『愛の神、エロス』:2004、アメリカ&イタリア&香港&フランス&イギリス

[The Hand]
チャンが病床にあるホアの元を訪れると、「もう来ないで。感染するわ」と言われる。「構いません。服を手直ししました」とチャンが告げると、彼女は「もういいの。あの男は去ったから。私の姿を見て。もうドレスは着られないわ」と弱々しく語る。「着られます。元気になりますよ」とチャンが言うと、ホアは「覚えてる?私たちの出会いを」と訊く。「覚えてます」とチャンが答えると、ホアは「触れた手も?」と尋ねる。チャンは「覚えてます」と答え、まだ仕立屋見習いだった頃のことを思い出した。
チャンは親方のジンに命じられ、高級娼婦のホアを訪ねた。召し使いのインに指示されたチャンが隣の部屋で待っていると、仕事を終えたホアが呼び寄せた。ホアは強張るチャンの姿を見つめた後、服を脱ぐよう命じた。チャンが困惑しながらも指示に従うと、ホアは彼の手に触れて「まだ女を知らない手ね。いい仕立て屋になりたかったら、大勢の女に触れて」と話す。彼女はチャンの股間を撫で回し、「ジンはもう年よ。いつか貴方が私のお抱え仕立て屋になる。この感触を忘れないで。そうすれば美しい服を作れる」と告げた。
ホアは金持ちのパトロンを見つけても、他の男との浮気を続けた。彼女の元へ仕事で通うチャンは、そんなことも知るようになった。ホアが浮気を疑うパトロンと電話で喧嘩になった時は、八つ当たりされて「最悪の仕立てよ。クビにする」と怒鳴られた。しかしホアはジンに電話を入れ、またチャンに仕事を任せるのだ。やがてホアはパトロンに捨てられ、娼婦の仕事に戻った。しかし病気を患ったこともあり、次第に仕事も入らなくなった。
ホアの半年もツケが溜まったことから、ジンはチャンに代金を貰って来るよう命じた。チャンが出向くと、ホアと言い争いになった男が「いつも金の話ばかりだ。淫売女が付け上がるなよ」と罵って立ち去った。作業場へ戻ったチャンが「数日後に来てくれと」と告げると、ジンは「冗談じゃない。あの女も終わりだ。パトロンに捨てられて仕事も無いのに、金を浪費してジゴロとうつつを抜かしてる。数日後に行って、金を取り立てて来い」と命じた。
数日後、チャンの訪問を受けたホアは所持している服を出し、「持って行って。欲しい人がいたら売って代金に回して。足りないけど」と述べた。「受け取れません。手元に置いて下さい。新品ばかりだ」とチャンは断るが、ホアは「旅に出るから持っていけないの」と語った。どこへ行くのかチャンが訊いても、彼女は答えなかった。数日後、チャンが部屋を訪ねるとホアは引っ越しており、そのまま行方が分からなくなってしまった。
しばらく経ってホアはジンに電話を掛け、チャンを指名した。チャンが指定された住所へ行くと、ホアは古いアパートに住んでいた。彼女は「また服を作ってくれる?アメリカ帰りの馴染み客がいるの。また私に会いたいって。たぶん私にとって最後のチャンス。力になって」と語った。チャンが「喜んで」と承諾すると、ホアは有り金を差し出して「残りは入ったら払うわ」と言う。チャンは「要りません。貴方の服を何枚も預かっています。新品同様で、手直しすればいい。代金は要りません」と告げた。
服を仕立てたチャンがアパートへ行くと、ホアは不在だった。隣の住人に居場所を訊くと、「この時間なら海岸通りにいる。食べていくためなら雨の夜でも客を引く」という答えが返って来た。チャンはホアが男を部屋へ招き入れる様子を密かに目撃した後、アパートを立ち去った。後日、チャンは大家にアパートの家賃を支払い、「彼女は病気だ。病院へ連れてってやれ」と言われる。部屋へ赴いた彼は、ホアから「もう来ないで。感染するわ」と告げられた。
しばらく会話を交わした後、ホアから出会った時のことを覚えているかと問われたチャンは、「あの手の感触のおかげで、私は一人前になれました」と礼を述べた。「お礼をしたいけど、今では体が言うことを利かない。手ではダメかしら?」とホアは言い、チャンの股間に手を伸ばす。チャンが接吻しようとすると、ホアは唇を手で覆う。それでもチャンは、半ば強引にキスをした。作業場へ戻った彼は、ジンに「ホアさんの見送りに行っていました」と告げる。「パトロンと旅立ちました。大勢が見送っていました。ホアさんは幸せそうでした」と、彼は嘘をついた。

[Equilibrium]
1955年、ロサンゼルス。ニック・ペンローズは裸の女が出てくる夢を2週間前から毎晩見るようになった。女はベッドから立ち上がって浴室へ行き、化粧をするとバッグを持って出て行こうとするのだ。ペンローズは妹も世話になった精神分析医のパールを訪ね、診察してもらうことにした。彼は「同僚のハルが広告のプレゼンで部屋に来た日から、心のバランスがおかしくなった。ハルは禿げ隠しのカツラを被っていたが、バレる前に自分から釈明した」と語った。
ニックはパールに、「夢の女について、口が滑って妻に喋ってしまった。目覚めると忘れるが、夢の中では知っている女だ。セックスの夢じゃない。妻はそれを知ると、肩を震わせて泣いていた。今は元気だが、よそよそしくなってセックスしなくなった。助けてくれ。夢の女から解放されたい」と語る。治療を急かすニックに、パールは時間を掛けて観察することの必要性を説いた。そして彼は、部屋に置いてあるカウチに寝そべるよう促した。
ニックがカウチに寝そべって背中を向けると、パールは夢について詳しく語るよう指示した。ニックが喋っている間に、パールは双眼鏡を取り出して窓の外を覗き始めた。パールは紙飛行機を作り、窓の外へ飛ばそうとする。ニックが体を起こそうとすると、彼は「振り向いて私の顔を見るな。プレッシャーで被害妄想になる」と告げる。ニックが再びカウチに寝転び、「電話に出て夢が終わった。出なければ彼女は戻ったはずだ」と口にした。
パールはニックの説明を適当に聞き流し、紙飛行機を飛ばす。彼はニックに質問して喋らせながら、窓の外にいる誰かに向かって身振り手振りで合図を送る。目覚まし時計の広告について語っていたニックは、スヌーズ機能のアイデアを思い付いた。診察を終えた彼が「まだ横になりたい気分だ」と言うと、パールは「治療時間内だから構わないよ」と告げた。ニックがカウチに寝そべると、パールは診療所を密かに抜け出した。
いつの間にか眠り込んだニックは、自宅のベッドで目を覚ました。彼が目覚まし時計を止めると、「スヌーズ機能を6回も止めたわ。毎度のことだけど」と言う妻の声が聞こえた。夢の女と同じ顔をした妻は、同じバッグを持って出掛けて行った。出社したニックは、パールと同じ顔をしてカツラを被っているハルと企画について話し合う。しかし話はまとまらず、ニックは診療所と同じ窓際を見つめた。紙飛行機はビルの外を飛んで行った。

[The Dangerous Thread of Things]
クリストファーと妻のクロエは、休暇でトスカーナ地方を訪れていた。クリストファーが「もう口喧嘩はウンザリだ」と言うと、日光浴中のクロエは「貴方のせいよ。私を責めてばかり」と反発した。「夫婦関係は冷え切ってる。セックスもそうだ」とクリストファーが語ると、クロエは「貴方は私と違って満足を求めるからよ。もう終わりね」と冷たく言う。クリストファーは「もういい、帰るぞ」と告げて、車でクロエと共に保養地を後にした。
クリストファーとクロエは渓谷に立ち寄り、滝で水浴びをしている全裸の少女2名を見た。「こんな場所があったんだ」とクリストファーが口にすると、クロエは「見落としてたわね」と言う。海辺のレストランへ向かう途中、クリストファーが「幸せだった頃を覚えてるか」と訊くとクロエは「私は過去に囚われるなんて御免だわ」と告げた。レストランに入ったクロエは、白馬で砂浜を移動する若い女に視線を向けた。クリストファーが「知り合いか」と尋ねると、クロエは「塔に住んでる子よ」と答えた。
クロエはテーブルに就いて料理が運ばれるのを待つ間に、グラスを床へ転がした。隣のテーブルでお喋りしながら昼食を取る一行がいたが、クロエたちには全く目もくれなかった。食事を終えて店を出た後、またクリストファーとクロエは言い争いになった。クリストファーは塔へ行き、あの娘と会った。娘はクリストファーを塔へ招き入れ、彼が屋上から景色を眺めている間にオナニーした。クリストファーが「君を抱いたら?」と尋ねると、彼女は「名前を教えるわ」と述べた。セックスした後、彼女は「私はリンダよ」と告げた…。

"The Hand" 製作&脚本&監督はウォン・カーウァイ、製作はジャッキー・パン、製作総指揮はチャン・イーチェン、撮影はクリストファー・ドイル、編集&美術はウィリアム・チャン、音楽はペール・ラーベン。
出演はコン・リー、チャン・チェン、ティン・ファン、アンティン・リュク、チョウ・ジャンジュン、シェン・ウィントン、ウォン・キムタク他。

"Equilibrium"エロスの悪戯〜ペンローズの悩み」 脚本&監督はスティーヴン・ソダーバーグ、製作はグレゴリー・ジェイコブズ、撮影はピーター・アンドリュース(スティーヴン・ソダーバーグ)、美術はフィリップ・メッシーナ、編集はメアリー・アン・バーナード(スティーヴン・ソダーバーグ)、衣装はミレーナ・カノネロ。
出演はロバート・ダウニーJr.、アラン・アーキン、エル・キーツ。

"The Dangerous Thread of Things" 監督はミケランジェロ・アントニオーニ、原作はミケランジェロ・アントニオーニ、脚本はミケランジェロ・アントニオーニ&トニーノ・グエッラ、製作はドメニコ・プロカッチ&ラファエル・ベルドゥゴ&ステファーヌ・チャル・ガディエフ&ジャック・バール、製作協力はガイ・アジザ、製作総指揮はダニエル・ローゼンクラス、撮影はマルコ・ポンテコルヴォ、美術はステファノ・ルッチ、編集はクラウディオ・ディ・マウロ、衣装はカリン・バーガー、音楽はエンリカ・アントニオーニ&ヴィニチオ・ミラーニ、主題歌はカエターノ・ヴェローゾ。
出演はクリストファー・ブッフホルツ、レジーナ・ネムニ、ルイーザ・ラニエリ、セシリア・ルッチ、カリマ・マシェワー、リカルド・マンフレディー、ヴェラーリオ・ブローニ、ペリーノ・タランテッリ他。


『欲望』『愛のめぐりあい』のミケランジェロ・アントニオーニが企画し、『ブエノスアイレス』『花様年華(かようねんか)』のウォン・カーウァイと『エリン・ブロコビッチ』『トラフィック』のスティーヴン・ソダーバーグを誘って作り上げた3話形式のオムニバス映画。
「エロスの純愛〜若き仕立屋の恋」の監督をカーウァイ、「エロスの悪戯〜ペンローズの悩み」をソダーバーグ、「エロスの誘惑〜危険な道筋」をアントニオーニが担当している。
この作品は、ちょっと歪な構成になっている。
大抵のオムニバス映画は、全てのエピソードがほぼ同じぐらいの時間配分になるものだ。しかし本作品は『The Hand』が約40分、『Equilibrium』が約25分、『The Dangerous Thread of Things』が約30分と、かなりの差がある。
このバランスの悪さは、それだけでもマイナス査定になるぐらいのモノだ。撮影に入る前に、設定時間を決めておかなかったのか。大体の時間は決めたけど、その幅を「25分から40分ぐらい」と広く取ってしまったのか。

ウォン・カーウァイが監督した『The Hand』でホアを演じているのはコン・リー、チャン役はチャン・チェン。
この話は日本公開版だと、『若き仕立て屋の恋』という邦題が付いている。
その邦題もあって、どうしてもパトリス・ルコント監督の『仕立て屋の恋』を連想する。
っていうか、ウォン・カーウァイも『仕立て屋の恋』から着想したんじゃないかと思うぐらいだ。内容としては全く違うんだけど、その雰囲気とか、「無償の愛」というテーマとか、その辺りは類似性が感じ取れる。

ただし大きく異なるのは、無償の愛を捧げた男に訪れる結末だ。
『仕立て屋の恋』の主人公であるイールは、無償の愛を捧げた相手から裏切られたり騙されたりするばかりで、「ただ死ぬほど切ないだけ」と自ら漏らす結末を迎えた。
報われない愛を捧げたイールに対して、『The Hand』のチャンは、ちゃんと報われている。
切なさの多い結末ではあるのだが、「ただ死ぬほど切ないだけ」ではない。愛する相手と心が通じ合い、ちゃんと別れることが出来た。ある意味、幸せな結末でもあるのだ。

『The Hand』で気になる箇所は、まず回想劇に入って最初のシーン。
チャンが隣の部屋で待たされる前に、ホアと対面させておいた方がいい。初対面のシーンで、なかなかホアの顔を見せないのも意味が無い。
そして最初に顔が写った際、彼女を「チャンを緊張させる美貌と妖艶さの持ち主」として見せようとする意識が乏しいのも引っ掛かる。
その後は終盤まで「客と仕立て屋」としての関係しかないんだから、その1回はもっとインパクトを強く出した方がいい。

パトロンに捨てられて仕事が無くなったホアが引っ越した後、先に安アパートにいる彼女を見せるのは効果的ではない。
指名を受けたチャンが訪れた際、初めて「こんな安アパートに住んでいる」ということを示した方がいいはずだ。
それと、チャンは「お変わりない」と言うけど、実際のホアはすっかり変わっているべきなのだ。ところが、あまり変化が感じられない。
淡々と進むのは別にいいんだけど、「羽振りが良くて華やかだったのに、すっかり落ちぶれて」というメリハリは欲しい。

ただ、トータルで考えると、このエピソードは良く出来ている。「ひょっとするとウォン・カーウァイの持ち味が最大限に発揮されるのは、長編じゃなくて中編や短編なのかもしれない」と思わせるぐらいだ。
ウォン・カーウァイってストーリテリングに対する意識は低くて、物語を解体して断片で語ろうとする人だ。たっぷりと間を取って、オシャレな映像を見せたがる人だ。
本人が自覚しているかどうかは分からないが、基本的に雰囲気至上主義者なので、長編だと途中でダレちゃうんだよね。
でも中編だったら、オシャレな雰囲気の中で物語の断片を連ねる手法でも、最後まで退屈せずに済むんじゃないかと。

「ペンローズの悩み」という邦題の付いた『Equilibrium』はスティーヴン・ソダーバーグが監督を務め、ニックをロバート・ダウニーJr.、パールをアラン・アーキンが演じている。
診療室のシーンはモノクロで、夢のシーンはカラーになっている。
「現実よりも夢の方がペンローズにとっては鮮やかに思えている」という解釈も出来るだろうが、終盤に入ると「診療室の出来事が夢なのかも」という疑問も生じる。
現実と夢をゴチャゴチャにして、どちらか分からないまま観客に下駄を預けて話は終わっている。

やりたいことは何となく分かるが、策士策に溺れるというか、まあ面白くはない。
ただ、『エリン・ブロコビッチ』や『オーシャンズ11』のような純然たる娯楽映画を手掛けるようになったスティーヴン・ソダーバーグだが、初の長編映画は『セックスと嘘とビデオテープ』で次が『KAFKA/迷宮の悪夢』。
たぶん本質は、ゲージツ系の作品にあるんだろう。
で、そっちを撮ったってことなんだろうけど、そういう問題じゃないんだよな。

ゲージツ映画だから退屈ということじゃなくて、これって単純に作品として面白くないのよ。
ぶっちゃけ、ソダーバーグが手抜きしているとしか思えんのよね。そもそも、これってエロスの要素が全く感じられないし。セックスという言葉は出て来るけど、エロスは無い。
でも考えてみると、ソダーバーグの映画にエロスの要素なんて乏しかったわけで。
『セックスと嘘とビデオテープ』も題名には「セックス」とあるけど、エロスからは遠かったし。
そう考えると、人選ミスだったんじゃないかと。

企画の発起人でもあるミケランジェロ・アントニオーニが監督を務めた『The Dangerous Thread of Things』では、クリストファーをクリストファー・ブッフホルツ、クロエををレジーナ・ネムニ、リンダをルイーザ・ラニエリが演じている。
単純でストレートなエロス、断片だけを切り取っても分かりやすいエロスという意味では、このエピソードが3話の中では群を抜いている。
何しろ話が始まった途端、もうクロエがパンティー1枚になっている。上着を羽織っても、オッパイがスケスケだ。
滝の少女たちは遠景だけど全裸だし、リンダもパンティー1枚でオナニーしたり濡れ場があったりする。
とても分かりやすい。

ミケランジェロ・アントニオーニは1912年生まれだから、この映画が公開された時点で92歳であり、まあハッキリ言っちゃうと棺桶に片足を突っ込んでいるぐらいの爺さんだったわけだ。
でも老人になっても相変わらず若い女を脱がしてエロいことを撮りたがる感覚ってのは、ある意味では素晴らしい。
どうやら彼としてはルイーザ・ラニエリにやらせたいことが他にも色々とあったらしく、彼女が恥ずかしがって拒んだことを残念に思っているらしい。
そういう感覚、嫌いじゃないよ。

ただし、じゃあ女性たちが脱ぎまくるからエロスの度合いも3作の中でダントツなのかというと、それは違うんだよな。
女性が全く肌を露出せず、濡れ場も無い『The Hand』が3つの中で最もエロスを感じさせるという、皮肉なことになっている(『Equilibrium』では夢の女が入浴シーンで裸になる)。
チラリズムって言葉もあったりするし、ただ裸になればエロスが醸し出されるってわけではないのよね。
とは言え、『The Dangerous Thread of Things』にエロスが無いのかと問われると、そういうことではない。エロスは間違いなく含まれているし、だからテーマと全く合致していない『Equilibrium』に比べりゃ遥かに誠実だ。

だけど問題は、「サッパリ分からねえ」ってことだ。
最後はクロエが裸になって踊り(演じているレジーナ・ネムニの本職はダンサー)、日光浴をしていると全裸になったリンダが来て2人が見つめ合うんだけど、どういう意味があるんだか全く理解不能。
シュールな面白さが感じられるわけでもないし、シュールを狙っているわけでもなさそうなんだよな。
まあ「それがミケランジェロ・アントニオーニ作品であり、それがトニーノ・グエッラの脚本だ」と言われたら、「そうですか、理解できないバカでゴメンなさい」と返すだけだが。

(観賞日:2015年8月14日)

 

*ポンコツ映画愛護協会