だが、何の役にも立っていない。
「秘密のネットワーク」などという言葉も出てくる。
だが、そのネットワークが物語に深く絡んでくることは無い。

アザゼルがホッブスを追い込んでいく流れに、無理がある。
正当防衛で人を射殺したことが明らかなはずなのに(ちゃんとした目撃者もいるのだ)、ホッブスは上司から一方的に非難されている。
上司との関係が険悪だったわけではないから、嘘っぱちにしか見えないのよね。
殺人の嫌疑が掛けられるのも不自然だし。

悪霊の設定をファジーにしたままで物語を作ったのは、大きなミスと言えるだろう。
アザゼルの行為の意味や目的は、サッパリ分からない。
その能力も、かなり御都合主義で誤魔化している。

アザゼルは簡単に人に憑依できるのに、なぜホッブスには憑依できなかったのか。
なぜアザゼルはホッブスにこだわるのか。
どこが接触しても憑依が可能なのに、なぜアザゼルは途中で「手で触れる」という行為にこだわったりするのか。

憑依した男が死んでアザゼルの行き場が無くなったかと思ったら、「乗り移った相手が死ぬと霊になって抜け出せるのだ」という都合のいい設定が急に登場する。
しかも、それをアザゼルに喋らせる。
ダメじゃん。ヘナヘナじゃん。

 

*ポンコツ映画愛護協会