『エクソシスト2』:1977、アメリカ

少女リーガンが悪魔パズズに取り憑かれた事件から4年後。イエズス会のラモント神父は枢機卿から、悪魔払いの儀式の最中にメリン神父が亡くなった一件に関する調査を依頼された。ラモント神父はメリン神父の信奉者で、悪魔払いの経験があった。
16歳になったリーガンは、ニューヨークの高層マンションに暮らしていた。母クリスは女優の仕事で出掛けており、秘書シャロンがリーガンの世話係を務めている。リーガンは精神科医タスキンの元に通っているが、悪魔払いの記憶は全く無かった。
ラモント神父はタスキンの元に現れ、調査協力を依頼した。リーガンはタスキンが開発した脳波を同期させる精神感応装置を使用し、当時の記憶を呼び起こそうとする。だが、スキンの心臓に異常が生じたため、ラモントが装置を使って彼女を救った。
ラモントはリーガンが描いた絵の中の炎を見て、どこかで火事が起きていると考える。実際、すぐ近くで火事が発生していた。リーガンの心の中に悪霊がいると確信したラモントは、シャロンの案内でワシントンにある旧マクニール家を訪問した。
ラモントはリーガンと一緒に精神感応装置を使用し、メリンの記憶を辿る。メリンは40年前、パズズに憑依されたアフリカの少年コクモに悪魔払いをしたことがあった。ラモントはアフリカへ向かい、便利屋エドワーズの飛行機でコクモの元へ向かう…。

監督はジョン・ブアマン、脚本はウィリアム・グッドハート、製作はジョン・ブアマン&リチャード・レデラー、製作協力はチャールズ・オーム、撮影はウィリアム・A・フレイカー、編集はトム・プリーストリー、美術はリチャード・マクドナルド、衣装はロバート・デ・モーラ、特殊視覚効果はアルバート・J・ウィットロック、特殊メイクアップ効果はディック・スミス、音楽はエンニオ・モリコーネ。
出演はリンダ・ブレア、リチャード・バートン、ルイーズ・フレッチャー、マックス・フォン・シドー、キティー・ウィン、ポール・ヘンリード、ジェームズ・アール・ジョーンズ、ネッド・ビーティー、ベリンダ・ビーティー、ローズ・ポーティロ、バーバラ・ケイソン、ティファニー・キニー、ジョーイ・グリーン、フィセハ・ディメトロス、ケン・レナード、ハンク・ギャレット、ロリー・ゴールドマン他。


ウィリアム・ピーター・ブラッティーの小説を基にした1973年の映画『エクソシスト』の続編。この映画を見たブラッティーが「こんなのは『エクソシストの』続編じゃない」と激怒し、自らメガホンを執って“本当の続編”として『エクソシスト3』を作ったのは有名な話だ。
リーガン役のリンダ・ブレア、メリン役のマックス・フォン・シドー、シャロン役のキティー・ウィンが前作から引き続いて出演している。他に、ラモントをリチャード・バートン、タスキンをルイーズ・フレッチャー、枢機卿をポール・ヘンリード、コクモをジェームズ・アール・ジョーンズ、エドワーズをネッド・ビーティーが演じている。

前作は信仰に苦悩する心理ドラマと、コケ脅しの映像を組み合わせた映画だった。今回は、その両方を捨てている。続編だからといって、グロテスクな映像や残酷描写をエスカレートさせるのではなく、ブアマン監督は1から作り直すことを選んだようだ。
だから、ショッキングな描写は皆無に等しい。リーガンも、終盤に恐ろしい形相をチラっと見せるものの、ほとんどキレイなままだ。汚れないリーガンなど、何の価値も無いのだが。そして、彼女の代わりに地獄絵図を表現するような汚れ役も見当たらない。

で、その代わりに、空を飛ぶイナゴの視点での映像が挿入されたりする。
まあ、何の代わりにもなっていないが。
あと、コケ脅しとしては、終盤にパズズがイナゴの大群になって現れる展開がある。
日本で劇場公開された際は、イナゴの大群が飛ぶシーンでセンサラウンドが使用され、迫力充分だったようだ。
そんな迫力、要るかどうかは別にして。

今回は、悪魔払いの儀式は全く行われない。その代わりに、タスキンが作ったという精神感応装置が大きく扱われている。それを使えば互いの脳波が同期して、リーガンの記憶をタスキンやラモントが読み取れるという仕組みになっているらしい。
その装置は一応、科学的な方法として扱われているのだが、リーガンとタスキン、もしくはラモントが頭に変なベルトを装着し、点灯するライトを見るという様子は、ほとんどコメディー(もしくは間違ったSF)のようにしか見えない滑稽なシーンとなっている。

そもそも、脳波を同期させてリーガンの記憶を映像で見る、という意味が良く分からない。普通に催眠療法を使ってリーガンの記憶を辿る方法では、なぜダメなんだろうか。催眠療法なら、タスキンが危険な状態になるようなことも無いわけだし。
装置を使ったタスキンがリーガンの記憶を見ている最中、リーガンに代わってラモントが装置を付けると、今度はタスキンが見ているリーガンの記憶をラモントが見る。どういう仕組みだ、それは。あと、タスキンが危機に陥るが、そこでスリルが生じたとしても(無いけど)、それは機械が起こしたモノであり、パズズや悪魔払いとは全く関係が無い。

ラモントはリーガンが描いた絵を見て「火事が起きている」と確信し、その後に「リーガンの心に悪霊がいる」とも確信するが、なぜ確信したのかが良く分からない。興奮しているのは、たぶんラモントだけで、多くの観客は付いて行けないのではなかろうか。
何しろ、製作者の言いたいことに劇中での表現が追い付いていないので、ラモントだけが先走っているようにしか見えないのだ。そこまでに、それとなく観客に悪霊の存在を匂わせる表現があれば付いて行けるのだが、それが後回しになっているのだ。

ラモントはシャロンから「悪霊がメリン神父の名前を知っていた」とか「神父が悪霊を恐れていた」と聞かされて驚くが、そんなのは事件直後に調査していれば簡単に分かることだ。ってことは、イエズス会は4年間、何も調査していなかったということか。もしくは、調査したけどラモントがファイルに全く目を通していないという設定だろうか。
ラモントはリーガンと装置を使って脳波を同期させるが、リーガンの記憶を辿っているはずなのに、なぜかメリンが40年前に体験した出来事についての情報を得る。たぶんリーガンの心に潜むパズズが見せているのだろうと勝手に解釈したが、分かりにくい。というか、そんなのは普通にメリンの身辺調査をすれば分かるんじゃないのか。
まだ観客の前でパズズが大した悪行も見せぬ内に、ラモントが邪悪を退治しようとする行動ばかりが進んでいくので、話としてのバランスが取れていない。例えるなら、赤ん坊の近くにタバコが置いてあるというだけで、救急車を呼ぶようなものだ。

終盤、リーガンは精神感応装置を、おみやげか何かのように紙袋に入れて外部に持ち出してしまう。なぜ簡単に持ち出せたのかというと、タスキンが鍵も掛けずに机の引き出しに入れておいたからだ。そしてリーガンは、その精神感応装置を自分で簡単に操作してしまう。リーガンが凄いのか、装置が安いのかは不明である。
最後はワシントンの家が舞台になり、リーガンが2人登場し、ラモントがイカれてしまい、シャロンがイカれてしまい、イナゴの大群が現れて家を破壊し、リーガンが何かを振り回してビュンビュンと音を鳴らすとイナゴが静まるという、キテレツな展開。
この映画は分かりにくいが、それは「どういうギャグなのか」が分かりにくいということだ。

なお、どうやら日本人の中には、「日本ではキリスト教世界への理解に乏しい人が多いので、この映画の評価が低いのだ」と考えている人もいるようだ。
そんな人々には、そもそも本国アメリカで酷評されているという事実を報告しておく。

 

*ポンコツ映画愛護協会