『イングリッシュ・ペイシェント』:1996、アメリカ
1944年、第2次世界大戦最中のイタリア。従軍看護婦のハナは、恋人のマクガン大佐が死んだことを知った。そんな彼女の元に、大火傷を負った患者が運び込まれてきた。移動の途中、ハナはその患者と共に隊から離れ、人気の無い寺院に留まることを決める。
ハナの看護を受ける中で、その患者は自分の過去を思い出す。彼はアルマシーという名の伯爵だった。戦前、彼は仲間と共に砂漠で地図を作っていた。そこにジェフリー・クリフトンとキャサリンの夫妻も参加することになった。アルマシーはキャサリンに惹かれるようになる。
ジェフリーがエジプトのカイロへ向かうことになり、キャサリンは1人で砂漠に残った。やがてアルマシーとキャサリンは恋に落ちる。逢瀬を重ねる2人だが、隠れた付き合いが辛くなったキャサリンは、アルマシーに別れを告げる。だが、アルマシーは諦めることが出来ない…。監督&脚本はアンソニー・ミンゲラ、原作はマイケル・オンダーチェ、製作はソウル・ゼインツ、製作協力はポール・ゼインツ&スティーヴ・アンドリュース、製作総指揮はボブ・ワインスタイン&ハーヴェイ・ワインスタイン&スコット・グリーンスタイン、撮影はジョン・シール、編集はウォルター・マーチ、美術はスチュアート・クレイグ、衣装はアン・ロス、音楽はガブリエル・ヤール。
出演はレイフ・ファインズ、ジュリエット・ビノシュ、ウィレム・デフォー、クリスティン・スコット・トーマス、ナヴィーン・アンドリュース、コリン・ファース、ジュリアン・ワダム、ユルゲン・プロホノフ、ケヴィン・ホウェイトリー、クライヴ・メリソン、ニーノ・カステルノーヴォ、ヒッチェム・ロストム、ピーター・ラーリング他。
文芸大作。そして壮大なメロドラマ。
現在と過去が折り重なりながら物語は進んで行く。第69回アカデミー賞で作品賞、監督賞、助演女優賞(ジュリエット・ビノシュ)など9部門を受賞したのは、アカデミー賞が“アカデミー”賞であろうとする意志の表れだろう。現在の様子として描かれるエピソードには、それほど意味を持たせていない。基本的には過去の回想に挟み込むための道具として使われる。
そういった扱いにすることで、アルマシーが回想する過去のシーンの大切さを、観客に強く意識させようとしているのだろう。ハナは死んだ恋人のことで悲しんだり新しい恋愛に心を躍らせたりするが、それほど深い人物描写はされていないし、アルマシーとの関係も薄い。
そういった設定にすることで、彼女への感情移入を防ぎ、アルマシーの物語に集中させようとしているのだろう。アルマシーとキャサリンの恋愛劇は、かなり長い時間を掛けて描かれる。
全体の上映時間も長い。
あえて編集で短くせずに無駄に思えるシーンも使うことで、観客に退屈や眠気を与え、不倫というものが愚かなのだということを示そうとしているのだろう。アルマシーとキャサリンが惹かれ合っていく様子はボンヤリと、そして淡々と描かれる。2人の感情の動きも、それほど強く伝わってこない。
それは、分かりやすい恋愛劇を作り続けるハリウッド映画に対し、本当の恋愛はそれほど面白味があるものではないと示しているのだろう。アルマシーとキャサリンの恋愛劇が薄っぺらく感じられるのは、自然や戦争の前では人間の恋愛などちっぽけなものだということを示しているのだろう。
ウィレム・デフォーが登場した意味がほとんど無いのは、戦争の前では意味など無価値だということを示しているのだろう。不倫の恋を決して下卑たものとして描かず、文学的なセリフを積み重ねることで、高尚であろうとする。一つ一つのエピソードの印象が散漫で、ストーリーを把握するのに苦労する。
だが、そうすることで、考えることの大切さを観客に訴えかけようとしているのだろう。この作品は強烈な意志を持っている。観客に媚びようとせず、描きたいことを描きたいように描こうとする。だが、いわゆる文芸大作である前に、やはり娯楽作品であろうともしている。
だからこそ、ジュリエット・ビノシュとクリスティン・スコット・トーマスの裸という、非常に分かりやすいサービスカットを入れているのだ。