『イージー・ライダー』:1969、アメリカ

“キャプテン・アメリカ”ワイアットとビリーの2人は、ドラッグを密輸して売りさばき、大金を手に入れた。2人はチューブに金を入れてハーレーのエンジンタンクに隠し、謝肉祭に向けて旅に出る。途中で立ち寄ったモーテルに泊まろうとするが断られ、2人は野宿で一夜を明かす。
旅の途中、ワイアットとビリーはヒッチハイクをしているヒッピーに出会い、バイクに乗せてやることにした。2人は彼と共に、ヒッピーのコミューンに辿り着いた。そこにいる連中は食糧不足に悩んでおり、砂地に種を撒いて作物を育てようと本気で考えていた。
コミューンを出て再び旅に戻ったワイアットとビリーはパレードに遭遇するが、許可無しに参加したということで留置場に入れられてしまう。そこで2人はアル中の弁護士ハンソンに出会う。どうやらハンソンは保安官達と親しいらしく、2人は彼の口利きで釈放してもらうことが出来た。
ワイアットとビリーは謝肉祭に行きたがるハンソンを連れて、ニューオーリンズへと向かうことにした。3人はカフェに入るが、中にいた連中は彼らに明らかな嫌悪感を示す。その日も野宿をすることにした3人だが、眠っているところを襲撃されてしまう…。

監督はデニス・ホッパー、脚本はピーター・フォンダ&デニス・ホッパー&テリー・サザーン、製作はピーター・フォンダ、製作協力はウィリアム・L・ヘイワード、製作総指揮はバート・シュナイダー、撮影はラズロ・コヴァックス、編集はドン・キャンバーン、美術はジェリー・ケイ。
主演はピーター・フォンダ&デニス・ホッパー、共演はジャック・ニコルソン、トニ・ベイジル、カレン・ブラック、ルーク・アスキュー、ルアナ・アンダース、サブリナ・スカーフ、ロバート・ウォーカーJr.、ウォーレン・フィナーティ、ティタ・コロラド、サンディ・ワイス、キース・グリーン、ヘイワード・ロビラード他。


アメリカン・ニューシネマの代表的な作品の1つ。
2人のヒッピーがハーレーで旅をするロードムービー。ワイアット役のピーター・フォンダが脚本と製作、ビリー役のデニス・ホッパーが監督と脚本に携わっている。他にハンソンをジャック・ニコルソンが演じている。

この作品と言えば、ステッペン・ウルフの「Born To Be Wild」が非常に有名だ。ステッペン・ウルフの曲だけでなく、ほにもザ・バーズ、ザ・バンド、ジミ・ヘンドリックス&エクスペリエンス、スミスなど多くの曲が使用されている。
曲が流れている間は、登場人物は邪魔にならないように無口になる。

この作品は、シナリオにメッセージを伝えるパワーがそれほど備わっていないことを自覚している。完成度の低い映画よりも、優れた音楽の方が遥かに強く人々の心に届くことを知っている。
だからこそ、映画としての価値よりも、音楽の邪魔にならない映像を提示することを優先する。

ワイアットやビリーは本当の意味での自由を手に入れようとしており、それを社会が受け入れないというのが表向きの図式だ。しかし実際にはワイアットとビリーは自由の意味を履き違えた連中であり、反体制を名目にした堕落者に過ぎない。
にも関わらず、ワイアットとビリーはまるでカッコイイ存在のように描かれている。時には自虐的にヒッピーを描きながらも、本気でヒッピーを批判しようとしているわけではない。そんなヒッピー達を作り出した社会に対して、批判の目は向けられる。

この作品は、もはや1人のヒッピーの人格である。その人格は「自分達を理解してほしい、受け入れて欲しい」と訴える。
ただし、決して周囲に合わせようとはせず、傲慢な態度は崩さない。「俺達は悪くないんだ、社会が悪いんだ」と訴えながら、現実逃避の中にカッコ良さがあると信じ続ける。

社会の矛盾やアメリカという国の問題点を突いた、いわば反抗的な意志を持った作品のように見える。しかし、実は1960年代後半という時代の色に逆らうことなく作られた作品だ。
時代に迎合した作品は、時代と共に滅びていく運命にあるのかもしれない。

 

*ポンコツ映画愛護協会