『アイズ ワイド シャット』:1999、イギリス&アメリカ

ニューヨークのクリスマス。開業医のビル・ハーフォードと妻のアリスは娘のヘレナをベビーシッターに預け、友人のヴィクターが主催するダンス・パーティーに赴いた。2人はヴィクターと妻のイローナに挨拶し、一緒に踊る。知っている顔が無かったビルだが、バンドでピアノを弾いているのが医学部の同級生だったニックだと気付いた。ウィリアムが挨拶に行こうとすると、アリスは「トイレに行きたいの。1人で行ってるバーで待ってるわ」と告げた。
ビルはニックに声を掛け、10年ぶりの再会に乾杯した。ニックは呼び出しを受け、ソナタ・カフェで演奏していることをビルに告げて去る。アリスはバーでハンガリー人のサンドールに口説かれ、笑顔で会話を交わした。連れがいるのか問われた彼女は、夫が一緒だと告げた。アリスはサンドールに誘われ、一緒に踊った。彼女は踊りながら、ビルが女性2人と楽しそうに話す様子を目にした。ビルは女性たちに口説かれるが、ヴィクターに呼び出された。
ビルがヴィクターの部屋へ行くと、彼は慌てて服を着ていた。室内ではマンディーという全裸の女がグッタリしており、ヴィクターは麻薬の過剰吸引だと説明した。ビルが適切な処置でマンディーを救うと、ヴィクターは口外しないよう頼んだ。アリスはサンドールから「また会いたい」と言われるが、「無理だわ。人妻だもの」と断って去った。翌日、アリスは自宅でマリファナを吸いながら、ビルに「昨夜の女たちとファックした?」と尋ねる。ビルは「誰も口説いてないよ」と否定するが、アリスは「あんなに長く、どこへ消えてたのよ」と訊く。ビルはヴィクターの部屋に呼ばれていたことを告げ、「それより君が踊っていた男は?」と質問した。
アリスはヴィクターの友人だと答え、セックスに誘われたことを笑って話した。ビルは「気持ちは分かる。君は美しいからね」と言うが、アリスは腹を立てて「じゃあ貴方も、あの女たちとファックしたかったのね」と声を荒らげる。彼女は他の女とセックスしたいはずだと執拗に詰め寄り、ビルが否定しても納得しない。会話の流れでビルが「君に妬いたりしない」と言うと、アリスは笑って昨年夏のケープ・ゴッドについて語り出す。彼女は若い海軍士官に心を奪われたことを話し、もし誘われていたら関係を持っただろうと告げた。
ビルは患者のルーが病気で急死したという知らせを受け、タクシーで彼の家へ向かう。その道中、ビルはアリスが海軍士官と関係を持つ様子を妄想した。ビルはルーの家に到着し、娘のマリオンと会った。マリオンは恋人のカールと結婚すること、ミシガンへ引っ越すことをビルに話すが、急にキスをして「貴方を愛してる。貴方の傍で暮らしたい」と告げた。ビルは冷静に対応し、「動転してるんだ。僕らは良く話したことも無い」と告げた。そこへカールが来たので、2人は何も無かったように装った。
ルーの家を去って町を歩いたビルは、またアリスが海軍士官と関係を持つ様子を妄想した。彼は娼婦のドミノに誘われ、彼女の部屋へ赴く。ビルはドミノとキスを交わし、セックスを始めようとする。しかし帰りが遅かったためにアリスから電話が入り、ビルはドミノに金を渡して部屋を去った。ビルはソナタ・カフェへ行き、演奏を終えたニックと会う。ニックは彼に、深夜2時ごろから別の場所で演奏することを話した。彼は「1時間ほど前になって場所が分かる。目隠しされてピアノを弾く」と言い、電話で屋敷へ入るパスワードを聞いた。興味を抱いたビルは、自分も行くと言い出した。
ニックから「みんな仮面を付けて仮装している」と聞かされたビルは、患者のピーターが営む貸衣装店へ出向いた。ピーターは1年前にシカゴへ引っ越していたが、ビルは店を引き継いだミリチに迷惑料を支払って衣装を借りる。ミリチは娘が男2人を連れ込んでいたのを知り、怒り狂った。ビルはニックに聞いた屋敷へ赴き、パスワードを告げて中に案内される。仮面を装着した彼が広間に入ると、怪しげな儀式が執り行われていた。大勢の女たちが裸になり、それを仮面の面々が見物していた。
裸の女たちは指導者に促され、選んだ男にキスをして奥の部屋へ連れて行く。ビルも1人の女に選ばれるが、「ここは貴方の来る場所じゃないわ。すぐ帰りなさい」と言われる。しかし女は他の男に連行され、ビルは複数の男女によるセックスを目にした。ビルが1人の女に誘われて一緒に行こうとすると、先程の女が戻って来た。彼女はビルを廊下へ連れ出し、「危険が分かってないのね。手遅れになる前に帰って」と警告する。
しかしタクシーを待たせていたことで、ビルは部外者だと気付かれてしまった。集会の主催者たちに呼び出されたビルは、仮面を外すよう要求された。大勢の面々が見ている前でビルが仮面を外すと、主催者は裸になるよう命じた。そこへ先程の女が現れ、「私が身代わりになります」と叫んで主催者にビルの解放を求めた。主催者は「今夜のことを口外すれば、君と家族に恐ろしい災いが降り掛かる」と警告し、ビルを屋敷から追い払った…。

製作&監督はスタンリー・キューブリック、原作はアルトゥール・シュニッツラー、脚本はスタンリー・キューブリック&フレデリック・ラファエル、製作総指揮はヤン・ハーラン、共同製作はブライアン・W・クック、撮影はラリー・スミス、美術はレス・トムキンズ&ロイ・ウォーカー、編集はナイジェル・ギャルト、衣装はマリット・アレン、音楽はジョスリン・プーク。
出演はトム・クルーズ、ニコール・キッドマン、シドニー・ポラック、マリー・リチャードソン、レイド・セルベッジア、トッド・フィールド、ヴィネッサ・ショウ、アラン・カミング、スカイ・デュモン、フェイ・マスターソン、リーリー・ソビエスキー、トーマス・ギブソン、マディソン・エジントン、リサ・レオーネ、ジュリエンヌ・デイヴィス、レスリー・ロウ、ルイーズ・テイラー、スチュワート・ソーンダイク、カルメラ・マーナー、ブライアン・W・クック、伊川東吾、楠原映二、ジャッキー・サウィリス、レオン・ヴィタリ、サム・ダグラス、フィル・デイヴィス、ランドール・ポール他。


『シャイニング』『フルメタル・ジャケット』のスタンリー・キューブリックが製作&監督&脚本を務めた作品。
共同で脚本を務めたのは、『いつも2人で』『マスカレード/仮面の愛』のフレデリック・ラファエル。
着想となったのはアルトゥール・シュニッツラーの小説で、日本では『夢小説』『夢がたり』『夢奇譚』といった複数の邦題がある。
ビルをトム・クルーズ、アリスをニコール・キッドマン、ヴィクターをシドニー・ポラック、マリオンをマリー・リチャードソン、ミリチをレイド・セルベッジア、ニックをトッド・フィールド、ドミノをヴィネッサ・ショウ、ニックが泊まっていたホテルのフロント係をアラン・カミング、サンドールをスカイ・デュモン、ドミノのルームメイトのサリーをフェイ・マスターソン、ミリチの娘をリーリー・ソビエスキー、カールをトーマス・ギブソン、ヘレナをマディソン・エジントンが演じている。

スタンリー・キューブリックの長編第1作『恐怖と欲望』は1953年に製作されており、死去したのは1999年。
だから活動年数は46年だが、徹底した完璧主義者だったため、それに比べると撮った作品の数は決して多くない。彼が手掛けた長編映画は、全部で12本だ。
そんな彼の遺作となったのが、この映画である。
0号試写が行われた5日後の1999年3月7日に急死したため、次回作に予定していた『A.I.』はスティーヴン・スピルバーグによって引き継がれた。

公開された時は「キューブリックが自身の最高傑作と語った」と宣伝されたが、一方でR・リー・アーメイが「クルーズのせいで完全な失敗作になった」とキューブリックから聞いたことを語っている。
どちらが正しいのかは分からないし、どちらも実際にキューブリックが言ったのかもしれない。
ただ、どうであれ、最高傑作とは到底思えない。そもそも若くして不慮の死を遂げるようなケースでもない限り、監督の遺作が傑作になるケースは稀だ。どんなに偉大な監督でも、年を取れば才能が枯渇したり、老いによってセンスが劣化したりすることは少なくないからだ。
そしてキューブリックも、御多分に漏れずという結果になったんだろう。

フレデリック・ラファエルがスタンリー・キューブリックから題名や作者の名前を隠したまま原作を渡された時に「古臭い」と評したそうだが、映画化に際して現代的にアップデートすることに失敗したようだ。
これが過去の時代を舞台にしているのなら、それに合わせた描写を盛り込むのは当然のことだ。
また、古めかしさが格調の高さに繋がっているのなら、それも構わないだろう。
しかし本作品の場合、現代の設定なのに、その描写がことごとく古臭いのだ。

「過激な性描写」などと宣伝されたが、ちっとも過激ではない。キューブリックが最初に映画化を考えた1970年代ならともかく、1999年という時代の作品であることを考えれば、むしろヌルいぐらいだ。
ビルとアリスの濡れ場など、何度も全裸のシーンは登場するが、それだけで過激な性描写と評することなど出来ない。映画で全裸が出て来ることも濡れ場が用意されていることも、まるで珍しくはないからだ。
謎の集会にしても、類型的で何の面白味も無い。
ステレオタイプや既視感を全否定するのは良くないが、何しろ退屈なのだ。

この映画は何か起こりそうなシーンが何度も訪れるが、ことごとく何も起こらないまま過ぎ去る。「何も起こらない」ってのは言い過ぎかもしれないが、起こりそうな予感が漂う出来事は起こらない。
それは具体的に言うならば、セックスである。
ウィリアムにしろアリスにしろ、異性との出会いが浮気に発展し、そのままセックスに雪崩れ込みそうな予感だけは強く伝わって来る。特にウィリアムに関しては、そういうシーンが何度も訪れる。
しかし彼は、深い関係に及ぶことの無いまま逃げ出してしまう。
「原作の内容をそのまま忠実に映像化しているのだから、それで正解なのだ」ってことかもしれない。
ただ、もはや原作に忠実かどうかは、まるで意味が無いことだ。そんな「何か起こりそうで何も起こらない」という物語が159分に渡って続くのだから、途中で退屈に見舞われても仕方が無い。

冒頭、アリスが自分の服装について訊くと、ビルは視線を向けないまま「綺麗だよ」と答える。冷淡な空気が漂うことは無いが、それは「ビルが妻に対して無頓着になっている」ということを表している。
パーティーでも普通に体を密着させて踊っているので、決して愛が冷めているわけではない。ただ、長く夫婦生活が続く中で刺激が無くなり、「当たり前」の関係性として慣れてしまったのだ。
そんな2人は異性に口説かれると、まんざらでもない様子を見せる。アリスはサンドールと気持ち良さそうに踊り、キス寸前の距離まで近付く。ビルの方も、女性たちに口説かれて楽しそうに腕を組む。
そこには何の迷いも無いし、後ろめたさも見せない。

パーティーの後でビルとアリスが全裸になり、抱き合う様子が描かれる。しかしビルがキスをしてもアリスは顔を背けて、まるで嬉しそうではない。
その翌日、マリファナでラリッたアリスはビルの浮気心を問い詰め、自分に浮気の可能性があったことを告白する。
そのせいでビルは妻の浮気を妄想し、悶々とした気持ちの中でドミノに誘われる。
セックスする気になったビルだが、アリスの電話が気持ちの高まりが冷めてしまい、何もせずに去る。

アリスの告白を聞いて以降、ビルは何度も彼女が海軍士官と寝る様子を妄想する。 それによって自身の浮気心が刺激され、「向こうが他の男と寝るのなら(実際は寝ていないが)、こっちだって」という思いを強くする。
彼は娼婦と浮気しようとしたり、怪しげなパーティーで女とセックスしようとしたりする。
ドミノのアパートを再び訪れた時などは、サリーが応対すると、すぐさまセックスしようとする。
だがどの試みも全て、未遂に終わる。

後半に入ると、ビルがセックスせずに終わった女性たちの「その後」が描かれる。
ミリチは男たちに激怒して警察を呼ぶと叫んでいたが、翌朝になると「話がまとまった」と言う。
つまり、ミリチは娘が男たちと乱交するのを認めたってことだ。
また、サリーはドミノが検査でHIV陽性と判明したことを明かし、マンディーは遺体で発見される。ようするに、ビルが「浮気の代償は大きい」と思うような結果が用意されているわけだ。

ちなみにビルはマンディーが殺されたと思っているが、実際はドラッグで死んだだけだ。
屋敷の連中にしても、本気でビルを殺そうなんて思っちゃいない。ビルを脅したのは口外されたらマズいからであって、ただの乱交パーティー好きな連中だ。
しかしビルはヴィクターから一部始終を見ていたことを知らされて「全てはフェイクだった」と言われても信じず、本気でヤバいことに首を突っ込んでいたと感じる。
彼は帰宅すると妻の前で泣き出し、全てを告白する。

ビルの体験する出来事も接触する女性も、全ては「抑圧された性欲」のメタファーに過ぎない。
どこまでが現実なのかは不明だが、極端に言ってしまえば「全ては夢」という解釈でも構わないのだ。
重要なのは、「危険な体験をやり過ごすことで、夫婦関係の真実に気付く」という骨格だ。
互いに浮気願望は持っているんだから、放っておいたら絶対に他の人間と肉体関係を持つ。それを知ったが、見て見ぬフリをすることに決める。
そして「とりあえず、やることは1つしか無い」というゴールへ辿り着く、その道筋こそが重要なのだ。

この映画が訴えようとしていることは簡単で、それは最後にアリスが発する言葉に込められている。
彼女は全てを告白したビルに「大事なことを今すぐにしなきゃダメ。ファック」と告げるが、それが本作品のメッセージだ。
つまり、「夫婦円満にはセックスが大事だよ」ってことを、キューブリックは言いたかったのだ。
だけど、やたらと難解なイメージを醸し出して、さんざん引っ張った挙句に待ち受けているゴールが、それなのかと。

そんなことを訴えるためだけに159分も費やすなんて、「私は才能がありません」と宣言しているようなモンじゃないかと。
これが日活ロマンポルノの監督だったら、同じテーマの映画を60分で作れるだろう。しかも、エロい濡れ場をバンバン盛り込んでね。
「ロマンポルノとキューブリックを一緒にするな。こっちは高尚で上質な映画だ」と反論したくなる人がいるかもしれないけど、高尚に見せ掛けているだけの矮小な映画だよ。ハッキリ言って、ソフトポルノの出来損ないみたいな映画だよ。
監督がスタンリー・キューブリックだから、トム・クルーズとニコール・キッドマンが出演しているからってことで、高い下駄を履かされているだけだよ。

(観賞日:2017年10月24日)


第22回スティンカーズ最悪映画賞(1999年)

受賞:【最もでしゃばりな音楽】部門

ノミネート:【最大の期待外れ(誇大な宣伝に応えない作品)】部門

 

*ポンコツ映画愛護協会