『エリザベスタウン』:2005、アメリカ

大手靴メーカーであるマーキュリー・ワールド・ワイド・シューズの若手社員であるドリュー・ベイラーは、新しい靴のアイデアを提案してプロジェクト・リーダーに抜擢された。彼は私生活を全て削って開発に没頭し、ついに靴は完成した。社長秘書で恋人のエレンや大勢の社員たちに祝福され、全ては順調に進んでいたはずだった。しかし靴は不良品として全て回収され、会社は大きな損害を被った。フィルに呼び出されたドリューは、約10億ドルの損失が出たこと、地球環境監視プロジェクトも中止せざるを得なくなったこと、酷評の嵐だったことを語った。
フィルは記者が来ていることを話し、ドリューに事の経緯を説明するよう指示した。取材を終えたドリューは会社をクビになり、自宅へ戻った。彼は自殺を図るが、携帯電話が鳴る。最初は無視していたが、何度も鳴ったのでドリューは諦めて携帯を手に取った。すると相手は妹のヘザーで、泣きながら「パパが死んだの」と言う。伯父のデイルが住むケンタッキーの家を訪れていた時、心臓発作で急死したのだと彼女は話す。母のホリーはショック状態にあり、長男のドリューに帰郷して取り仕切ってもらいたいと彼女は告げる。
ドリューは承諾し、ケンタッキーへ向かう飛行機に搭乗する。他に乗客がいない中、ドリューは客室乗務員のクレアに声を掛けられる。クレアは彼をファースト・クラスへ案内し、さらに話し掛ける。質問を受けたドリューは、エリザベス・タウンへ行くことを話す。それで会話を終えようとしたドリューだが、クレアは隣に座って地図を書き始める。その後もクレアは話を続け、ドリューは相手をする。クレアは「そろそろ寝かせてあげる」と言い、地図を渡して去った。
翌朝、クレアはドリューにホテルのクーポン券を渡し、彼を見送った。クレアは彼に、264号線を60Bで降りるよう告げる。ドリューが受け取ったクーポン券を見ると、クレアとオートクラブの電話番号が記されていた。ドリューは途中で道に迷うが、何とかエリザベス・タウンに辿り着いた。彼がクラーク葬儀場へ赴くとデイルの息子であるジェシーが待っていた。ジェシーはドリューにハグした後、墓地へ案内する。
ジェシーはドリューを、デイルと父の親友であるチャールズ・ディーンに紹介する。チャールズはドリューに、父の遺品である財布と陸軍士官学校の指輪を渡した。チャールズは教会へドリューを連れて行き、葬儀の列席者に紹介した。ドリューは棺に眠る父のミッチと対面し、じっくりと姿を眺めた。ジェシーの家へ移動したドリューは、伯母のドーラを始めとする親族や父の友人たちと会った。ケンタッキーの親族とは疎遠だったドリューだが、全員が彼を温かく迎えた。
ジェシーの息子であるサムソンが車を運転しようとするのに気付いたドリューは、慌てて制止した。ミッチの友人であるビル・バニヨンが遅れて到着すると、全員が笑顔で迎えた。ドリューがホテルにチェックインすると、チャックとシンディーの結婚式に出席する大勢の若者たちが盛り上がっていた。ドリューはヘザーと母とエレンに連絡するが、3人とも留守電になっていた。テレビを見ていたドリューだが、すぐ退屈になってクレアに電話を掛ける。留守電にメッセージを残した直後、ヘザーから連絡が来た。
ドリューはヘザーに「ママが急に料理を習うって言い出したの。帰って来て。変なの」と頼まれるが、クレアから電話が入った。さらにエレンからも電話が入り、ドリューは1人ずつ待ってもらいながら順番に話す。ヘザーとエレンを片付けてからクレアと話し、彼は父が死んだことを明かした。するとクレアは、気付いていたことを教える。ドリューはクレアと様々なことを話し、また会いたいと感じる。「クレアから一緒に日の出を見ない?ここまで来たら徹夜した方が楽だわ」と言われ、彼はレンタカーで会いに行く。
ドリューとクレアは互いの中間地点で合流し、電話を切って日の出を待った。ドリューはハワイヘ行くクレアを見送り、母と電話で話す。火葬にすることを確認した後、ドリューは告別式をデイルやビルが手伝ってくれることを告げる。ビルの名を聞いたホリーは、「あいつはお父さんから大金を巻き上げたペテン師よ。あいつのせいでウチは破産寸前まで追い込まれた」と不快感を示した。ホリーは「ビルがいるなら絶対に火葬よ。そっちへ行く」と言い、電話を切った。
ドリューがホテルへ戻るとクレアが現れ、「落ち込んでる貴方を置いて行くと思った?外へ連れ出してあげる」と言う。ドリューはクレアと出掛けて遺灰の壺を購入し、墓地を散歩する。クレアは彼に、「私たちは同じ特技を持ってる。誰かの穴埋めが出来る。私はエレンじゃないし。なりたくもないけど。一人でいるのが好きなの。今の恋人は仕事と結婚してるような人だから、滅多に合わない。その方が気楽」と語った。ドリューはキスしようとするが、クレアは迷った末に唇を引いた。彼女は「これで良かったのよ、一時の衝動に流されたりしない方が。ずっと友達でいられそうじゃない」と言い、ドリューも同意した。
翌朝、ドリューはデイルやチャールズたちから、改めて「エリザベス・タウンに埋葬しないのか」と問い掛けられる。ドリューは父を愛してくれた彼らの気持ちに感謝を述べるが、「父は生前、死んだらどうしてほしいか僕らに言ってた。父の願いを叶えるため、遺灰を海に撒くんだ。これがカリフォルニアの結論だ」と話す。「違った。ウチはオレゴンだ」とドリューが慌てて修正すると、デイルたちは大笑いして彼の結論を尊重した…。

脚本&監督はキャメロン・クロウ、製作はトム・クルーズ&ポーラ・ワグナー&キャメロン・クロウ、製作総指揮はドナルド・J・リーJr.、製作協力はアンディー・フィッシャー、撮影はジョン・トール、美術はクレイ・A・グリフィス、編集はデヴィッド・モリッツ、衣装はナンシー・スタイナー、音楽はナンシー・ウィルソン。
出演はオーランド・ブルーム、キルスティン・ダンスト、スーザン・サランドン、アレック・ボールドウィン、ブルース・マッギル、ジュディー・グリア、ジェシカ・ビール、ポール・シュナイダー、ラウドン・ウェインライト、ゲイラード・サーテイン、ジェド・リース、ポーラ・ディーン、ダン・ビッガーズ、アリス・マリー・クロウ、ティム・デヴィット、テッド・マンソン、マックスウェル・モス・スティーン、リード・トンプソン・スティーン、シェーン・E・ライオンズ、エミリー・ラザーファード、マイケル・ノートン、グリフィン・グラボウ他。


『あの頃ペニー・レインと』『バニラ・スカイ』のキャメロン・クロウが脚本&監督を務めた作品。
『バニラ・スカイ』に続いて、トム・クルーズとポーラ・ワグナーの会社が制作している。
ドリューをオーランド・ブルーム、クレアをキルスティン・ダンスト、ホリーをスーザン・サランドン、フィルをアレック・ボールドウィン、ビルをブルース・マッギル、ヘザーをジュディー・グリア、エレンをジェシカ・ビール、ジェシーをポール・シュナイダー、デイルをラウドン・ウェインライト、チャールズをゲイラード・サーテイン、チャックをジェド・リース、ドーラをポーラ・ディーンが演じている。

当初、ドリュー役にはアシュトン・カッチャーが起用され、撮影がスタートした。
しかしキャメロン・クロウは彼の演技力に不満を抱いて降板させ、代役にオーランド・ブルームを起用した。
ちなみに当時のアシュトン・カッチャーは、主演作『バタフライ・エフェクト』のヒットなどもあったが、デミ・ムーアとの交際という私生活の方が大きな話題になっていた時期だった。まあ、それが降板の理由というわけではないだろうけどね。
ただ、キャメロン・クロウからすると演技力が不足していると感じたんだろうけと、オーディションの結果として起用されたはずなので、ちょっと可哀想な気がするけどね。

キャメロン・クロウは2000年の『あの頃ペニー・レインと』でアカデミー賞の脚本賞とゴールデングローブ賞(ミュージカル&コメディー部門)の作品賞を受賞するなど、高い評価を受けた。
しかし翌年に手掛けた『バニラ・スカイ』は、酷評を浴びてしまった(主に酷評の標的となったのはペネロペ・クルスだけど)。
ただ、実は興行的にヒットしたのは『バニラ・スカイ』で、『あの頃ペニー・レインと』は興行的には成功していない。

それはともかく、キャメロン・クロウは『バニラ・スカイ』の後、この映画を撮るまで4年の間隔が空いている。
ひょっとすると、その間に彼はドリューと同じような辛い体験をしたのかもしれない。絶望感に打ちひしがれて、優しさや癒やしを求めたのかもしれない。
まあ、そうだとしても、「そういうのは、当時は奥さんだったナンシー・ウィルソンに求めろよ」って話だけどね。っていうか、そもそも彼がドリューと同じ体験をしたってのが、単なるワシの邪推に過ぎないのでね。
ただ、そんな風に思ってしまうぐらい、あまりにもドリューにとって(そして世の男子にとって)都合が良すぎる物語なのだ。

まず冒頭シーンからして、疑問が幾つもある。
靴は全て回収されているが、何がどうダメだったのかは全く説明されていない。
「ドリューが大きな失敗をやらかしてクビになる」という事実が必要なのであり、その原因は大きな問題じゃないってことぐらいは分かる。だけど、何がダメで全ての商品が回収されたのかを説明しないと、そこが余計な引っ掛かりになってしまうことは確かなのよ。
っていうか、そこの説明を用意していないのは、ただの手抜き作業に感じるし。

それと、失敗の責任が若手社員であるドリュー1人に押し付けられるのも疑問だ。
それが不良品だったのなら、見落としていた人間にも責任があるはずで。
開発者がドリューでも、それを製造する過程で大勢の人間が関わっているはずなんだから。ドリューが全ての決定権を握っていたわけじゃないでしょ。
そこは「約10億ドルの損失で、ドリューが責任を感じる」という部分だけで良かったはず。
彼をドン底まで追い込みたかったんだろうけど、「フィルがドリューに全ての責任を押し付ける」ってのは違和感が強いぞ。

帰宅したドリューが自殺しようとするのも、ものすごく不自然さを感じる。
そりゃあ靴を作ることに全力を注いでいたんだから、絶望感や落胆は大きいと思うよ。だけど、「会社に多大な損失を与えて解雇されたから」ってのが、自殺の動機として弱いのよ。本人が10億ドルの負債を抱えたわけでもないんだし。
「8年間も仕事に打ち込んで来たので、そのショックが尋常じゃない」ってことかもしれないけど、そういう経緯は全く描かれていないので、自殺しようとする気持ちに全く共感できない。「それぐらい繊細な心の持ち主」と捉えるべきなのかもしれないけど、ドリューがどういうキャラクター設定なのかも全く教えてもらっていない段階だし。
あと、自殺を図るにしても、わざわざエアロバイクに包丁を取り付けて自分の腹に突き刺さるようにするってのは、「半ば衝動的に自殺を図ろうとした奴が、そこまで手間を掛ける余裕があるかね」と思ってしまうぞ。

ドリューが母と妹に見送られて空港を歩いている様子が描かれた後、仕事の準備をしているクレアのパートに切り替わる。そして彼女は機内にいるドリューを見つけ、声を掛ける。
この見せ方は違うんじゃないか。
なぜなら、これはドリューのナレーションで進行しており、完全に「ドリューの物語」として構成されているはずだからだ。
それなのに、途中でクレア側から描くパートを中途半端に入れることが望ましいとは到底思えない。
そこは「ドリューが飛行機に乗り込んで離陸を待っていたら、クレアに声を掛けられる」という形で初対面を描くべきだろう。

クレアという女は厄介なキャラクターで、「やたらとドリューの世話を焼く理由は何なのか」ってのがサッパリ分からない。
「他に乗客がいなかったから」というだけで受け入れるのは、ちょっと無理だわ。「そもそもお節介な性格」ってことなのかもしれないけど、何しろドリューと接している様子しか描かれていないからね。
なので、「あまりにも御都合主義なキャラクター」にしか見えない。
そういう人物が登場してもファンタジーとして甘受できるような世界観に、観客を巻き込むことなど出来ていないし。

エリザベス・タウンに到着したドリューは、ずっと疎遠だった親族や父の関係者たちから温かく歓迎される。
そういう様子が描かれた時に感じるのは、「じゃあクレアって要らなくねえか?」ってことだ。
前述したように、クレアの描写には不自然さが多いのだが、そこまで無理をしているのは「人生に絶望したドリューを癒やしてくれる女神として動かしたい」ってのが理由だろう。
だけどエリザベス・タウンの人々と触れ合うことで、ドリューの心は充分に癒やされるんじゃないかと思うのよ。
タイトルからして『エリザベス・タウン』なんだし、クレアの存在など排除してしまった方がスッキリするんじゃないかと思うのだ。

そんな風に感じてしまう原因の1つとして、ドリューにとって父の死が「不幸の追い打ち」として機能していないってことが挙げられる。
多額の損失を出して会社をクビになったドリューは、それだけで自殺を考えるほど落ち込んでいる。
そこに父の急死というニュースが飛び込んで来たんだから、「ますます悲しみや絶望感が大きくなる」という展開になってもおかしくない。
しかしドリューは父が死んでも、そんなに落ち込んでいるようには見えない。少なくとも、会社の一件に比べれば月とスッポンぐらいの差がある。
なので、父の死という出来事は、ほぼ「ドリューをエリザベス・タウンへ行かせる引き金」として使われているだけになっているのだ。その後でドリューと父の関係を詳しく描き、親子のドラマを厚くしているわけでもないしね。

ドリューがクレアと電話で話す内容からすると、どうやら彼は温かく歓迎されたにも関わらず、エリザベス・タウンの人々に対して好感を抱いたわけではないようだ。
「ずっと疎遠だったから戸惑いがある」ってことなのかもしれないし、火葬に賛同してくれない雰囲気だから困っているってのが大きいのかもしれない。どうであれ、最初から受け入れ態勢じゃないのは別に構わない。
ただ、とにかく街の人々は優しく明るいのだから、「最初は心の距離があったけど、そこで過ごす内に打ち解けていき、絶望感が払拭される」という流れにすればいいわけで。
それなのに、ドリューを変える役目を全てクレアに委ねようとするので、どうにも格好がよろしくないのだ。

ドリューとクレアの関係を軸に据えたことで、エリザベス・タウンでは大勢の親族や父の友人たちが登場するのに、ほぼモブ扱いと化してしまう。
もっと問題なのは、ずっとドリューは街に滞在しており、「父の葬儀」ってのが終盤に配置されているのに、そこへ向けた物語がすっかり脇に追いやられているってことだ。
ドリューとクレアのロマンスが、ミッチの葬儀へ向けた流れの中に組み込まれているわけではないのだ。
そのため、「ドリューとクレアの話」と「エリザベス・タウンの話」が完全に分離したまま最後まで進行するのだ。

「ドリューが恋愛感情によって前向きな気持ちに変化する」ってのをメインに据えるにしても、その相手はエリザベス・タウンの住人や父の関係者にしておけば良かったのに。
そうじゃないから、ミッチの葬儀では無関係なクレアが完全に浮いた存在になっている。
そこで話を終わらせるわけにもいかないから、その後に「ドリューがクレアから渡された地図を頼りに、彼女の元へ行く」という展開を用意しているけど、蛇足みたいになっちゃうのよ。

(観賞日:2017年7月17日)

 

*ポンコツ映画愛護協会